自分自身に思慮もそれを顕すためのタームのは片鱗すらないときに、いい及べないもどかしさの中をスイと「これじゃない?」とされると俄然嬉しくなります。
輪郭程度でしか思案できなかったことが、肉付きを得て、かすかな範疇からいくらか世界を推察し出せる足がかりを得るんです。
「それがもたらすはずのメリットよりも、それがもたらすかもしれないリスクの方が大きい」という条件で「開発の停止」を求める立場をtechno-prudentialismと呼ぶそうです。prudential は「慎重な、分別のある、万全を期する」という意味です。いま日本社会に必要なのはprudential な思考です。「始まったことは止められない」というような理由で「期待できるメリットよりもリスクの方が大きいプロジェクト」が平然と進められている。
止めれなさが物語ってますけれど、もう勇気も責任もない景色を延々見てるわけで、日を越すごとに運営費は膨れがるばかりで、この撤収後にも未だ開示されない額面が控えてるわけです。
真価の伴うものならそのリスクまで負わされることが割に合うと周囲全般が合点するならまだしも、喧々諤々の現状ではそれもまかり通りませんね。