
お正月に娘家族が来ないからです。
娘達は冬休みに、息子たちのところに行ってしまいます。

こう見えても、毎年買ってくるのは蒲鉾ぐらいで、
伊達巻からきんとんまで2日がかりで手作りします。
我が家のお正月料理として、チマキやマリネなども
作っています。
主人と二人分のおせち料理を注文する事にしました。

寂しいお正月になりますが



息子たちも賑やかなお正月を送れてうれしいでしょう。

「お正月に来ないのでお年玉はあげられない」と孫をからかったら
“お年玉命”の孫はもちろん「旅行をしない」と言ったそうです。


我が家も一つの嵐をくぐりぬけました。
先週末 パパが仕事で参加できないとのことで、長女のところの孫たちの
運動会の応援にでかけました。
天候不良のため、前日の夕方に 「日曜日に順延」 との連絡があり
それならパパも参加できるね、 と喜んでいたら
長男から電話が入り、末っ子のDちゃんが骨折して入院し
現在は落ち着いているけれど、骨がくいちがっているので手術になるとのこと。
手術は 6日とのことなので運動会を見て帰ることに。
運動会が終わり いつもなら夕飯をごちそうになって帰るのですか゛そのまま帰宅
翌日病院へ行くと、いつも週末も出勤することが多い長男が代休を取って
ママと交代してつきそいに。
ママは久しぶりに自宅に戻り入浴してきたとのこと。
3時過ぎに担当の先生から手術について説明を受け、同意書にサインして
お願いをし、私たちは明日またね

と言って長男宅へ、簡単にあるもので夕飯の支度をして、送ってもらい自宅へ。
翌朝一番のオペなので 8時過ぎに家を出て病院へ着くとD が泣いている。
どうしたの? と聞くと、手術室に行く前に副え木を外したのが痛かったとのこと、そうよね、痛かったね となだめるしかない。
ベッドごと、手術室に連れて行かれる。 昔は ストレッチャーに移されたような気がする。
手術室の前でよろしくお願いします、と見送る。
手術の間 ママにお弁当をすすめる。
そして、昔息子がけがをした時、2回とも麻酔なしで手術をしたことや、
長女が交通事故で手術、さらに傷口がひきつれないようにと形成手術をしたことなど、当時のことを思い出して涙ぐみつつ話しました。
2時間近くして、執刀医にレントゲン写真を前に説明していただき
3本の金具がはいっているのを確かめました。
また彼も金具を取り出し、やはり形成手術を受けることになるのでしょう。
もう一度痛い思いをしなければならないのが、かわいそう。
Dは
痛いのと水が飲みたいのとでしばらくおお泣きをして泣き寝入り。
でも小一時間して目覚めたとき コップ一杯の水を看護師さんから飲ませていただき、気分も悪くならないので少しずつ飲ませてください。 とお許しが出ました。
この水も 許可が出るのが早いな 昔はもっと長いことお許しが出なかった気がするけれど・・・・・と思いました。
それだけ医学が進んでいるのでしょうね。
私の最後の手術から 20年以上すぎました。
しばらく絵本を読んでやり、今夜の夕飯から食べられますよ と聞いて
一安心。
ママに託して、帰りました。
夕方 長男宅に行き、孫がスパゲッティを作るというのでサラダだけ刻み帰宅。
今日台風の去った後、退院の許可が出て時間休を取ったパパが迎えに行き無事に
帰宅しました。
まだしばらく消毒に通うのだそうですか゛ 子供のことなので回復は早いでしょう
ママは本当にお疲れ様。
ところが なんと同じ日に 母もディサービスで手の甲にけがをして2針縫っていたのだとのこと、
その母も 今日は抜糸できて もう大丈夫だとのこと。


Dが帰宅したとの連絡を聞いたらどっとくたびれて ひとしきり昼寝をしてしまいました。
ポチ
天満の天神さんでおなじみ=大阪天満宮=
彼氏の実家のあるここ大阪で
2人で決めた昔ながらの式と披露宴。
衣装決めの後、案内してもらいました。
決め手は。
この渡り廊下を渡って行くこと。
この日タイミングよく幸せな2人を見ることが出来ました
披露宴会場
自分たちの好みでクロスやセッッティングを決められるそうです。
来年の5月までまだありますが、
2人で楽しんで進めて下さいな
息子の結婚式まであと12日
何か忘れていることは
気持ばかりあせっている
chokokoでした。
今春まで高校生の息子と友達は、ママチャリで、奥多摩、箱根、熱海、伊香保、と旅に出る元気印です
卒業後免許を取りこの春は、長野へ、そして今夏の今日、伊豆へ出かけました!知らない道、高速道路、山道、海沿いの道、地図とナビが頼りの2泊3日・・・どうか無事に帰ってきてね! と願いながら、今朝見送りました。帰って来るまで心穏やかでない日が続きますね。
夏の花
京王フローラルガーデン アンジェ www.keioange.info/ 京王多摩川駅前 小学校で遠足に行き、その後一度行った時とは変わって、きれいに整備、植栽されていました。今は花は少なく、バラやマグノリアがきれいな春がいいですね
すみれ
私も 子離れせず 相変わらず 子育ての応援に 通っています。
以前の私は すぐにダウンしてしまって、とても現在のように子育ての応援ができるとは思いもしませんでした。
だから、「助けてー」 と言われて駆けつけることができる幸せを感謝しています。

