母ひとり娘ひとり あわせてふたり                             ~大腸癌を宣告された娘の記録~

2008年7月、たったひとりの家族である母が上行結腸癌にステージ3b、ママ頑張ろうといいながら自分への励ましブログ。

入院 -21日目- いよいよ退院

2008年09月01日 21時44分55秒 | 入院生活
昨日からちょこちょこ車で実家に荷物を運んだ甲斐あって約束の10時過ぎにつくと退院準備万全
さすがママ、きっちりしてるわ。
久々の洋服姿、久々のバッチリ化粧、少し痩せたかな それがまた丁度良い感じで、どこから見ても大きな病気をしてるようには見えない

U先生は外来前の朝の時間のない時に病室へ来たらしい。
「今日退院やね。おめでとう 手術で取った臓器の検査結果が出てるけど少し気になっていた小腸への転移はなかったよ(小腸への転移の恐れなんて聞いてないし
けどリンパ節には転移があるから抗がん剤治療していきましょう。
とりあえず1週間後の月曜日外来に来て下さい。その時詳しく説明するから。今日は気をつけて帰って下さい」だって・・・
薬もなしでの退院。14日の手術後抗がん剤は一切使用していないがこんなんで大丈夫なのか・・・
素人には、そうしている間も癌が進行しているのではないかと不安になる
先生の病室滞在時間1分 相変わらず忙しいね。
リンパ節転移言ったんやぁ そりゃいつかは言わなきゃなんだけど・・・退院の朝に言わなくても
ちょっとママもショックやったみたい。でも「来週先生に聞かなきゃ分からんし、何言われても受け入れてガンと戦うねん」って言ってくれた。
パワーの感じる嬉しい一言だった。

とりあえず退院手続き終了で看護士さんたちとお別れ
ホント優しい方ばかりで母ともども感謝、感謝

久々の外の空気。入院時に貧血で倒れた時に歪んだ眼鏡をなおしてもらいに、そして暫くの食材の買い出し、お昼はかごの屋で和食。
用事を済ませて一旦帰宅。

毎日病院の帰りにお花の水やりに行って良かった
見事な咲きっぷりと成長に喜んでくれた。ホントに行って良かった。
枯れた花が母を迎えるのと満開の花が迎えるのとでは大違いだもんね。
でも私が出来ることなんてしれてるし・・・やっぱり病気と真っ向勝負するのは母なんだから。
私にできることがある限り母を支えていけたらと思う。

久々の自宅で少しゆっくりして今度はデパートへ、そしてご近所のF先生のとこへ。
今回の病院を紹介してくれた開業医のF先生に渡すお手紙をU先生から預かってるからそれとを持ってご挨拶に。
以上、本日の予定終了
ちょっと疲れたみたいだけど今夜は睡眠薬なしでゆっくり寝れるね。

ホント手術も入院生活もよく頑張りました

入院 -20日目- 最後の晩餐

2008年08月31日 23時02分24秒 | 入院生活
いよいよ明日が退院。今日が最後の晩餐ということで今日こそ穴胡が食べたいとのリクエスト
今日は安もんのスーパーの穴胡を買って病院へ

親戚のお姉ちゃんも午後からきてくれた。
かぶった・・・阪急百貨店でお寿司をようさん買ってきてくれた。しかもデザートも
17時からベットの上に大きな包装紙を敷き始まった母62歳、1日遅れの誕生日会&最後の晩餐
途中看護士さん1名に目撃される。笑いながら見ないふりをしてもらえた

ホント楽しかった。デザートまできっちりよばれてお腹いっぱ~い

母は姪っ子からお誕生日プレゼントもらってた。なんだか高価なシャンプーとトリートメント

髪命の母のため選んでくれたらしい。嬉しいね
私からも退院したら何かお祝いしなきゃね。

入院 -19日目- 62歳バースデー

2008年08月30日 23時34分32秒 | 入院生活
今日は仕事が休み。
退院を9月1日にする為、月末は娘が仕事が休めないと先生に言ったらし今日は日中は来ちゃだめよと言われていた。
そんなんしても先生は土曜日やし、シーパン&Tシャツに白衣を羽織って朝病室をちょこっと覗くだけなのに
ここで感じた。人の印象ってホント大事。
*休みの日も少しだけでも患者をみに病院へ来る・・・熱心なドクター
*土、日はきっちり休むんだ・・・人の命を預かってそれなりの対価も得てるのにまるでサラリーマンみたいなドクター

