Pandakingなgooブログ

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インフルエンサー

代替機

2013-03-20 11:12:21 | 日記
てなわけで、同機種の代替機があった携帯。使い勝手が全く持ってヨロシイ。そうだよこの使い勝手が本来だよ、と唸る。やっぱり壊れてたんだな、ワタクシの機種は。1年ちょい経ってるし。「スマケー」なのでダウンロードしたアプリ次第では、不調の原因がどこにあるのか、もう携帯屋さんの店頭では説明のしようのないところまで、複雑化してるんだなあと感じました。それ以上に、逐一店員さんがお客様に「了解を取らないといけない項目」「説明しとかないといけない項目」にがんじがらめになっていることを感じました。

ひと書類読んではサイン。書面見ながらボールペンで丸を打ちながら、目視しながらの了解取り、サイン。この繰り返し。店員さんも早口になっちゃうし、量も多いし、これは大変なお仕事だと悲しくなってきました。

案の定、下のコメントに出て来たおばあさんは何度も店内で「ほんなの買うときに言ってくれんといかんわあ!」とか「買わせるときはいいことばっか言って買わせといて、それはいかんわあ!」とそのフレーズだけ聞けばおばあさんの味方ができそうなことを叫んでたし、そういう客ってのは「聞いてない」の一点張り。複数の了解、サインは「まぁイザってときには書面は残しているから」という、「今以上にエスカレートした事態」に即した準備なんだろうけどね。

ユダヤの格言かなにかに、家の錠前というのは、善人と腕の悪い泥棒のためにつけている、って感じのがあったけど、たしかに腕っ節のいい泥棒ならどんな鍵でも無効にしちゃう。いざ、ってときの備えは生半可な善人と、中途半端な技量しかない泥棒への備えにしかならない。携帯屋さんの書面はそうした防御のための手間ひまなのだろう。お客さんがごねないで済めば、無用な説明もあるだろうに。

なにより、店員さんの、あの独特の「身構え」みたいなのが、どこか鋭利に感じる。お客が選べない商売はつらいなあ。偉いなあ。


携帯修理で出くわした風景

2013-03-20 10:55:35 | 日記
着信履歴表示が何日もあとになって表示されたり、クレードルに差し込んでおいても充電を渋ったりと、傍若無人な振る舞いを見せていた携帯をだましだまし使っていたが、今朝の電話で「もうそんなの修理に出せよ」と叱られて反省。自分はかまわないけど、他者には迷惑なのだと考え直し、携帯屋さんへ。

自分の携帯修理の手はずはスイスイ進んだが、隣のお客さんのおばあちゃんがうるさかったのです。どうやらお孫さんの代わりになにがしかの手続きをやりにきたのでしょうが、おばあちゃん自身がまず「何を変えるのか」の要領を得ない。もちろん店員さんも手前勝手な解釈で話を進められないので「まずはご当人を・・・」と言ってるのに、「なぁにぃ?ほんなこともできんだかん、この店は!」と店のせいにしてる。店員さんは平謝りですいません、それはできかねますと返す返すも謝らなくていいことを謝ってるのに、おばあさんはつむじを曲げてばかり。

「たったこんだけのことでしょう?なんでできんだん?近くの店だでいいと思って来とるのに、なんだん!」「バスに乗ってきとるだよ?なんだん、もう・・・」ねえ、おばあさん、間違ってますよあなた。店員さん、謝らなくていいよ、もういいよ、って何度も思った。

サービス業のこういうのって、もうどうにかなんないの?喧嘩しなさいとはいわないけれど、断固としてお客が間違ってることでも、店員さんは謝ってる。謝るほかない。そこに加えて「分かってない」自分は横においたおばあさんは、ののしりに近い言葉を発してる。一声かけてしまいそうなくらい憤った。サービス業の常だけど、常なんだけれど、本当にこういうの嫌。「相手が言い返せない」立場であることを重々承知で罵ってるおばあさんは私には卑劣だと思いました。

店員さん、立派でしたよ。よくこらえました。立派でした。すぐ次のお客さんにもちゃんと切り替えてましたね。プロ根性です。携帯会社のフロントにいるスタッフ独特の緊張感の理由に、ひとつでくわしてしまった気分になったエピソードでした。