いつでもPARTY!

↓「このタイトルの意味は?」とよく聞かれますが、たいした意味はありません。身内から出たネタです。すいませんm(_ _)m

転校

2005年04月22日 | SATOKO
リエがなんだか元気がない。
仲の良かった友達が静岡へ転校してしまったらしい。
別の友達から慰めのメールが来たようで、それを見てしくしく泣き始めた。
その転校する友達は4/22日までこちらの学校に通ったわけで、家庭の事情か、かなり中途半端な時期である。修学旅行はどちらの学校でも参加できないそうだ。

リエの様子を見ていて、私の友達が転校していった時を思い出した。
その子は小学校6年の時同じクラスで、よく家にも遊びにいったし、交換日記もしたし、お互いを「親友」と思っていた。
リエの様に泣いた記憶はないが、しばらくはやっぱり寂しかった気がする。
それでも、ちょうど小学校を卒業してからの転校だったので、お互い新しい環境にかわって、新しい友達もでき、続けていた文通もだんだん間があくようになってきた。

ある日の手紙に「このあいだ、そっちの学校の子見たけど、いっちょまえにマジソンバッグもっとったで、びっくりした」って書いてあった。
  ※「マジソンバック」知っている人は私と同世代。その当時爆発的に流行した「マジソンスクエアーガーデン」のロゴのはいったバッグ。今思えば何がかっこよかったのか分からない・・・

その「いっちょまえに」の前に「田舎者のくせに」がついていると感じた私はムカッときた。

確かにその子は、名古屋に引っ越したのでこの辺よりは遙かに都会だし、流行にも敏感だろう。
でも、毎日一緒に歩いたたんぼ道、伊吹おろしが冷たくてホッペタまでくっつけて歩いた事、一緒に縦笛の練習をしたときに見えた養老山脈の夕焼け。そんな風景が全部「田舎」でひとくくりにされた気がして、私は腹がたったんだと思う。

その手紙に私が返事を出さなかった事で、文通は終わった。

今の子達はこんな事はないだろうな。
携帯やPCだって持ってるし、テレビ電話だってめずらしくない。
静岡にいたって、外国にいたって、同じクラスにいたって、全く同じようにリアルタイムに会話が出来る。
ブロードバンドがどんどん距離を縮めている。

あのころの私達が今の様な環境だったら、その子と私はどんな風になっていただろう。
その場でけんかして、仲直りして、もしかしたら、今頃「子どもの携帯代もバカにならないよね~」なんてメールしてるかも。

これから、どんどん通信手段も進化していくだろうが、絶対私はついて行こうと思っている。

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