リリコ雑記

徒然なるままに、思いつき日記。

不定期更新・自作連載小説④

2005年11月18日 17時50分11秒 | 自作小説


  「逢ヒ引キ」   



    〈4〉




ユキノの紹介した会員制の主婦対象恋愛クラブの事務所は、実はみさ子たちの住むマンションとさして離れてはおらず、歩いて何分、という場所に存在していた。
去年に出来たばかりの華やかな概観のマンションの一室が、まさか主婦対象売春斡旋事務所になっていようとは、そん事情に疎いみさ子にとっては驚くべき新事実だった。

清潔そうな明るい光の差すマンションのロビーを抜け、セキュリティーチェックを手早く慣れた手つきで行うユキノを見れば、会員の一人なのだと改めてみさ子は思う。
いや。旦那の勤務中に不貞を働く淫らな妻が、まさに目の前のユキノなのだと思うと複雑である。
だが、時折見せる淫蕩な仕草はこれかと思うと納得できた。


ガラスに仕切られた2重の自動ドアが開く。
ゆっくりと中へ入り、後ろでその扉が閉じられたのを音で知りながら、自分はもう引き返せないのだと、ぼんやりとみさ子は悟った。

エレベーターに乗り込み、自分達の住むマンションとなんら変わらない普通の居住区でありながら、しかし異郷に迷い込んだようにも感じられてみさ子の心は落ち着かない。
隣にいるユキノは、実は別人だったらどうしよう、などと馬鹿な想像を繰り広げるほどに不安な気持ちは一層強まってくる。
エレーベーターの窓から、地上を離れ、ぐんぐん空へ向かって上昇してゆく景色を眺めながら、本当に自分の選択は正しかったのだろうかと逡巡しているうちに、20階建てマンションの最上階へと着いてしまった。


「緊張、してる? みさ子さん」
微笑みながらユキノはエレベーターを降りる。

「うん、こういうの、初めてだし」
就職活動を始めた時は、こんな緊張感などなかったのにな、と過去を思い出す。
同じ面接でありながら風俗ともなれば、部屋の雰囲気も、ドラマに出てくるような隠微な匂いの染み付いた薄暗い部屋なのだろうか、と自らの想像に戸惑いを感じる。

そんな想像と戦っている間に、どうやら問題の事務所へ着いてしまったようだった。
とある部屋の前のインターホンに向かってユキノが何かを告げた途端にドアは開き、ユキノはためらいも無く、まるで自分の部屋に帰ってきたかのようにするりと入ってゆく。
そしてちらりとみさ子に振り返り、笑いながら手招きをした。
どうやら、がちがちに緊張しているみさ子を安心させようとしているらしかった。


玄関は普通にマンションのそれだった。
続いている廊下も人が住んでいるかのような雰囲気でさえある。本当にここが事務所でいいのだろうか、という疑問が湧いて出たが、しかしこれはカモフラージュというものだと、ユキノがそっと耳打ちしてくれた。

考えてみれば、非合法で作られた組織なのだ。しかも場所的にいって、ここは普通のマンションの一室であり、住居人が存在していなければならない部屋だった。
実は売春組織の事務所が秘密裏に経営しています、なんて周囲にも管理人にも知られたりしたら、絶対警察のお世話になるに決まっている。
逆にいえば、同じカモフラージュでもこれほど目立たない事務所は無い。

なるほど、と半ば感心しながらみさ子は廊下に続く、広いダイニングキッチンに足を踏み入れた。
中は広々としていて開放感がある。しかも窓は大きく開けていて周りの景色が一望できる、とてもよい場所だった。
生活空間の中に溶け込んでいる、非合法な主婦売春斡旋クラブにはとても見えない。
そういえば、ここのマンションのチラシを目にしたことがあったが、その部屋の一室がここなのだ。

偶然ではあるが、こんなふしだらな事情によって中に入ることが出来たなんて不思議な廻り合せだと、みさ子は小さくため息をつく。
ユキノに勧められ、言われるままに白く大きなソファーの真ん中に腰掛ける。
沈み過ぎず、またふわりとしたその感覚にみさ子はあっとなった。
確かこれは、イタリア製の家具でとても高いものだったことを思い出したのだ。
ソファーを購入する際、夫と何度も座り比べて、しかし値段があまりに高かったから、諦めたのだ。色とデザインは少々違うが、しかしこの感覚はあの時自分達が諦めたソファーそのものであることは間違いなかった。

そんなことを思い出していると、ユキノの声が掛かった。
振り向いたその視線の先は不意に暗くなり、ふわりと柑橘系の香水の匂いがみさ子の周囲に漂う。
ちょっとお洒落っぽいイタリア製のスーツ姿の男がみさ子の前のソファーにゆっくりと腰掛けたのが分かった。
背は高いらしい。自分よりもやや若く、そしてかなり綺麗な顔立ちの男だった。


―――この男(ひと)が、オーナーなの?


