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WINS通信は小売業のマネジメントとIT活用のための情報室

小売業・IT活用・消費市場の今をウォッチング/WINS企画/東 秀夫wins.azuma@sunny.ocn.ne.jp

【お知らせ】『万華鏡/電車の中から』は2010年8月より「今日の気づき」に集約

2010年08月10日 01時42分30秒 | 電車の中から(「今日の気づき」に統合)
【2010年8月10日(火)】2010年8月4日(水)の【お知らせ】でご説明させていただきましたように、荒井栄一が担当しておりました『【木曜コラム】万華鏡/電車の中から』は、日替コラム「今日の気づき」に集約し1本化していくことにしました。従来、「今日の気づき」は「新聞を読んで」とし、毎日の新聞記事から「気づき」を書いてきましたが、「今日の気づき」の中に、「新聞を読んで」、従来の「月曜コラム・店ウォッチング」「木曜コラム・電車の中から」「随時コラム・時々時々(じじときどき)」を包含していきます。すなわち、新聞、店、電車の中、時々時々に感じたことなど、多様な視点で「今日の気づき」として書いていくことにしました。これによって、視点の適宜性と自由度を高めながら、時代の「今」をウォッチングしていきます。したがいまして、投稿は毎日を原則に随時とし、どれかの視点からコラム「今日の気づき」を書いていきます。
多くの方々にご愛読いただきながら、しばらく投稿を休んでいたことをお詫びいたしますとともに、これからも、『WINS通信』のご愛読を、よろしくお願い申し上げます。

WINS企画 東 秀夫

【木曜コラム】万華鏡/電車の中から   第8回 鞄の多様化は人間力を発揮する環境の象徴!?

2009年11月19日 15時22分20秒 | 電車の中から(「今日の気づき」に統合)
【2009年11月19日(木)】電車の中は「気づき」の宝庫である。何かと、心に響くものがある。といって、いつも響いているわけではない。同じ光景でも、気に留めないで見過ごしていることの方がものすごく多いのだが、ちょっとしたきっかけで、「関心」のスイッチがONになる。

 人は外出する時には、ほとんど、物を携帯するために「かばん」を持っている。鞄にはビジネス用、トラベル用、スクール用、タウン&スポーツと様々ある。これは社団法人日本かばん協会のホームページで知ったことだが、日本で初めて鞄が作られたのは明治初期で、外国人が修理に持ち込んだものを真似たのが始まりのようである。
 しかし、用途から考えると、それよりずっと前となる。武士が鎧を入れるために使った「鎧櫃」(よろいびつ)、庶民が旅行の時に使った「柳行李」(やなぎごうり)など様々な名称の様々な形態のものがあった。同協会による「かばん」の定義は「身の回り品の保護または、運搬を目的とした容器のうち主として、素材を問わず、携帯用に供する容器として用いるもの」である。

 ちなみに、小学生の必需品化しているランドセルは、その歴史は古く江戸時代にさかのぼるという。幕末の日本に西洋式の軍隊制度が導入され、同時に荷物を入れて背負う方形のかばん、背嚢(はいのう)も輸入され、これがランドセルのルーツのようである。これをオランダ語で「ランセル」と呼ばれており、やがて「ランドセル」になったという。
 また、現在の箱型のランドセルを初めて使ったのは大正天皇である。明治10年に開校した学習院が同18年に生徒の馬車や人力車での通学を禁止し、軍用の背嚢に学用品類を詰めて通学させるようにした。初めはリュックサックに近いものだったが、同20年に、大正天皇の学習院入学を祝して、内閣総理大臣の伊藤博文が特注で作らせたものを献上したのが、その始まりだという。

 同じく日本かばん協会のホームページは2008年1月~12月のかばん類輸出通関実績と同輸入通関実績を紹介しているが、それによると、総輸出個数は約400万個で前年に比べて42%強伸び、アメリカ、ドイツへの輸出数量が大幅に増えている。総輸出金額は 約32億円で前年より8%弱下回った。一方、総輸入個数は約6億6,000万個。前年比1.8%増である。中国およびアジア諸国が伸びている。総輸入金額は約3,286億円で、前年を4.4%下回った。
 また、矢野経済研究所は2008年の国内の鞄・袋物市場の調査を行い、その概要を公表しているが、それによると、2008年は小売金額ベースで1兆300億円(前年比94.6%)と推計し、2009年は同1兆100億円(同98.1%)と予測している。市場は縮小傾向にあるとはいえ、1兆円の巨大市場である。

