2011年10月の半ば頃のこと。
街中がハロウィンの色になり「今年の仮装どうしようか。。」なんて考えてたある日
それは起こりました。
「You、帰国しちゃいなよ。」 ←そんな言い方ぁしない。
そう。まさかの 「本帰国辞令」。。
それは我が家にとって青天の霹靂。
2009年1月。
渡米の辞令が出た際に「5年は最低居てもらうことになる」という人事の言葉。
先にきていた駐在家族もみんな長い駐在だったので
「そんなもんかな。。」なんて疑いもせずに日々過ごしていたわけで。。
せっかくアメリカに来たんだから何かつかんで帰ってこよう。
色々と自分なりのプランあっての渡米生活だったのですが
5年くらいいるなら5年かけての計画で。。
そんな気持ちで日々を過ごしていました。
でもそこは駐在生活。
会社が「はい、帰国してください。」と言えば「はい。帰ります。」
頭では分かっていても実際にはプチパニックなわけで。。
あと2ケ月でアメリカでの生活を終わらせて帰国。
あと2年くらいあるだろうと思っていたので志半ばという気持ち。。
そろそろ帰国かな。。なんていう帰国の覚悟もない我が家でしたので
それはそれは受け入れ難い辞令でした。
特にすっかりアメリカンになってしまっている娘は
イヤー!!ぽのちゃん帰らない!!ここにずっと居るの!!
すんなりとアメリカの生活に慣れ、たくさんの友達を作った娘でしたから
友達との別れは考えられないことだったでしょう。
親の私も自分のことより娘の気持ちを考えるとしばらく夜も眠れませんでした。
一番辛かった娘の言葉は
みんなぽのちゃんのこと忘れちゃう。。。
楽しく笑っていたかと思えば突然泣きだしてはそう言う不安定な日々が続きました。
そんなことないよ。みんな覚えてるよ。ずっとお友達だよ。
そうは言ってみたものの、6歳のときの記憶なんて結構あやふやなもの。
8月に小学校にあがりキンダーのクラスで半年ほど過ごしただけでは
子供にとって忘れても仕方のないこと。。
タイミングが悪いことに、サンクスギビングのホリデーとクリスマスのホリデーがあるため
娘はもうわずかしか大好きな学校に通えません。
娘の学校はクリスマスホリデーに入る前の12月16日が年内最終登校日。
その日は悲しく寂しい日になることは間違いないでしょう。
あと2ケ月の間、娘には精一杯学校でお友達と楽しく過ごしてもらうことだけが
唯一の願いとなりました。
そして私が出来る精一杯のことも娘にしてあげようと色々と考え始めたわけです。
いつまでも悲しんでばかりはいられないこの現実。
泣こうが笑おうがあと2ケ月で戻らなくてはいけません。
出来ることをいまうちにしなくっちゃ!!
悲しみの裏側でそんな気持ちもムクムクと湧きあがっていました。
まずは目前のハロウィン!
そう、こんな複雑な気持ちのまま、あのマッチョマンの仮装大会に行ったわけでした。
「最後だからやっぱり行こう!
そして全身全霊を込めて(笑)ポージングをするのだパヤコ!!」
いい仕事しまっせ~♪
いやいや。。これ私ちゃうやん。
ラストサムラ~イ♪
やっぱりどんなときも笑いを忘れちゃぁいけないよねぇ♪
そんなわけで、実はもう日本に居る私です。
でも帰国までの記事がまだまだあるのでそのままブログに続けます~♪
街中がハロウィンの色になり「今年の仮装どうしようか。。」なんて考えてたある日
それは起こりました。
「You、帰国しちゃいなよ。」 ←そんな言い方ぁしない。
そう。まさかの 「本帰国辞令」。。
それは我が家にとって青天の霹靂。
2009年1月。
渡米の辞令が出た際に「5年は最低居てもらうことになる」という人事の言葉。
先にきていた駐在家族もみんな長い駐在だったので
「そんなもんかな。。」なんて疑いもせずに日々過ごしていたわけで。。
せっかくアメリカに来たんだから何かつかんで帰ってこよう。
色々と自分なりのプランあっての渡米生活だったのですが
5年くらいいるなら5年かけての計画で。。
そんな気持ちで日々を過ごしていました。
でもそこは駐在生活。
会社が「はい、帰国してください。」と言えば「はい。帰ります。」
頭では分かっていても実際にはプチパニックなわけで。。
あと2ケ月でアメリカでの生活を終わらせて帰国。
あと2年くらいあるだろうと思っていたので志半ばという気持ち。。
そろそろ帰国かな。。なんていう帰国の覚悟もない我が家でしたので
それはそれは受け入れ難い辞令でした。
特にすっかりアメリカンになってしまっている娘は
イヤー!!ぽのちゃん帰らない!!ここにずっと居るの!!
すんなりとアメリカの生活に慣れ、たくさんの友達を作った娘でしたから
友達との別れは考えられないことだったでしょう。
親の私も自分のことより娘の気持ちを考えるとしばらく夜も眠れませんでした。
一番辛かった娘の言葉は
みんなぽのちゃんのこと忘れちゃう。。。
楽しく笑っていたかと思えば突然泣きだしてはそう言う不安定な日々が続きました。
そんなことないよ。みんな覚えてるよ。ずっとお友達だよ。
そうは言ってみたものの、6歳のときの記憶なんて結構あやふやなもの。
8月に小学校にあがりキンダーのクラスで半年ほど過ごしただけでは
子供にとって忘れても仕方のないこと。。
タイミングが悪いことに、サンクスギビングのホリデーとクリスマスのホリデーがあるため
娘はもうわずかしか大好きな学校に通えません。
娘の学校はクリスマスホリデーに入る前の12月16日が年内最終登校日。
その日は悲しく寂しい日になることは間違いないでしょう。
あと2ケ月の間、娘には精一杯学校でお友達と楽しく過ごしてもらうことだけが
唯一の願いとなりました。
そして私が出来る精一杯のことも娘にしてあげようと色々と考え始めたわけです。
いつまでも悲しんでばかりはいられないこの現実。
泣こうが笑おうがあと2ケ月で戻らなくてはいけません。
出来ることをいまうちにしなくっちゃ!!
悲しみの裏側でそんな気持ちもムクムクと湧きあがっていました。
まずは目前のハロウィン!
そう、こんな複雑な気持ちのまま、あのマッチョマンの仮装大会に行ったわけでした。
「最後だからやっぱり行こう!
そして全身全霊を込めて(笑)ポージングをするのだパヤコ!!」
いい仕事しまっせ~♪
いやいや。。これ私ちゃうやん。
ラストサムラ~イ♪
やっぱりどんなときも笑いを忘れちゃぁいけないよねぇ♪
そんなわけで、実はもう日本に居る私です。
でも帰国までの記事がまだまだあるのでそのままブログに続けます~♪
本当に突然のことだったね。
まだあの家に行ったらPAYACOとぽのちゃんが迎えに出えてきてくれるような気さえするよ。さみしいぞぉー!
本当に。。
いまだぽのこは「私達の家」はアメリカの家だと思ってるよ。
私もゴルに電話したらまだすぐ会えるような気がして
メッチャさみしぃぞー!