どっちとも思えるU先生。命を助けてもらった事には本当に感謝してる。
しかし私はハッキリ前者と言える。とらえ方の問題でもあるがそんな印象与えちゃ得はないよね。先生・・・

母に「今日は六甲アイランドお祭りなのに雨だね~」と言ったらしい。
母は世間話をする先生に少し親近感を持てた様子だ。何より。何より
しかし捻くれ者なのか私は退院日が決まったからもう話すことないからそんなん言うたんやと・・・
私・・・・ちょっと根性悪いかも

母から今日は鉄火巻きと穴胡が食べたいとメールがあった。食べたいものがあるのは何より。
じゃ、いつものスーパーのじゃなく鮨屋で美味しいのを買って行ってあげようと思い少し寄り道して病院へ向かった。
ちょうど夕食時間。良かった。お寿司まにあって
そこで大失敗
穴胡だったのをカンペキ勘違いしててカッパを買ってしまった・・・
母から一言。胡瓜だけのお寿司なんて食べたい訳ない・・・そりゃそうだ。私もおかしいと思った。
だけど思い込みをしてしまっていた。
でも気を取り直して母は鉄火巻きを一切れ、かっぱを一切れ

またも
買ってきてもらって悪いねんけどもう良いわ。細巻きやのに海苔がパリっとしてない・・・
ご飯も多すぎてボテっとしてる・・・

私、玉砕

母、元気になった証拠やね

お誕生日ケーキはリクエスト通りのマロンケーキ
こちらは一発OK
術後はじめてのケーキに大喜び
あとでピーピーなりませんよに・・・

入院 -18日目- ちょっと遅刻

2008年08月29日 22時11分18秒 | 入院生活
入院してから皆勤賞の毎日

最近は化膿以外は熱もないし本人も元気。
お見舞いも殆どなく母は暇を持て余しているようで
まぁ、う~う~うなられているよりかは私はずっと安心
定時で仕事を終え病院へ吹っ飛んでいく毎日だったが今日はちょっと遅くなってしまった。
面会時間が20時までだが病院へ着いたのが19時40分。
個室だから21時まで病室にいた。退院の日にちも決まってもうすぐ我が家。
母は帰ってからのことも心配ではあるが、やっぱり嬉しいと思う

入院 -17日目- 退院決定

2008年08月28日 22時58分34秒 | 入院生活
今日も予定通り仕事が終わってまっすぐ病院へ。
日中母から気になるメールが届いた。先生がまた退院の事をいっているようだ。
結果9/1(月)に退院するらしい。
まだ傷口から腹帯にしみるほどの膿が出ているのに本当に退院してよいのか。
月曜、水曜と週2回通院するよう言われているらしい。
なら9/3(水)に退院させてもらうのがベストのようにも思うが、先生は1日も早く退院させたいらしい・・・
確かに退院できる状態だと医師が判断した上での事だと思うが母は少し不信に感じているようだ。
今後の抗がん剤治療等でも先生を頼りながらになるのは間違いないことで先生と母の信頼関係や相性を考えると不安材料がたくさんあような・・・

入院 -16日目- 部長回診

2008年08月27日 23時07分03秒 | 入院生活
今日も会社が終わってまっすぐ病院へ。巨峰をさげて。
まだスイカもおいしそうだが梨や巨峰を見ると秋だなぁって感じる。
すっかり涼しくなった外の空気を母は感じていない。
フルーツで秋を感じてくれるかな