 電車の中は全員が外出している人である。ほとんどの人は「携帯に供する容器」を持って乗っている。学校名の入った学生の鞄を除くと、誰一人として同じ鞄を持っている人がいない。前の席の真ん中にキャリーバッグを持った男性が座った。その時、「関心」のスイッチがONになった。ビジネスマン風の男性は皆、形態の違う鞄を持っているのに気が付く。従来型の手提げ型はほとんどなく、ショルダー型、パソコンバッグ型、手提げ型でありながらリュックサックのように背負えるタイプ、タウン用のようなカジュアルなものまで、実に様々である。
 かつても、同じメーカーのまったく同じ型のものを同じ場所で見かけることはほとんどなかったが、形態は似ていたし、色も黒か茶色であった。ビジネスマンの象徴のようにアタッシュケースを持つ人が街中に溢れていた時期もあった。価値観と言うほど大げさなことではないが、選択の多様性が進んでいることを改めて認識する。

 車内の鞄を持っている人の服装を見ると、ネクタイを付けている人は少なく、靴もウォーキングタイプのカジュアルっぽいものが目立つ。ビジネス社会でもカジュアル指向が強くなっているようである。服装や持ち物で人の意識を「しゃきっと」させることがある。今も変わらないが、自由度が拡大している。自由度が拡大した時には、人間そのものの真価が問われてくる。自身を律する意識が弱くなると、「自由」に流されてしまう心配がある。学生の制服論争に似たようなものも感じる。

 これからは、人は組織に埋没するのではなく、一人一人の真価を発揮しながら組織を動かしていく時代に入っている。カジュアル化は、その試金石かもしれない。

(荒井)

【木曜コラム】万華鏡/電車の中から   第7回 電車の中で感じる「声かけ」の時代

2009年11月12日 22時21分10秒 | 電車の中から(「今日の気づき」に統合)
【2009年11月12日(木)】久しぶりに私鉄に乗った。私鉄もJRも7人がけの椅子が普通である。7人がきちんと座れるように誘導するポールが、両端から2人目のところに1本ずつ、2本据え付けられているのもほぼ共通している。乗った車両は古いタイプでポールを据え付けていなかった。始発駅だったので、乗客の座り方を見ていると、何か、法則性のようなものを感じる。座り方とともに、気持ちの法則性のようなものも、人が気付かないうちに、持つようになってきているのであろうか。

 一人目は端に座る人が多い。しかし、一人ずつ秩序良く座るのでなく、ランダムに乗車してきた人で椅子のスペースは埋められていくが、ほとんどが隣りの人との間を自分の手のひら程度空けて座っている。結果、7人がけの椅子を6人が均等なスペースで座ることになる。この6人がけは、余程混まないと7人がけにはならない。6人が座っていると、前の吊り革の乗客も、何も気にしない様子で立っている。「詰めてください」とは言わない。座っている人も、手のひら分を詰めても座るスペースは取れないので、当たり前のように無関心でいる。よく見ると、右の7人がけも、左の7人がけも6人ずつ座っていて、前には3、4人が立っていた。変なところで納得し合っているようで、ちょっと寂しい思いをする。

 これはJRに乗った時の話である。「優先席」でない車両端の3人がけの椅子で、ドア側に座っていた若い女性が、腰が少し曲がっている高齢の女性が乗ってきたので、すっと立ち上がって、その女性に席を譲ろうとした。立ったタイミングといい、声のかけ方といい、ごく自然な行動で、ほほえましくも感じた次の瞬間、ぞっとするような、高齢女性の言葉を聞いた。「ここは優先席でないですよね」と言って、その場を遠ざかり、別のドア脇のポールを手に立っていた。7人で座っているのに、席を譲れと言わんばかりの態度で前に立つ高齢者には嫌気を感じることもあるが、もっと自然に、譲り、譲られ、という関係が作れないのであろうか。嫌気を感じる人は、いつの時代にもいるが、かつては、譲り、譲られ、という関係を、もっとうまく作れる人が多かったように感じる。

