渇いた心
友人のブログを見ていたら、次のようなくだりがあった。
「野球帽が楽しみな拓は、寝ずに私たちの帰りを待っていた
のに売っていなかったという電話を聞いて、電話を切った後、
ガバッと布団にうつぶして、号泣したそうです」と言うくだ
りがあって、心に引っかかっていた。
拓と言うのは、友人の記事によく登場するお孫さんの「拓く
ん」の事である。
友人夫妻は北海道旅行のお土産に、日本ハムの野球帽を頼ま
れたのだが、帰りの女満別空港は小さな飛行場で、野球帽は
売っていなかったそうである。
号泣するほど欲しかったものがある拓くんは、元気でいいな
と思った。
「何かが欲しい」と言うのは、生きていく時の大切なエネル
ギーみたいなものだ。
私は近頃、特別欲しい物がない。
長年、主婦としてのやりくりが、「別に今、そんなに必要じ
ゃない」と思い、「買おうと思えばいつでも買える」と、い
つの間にか、どうしても欲しいという心が渇いてしまったよ
うである。
だが、いくら使っても減らないカードでもあったら、もう少し
「欲しい物」が見つかるかもしれない。
夫が、私の欲を推し量った。
「今、ここで現金を五百万上げるといったら何を買う」
「えっ? 五百万円」
「貯金は駄目だよ」
「分かった、好きなものを買うのね」
「株はだめだよ」
「株は駄目なの、う~ん、じゃ~いらない」
株が特別好きなわけでもないが、いつか儲かるかも、と考えると、買い
たいものの一つではある。
私は百万円位なら、相当上手に買い物が出来そうだが、五百万円っ
て、そんなお金で一気に買いたいものは見つからない。どうせそんなお
金は有りっこないしと、気持ちがしぼむ。
最近、リビングに、夏用のインド綿のカーペットを買った。
久しぶりに欲しいと思ったものを買って、渇いた心が少しだけ
潤った。
今日は真っ青な夏空です・・・・つつじでした。