どんなに助けてあげたいと思っても、自分の体が言うことをきいてくれなければ出来ない事でしょう。ただ、やはり以前と比べるとしんどいこともたしかです。
まだ一人、末っ子が独身でいるので 私の元気なうちに子育てをしてほしい なんて思います。
先日 母を訪ねると また「もう御夕飯の支度があるんだから、早くお帰りよ」
と追い返されました。
87才になる母には 60を過ぎた私もまぎれもなく《子ども》でしかありません。
子離れせず、そして親離れもしていない ポチです。
久しぶりに都内で一人暮らしの次女が帰ってきたので買い物に出かけました。次女は倹約家で私と違い、あれが欲しい!、これが素敵!と目が物を欲しがりません。いえ、やはり都内は物価が高いので、一人暮らしをするにもかなり細々とした出費を我慢しているのでしょう。自転車で銀座にお買い物に行く娘ですが、節約という事で南大沢のアウトレットに連れて行きました。あァ一人で頑張っているんだなァといじらしくなります。長女が自宅から会社に通っている事を思うとつい応援したくなります。友達の結婚式に出席するためにドレスを1着買ったので、それに合う
靴を買ってあげました。夕食を食べ、都内に帰って行きました。駅まで送って行く度に、もっと近くにいれば助けてあげられるし、安心もするのになァと勝手な思いが頭に浮かびます。頑張っている娘は私の自慢です!(他の2人もですが・・・) こんな私は子離れ出来ない母なのでしょうか
?
アナベル
花束にして
どこから見ても立派な小学生になりました。

週に2.3回我が家に来ては、お米を食べつくしていきます。
特にカレーや生姜焼きの時は大人以上に食べるでしょうか。
好きなおかずを尋ねると
「肉系」だそうです。
ゴールデンウィークに井の頭動物公園に連れて行く予定でしたが
「肉食動物が見たい」と言うことで、多摩動物公園に変更しました。
でも・・・
娘が鶏肉を大量に買いすぎて、鳥料理が続いたとき
今日のおかずを聞いてきたので、鳥と答えると
「勘弁してくださいよ!」と言ってお母さんに叱られました。


日頃母のお世話をしてくれる義妹が
いつものお友達との旅行に出るためです。
はじめは家で私たち姉妹が交代で、弟と世話をするつもりでしたが
仕事もある弟を案じて ショートステイ(すでにケアプランに組み込み済み)を
お願いしたらOKが出たのです。
そのほうが義妹も安心して出掛けられるから と お願いして
デビューしたのです。
午後7時までならば面会もできるとのことで初日私と中の妹と
夕食の介助に。
部屋も広々として、窓の外には低い植え込みがあり、その向こうには
散歩道が。
そして、その向こうにはお隣の植木畑があって、何の花か、白い花がさいています。
とても気持ちの良い部屋です。
はじめのうちは自分で箸を持ち、いただいていたのですが、
だんだん体が右に傾き、 右手が痙攣しはじめてしまい
お手伝いをしました。
量もたっぷりあり、全部いただけるかな? と思ったのですが
しっかり完食。
今年87才になる母は、全部自分の歯で、一本も欠けていません。
これが丈夫の元なのでしょう。
私が子供のころ、痩せていた母は 胃下垂がひどく、
日常的に苦しんでいたので、母は長生きできないのかも? と
長女の私はひそかに案じていました。
(弟妹には、そういう記憶はあまりないそうです)
まさか病気らしい病気もせず、
会社を休んだのは 冠婚葬祭のお付き合いだけであった父が
その後 長患いをして先に逝ってしまうとは思いもしませんでした。
その後 母は年とともにふくよかになり、胃下垂などとはおさらばして
とても健康になりました。
今日帰宅の母を、妹と出迎えるためにこれから行ってきます。
孫がいったり、妹たちも交代で面会に行ってくれたりしたけれど
やはり さびしかったでしょう。
義妹が、母に 旅に出るので ショートステイに行ってくれますか?
と おそるおそる説明したら、「普段貴女にお世話になっているのだから
理解せざるをえない」と言ったとのこと、
私たちは 「そーお、そうきたか」と大笑いしました。
一件落着して 出掛けて行った義妹、天候も良く楽しく過ごせたと
思います。
若い時は いろいろ苦労続きだった母だけれど、 今は幸せです。
弟の家族や近くに住む妹たちに感謝しています。
ポチ
時々わからなくなり、よく言葉がけしてくれる孫を、自分の従弟の名前で呼んだり、世話をしてくれている弟夫婦を
「お父さん
お母さん」とよぶこともあります。
でも、先日お昼の介助に行ったら、自分で箸を持って、弟が一口大に切り分けた恵方まきを上手に口に運びました。黒豆も一粒ずつ食べられました。
義妹が 「あら ばあちゃん 今日は上手にお箸が使えるわね。
どうしたの?」というと
めったに口を開くこともないという母が
「いいところを(来てくれた娘に)見せなくちゃ」といい
またまた弟達を驚かせました。
最近では ほとんど自分から言葉を発することはないとのこと、
春のような気候に 少し 体調がよかったのかもしれません。
帰りがけには 「遠い所をありがとうね」といってくれました。
それほど遠くはないのですが。
なかなか行かれません。
買い物先で 「弟達が よくお世話をしてくれて、ありがたいわ」と
そんな話をしたら、
「今では 最高の幸せね、」と お友達にいわれました。
望んでも、かなうわけではなく、本当に母は 「しあわせ」な人だと思います。
早くよくなって、またデイサービスにいかれるようにと
祈ります

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