今日は午後から部長回診の日。癒し先生の回診日。癒し先生とは母が付けた愛称。
60代前半と思われるその先生は母が最初に外来に行った時に診察してくれた先生だ。
歳の功だろうか。ちょっと鼻眼鏡だけど優しそうな口調と笑顔が印象的な先生だ。
母は、最近主治医の先生の退院攻撃と化膿の説明の二転三転にちょっとブルー気味。
今日、癒し先生の回診で「大丈夫ですよ。心配ないですよ」と声をかけられたようで涙がでそうになったらしい

気丈な母がかぁ。ちょっとセンメンタルになってるかな・・・

入院 -5日目-

2008年08月16日 22時43分12秒 | 入院生活
今日は出勤日
13日からお盆休みなんだけど中途半端に15日までらしく・・・明日も休みなんやから連休にしてくれたら良いのに
案の定、電話もなし、仕事もやる気なし、男性は現場で会社は私だけ

母のことが心配だったが叔母が今日も来てくれている ホントありがたい。
昨日の無痛を考えると今日も元気だろうけどやっはり心配。
17時に仕事を終え病院へ。案の定元気。だけど微熱があるらしい。先生曰く「術後は皆そうです」
日にち薬かな?だけど術後2~3日は合併症なんかもあり得ないわけじゃないって言ってたから熱の原因がちょっと心配。

今はお腹の傷口は消毒しないらしい。以前は1日何回も看護士さんが消毒にきてた。これも医学の進歩なんだろうな

入院 -4日目- ICUからお部屋に

2008年08月15日 23時12分41秒 | 入院生活

昨日の手術後はICUで一晩。ICUって各階のナースステーションの横にある病院が多いと思うんだけど、ここは手術室と同じフロアーにベット8台が並べておいてある。
まるで救急医療のドラマのような部屋で沢山の医療器具やら"ピッ、ピッ"という音あんな部屋じゃ神経質な母はきっと寝れなかっただろうなぁ。
何時に個室に帰ってくるのか分からず9時すぎに病院へ行った。
部屋には10:30頃戻ってくるとのこと。よって待機。

帰ってきた母はとても元気そう やはりあのICUでは寝れなかったようでちょっと睡眠不足みたい。
しかし18年前の手術からみるとあり得ないぐらい元気。「痛くない?」尋ねると「痛くない、かゆい」
医学の進歩に驚かされてばかり。かゆみの原因はテープ。母は肌がホントに弱い。
かわいそうやけどこの背中のテープ。脊髄に痛み止めが入ってる。小瓶のようなものを常に携帯し少しずつ点滴のように薬が自動で入る仕組み。
ここで驚きが痛かったらボタンを押す。ナースコールじゃなくこの小瓶についてるボタン。
そしたら自動で薬が多めに脊髄に入るらし なんとも・・・ロボットやね。
腹帯もめっちゃ綺麗。ドレインというものが臓器から管でついててそこに体内の不純物など入る仕組み 関心してばかり

18年前は術後2~3日は大変やっとけドナ・・・吐き気、頭痛、腹痛・・・
とにかく医学の進歩によって患者の苦痛が少なく感謝、感謝

不思議と入院した日は個室でもこんなトコで落ちつかへんやろなぁと思ったが昨日のICUからみると最高のお部屋のような気がする。

今夜はゆっくり経てくださいね

入院 -3日目- 手術終了

2008年08月14日 23時08分05秒 | 入院生活
昼に母のもう1人の姉がきてくれた。
病室で手術の時間が終わるのを待った。予定通り14時30分看護士さんが呼びに来てくれた。
先生の話があるから急いでオペ室へ向かった。
叔母2人も一緒に話を聞いてくれる事になっていた。おそらく切除した臓器も見るから無理なら私だけで先生の話を聞くつもりだったが、一緒にオペ室に入ってくれた。ありがたかった。
正直、父親代わりだった亡くなった叔父が一緒に聞いてくれたらと無理なことを考えてしまった。こんな時はやっぱり男の人だよね・・・
そんな甘い事、昨日から何度も考えていた。私ってちょっと甘いね。
離婚してから母は時には父親にもなってくれていた。「よしっ今度は私が男になったるよ、お母さん」そんな気持ちで先生に会った。

