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2021年12月17日(金)、平泉町教育委員会主催の「令和3年度歴史教室」が、平泉文化遺産センター(岩手県西磐井郡平泉町平泉字花立44)で開催されましたので、妻と一緒に聴きに行ってきました(13:30~15:30時)。
講師は平泉文化遺産」センター・参与(前館長)の千葉信胤氏。演題は『平泉を訪れた文化人たち』
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平泉の文化遺産「平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群ー」が、平成23年(2011年)にユネスコの世界遺産に登録され10周年を迎えました。この記念すべき年に開催された「歴史教室」の第1回です。
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西行法師は基衡時代と秀衡時代の2度、平泉を訪れている。しかし、4代泰衡の時代に平泉が滅亡してから、平泉は荒廃してしまっていた。松尾芭蕉が弟子の曽良と共に平泉を訪れた時の文章『おくのほそ道』には、その時の様子が記述されています。
"出家をした後しばらくは京都の周辺をさすらっていた西行ですが、27歳のときに、東北地方への旅に出ます。これは旅する歌人として著名だった能因法師の足跡をたどったものでした。西行は能因法師の訪れた白河の関や松島、衣川といった歌の名所(歌枕)を訪れ、歌を詠んでいます。"
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松尾芭蕉もは元禄2年(1689年)に平泉を訪れ、最初に高館を訪れています。
”能因法師や西行の足跡をたどって「おくのほそ道」の旅をしたと伝えられています。以後、多くの文人墨客を平泉へと招き寄せています。特に芭蕉を慕う蕉門(桃青)の門人が多かったようです。1702年(元禄15年)京都井筒屋「おくのほそ道」刊行。
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平泉を訪れた主な近世俳人
①天野桃鄰 1696(元禄9)年、②稲津祇空 7616(享保元)年、③田中千梅 1738(言文)年、④大島蓼太、⑤望月床屋 1746(延享3)年、⑥和知風光 1751(寛延4)年、⑦加舎白雄(かやしらお)1773(安永2)年
①天野桃隣(あまのとうりん)
③田中千梅(たなか・ )
④大島蓼太(おおしま・りょうた)
⑤望月床屋(もちづき・そうおく)
⑥和知風光( )
⑦加舎白雄(かや・しらお)