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ホームコンじゅく 国分寺教室 楽しいあれこれ

パソコン教室の仲間が綴る、楽しい毎日、驚きの毎日、ほっとする毎日。

テーブルコーディネート

2009-11-01 19:05:23 | 趣味



テーブルコーディネートの勉強を続けていると、西洋の食器・カトラリーなど素晴らしい歴史・文化を感じる機会は多くあります。

けれども、今私が気に入ってコーディネートするのは、洋と和をミックスする「クロスオーバー」です。

先日京都の五明金箔工芸さんを訪ね、職人さんのお話を伺うことができました。
金箔工芸についてだけでなく、京都の伝統工芸に携わる方たちの悩みや将来への展望など、熱く語って下さいました。

そんなご縁で東京八重洲の京都館で開かれた展示会におじゃまし、購入したのがこのキューブ・オブジェです。

朱・黒塗り・金箔・プラチナ箔・玉虫箔・金消し粉を蒔いた面でできています。
眺めているとほっと落ち着きます。
コーディネートが広がっていくようで楽しみです。

日本の伝統工芸や器のことなど、知らないことばかりですが、少しずつ勉強を続けていきたいと思います。

ユリア



パソコン教室での集大成

2009-10-26 09:59:51 | 趣味


国分寺pc教室に通い約3年。機械音痴の私には考えも付かないことでした。その頃

ご縁があり、TV番組に出ることになりました。ここは自分の活動を多くの皆様に

見ていただく良い機会だと思いました。ところが、何の手段のない私に知人がロン

さんを紹介してくれました。ホームページでそれが出来ると。ところが その完成

には相当の日数がかかるらしい。また 完成してもそれを更新管理しなくては 

そこでロンさんが国分寺教室を紹介してくださいました。それから 私のpcとの格

闘の日々が始まりました。先日閉講のお話の前に、ウエディング関連のオーダーが

あり、ウエルカムボードをどのように作成しようかと考えておりました。偶然先生

のブログにフリーフォントの書き込みがあり あっ!これだ と思いました。偶然

が偶然を呼び その関連の講座もあり 本当にーラッキーでした。

この3年学んだことを最大限に 私なりに形にし、完成することができました。

あの時 ロンさん任せにしていたら今はありません。講座で学んだ多くのことが今

の私に役立っています。出来ないなどと考えず、 思い切って飛び込んで本当に良

かったと思っています。作品が依頼者に気に入っていただけ、心から「ありがとう

ございます」と言う言葉をいただきました。この言葉をそのまま先生にお贈りした

いです。私のような手のかかる生徒にも 温かいご指導ありがとうございました。

   pcに出会えたこと とても感謝しています。
   
    サトゥーのまま

芸術・・・いいえ自己満足の秋!

2009-10-19 09:18:05 | 趣味
かなりミーハーな私。4月から、某高名彫刻家の教室に入れてもらい、自分の為に仏像を彫ろうと研鑚中です。

小中学校の美術で、彫刻刀を握って以来の作業です。先日、直線彫りから、曲線彫りの練習になりました。しかし、1ダースある彫刻刀の中で、まだこの1本しか使っていません。これで、直線も曲線も彫るのです。




「仏像彫刻」などという、抹香臭い作業ですので、メンバー20名近くの中、私は若い方から3番目。メンバーには「お若い方」と言われ、ついニンマリしています。

勿論ペースはありますが、入門して平均4年目あたりから、立体像が彫れるようになるそうです。

私は、掌に入る小さな仏様を彫ってみたいのです。その時の為に、平彫り頑張ってます。





油絵も忘れていません。


             ニャラ

佃島今昔

2009-08-09 17:49:04 | 趣味
佃島今昔

『江戸名所図会』とカメラを手に、佃島へ。下町散策は楽しい。学生時代からだからもう年期が入っている。古い地図、古い名所案内をもっていくと、今昔の比較ができるし、歴史の中にすぐに入っていける。