まずは先生にお礼。
先生は開口一番「何でこんなことになったか分からないのですが・・・」と一瞬ドキッとした
小腸がかなり上行結腸に癒着していたらしい。すぐヒラメイタ
18年前大腸癌の手術をしたとき、子宮の外に子宮筋腫の芽があり取ったのだ。
先生に言うと「そうでしたか。多分、それですね」よって大腸のほかにも小腸を30cm程度切除したらしい。
「リンパ節転移は見受けられました。リンパ節が硬くなっています」
「硬いって事はどういうことですか」
「癌がここまで来ているという事です」
「大腸壁はやぶってましたか」
「はい、やぶってました」
「ステージは」
「う~ん・・・肺や肝臓への転移が今のところないので3b期になるでしょうね」
「血液へはながれてますか」
「あ~それは間違いなくながれてます」
切除した臓器を見た。これで2回目。18年前とは違い想像以上の切除の大きさに驚いた
でもしっかり見とかなきゃ。頑張った。顔を近づけてよ~く見た。癌も見た。
これやなぁ。私のお母さんを苦しめとったんわ
小腸もくっついていたから、重さにしたら2~3kg位、いやっ、もっとかなぁ・・・とにかく大きかった。
ホントに腹腔鏡で手術が行われたのか不思議な位だった。
先生は「癌とリンパは取れるだけ切除しました。あとは今後の抗がん剤治療と経過を見なければ・・・」
「今後は肝臓への転移に十分気をつけて経過を見なければなりません」

私は一番気がかりだった質問をぶつけた
「今日、先生にお伺いした話は全て母に話さなければダメですか」
「そうですね。今後の治療を考えたらちゃんと話して前向きに治療して癌と戦ってもらわなければなりません。治療をしていく中で黙ってするのは難しいでしょう。
あと個人情報問題もあって患者には知る権利があります。ご家族でも黙っておくというのは今の時代ではそぐわない」との事。
母の兄が同じく大腸癌で亡くなっていえる。その時、先生に腸壁をやぶってお腹にゴマをちらしたように癌が飛び出しているから今後どこからそれらが出てくるか分からないみたいな事を言われた。
母もそのときの事があるから腸壁をやぶっているか否かには敏感になっている。
それを先生に言うと「あっ、お腹の中でそういう状況にはなっていません。そんなに悲観することもないんです。大腸癌は転移もしにくい臓器でもありますから」

とにかくショックだったが想定してなかったわけでもない。必死で先生の話を聞いた。
話が終わってICUにいる母と会う事になっていた。
しばらく小部屋で待たされた。その時、何故か涙が出てきた。これから母に会うのに・・・
泣いたらアカンやん。でも何故か涙がこぼれててきた
涙を拭いてICUにいる母にあった。
意識ははっきり戻っているようだった。母は私達3人の顔を見て安心したのかうっすら涙をこぼしていた。
よく頑張ったね。お母さん

私もこれから頑張らんと お母さんと一緒に頑張らんと

入院 -3日目- いよいよ手術

2008年08月14日 22時30分43秒 | 入院生活
朝8時に病院へついた。母の姉1人がすでに来てくれていた。電車で2時間くらいかかると思う。
本当にありがたいな

昨晩は睡眠薬は飲まなかったらしい。寝れなかったみたいだが手術中は麻酔がかかってるし寝てるから大丈夫だって。
9時に手術着に着替えて点滴を押しながら歩いてオペ室へ向かった。
以前のようにストレッチャーに乗って手を握って頑張ってなんて感じじゃない。
ケラケラ笑いながら歩いて、「じゃぁ頑張ってね」「は~い、行ってきま~す」って感じでオペ室へ消えていった。

オペの看護士さんから私が母の妹かとうそでしょ・・・27も下やのに・・・
母が若く見えるのか私が老けているのか

そんな笑えないような笑いの中、母と別れた。