非対称戦
戦いにおいて相手より優位に立つため、相手との違いを活用する戦い方のことをいう。
戦力比とかポテンシャル、リソースで絶対差がある相手に、歯向かうのはテロルとかパルチザン活動を思い浮かべがちだけれど、このごろは「ただのひとりが、国家の大動脈の人材に一矢報いる」みたいな自虐自暴気味なふるまいを日本で感じることが増えてしまった。
個人の怨嗟由来なのかどうか、動機はさておき、効果的な一撃を思うと、いかにもこの時代なりなもてはやされかねないやり口で卑怯だとも感じる。昔にはもう少し思想的な背景を読み解きに向かう心情が、このごろでは世相の空気のうちに、「こういうことは起こりえるな」と思わせる不惑ななにかを感じるほど、世相自体に因縁めいた窮屈や閉塞が点(とも)ってる。
現状が苦しく、未来も明るそうではない。
仮になにか起こるにしても「お金持ちの人らの楽しげ」みたいに見え、自分に縁があるのかどうかもあんまり考えなくなる世相。コンビニもファーストフードも行きにくいほど「たくさんあるけど有料でしかも高額化」ばかり。支払い方法と投資の話ばかりが賑やかで、五月蝿い。年金は延々閉ざされていくばかりで家族も結婚も断念する社会。
誰かが悪いからそうなった
そう思いたがる心象でもなければ、やりきれんのも本音には灯るかもしれない。
最も効果的に最も広範に事態を喧伝でき、やったもん勝ちみたいな「結果先取」を恥じずにいて何が悪い?の顔つきは正直そら寒い心地になる。ネットで目立つ者らのやり口や論破に馴染む者らは、それこそ「世界に飛び出して」いたり、日本の組織体をあざ笑うかのような放言が巷にあふれてるのを、肌感覚で毎日触れている。
そうしたものを「なくす」「見えなくさせる」のは危険だし、不適切だと思う。そうした社会の醸成を反省するのが本来であって、原因は見過ごしといて対処療法的に「目先のチョコマカ」で煙にまくやりくちが、もう破綻の領域にあることを真剣に見定めて欲しい。
自らのちっぽけさを、最大限の効果込みの結実で有終の美をピークとする、と割り切り、非対称なサイズも規模も成果も混沌に陥る手配は、残念だけど目につく。模倣犯に近いような振る舞いが日常的にネットでみれる。
ウクライナ戦争においてであっても米軍の情報網からこうした事件が起きるほど、安普請な目先の成果欲しさに、「その結果潰える命の重さや無用な国家予算規模の出費」を喪失するという想像力に欠いている者は出現している。
起こってしまう事自体が、盛大すぎて犯行主宰の意図よりも回復不能なほどの損失を被(こうむ)れる時代でもある。いいもわるいもない。しでかす輩は「事の重大さなんていうあとさき」に重きはなく、一撃必中のワンチャン狙いのギャンブルに「のるかそるか」くらいに安普請で向かっている。本当に非対称。