河竹黙阿弥の『三人吉三』からお嬢吉三の有名なせりふ。
『月は朧に白魚の篝もかすむ春の空。つめてえ風もほろ酔いに、、、こいつぁ春から縁起が良いわい。』途中は省略しましたが、あまりに有名で一度ならず耳にしたことはある方も多いでしょう。問題は『。。。白魚の篝もかすむ春の空』のところ。『江戸名所図会』の佃島の項をみるとこうあります。『この地はことさら白魚に名あり。ゆえに、冬月の間、毎夜、漁船に篝火をたき、四手網をもってこれを漁れり。都下おしなべてこれを賞せり。、、、。』つまり白魚漁は佃島の漁師たちの生業であり、もっぱら冬のあいだ篝火をたいて行われていたことがわかります。



画像がはっきりしないかもしれませんが、『江戸名所図会』からの抜粋です。四手網といっても大きなもののようです。篝火も描かれています。セリフの中にある春とは旧暦ですから、正月で立春のころ。セリフの中にも、『ほんに今宵は節分か。。。』という箇所があります。

この佃島ですが、歴史は古く、もともと干潟であったところに、摂津(大阪)佃村から江戸につれてこられた漁師たちが干拓入植したのが始まりで寛永年間(1624-44)のことです。摂津佃村の漁師たちは家康の大阪城攻めのさいに魚を提供したり、軍事上の密使をしたりで功績があり、それが縁で江戸に入殖した。島の名前も佃島に。

佃島を切絵図で確認してみると



これは嘉永年間の切絵図で、左下のところに佃島が描かれています。佃島と石川島の間には水路がありつながっていない。現在ではこの両島とも陸続きの上、佃島からさらに南のほうへ干拓がすすみ、月島となっている。どちらかといえば『もんじゃ』の月島のほうが有名になってしまった。佃島へは橋がかかっていませんので、当時は渡し船によるしか行く方法はなかった。余計なことながら、隣接した石川島にある,『寄場』とは寛政の改革の時に、松平定信が設けた人足寄場。囚徒の再犯防止のために手に職を与えるために設置したもので、この設置には池波正太郎の鬼平犯科帳の主人公長谷川平蔵も一役買っている。この地をあるくのは『鬼平』をもって歩くのも面白い。地図の大部分は深川の地。地下鉄の門前仲町あたりであるが江戸時代には何と水路の多いことか。江戸は水の都でもあったのです。なお松平定信の墓も深川にある。

さて切絵図にもどって、佃島には『住吉社』が記述されている。この住吉神社も佃島の漁師たちが江戸入府に際して、郷里の摂津、住吉神社を分社して建立したもの。



これは現在の住吉神社。
石川島周辺はウォーターフロントとかやらで、高層マンションが林立し景色は一変した。しかし。住吉神社を中心に限られた地域は昔ながらの面影をかろうじてとどめており、『佃煮屋』もわずかながら営業している。高層マンションの住人をよそに昔ながらの佃島の住人達は住吉神社を中心に昔ながらの風習を伝えている。住吉神社のお祭りも見ごたえのあるものである。







いまでも、ビルの谷間の一角に漁船が係留されており、ホットするスポットが見出される。もんじゃを求めて月島に直行する一瞬を佃島散策に回すのもお勧めである


『By エル・ニーニョ』

ブーケ

2009-07-24 11:00:49 | 趣味



プリザーブドフラワーでブーケを作りました。
もともと不器用なので、時間はかかるし、その上のみ込みもわるい、
先生にとっては世話のやける生徒だと思います。

私が唯一心がけていることはどんなに他の方が進んでいても、
あせらず丁寧に作ろうということです(自己弁護)

そんな超超マイペース(開き直り)な私をわかって下さる優しい先生(涙)

