五里夢中於札幌菊水 

野戦病院へ出向予定。
医療崩壊に対して国民全てと共闘を夢想。
北海道の医療崩壊をなんとか防ぎたい。

29歳の地図 北海道 釧路

2007-03-05 23:18:47 | 29歳の地図
苫小牧の次に出張したのが釧路であった。1年半、つい最近まで働いていた。
総合病院から、脳外科と心臓外科のみという一風変わった病院への異動であったため
最初は面食らった部分も多々あったが、ここでは割愛するとする。

苫小牧から釧路へ異動する日、かみさんと交代で運転しながら向かったのであるが、
帯広をすぎると、なんとなく寂しげな風景に変わってくる。
学生の頃、何回も道東へは足を伸ばしたが、レジャーと勤務という差
が心理状態へ微妙に影響したのであろう。
風景とともにその寂しい気持ちはだんだんと強まった。

釧路へついたとき確かどんよりと曇っていた。
勤務するであろう病院近辺は新開地で、町並みは新しく、
病院も築10年たっておらず非常にきれいであった。

150床程度の病院であったため、職員間の風通しは非常に良く、
放射線技師やソーシャルワーカー、リハビリスタッフとは
よく飲みにいった。というわけで僕はすぐ適応したのだったが、
旦那は家に帰ってこない、友達はいない、やることがない
かみさんはあっという間にデプレッションに陥った。
何かやることを見つけてあげようと思い、やりにくくはあるが、
自分のつとめている病院でパートとして働かさせてもらうことになった。
それが効を奏し、かみさんの精神状態は落ち着いたのだが、
年に一度あるかないかのひどい二日酔いの時かみさんに点滴をさされるはめになった。
僕はトイレのドア付近で倒れており、寝返りをうって体勢がかわったため、
トイレの中にいた心臓外科の先生が中に閉じ込められてしまった。
そんな馬鹿話はこのぐらいにしておく。

なんといっても釧路は海産物の宝庫である。
昔、社会科の授業で水揚げ高日本一と習ったが、現在は少し低迷している。
とはいうものの、とれたての海産物の鮮度は抜群。
蟹も秋刀魚も刺身でいける。
こんな美味しいものがこの世にあるなんてときっと思うだろう。
登山の後だったらなお良かったのだが。

厚岸の牡蠣祭りを筆頭として北海縞エビ祭りやら蟹祭りやら
海産物祭りには事欠かない。
生後間もない娘をつれ回しかみさんは釧路を堪能していた。
内陸には阿寒をはじめとする温泉群が多数あり、温泉のはしごが可能である。

農産物の恵みも沢山ある。
学生の頃、先輩の家でアイスホッケーに通いつつ、畑仕事を手伝ったことがあったが、
人生の中で一番過酷であった。死にはしないが、冬山よりも過酷であった。
18歳の僕は毎晩大根の夢を見た。
最終日、西別岳という小さい山だが、登山を企画してくれて、
それがきっかけで登山をしようと思った。
遠く知床連山が見え、探検心をそそられた。
そこから白井小屋にたどりつくのにはしばらく時間が必要だったが。

その先輩の実家は標茶町にあったが、
標茶町からくる患者さんにその話をすると間違いなく笑いをとれた。
先生そんなことやってたんだと。
先輩は優秀な兄弟ということで、標茶の人はほぼ知っていた。

釧路管内の医師不足は肌で感じていた。
そしてその1年半の間でそれが進行しているような気がした。
札幌に帰る日、若干後ろ髪を引かれた。
往診に行くといつも秋刀魚やら海産物を用意しているおかあさん。
誤嚥性肺炎を繰り返しても食べることを諦めないおとうさん。
ひどい肺炎でもその度に復活する。
最後には胃ろうを作ってしまったが今後どうなるのか?

今でも新聞をとるとふと釧路管内のお悔やみ欄を見てしまう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。