 コミュニケーションの取り方の下手な人が増えたのだろうが、多分、それを納得している人は少ないのではないだろうか。自分では気が付いていなくても、そういう自然体で心地良いコミュニケーションを求めているように思う。なぜなら、スーパーに行っても、飲食店に入っても、さわやかに声をかけられると悪い気持ちはしないし、初めての店でも気分が軽くなり、晴れやかになる。ラジオなどから流れる声に魅力を感じた経験は誰しも持っていることと思われるが、肉声で直接耳にする魅力は、それをも凌ぐものがある。コミュニケーションの取り方の拙さが目立ち、かつ、心のどこかで心地良いコミュニケーションを欲している時には、顧客とのコミュニケーションを常に接客の中で行っている小売業やサービス業は、自店ファンを作る絶好のチャンス到来かもしれない。

(荒井)

【木曜コラム】万華鏡/電車の中から   第6回 本を読む人を見て、あっと、驚く

2009年11月05日 01時00分08秒 | 電車の中から(「今日の気づき」に統合)
【2009年11月5日(木)】当たり前の光景に、何がきっかけかわからないが、あっと、新鮮な感動を覚えることがある。電車の中の風景も時代とともに変化する。電車の中は、活字を読む場所だった時期がずっと続いていた。サラリーマンが若くして自分の家を持てるようになったが、通勤時間が長くなった頃。1時間の通勤が当たり前と言われた東京で、通勤に1時間半も、中には2時間近くかかる人もいた。その人たちから、空気がきれいで、朝は早いが座れるし、本も読める、動く書斎ですよ、と聞かされた。「動く書斎」という言葉を聞いたのは、一人や二人ではなかった。一戸建てを手に入れても、自分の書斎までは造れなかったのか。それでも、「動く書斎」もいいかもしれないと思ったことを思い出す。その頃の電車の中は、本を読む人、週刊誌を読む人、新聞を縦半分に折りながら器用にページをめくっている人、皆、活字に目を通していた。

 その光景と並行して、携帯型のカセットプレーヤーが普及し、イヤホンを耳にする人が目立ってきた。中年男性も英会話の勉強をしているのか、若者とは違った表情でイヤホンの音に浸っている。そのうち、若者のイヤホンから音が大きく漏れるようになり、大人の若者への視線が厳しくなり、若者の大人への反抗心が強くなった。電車内で大人と若者のお互いを見る視線が厳しくなったように感じた。その延長線で、携帯電話で大きな声で話す若者が、また周囲の厳しい視線を浴びるようになる。しかし、携帯メールが普及すると、車内は静になり、皆、親指を動かしている。気が付けば、若者に厳しい視線を向けていた大人たちも親指を動かしている。こういう光景は、例え、変化があっても、毎日見ている中で変わってきたので、自然に受け止めていて、あっと、いうことなどなかった。

 ところが、ところが、車内に週刊誌を読んでいる人が見当たらないことに気付くと、一瞬にして、別の世界の電車に乗り間違えたような錯覚に陥ったのである。週刊誌の発行部数はどこも激減しているようである。週刊誌は団塊の世代とともに成長してきたとも言われている。年功序列・終身雇用制で将来の生活が保障されていた頃のサラリーマン共通の関心情報を提供することで、週刊誌が読まれてきた。しかし、一方では、週刊誌は暇つぶし的に読まれていたという側面もある。有名作家のエッセイでも、単行本なら書棚に残しておくが、週刊誌に掲載されたものなら、ページを切り取って保管しておくことは滅多にしない。

 団塊世代の定年退職が始まり、将来の人生が不透明な今の若い世代は出世への関心も薄くなり、人と同じ情報に群がるようなことがなくなりつつあるのかもしれない。発行部数が増える好材料はなかなか見付けられない。