私も先生を見習って、娘たちを温かく見守らなくてはと反省

ユリア

浅草今昔

2009-07-12 22:29:34 | 趣味

浅草今昔

夢フォトクラブの撮影会で浅草へ。この日は四万六千日でほおづき市。
ほおずき市の歴史は古いが、その盛んな様は衰える風はない。そこで今は昔の面影も薄れた芝居の町浅草を探訪。浅草寺に参拝する人々を当て込んで江戸時代からいくつかの芝居小屋が浅草寺の周辺につくられた。浅草見番のすぐそばに「宮戸座跡」の石碑がある。「宮戸座」は昭和12年頃まで存在したようで、谷崎、も川端も記述している。谷崎によると、宮戸座あたりで演じられていた、歌舞伎はかなりリアルというか、残虐なものは残虐に,猥褻なものは猥褻に演じられていた由。その時代にうまれていればよかったなあとつくづく思うものである。浅草寺の駐車場では昨秋仮設のテント小屋が作られ、勘三郎による歌舞伎が演じられた。勘三郎は当時浅草にあった中村座をイメージしてテント芝居をやっているようであり、舞台で本水をつかうなどリアルに演ずるのも江戸歌舞伎にたいするオマージュがあるのであろう。浅草寺の裏には浅草で活躍した九代目市川団十郎が演ずる「暫く」の像がある。



この像は大正8年に建てられたが、昭和19年に軍部による金属類の一斉供出の際に一度壊された。昭和61年になって、空白となっていた市川団十郎の名跡が復活した際に、銅像も復刻建造された。この銅像の撰と書が素晴らしい。



撰は森鴎外。書は中村不折。中村不折は明治、大正、昭和にわたり、洋画界と書道界の両分野で活躍した人。中村不折の書道博物館は根岸の子規庵の道を隔てた反対側にある。不折は当時の文豪たちとも親交が深く、漱石の「吾輩はねこである」の挿絵、島崎藤村の「若菜集」の装丁も手掛けている。

芝居の町浅草を想起させるためにか、面白い作りものが街のあちこちに散見。これらを探し回るのもおもしろい。







当時の歌舞伎役者にとっては浅草で成功することが、メージャーデビューの第一歩であったようである。それだけ厳しい芝居好きが多くいたということであろう。
浅草といえば六区。六区とは明治になって浅草寺境内が公園に指定され、一区から七区に区画整理された時の呼び名。その時に六区に演芸場、芝居小屋が集中した。それに合わせ大道芸人たちもここにあつまり、一大歓楽街が出現した。当時始まった、映画(活動)小屋もたくさんできた。向島には日活の撮影所もあったようである。



浅草公開堂では今でも新春の若手歌舞伎が興業される。看板にある水之江滝子などごん存じのはどんどん少なくなってきている。六区の演芸場出身には喜劇役者が多い。南伸介の「転覆トリオ」は浅草出身だが、今は、名脇役となった伊東四朗を残すのみ。トラさんというと柴又になりそうだが、渥美清も浅草の出身。わたしの学生時代にはこういう人が活躍していて、何やら猥雑な雰囲気も多々あり楽しかったものである。この六区には「六芸神」というのが祭られていて、いまも、六区でがんばる芸人や演芸小屋を見守っている。ちなみに、「六芸神」とは「踊り神」「演じ神」「戯(おどけ)神」「話(はなし)神」「奏(かなで)神」「唄(うたい)神」なのだそうである。よく見ると何やら知っている人の像もあるようである。





浅草演芸ホールは孤軍奮闘しているようである。片肌脱いだお姉さんの懸命な呼びこみも、ほおづき市の威勢のいいお姉さんの売り声にはかなわないようでもある。

(byエル・ニーニョ)

晴海埠頭

2009-06-14 10:45:27 | 趣味
晴海埠頭

小雨降る六日土曜日、一瞬の雨上がりを狙って晴海埠頭の散策に出かけました。
散策といっても実は、メキシコ海軍の練習船(帆船)が入港することになっていてそれを見るのが目当てです。実はこの船、2月にメキシコ、アカプルコを出港、横浜開港150周年に合わせて、5月27日に横浜入港、一般公開されていたもの。本当なら、大阪を訪問後に横浜に来る予定が、新型インフルエンザの影響で、(メキシコが発生源で大阪が現在の流行のさなか?)大阪寄港をあきらめたということ。なんだか変な理由なのですが、横浜では内部公開されていたのですが、東京港では一般公開はされません。それをあてに出かけていた諸氏が多く、不満の声が渦巻いておりました。軍艦(練習帆船とはいえ一応海軍軍艦)の公式訪問ともなると日本側からもホストシップが出迎えることが通例となっているようで帆船の後ろに海自の護衛艦「しらゆき」の船影が見えます。



