Pandakingなgooブログ

パンダミックな
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慎重になるのは

2020-03-29 08:53:00 | 日記
自分の事情じゃない時。

どんなことでも「責任」はとりきれない。覆水盆になんとやら。起こったことに見合うことは、起こった時にしかあらがうチャンスはない。永遠に、見合わないのだ。

せめて自分のしでかしたことには、謝罪や償いの念が生まれてて、償うに比する事を当てがうことができる。自分勝手にだけどね。

自分以外の人、の事情によるものには「責任」なんかないって言い切れるだろうか。
少なくとも「責任が自分にもある」と感じる事には、償いの念が生まれる。

自分の事だけなら、身を挺しての謝罪までは可能だ。けれど他者の事情によるものには、強要も謝罪も抗いもお節介でしかない。

お節介でもいいから、なんとかしたいときは、もう事態はのっぴきならないものになってる。当人以上に荒立てる立場でもない。外野がなに言ってやがる、と言われたらその通り。

だから慎重になる。
慎重に、手を出す。
外野だから。
(かつて内野だったのに)
ほっとくと、後味悪いから。
どうでもいいはずなのに。

手は為すことを覚えてる

2020-03-28 22:56:00 | スマホ投稿
一日中、画像修正をして過ごす。ソフト使ってて、理屈抜きにショートカットを手が勝手に打ってて、「ああ、体が覚えてるわ」と感心する。

意識の外にも脳は助力してくれる。リハビリみたいなものだけど、何年か手に馴染ませたモーションは、まだ大丈夫だ、イケイケ!とせかす。

やってみないとわかんないもんだ。
やってみたら、なんかにはなるんだ。
なんかになりゃいいんだ。
思い通りじゃなくたって嬉しいんだから。