 ある時、乗った電車の7人がけの椅子の3人が本を読んでいたのである。1人分空いていたので、6人中の3人、何と、活字離れが言われているこの時に、5割が本を読んでいるのである。その光景を、あっと、新鮮に感じてしまった。小さな集団だが、意図して集めた人たちでなく、それぞれが自然に集まってきた集団である。6人の中の3人という関係だが、もう少し、普遍性が持てるかもしれない。

 医学の専門家ではないが、文字を読むこと、文字を紙に書くことが、脳に良い影響を与えることは経験的に感じる。それを信じている。本を読む人がいる電車の中の光景が、なぜか、記憶からなくならない。週刊誌のことなど、何も思わなかったのに、週刊誌のことまで考えてしまった。

(荒井)

【木曜コラム】万華鏡/電車の中から   第5回 定着し進化するビニール傘

2009年10月29日 10時47分46秒 | 電車の中から(「今日の気づき」に統合)
【2009年10月29日(木)】電車の中で世の中の「今」を感じることができるが、逆に、「今」を知らなさ過ぎる自分を気づかせてくれる「鏡」となることもある。日本は世界一の傘大国で、一人当たりの所有本数でも、年間に購入される市場規模でも世界一というのである。
 朝から雨が降っていて、もちろん、皆、傘を差して歩いている。電車に乗ると、向かいに座る7人のうち6人が膝の前に傘を立てている。最近はビニール傘を見慣れているせいか、傘を立てている5人までがデザインの良い傘やカラフルな傘で、ビニール傘が1人というのが、なぜか新鮮に感じる。傘を立てていなくて折りたたみ傘の20代の女性が左端、ビニール傘の20代男性が右端で、デザインの良い傘やカラフルな傘が真ん中に集中したのが傘に目がいくのを後押ししたのかもしれない。
 5人の傘を見ると、40代と思われる女性は赤、30代の女性はピンク。雨の車内で目立っている。あと3人は男性である。1人は30代と見られるが、落ち着いた柄地の傘。あとの2人は上司と部下のような雰囲気で会話をしているが、上司と思われる60代くらいの男性は上品そうな長めの傘、横に座る30代の男性はやや短めだが、上司と差し並べてもバランスが取れるような印象の傘である。特に、男性の立場では、日常生活に使うもので濡れて汚れるものだから、数千円もするデザイン性のあるものやもっと高価なデザイナーズブランドの傘など要らないという意識でいた。特別な外出で使う時は別だが…。普段に使うのは、しっかりさえしていて、体やカバンが濡れなければ良いという考えでいた。前に座る男性たちは、ハレの外出という雰囲気でもない。
 次の駅で7人のうち3人が降りて、新しく乗ってきた男性3人が空いた席に座った。1人はビニール傘だが、30代の男性は持ち手が木製、50代の男性は銀色っぽい渋い色の持ち手の傘である。そして、さらに3つ目の駅で2人が降り、ビニール傘の20代の男性が2人座った。7人中4人がビニール傘になった。やや見慣れた風景に戻ったように感じた。
 日本の傘の市場をちょっと調べてみた。1年間に出荷される傘の本数は約1億3,000万本で人口に匹敵する。また、ビニール傘は世界で年間約7,000万本が生産されているが、そのうちの約5,000万本が日本で消費されているという。そのビニール傘も100円ショップで売られているものから選挙の時に候補者が差す「カテール傘」(4,200円、東京のホワイトローズ社が開発・販売)、さらには撥水性に優れた3万円の傘までピンキリである。傘のプリント柄の部分がUV99%カットと、日傘兼用のビニール傘も登場している。一方、安価なビニール傘は生活者には便利な使い捨て商品のような扱われ方をして容易に捨てられるが、ほとんどのビニール傘は先端部分が接着剤で固定され金属部分とビニール・プラスチック部分が分解・分別できず、ごみ処理場では埋め立て処理をされているという。エコ対策では厄介な存在でもある。工具なしで完全に分解・分別できる環境配慮型の商品も開発されている。
 傘の業界団体である日本洋傘振興協議会(Japan Umbrella Promotion Association=JUPA)は1963年に設立され、独自にJUPA(ジュパ)基準を設定し会員の洋傘の品質・信頼・安心の証としてJUPAマークを添付しているが、2006年にアンブレラ・マスター認定制度を導入した。百貨店、量販店、洋傘専門店の店員や流通担当者を主な対象とし、洋傘売場のスペシャリストをアンブレラ・マスターとして認定する資格制度である。認定試験の合格者は、これまでの2回で、流通関係251人、会員企業245人の合計496人になる。アンブレラ・マスターは既に全国の百貨店などで活躍している。第3回目の認定試験は2009年10月に東京と大阪で行われ、11月に合格者が発表される。
 外見の構造から、安価な商品という印象を持っていたが、認識が改まった思いがする。自らの、傘に対する知らなさ加減を恥じる思いだが、電車の中の1つの光景が、消費市場の「今」を見つめるきっかけとなったことに感謝したい。(荒井)

