母ひとり娘ひとり あわせてふたり                             ~大腸癌を宣告された娘の記録~

2008年7月、たったひとりの家族である母が上行結腸癌にステージ3b、ママ頑張ろうといいながら自分への励ましブログ。

女医さん

2008年09月19日 23時55分41秒 | 闘病生活

今日は外来日。主治医の先生は月、水だけどお腹の化膿の処置の為、退院以降金曜日も通っている。
私は着いていっていないが母曰く、金曜日は女医さんらしい。女性ならでは気配りの出来る先生らしく化膿のことも親切にいろいろ説明してくださり、お腹のガーゼを交換する際もテープでかゆいだろうからということで洗ってくれたらしい。

母も大感激だったようだ
母は今回の入院でも女の子を一人でも産んでてよかったと何度も言ってくれていた。
やはり女性には女性にしか出来ないこと、逆に男性には男性にしか出来ないことがあるんだと思う。
母はあの年齢でも女を捨てていない 髪型、服装、かなりこだわり派。私だって母より随分若いんだしいつまでも女性らしくあれるよう気をつけなきゃね とりあえずダイエットかな・・・


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告知問題

2008年09月16日 23時35分14秒 | 闘病生活

お昼休み病院へ電話してみた
主治医から病状説明と今後の治療について聞くためにアポ取りの電話だ。

従兄弟のお姉ちゃんにアドバイスを受けた。主治医とは今まで4回しか面談していない。
手術前日に一度(手術の説明)、手術終了後に一度(切除した臓器の説明)、退院してから救急外来で化膿処置をしてもらった時に一度、退院後初の外来で一度。
母抜きで話をしたのは手術直後の一度だけだ。その時の話では切除した臓器を検査に出して初めて詳しい結果がわかるとのことだった。
その結果を先週月曜に外来で聞く予定だった。癒着していた小腸への転移はなかった。リンパ節転移があったから抗がん剤を半年服用してもらいます。
それだけの説明だった。そんなんで納得できない。しかし母にはステージ3bであること、癌が腸壁を貫いていたこと、この2点を話していない為、その場で先生に詳しく話を聞くことが出来なかった。
あの日は私の怒りも絶頂でそれどころでなかったのも確かだが・・・

先生電話口に出てきてくれました。私は早速用件を話したら結果はNO
まず、本人抜きでは面談できない。病気なのは患者本人だというのだ。そんな事は私だって分かってる。
先生に話を聞いた上で母にちゃんと話するとも伝えた。母からは「先生に話を聞いてほしい。その上で母に話さない方がよければ話さない、話すべきことなら話してほしい」と言われていますと先生に言っても「そんな遠まわしな方法をとる意味がない」と切り捨てられた。
先生にとっては、遠まわしかもしれないけど私達家族にとっては重要な事だ。
「本人も一緒に話を・・・となると外来で出来るし、家族だけとなるとどうしても平日の夜になってしまいます」私は即座に「それは先生の都合にもちろんこちらが合わせますので」というと
「そういう事ではなくて、話は外来で出来るんじゃないですか。」と言われた。
正直、外来以外で時間を取りたくないって事に感じた。そりゃ命を預かる医療現場でそんな時間はとれないかもしれないけど・・・
なんだか、やり場のない悲しさを感じた
このまんまじゃ、どうしたら良いんだろう。
もっと、もっと主治医と話がしたいのに・・・私自身も母にすべてを話すことがベストだと思っている。
大腸がんであることは本人も知っているが進達度については知らない。。。もう話すべき時なんだろうな


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きつく言い過ぎたね。ごめんね。

2008年09月10日 23時48分19秒 | 闘病生活
8日(月)の怒りは日に日におさまってきつつも今後の治療や病院や医師に対しての疑心はおさまらず。
仕事が終わると実家へ行った。

母の事を思えば転院はどうなんだろう。。。そればかり考えて流石の私も食欲不振
実家へ行き一緒に夕食。母は白米を炊いてサラダも作ってくれていた。
すっかり痩せてしまった体、お腹の化膿も完治せず腰も痛いのに・・・親心がありがたい。
だけど頑張らんで良いよ。無理せんといて。と言いたくなる。
買っていたお惣菜で楽しい夕食タイム。終わればコーヒータイム。
片付けをすると言ってもいつもの調子。
「手荒れもひどいのに・・・ママはリハビリがてら動くのが丁度良いから座っといて」って。 頑張りすぎてない大丈夫

母にきつく言ってしまった。転院のことを。
母は今の主治医の元で半年間の抗がん剤治療をすると言っている。
しかし母は自分の病状を全ては知らない。肝臓への転移の可能性。今から続くであろう治療。癌との闘い。
本当に良いの?私の知っている限りの病状を全て説明しようかと考えたが言えなった。
そのもどかしさで、イライラしてしまったのかもしれない。
ごめんねお母さん

