母ひとり娘ひとり あわせてふたり                             ~大腸癌を宣告された娘の記録~

2008年7月、たったひとりの家族である母が上行結腸癌にステージ3b、ママ頑張ろうといいながら自分への励ましブログ。

入院 -3日目- 手術終了

2008年08月14日 23時08分05秒 | 入院生活
昼に母のもう1人の姉がきてくれた。
病室で手術の時間が終わるのを待った。予定通り14時30分看護士さんが呼びに来てくれた。
先生の話があるから急いでオペ室へ向かった。
叔母2人も一緒に話を聞いてくれる事になっていた。おそらく切除した臓器も見るから無理なら私だけで先生の話を聞くつもりだったが、一緒にオペ室に入ってくれた。ありがたかった。
正直、父親代わりだった亡くなった叔父が一緒に聞いてくれたらと無理なことを考えてしまった。こんな時はやっぱり男の人だよね・・・
そんな甘い事、昨日から何度も考えていた。私ってちょっと甘いね。
離婚してから母は時には父親にもなってくれていた。「よしっ今度は私が男になったるよ、お母さん」そんな気持ちで先生に会った。

まずは先生にお礼。
先生は開口一番「何でこんなことになったか分からないのですが・・・」と一瞬ドキッとした
小腸がかなり上行結腸に癒着していたらしい。すぐヒラメイタ
18年前大腸癌の手術をしたとき、子宮の外に子宮筋腫の芽があり取ったのだ。
先生に言うと「そうでしたか。多分、それですね」よって大腸のほかにも小腸を30cm程度切除したらしい。
「リンパ節転移は見受けられました。リンパ節が硬くなっています」
「硬いって事はどういうことですか」
「癌がここまで来ているという事です」
「大腸壁はやぶってましたか」
「はい、やぶってました」
「ステージは」
「う~ん・・・肺や肝臓への転移が今のところないので3b期になるでしょうね」
「血液へはながれてますか」
「あ~それは間違いなくながれてます」
切除した臓器を見た。これで2回目。18年前とは違い想像以上の切除の大きさに驚いた
でもしっかり見とかなきゃ。頑張った。顔を近づけてよ~く見た。癌も見た。
これやなぁ。私のお母さんを苦しめとったんわ
小腸もくっついていたから、重さにしたら2~3kg位、いやっ、もっとかなぁ・・・とにかく大きかった。
ホントに腹腔鏡で手術が行われたのか不思議な位だった。
先生は「癌とリンパは取れるだけ切除しました。あとは今後の抗がん剤治療と経過を見なければ・・・」
「今後は肝臓への転移に十分気をつけて経過を見なければなりません」

私は一番気がかりだった質問をぶつけた
「今日、先生にお伺いした話は全て母に話さなければダメですか」
「そうですね。今後の治療を考えたらちゃんと話して前向きに治療して癌と戦ってもらわなければなりません。治療をしていく中で黙ってするのは難しいでしょう。
あと個人情報問題もあって患者には知る権利があります。ご家族でも黙っておくというのは今の時代ではそぐわない」との事。
母の兄が同じく大腸癌で亡くなっていえる。その時、先生に腸壁をやぶってお腹にゴマをちらしたように癌が飛び出しているから今後どこからそれらが出てくるか分からないみたいな事を言われた。
母もそのときの事があるから腸壁をやぶっているか否かには敏感になっている。
それを先生に言うと「あっ、お腹の中でそういう状況にはなっていません。そんなに悲観することもないんです。大腸癌は転移もしにくい臓器でもありますから」

とにかくショックだったが想定してなかったわけでもない。必死で先生の話を聞いた。
話が終わってICUにいる母と会う事になっていた。
しばらく小部屋で待たされた。その時、何故か涙が出てきた。これから母に会うのに・・・
泣いたらアカンやん。でも何故か涙がこぼれててきた
涙を拭いてICUにいる母にあった。
意識ははっきり戻っているようだった。母は私達3人の顔を見て安心したのかうっすら涙をこぼしていた。
よく頑張ったね。お母さん

私もこれから頑張らんと お母さんと一緒に頑張らんと