【木曜コラム】万華鏡/電車の中から   第4回 グローバルにもローカルにも成り切れない昼下がり

2009年10月22日 06時17分25秒 | 電車の中から(「今日の気づき」に統合)
【2009年10月22日(木)】グローバルとローカルの合成語で「グローカル」という表現がある。グローバルの視点とローカルの視点の両方を持ち合わせて、企業経営ではグローバルの視点、店舗経営ではローカルの視点を大事にしていくことと理解しているが、グローバルにもローカルにも成り切れないことが日常的によく起っている。日本にも多くの外国人が住み、多くの外国人が訪れる。特に東京は多い。留学生もいる。外国の人たちと電車に乗り合わせる機会も多くなっている。最近ではアジアの人たちともよく乗り合わせる。その時のことである。
 電車が駅に止まると、男女2人ずつの4人の中国人らしい若いグループが乗ってきた。向かいの7人がけの椅子が3人分空いていたので3人が座って1人の男性がつり革を持って立っていた。4人の方が先に乗ってきたので、座るタイミングが遅れて、その横に50代後半から60代前半くらいのサラリーマン風の男性が、同じくつり革を握っていた。中国人のグループは周りを気にすることなく大声で話している。周りに気遣って声を落としてかけている携帯電話の方が余程マナーが良いように感じる。
 隣りに立っている男性も苦虫を噛み潰したような表情で、横をチラチラにらんでいる。言葉が話せれば一言文句を言いたそうな素振りがありありである。それほど嫌気を感じるなら、周りは空いているので場所を移動すれば良いと思うのだが、逃げ出すようなことはしたくないと、意地を張っているようにも見える。言葉がわからないので話の内容は不明だが、楽しそうな表情だけは伝わってくる。その60歳前後の男性の表情と正反対なので、ちょっと見ているのが面白く感じる。しかし、確かに話し声は携帯電話より迷惑なくらい大きい。
 そうした状態が続いて、何駅目かの駅に止まった時に、その男性の顔に異変が起こった。中国人が座っている隣りの人が降りようと席を立ったのである。立っていた、もう1人の中国人男性が座ろうとしたが、横の男性に気が付いて、笑顔で席を譲った。横の日本人男性はちょっとためらったが、中国人男性の「どうぞ」という手の仕草に誘われて座ると、表情を一気に崩して、席を譲ってくれた中国人男性に笑顔を返したのである。椅子に座った男性の顔を向かいから見ていると、立っている時と全然違う表情になっていた。あの苦虫を噛み潰したような表情は言葉が話せず、話している内容もわからず、どう対応すれば良いのかもわからず、といって、その場を逃げ出すように移動することもできず、ただ戸惑っているだけの表情だったのかもしれない。
 知識の国際化は進んでいる。お年寄りであっても、「リーマンショック」という言葉を知っている日本人は多いと思われるが、身近なところで「外国人ショック」から抜け切れない、グローバルでもローカルでもない日本人は多いのではないだろうか。何か、自分のことを鏡に映し出しているような、ちょっと苦い思いをしながらも、ちょっとユーモラスな光景を味わった、昼下がりの10分余の電車の中であった。(荒井)