患者はお母さん自身なんだもんね。やはりステージや進達度もきちんと説明したほうが良いのか・・・

癌闘病のブログは沢山ある。知っているから本人もブログを書くことが出来ている。
みんな自分の病気と向き合って闘っている。そう思うと全てを話した方が良いのではないかと・・・

主治医との関係

2008年09月08日 23時00分51秒 | 闘病生活
怒りに狂った状態の今・・・
腹が立ってくやしくって

退院してから今日でちょうど1週間。退院から初めての外来日。今日抗がん剤治療の説明と手術で切除した臓器の検査結果など病状についての説明があるとの事だった。
母は自分の癌のステージも知らずリンパ節への転移もどの程度か知らず今後肝臓や肺への転移の可能性なども知らず全ては今日主治医から説明があるものだと思っていた。
術後以降、私から母に説明する時間はあったが術後の思わぬ化膿で病状や母の精神状態が安定していなかったことと私の覚悟が出来ていなかったことで伝えれていなかった。
ここまできたら先生から話してもらう方が良いと思い私も有休をいれ母と一緒に外来に行った。
予約時間の11時を過ぎてもなかなか呼んでもらえず月曜日ということもあって外来も混雑していた。

名前を呼ばれ大きく深呼吸して診察室に入った。
「まず(化膿)処置があるからここに寝てください。看護士さんガーゼ持ってきて・・・だいぶん綺麗になってきてますね。もうちょっとですよ」
母も私も安心。私の目から見ても一昨日よりずいぶん綺麗になったように見えた。

「次回ですが、明後日の水曜日に来て下さい。抗がん剤の説明などはその時しましょう」私も母も???
主治医はパソコンを見て「あ~混んでるね、水曜日も。朝一の9時か11時半。どっちがいい?」
母は私の顔をみて、目でどっちなら来れる?と聞いている。
私も仕事がある。有休も取得できるし、職場の人達も誰も何も言わないだろうがなるべく迷惑かけたくない・・・
でも仕方ない・・・「じゃ、お母さん朝一番にしてもらおう。その後仕事に行くわ」と言った。
外来は終わって会計で呼ばれるのを待った。駐車場から車もだして母を家に送ってその後会社に行くつもりだった。
しかし納得できない。一昨日救急で行った時も月曜日にと言っていた。
退院の日も母にそのように言っている。何で?何で?何なん

もう我慢できなかった。母を車中で待たせて病院へ戻った。
「今日何時でも待ちますので説明してほしい。無理なら明日以降の18時以降に時間を作っていただけないかと看護士さんに伝えた」
あと予約の患者さんが2人いますので待っていただけるなら説明すると先生が言ってます。との返答が。
車に戻って母に説明して病院へ戻った。
しばらくして呼ばれた。
「水曜日あたりから抗がん剤治療しますが、飲んでもらうお薬はこれです」と製薬会社の冊子を渡された。
予想通りゼローダという抗がん剤だった。
「私が説明するより冊子を読まれたらよく分かりますが一番の副作用が手足症候群です。手足がピリピリしたり水ぶくれが出来たりという症状です。これもハンドクリームを一緒に出しますので様子を見ます。薬は2週間連続して飲んで1週間休みこれの繰り返しで6ケ月する予定です。だいたいこんな感じです」
「先生、手術結果の説明は」と尋ねると「あ~、前にも言いましたようにリンパ節転移がありましたので抗がん剤を飲んで頂きますが、今どこかに癌があるというわけではないので対象物がありません。よって抗がん剤を飲んだから小さくなったとか分からないので」
以上で終わった ものの2~3分の話だった。

どういう事?リンパ節も取り切れてないんじゃないの?
ステージは3b期なんじゃないの?遠隔転移を慎重に診ていかないといけないんじゃないの?
聞きたいことは山ほどあったが先生は話はこれだけですといった感じだ
私が「抗がん剤治療はU先生に診ていただけるのですか」と尋ねると「私が半年診ます。その後は定期健診になります」
内科に移されなかった。移されたら転院の話が出来たのに・・・外科で抗がん剤治療するんだ。
何かやり場のない怒りと主治医に対する不信感だけを残して診察室からでた。

やっぱり患者も私も女だから足元みてるの?そんな風には思いたくない。
母の病状は、そんな楽観できる状態なんだろうか?なら良いんだけど・・・
術後の話ではそんな感じじゃなかった。

しかし母は「お母さんの体にはもう癌がないって言ってたから前(18年前の大腸癌)と一緒みたいな感じやね。良かったわ」って。

私は「肝臓への転移は気をつけなきゃダメだから専門の内科の先生に診てもらった方が良いんじゃない?せっかくT先生も気にかけてくれてるし」
そう言ったが母は「執刀してもらったU先生で良いねん。ちゃんと診てくれるって言ってるし・・・」の一点張り。
仕方ないのかなぁ。患者はお母さんなんやから。私も主治医の先生を悪くは言いたくないけど、母の気持ちを考えると私は諦めるしかないのかな。
この怒りは押し殺すしかないんだろうな



