ウクライナ戦争はウクライナはけしかけてないし、ロシア軍がウクライナ領土に侵攻して始めた戦争だから、ロシア、プーチンが手を引けば終わる戦争。この戦争がロシア人の総意には見えないし、事実こうした揶揄・隠喩に近しい文化の発生はいかにもスラブらしいニュアンスを感じます。アネクドートの精神性は、その出自に似通うピリッと辛辣さが味わいになります。
「そちらを見てはなりませぬ。反対側をご覧ください」
パレードに参加する市民の靴が足りず、足をペンキで塗って、ごまかす様子が描かれている。
漫画から:「三列目のブーツがうまく描けていないぞ。塗り足したまえ。時間はまだある」
いかにも、ではないか。叶う表明表現の範疇では「直接は言わない」までが限度という現実。
「世界で起きていることの不条理さを犬のストーリーを通して見せたかった。架空の世界で、独裁って良いことは何もないというだけの話だ」
なるほど、じゃあ身辺の心配はいりませんね・・と、なれるかにかかってくる国だから怖い。
「ロシアは今ほどひどい国ではなかった。北朝鮮のような国家体制が、いまだ存在しているのはとても不思議で。この世界で起きていることの不条理さを犬のストーリーを通して見せたかった」
「我々がソ連嫌いで、間違った印象を作り上げていると思い込んでいる人もいるが、実際にはこの本はソ連の話ではない。犬についての本だ。今、ロシアの20歳未満の若い人で、なぜかソ連に憧れている人が多い。ソ連のことを何も知らないのに」
記憶は記録に転嫁し、記録は廃れがちで伝播するなにかではなく、噂くらいの手応えの無さになりました。
若い世代が経験にない「知らない・分からない」からこその憧憬も生まれ得るのだと分かります。
「時の権力者というのは、歴史を自分の都合のいいように変えていくものだということを言っている漫画だと思いますので(略)」
これだけ現在のうちに、露骨で隠しもしない卑劣暴虐を目の当たりにすれば、強さではなく、ただただ野蛮が巣食う世界が眼前に顕(あらわ)れてくるのは、人類に由来する永遠の愚行なのだとつくづく感じ入るのです。
21世紀に国連常任理事国が隣国領土や首都に攻撃・略奪を恥じぬ挑みをしたのも無惨なら、勝てもしない身も蓋も無さは、途方もない愚かさ一色です。
さまざまな隠喩をもってして、この苦境の中でも人が共感する想像力が羽ばたけるのは、まだ微かな期待も思うのでした。