【木曜コラム】万華鏡/電車の中から   第3回 ケータイは生活空間も移動させる

2009年10月15日 15時47分40秒 | 電車の中から(「今日の気づき」に統合)
【2009年10月15日(木)】立っている人がほとんどいなく、7人がけの椅子もほぼ空がない午後1時半ごろのJRの車内。何気なく向かいの7人がけの椅子を見ていると、3人が携帯電話に向かって指を動かしている。皆の年齢は想像だが、椅子に向かって左から、ケータイを操作している30代の女性。30代の男性、ケータイを操作している60代の男性、親子らしい20代の女性と40代の女性、70歳前後の女性、ケータイを操作している50代の女性の7人が座っている。多分、ケータイを持っていないとすれば70歳前後の女性一人と思われる。30代の男性は仕事でもよくケータイを使っていそうなサラリーマン風である。親子連れの母親は40代くらいと思われるが、親子で連れだって出かけるほどだから、普段からケータイで連絡を取り合っていてもおかしくないと勝手に思ってしまう。
 総務省が2009年1月に調査した「平成20年通信利用動向調査」によると、携帯電話・PHSを保有する世帯の割合(保有率)は95.6%で昨年より0.6ポイント増加した。利用率では、過去1年間に携帯電話を使ったことがある人は、6歳以上人口の75.4%に及ぶ。世代別では、「20~29歳」が最も多く97.3%。そのほかでは、「6~12歳」29.8%、「13~19歳」83.6%、「30~39歳」96.7%、「40~49歳」94.8%、「50~59歳」88.4%、「60~64歳」78.6%、「65~69歳」54.5%、「70~79歳」40.6%、「80歳以上」25.4%である。また、利用率は各年齢階層とも男性、女性で少し差はあるが、「65~69歳」の女性は45.0%、「70~79歳」の女性は42.8%である。親子連れの母親がケータイを持っている可能性は90%以上、唯一、ケータイを持っていないだろうと思われる70歳前後の女性も40%以上の確率でケータイ保有者の可能性がある。携帯電話に対する質問内容と携帯電話の普及状況からして、利用したのが、人の携帯電話を借りただけ、というケースは少ないと考えられる。社団法人電気通信事業者協会がまとめた2009年9月末の携帯電話の累計契約数は1億963万3,800件である。日本の総人口に近づきつつある。
 いつもの見慣れた電車内の光景だが、改めて、ケータイ利用者の多さに思いが及んだ。コラムの題材になると思い、メモ用のノートに、向かいの7人の推定年齢と性別を書いている時、前にばかり気を取られて横には気が回らなかったのだが、左隣りの両耳にイヤホンを当てた20代前半の女性のケータイにマナーモードでメールが入ったようで、その女性は慌てるようにケータイを取り出してメールを打ち出した。そして、イヤホンを付けたまま次の駅で降りていった。これも、見慣れた光景である。多分、隣りの女性は電車に乗っていながら、自分の部屋にいるような空間を電車の中に持ち込んでいるようである。確かに、考えごとをしていると、周りのことが目に入らずに自分の世界に浸っていることはある。しかし、携帯電話と携帯型AV機器の発達は生活環境を大きく変えている。自分だけの音と映像の空間を持ち歩くことを可能にし、ゲームを楽しむこともできる。しかも、自分ひとりでなく友だちとゲームで競うこともできるのである。インターネットにつなげばリアルタイムの空間はもっと広がる。
 別の日の電車の中だが、若い女性が歌を口ずさむような仕草をしながら足でリズムを取っている。音楽を聴いているだけでなく、時々、音を確認するように、ノートに何かを書き込んでいる。歌詞を書き込んでいるようでもあり、音符を付けているようでもある。作詞か作曲をしているのかもしれない。乗り合わせた人たちで共有している電車の中の時間と空間に、一人ひとりが自分の部屋にいる時以上の広い空間を持ち込んで、思い思いの時間を過ごしている。駅に着くたびに、そういう空間が入れ代わり立ち代り入ってくる。
 ITの発達は何事をも、ものすごく便利にしたし、一人ひとりの生活環境も大きく変えた。今後のITの発達を考えると、今は近未来の生活の入口かもしれない。あまりにも急速に便利になったので、便利さに付いていくのが精一杯で、付いていけないことの方が多いのだが、もしかして、「便利さ」を使いこなす術を持っている人はまだ少ないのではないだろうか。ITの発達に、なかなか付いていけていない自分をかえりみた時、降りる駅に着いた。駅を出ると、そういうことを感じさせなく、いつもの通り、人が往き来している。(荒井)