この帆船は排水量1800トン。1981年の建造、乗組員264名。横浜開港150 年ということともうひとつは日墨400年を記念して来日したものです。日本ーメキシコというと歴史的には若干問題がありまして、当時はメキシコはスペイン領。当時やはりスペイン領であったフィィピンからメキシコに帰る途中の帆船「サン・フランシスコ号」が暴風(たぶん台風)にあって遭難し千葉県御宿沖に漂流したのが400年前、1609年の9月下旬。海岸に漂着した乗組員達を御宿の住民が助けたということです。助けられた人達は手厚くもてなされ、当時の御宿あたりの領主である本多忠朝を介して徳川家康、秀忠にも謁見したそうです。このたびのメキシコ帆船の来日はこの歴史上の出来事を記念してのもの。



今回入港した帆船の名前は「クアウアテモッック」。原語でつづるとCUAUATEMOC。何やら妙な単語ですが、これはアステカ帝国最後の皇帝の名前。艦首にもその像が飾られています。



帆船というのは「夢」がりますね。帆走しているところはもっと素晴らしいのですが、なかなかそういうチャンスにはめぐりあわさないものです。
帆船がスピードを競ったのも過去のことになってしまいました。ウイスキーのラベルになってしまったものやら、飛行機の名前に一部取り入れられたものやら、もっぱら博物館に入ってしまったものばかりですが、それでも世界各国、特に海洋国では,一、二隻保有しており、時に世界中の現役帆船が集まるイヴェントもあります。東京港に寄港したあと、「クアウアテモック」は御宿に寄港し、本国に帰ったようです。
この船はデッキから見たあと、様変わりしてしまった、晴海埠頭をぶらり一周して戻った次第です。昔、見本市会場であった晴海もしばらく行かないうちにすっかり変わってしまいました。晴海側から見る東京は視線が変わるせいで何やら新鮮に映りました。









(by エル・ニーニョ)






ご苦労さま!

2009-06-06 10:30:45 | 趣味

年のビオラ、毎日ご苦労さまでした。

寒い頃から、毎日毎日元気に咲いて、
目を楽しませてくれたビオラ、もうすぐさよならです。
ベランダに出ると、いい香りに、つい花殻を摘んでしまう・・・
楽しい日課でした。

もうすぐ、ゴーヤのプランターが出番を待っています。
昨年緑のカーテンと称して、
ベランダいっぱいに並べた、ゴーヤは大成功でした。
今年も、インゲンと朝顔の種も一緒に忍ばせたら、もう芽が出てきました。

今日はのち・・・つつじでした。


国際バラとガーデニングショー

2009-05-24 17:02:58 | 趣味


毎年とても楽しみにしている。

バラの花たちも良いけれど、私は毎年雑貨や素敵なイギリス風のコテージの数々を

もっと楽しみにしている。





今回は入り口前にコテージを集めていたので、ある意味中のコンテストや展示より

とても魅力的だった。

欲しいアンティークがあったが、結構値の張るものも多く小物を少しだけ購入し

た。どんな風に飾ろうかと考えるこの時が一番好きだ。



懲りずにカルトナージュ

2009-05-23 16:41:59 | 趣味



最近カルトナージュでミラーメモ帳、アコーディオンカレンダーを作りました。
そして今回無謀にも『バッグ型フォトスタンド』に挑戦しました。

元々とても不器用な上に全てがのろのろなので、皆さんが帰ってから1時間位お残りでした(泣)
でも出来上がると苦労した分本当にうれしくて、南武線のラッシュのなかガッチリ死守して帰りました。

ポストカードサイズの写真を飾ることができます。
バッグの中には写真を入れています。
選んだ生地もとても気に入っています。
ユリア