救急外来

2008年09月06日 23時43分20秒 | 闘病生活
2日ほど前からお腹が重たく、腰が痛く、動きにくいと、ガーゼを自分で交換する際も少し表面が赤くなっていると言っていた。
それが昨晩から今、化膿している数センチ下がまた化膿しているというのだ。
0時病院へ電話したら先生がいないので明日9時に再度電話して下さいとの事。
仕事場に連絡して遅刻の旨を伝え朝実家へ迎えに行った。
9時に病院へ直接行き、主治医のU先生をタイミングよく病棟で捕まえれた
すぐに診るから救急外来へとのこと。狭い診察ベットに横になりお腹を見せる母の姿が痛々しい
少しの動きも苦痛なようだ。先生開口一番「あっ、これはかぶれてるだけです」
耳を疑った。素人の私の目から見ても明らかに前とは違う場所から膿が出てるし・・・皮膚表面の赤みは炎症しているようで決してかぶれとは違う。
第一、本人はかゆい何て一言も言ってないのだから・・・
傷口にピンセットを深く差し込みグニャグニャ回している。
血がダラダラ、膿も一緒にダラダラ、苦痛に耐える母の顔がどんどん歪んでいく。
目をそらさずしっかり治療を見たが、思わず目を背けたくなるような状態だった。
ピンセットを抜き、先生が力強くお腹を押さえると天井まで突き上げるような膿の噴水
先生の頭や眼鏡にも膿がかかり、信じられない光景だった。
とりあえずお腹の中にガーゼを押し込み上からカーゼとテープで貼り付け明後日の外来までこの状態で・・・って。

退院してから状態が悪くなっているように感じる。化膿に対する薬もなし。
本当に自然治癒だけで治るのだろうか

何でこんな状態になったかを尋ねると「私もこんな風になる患者さんはここ1,2年診てません。前に手術をした際に切った場所と同じ場所を切ったからとも考えられるし、本人の体質も考えられるし」と。
自然治癒だけで治るのか、目途としてはどの程度で治るかを尋ねると「栄養をしっかりとって、長い患者さんは数か月かかる。個人差がある」とのこと。
なんかしっくりこない説明
こんな状態で退院させられたという追い出された感はあるし、対応にも満足どころか納得もできない。
とりあえず明後日の月曜日に詳しい説明するからということで今日は帰った。

とりあえず月曜日に病状の説明と今後の治療についても説明もあるしそこでもう一度確認してみよう

1人より2人

2008年09月04日 22時09分19秒 | 闘病生活
退院して3日目。
徐々に自分の生活を取り戻しているようだ。
今日は会社帰りに実家により一緒に夕食を食べた。
2人で食べる夕食は美味しいと。母は私との生活を望んでいるのだと痛感した。
しかし親心もあるようだ。あと3年経ってあなたが結婚していなかったら家を買って一緒に暮らそうかと・・・
なんか微妙な言い回しだなぁ。親との同居と私の結婚問題はイコールなのか・・・
彼氏とも破局したばかり。結婚相手もいないし今のところ考えていない。
こればかりは縁だから、母との同居は関係ないような気もする
自分が重荷にはなりたくないという母の思いを感じた。
たった一人しかいない家族。私がしっかりしなきゃね。

慣れ

2008年09月03日 22時41分13秒 | 闘病生活
今日は元気そうな声にほっとした。
昨日もぐっすり眠れたらしく、よく眠れたから今日は体の動きも楽だったようだ。
花に水やりしたり掃除したり買い物行ったりゴロゴロしたりの日中だったようだ。
母曰く、昨日は久しぶりに自分の家に帰ってきて気持が高鳴ってたけど徐々に落ち着いて慣れてきたと。
少し安心

母のすぐ上のお姉さん(叔母)に電話してみた。
母が私には話さない何かを言っていないかと・・・
ステージの事・・・ 私4だった?5だった?(5はないけど)叔母は返事に困ったが聞いてないけど4は転移しているわけやからそれはないよ
って言ってくれたらしい。
私には一言も聞かない話だ。やっぱり気になるよね。来週月曜日に外来で先生に話を聞く前にある程度の話をした方が良いのか・・・
はっきり言って分からない・・・
ここまできたら先生に話してもらった方が良いのか、ある程度心の準備が必要なのか

慣れない生活

2008年09月02日 23時37分37秒 | 闘病生活
昨日は退院で久々の外出もしたので疲れて爆睡出来たかと思いきやほぼ一睡もできなかったらしい
夜中に腹痛でトイレにいき、動悸が激しく、汗がびっしょりで早く朝になってほしいと不安な夜だったらしい。
久々の我が家が安堵ではなく看護師さん達がいない一人っきりの夜を不安に感じたようだ。
我が家での安堵感、一人の生活が気楽というのは健康であってこその事なんだと痛感した。
自分が母の気持ちを想定してあげれなかった事に申し訳ない。

私も母と一緒に住むことを考えなければ。
体重も入院前より-5kg、手術後病院で測った時は痩せてなかったのに、、、
そんなんも心配だったんだろうな ごめんね