【木曜コラム】万華鏡/電車の中から   第2回 説得力のある屋上の真っ白な貸し広告看板

2009年10月08日 22時47分57秒 | 電車の中から(「今日の気づき」に統合)
【2009年10月8日(木)】電車の中の光景は車内だけではない。窓の外に流れる風景に目が行くこともある。駅に着いて、次の駅に走り出した時、ビルの屋上にある貸し広告募集の真っ白い看板が目に付いた。驚くほど新鮮に感じた。とはいえ、前はどの広告が描かれていたのか思い出せない。特に、駅前は広告看板が林立している。乱立していると言ってもいいくらいである。ビルの窓ガラスも広告で埋め尽くされていることも珍しくない。駅前の賑やかな看板風景には慣れているが、広告のない白地の看板を見る機会は少ない。白い看板は以前あった広告の撤退だからである。
 駅から走り出したところで、まだスピードが上がっていなかったので、気が付いたのだと思う。それ以降、白い看板を見つけようと、外がよく見えるドアの近くに立って電車の外を眺めるようにした。意外と、白い看板が多いことに気が付く。駅と駅の中間で、ハイスピードで走る電車に座っていたのではわからないところにも白い看板がある。よく通るのに、座っていた時には気が付かなかった場所である。立って外を眺めていると、駅をもう少し走り出したところ、駅の中間、沿線から奥に入ったところなどにも白い看板があるのに気が付く。決まって「広告主募集中」と書かれている。改めて、企業の経費削減策の深刻さが伝わってくる。
 一方、まさに万華鏡のように、覗く角度を少し変えてみると、広告看板のある風景に慣らされていたことに驚く。その驚きが、白い看板に新鮮さを感じたのだと思う。 「街並み」という言葉がある。街並みは様々な顔を持つが、繁華街でない住宅地の駅前が繁華街のように看板で埋め尽くされるが良いのかどうか。社会に悪影響を及ぼす内容以外で、企業の宣伝活動に規制をかけるのは難しい。といって、企業自身が自主規制すると、他の企業に良い場所を取られてしまう。厳しい競争社会では、企業の「良心」が通用しないことが多い。通用するのは、その企業が同質化する企業のマーケティング戦略に巻き込まれない独自性と実力を持っているケースに限る。
 白い看板からは企業の宣伝も商品の宣伝も伝わって来ないが、様々な情報、様々な示唆を与えてくれる。手元に1枚のスーパーのチラシがある。以前に取材した時、参考にもらったものである。特売商品が載っていない、ほとんど白紙のチラシである。その1枚は、表は右上に店名、左上に店舗所在地の地図、真ん中には「本日よりどりバイキングセール 各コーナーお買得品山積み おいしいお米の日」と四角く囲ってイラスト入りで書かれているだけである。左下は「チラシ代は直接お客様へ還元!!」、右下は「裏面はメモに!!」と書かれている。タテ27.2㎝・ヨコ39.0㎝の横長のチラシは印刷のスペースが4分の1か5分の1程度である。裏面はメモに使えるように全面白紙である。1色刷りのコストを思いっきり抑えたチラシである。もう少し印刷スペースを増やして、生鮮3品の一部商品の特売価格を示して「当日追加商品もあります」というコメントを添えているチラシもある。裏面は当然、全面白紙である。
 なぜ、このようなチラシにしたのか聞いてみた。隣にディスカウント指向のスーパーが出店して、シラシ商品をことごとく、さらに安くして販売されるので顧客を奪われてしまっていた。隣の競合店にシラシ価格を知らせないで、顧客には特売を知らせる苦肉の策であると。道路に面したガラス面も外から店内が見えないようにポスターなどを貼っている。結果はどうか。顧客は店に行けば買得商品がたくさんあるのを経験的にわかっているので、逆に、特売商品や値段が載っていない方が期待を膨らませて楽しく来店してくれるようになったという。店には期待を裏切らない品揃えと魅力的な値段設定が求められるが、白紙の方が顧客の想像力に訴えて、多くの情報を与えることもある。
 白い看板はこのチラシのように、様々な事を伝えてくれている。(荒井)

【木曜コラム】万華鏡/電車の中から   第1回 熟年婦人のブランド離れの会話

2009年10月01日 23時53分43秒 | 電車の中から(「今日の気づき」に統合)
【2009年10月1日(木)】JRや地下鉄、私鉄で昼間に移動することが多い。カバンに本を入れて椅子に座れたら読もうと用意をしておくのだが、座ると、周りの会話や向かいの席に座る人の仕草や状態に耳や目が動いてしまう。通勤時間と違い乗っている人もリラックスし、会話も周りを気にせず本音が見え隠れする。少しは見栄もあるかもしれないが…。電車の中は、一人あるいは友だちと、家族と、会社の同僚や先輩・後輩となど、いろんな人がいろんな人間関係で乗っていて、駅に着くたびにその人たちが入れ替わる。社会の縮図と言える。具体的な一人ひとりを見ていると、そこから社会の「今」が見えてくるように感じる。
 ある昼間、筆者の周りに誰も乗っていない閑散とした車両で座っている時に、16人の集団が乗ってきて筆者の周りに座った。軽い知的障害のある子どもたちと引率する先生たちであった。たまに頭を左右に激しく振る子や大きな声を上げたりする子、それを見て笑っている子など、そういう子に囲まれると、集中して本など読めないが、すぐに慣れて、そういう空間を経験できたことを考えていた。それとなく斜め下を見て座っていたのだが、その中に4人の先生がいることがわかった。もちろん年齢は定かでないが、20代の男性、30代の男性、40代の女性、50代の男性に見えた。皆、子どもたちに一生懸命かかわっていることがよく伝わってくる。特に20代の男性は兄のように厳しく言ったり優しく話しかけたり熱心に接していた。近くにいる他の乗客は筆者一人だが、車両全体の数人の乗客にも迷惑がかからないように気を配っている。
 筆者たちも言われてきたし、また言ってきたことに、「最近の若者は…」ということがある。最近でこそ、メールになってうるさくなくなったが、大きな声で携帯電話で話すのが若者のマナーの悪さの代名詞のように言われた時がある。つい塊で人を見てしまうことがあるが、個で見ると、違うものが見えてくる。先の20代の男性を見ていると、日本の将来も「安心」と思えるようにもなってくる。むしろ、そういう若者がのびのびと活躍できる社会を作ることが大事なことだと、反省もする。
 電車の中で印象に残っている2人の熟年婦人の会話がある。座っていると、前に立つ2人の婦人が会話を始めた。開いた本はページをめくることなく耳に神経が集中する。婦人の顔を見ることもできず、会話の内容から、多分、50代後半から60代前半と思われる。会話の内容は「娘時代は海外の高級ブランドを追いかけたが、今は高級ブランドでなくても品質やデザインがよくなったので、ブランドにこだわらなくなった。安くて品質が良ければそれで十分。娘は相変わらずブランドを追いかけているけれども…」というものだった。
 気になる記事を思い出して、帰宅後に新聞のファイルを探した。2009年9月10日の日本経済新聞朝刊3面に「ブランド 日本で苦戦」という記事がある。記事の1行目は「消費者の海外高級ブランド離れが進んでいる。」である。百貨店も海外ブランドの不振が業績に響いており、その原因に資産家や中小企業経営者の買い控えがあるという。景気の動向や個人または企業を取り巻く経済環境が消費に影響していることは間違いないが、景気の問題だけではない。ブランド企業の商品戦略やマーケティングの問題だけでもないと思われる。競合商品のレベルアップ、極端に言えば、低価格指向の商品であってもブランドが定着し着実に品質のレベルを上げ、生活者の満足度の一角に食い込んできた商品があることも事実である。市場は多角的、多元的に変化している。電車の中の熟年婦人であろう2人の会話が、その事を裏付けているのではないだろうか。(荒井)