みさ子は面食らった、というか拍子抜けしてしまった。
てっきりヤクザのような強面の男がオーナーに違いない、と思っていたからだ。
しかし目の前の男は、ホストと言っても間違われないくらいの雰囲気を持つ優男だった。

ただ、こういう商売をしている若い男のことだ。とみさ子は思う。恐らくこんな小母さんを軽蔑したような目で蔑んでいるに違いない。
と卑屈になってしまいそうだ。

緊張し、どこに視線を彷徨わせたらいいのか分りかねたその時、ふと、目の前の男の指に視線が吸い付いた。
ユキノの手渡した、自分の履歴書を読むその指は、長く白く美しく整った男の指だった。
大きな指輪を中指と薬指に嵌めているが、しかしすっきりと収まっている美しい形だ。

その指に触れられたいと、何人の女が彼に縋ったのだろうかと、卑猥な想像を掻き立てられる指を、まじまじとみさ子は見つめる。


ユキノもこの男の指を知っているのだろうか、と思うと、女の部分が熱くなった。

その指が自分に触れる、それを想像しただけでも若く冷たい表情に溺れてゆきそうになる。

はしたないが、今夜はこの男の指を考えながら慰めようか、と妄想に入り掛けたその時。
ぱさりと目の前の白い用紙が落ちた。ように見えた。


暫く自分のプロフィールを読み終えたオーナーが紙を下げたのだ。その向こうには笑顔が見える。
どこかあどけない、人懐っこい表情の向こうに、若い野心家特有の荒んだ鋭い視線が見える。しかしそれを裏切るような柔らかい口調でオーナーは話を切り出した。


「坂下みさ子さん。ユキノさんのお友達というから、期待してましたよ。うん。思った通りの女性だ。貴女なら人気が出そうだから、お気に入りの男性がすぐに見つかると思いますよ」

みさ子は、実は若い男が苦手であった。

ニュースを見るた度に、ある程度人生経験を積んだ中年男よりも、むしろ若い男の方が傍若無人で怖い、という印象が強くなっていたからだ。
しかし、目の前の男は分別のつく大人の男のようだった。
実はい人なのかもしれないと思うと、話している内容も信頼できるものと聞こえるから不思議なものだ。

自分への説明は淡々と進み、それは先にユキノが話してくれた内容を更に丁寧に説明したものだったが、「まったく危険のない、主婦の為の、恋愛斡旋システムなんですよ」とにこやかに言われ、みさ子は決意した。

“恋愛”、と奇麗事をいっても男性にお金を支払って貰うのだから、これは立派な売春だ。
しかし、売春だという感覚を麻痺させるような優しい男の口調ととユキノの笑みに、みさ子は我を忘れ、すっかりその気になってしまっていた。


そして気がついた時、さっそく最初の客がつき、この公園で待ち合わせることに決定していたのだった。






もうすぐ3時―――。


胸は異常なくらいに高まってゆく。
お願い。お願いだから、この鼓動が鎮まって欲しい。

何度自分を制しても収まらないばかりか、胸を打つ鼓動は激しく、益々大きく響いて聞こえてくる。
期待に胸膨らむとは、このことなのだろうか。

ドキドキと大きく鳴る心臓の音は、中々治まってはくれない。

この公園内に入ってくる男性を見る度に、あの人が来たのだろうか、とじっと見つめて彼らの行動を追うのだが、しかしあっさりと裏切るように、違う顔の男が自分の前を無情に通り過ぎてゆく。
もしかしたら遅れてくるのだろうかと、3時ちょうどを回った自分の時計を見ながらみさ子は思った。

初めての待ち合わせに遅れてくる、というは、ちょっと失礼ではなかろうか。
女性を待たせるなんて、しかし、何かアクシデントでも起こったのだろうか。


一番最初の男は、自分が一番最初に目に留めたあの男だった。

だから浮かれていたというのは否めない。
事実、決まった瞬間から心待ちにしていたのだ。どうせ意味が無い行為だと思いつつも、しかし彼に失望させてはならないと、いや、少しでも自分を綺麗に見せたいという思いから念入りに時間を掛けて化粧をし、普段はつけない赤い紅を差した。
夕べのバスタイムも、香りの良い入浴剤を入れていつもよりも長く入っていた。丁寧に全身を洗い、さっきだってシャワーを浴びてきた。

しかし、そのうきうきとした気分は、徐々に萎んでいくのが自分でも分かった。

流石に10分遅れてくるのは、何かあったのではないだろうかと思わざるを得ない。
しかし、あの男の人が、本物の先輩だったらどうしようか、と今更になってみさ子は狼狽していた。

このまま彼が来ないほうがいいのかもしれない。
みさ子は思う。
気付かれなかった時の、自分の惨めさを考えたらとてもではないが遣り切れない。
でも、知らずに自分を愛してくれただけでもいいのだろうか、とも思い直す。

遊びなのよ、これは。

そう割り切っていても、心は全然割り切れていなくて、苦しさだけが付き纏う。


こんな気持ちは夫にも抱いたことなんて、無かった。
そして、好きな男に抱かれるのは初めてだったことに、みさ子は今更に気がついた。


出来ることなら、似た男でいて欲しいと必死に願わざるを得ない。
写真で見た限りでは似ていると思っていても、実際に会えば違う部分はあるに決まっている。
本物に会いたいのは事実だけど、心の準備が伴わない。




―――バカね、私。
ため息をつく。


本物の先輩が、こんないやらしい行為をしているわけが無いではないか。こうやって、会員制の秘密クラブのようなものに登録し、数人の主婦達とテレクラ紛いのことをしているなんて到底思えなかった。

彼は彼女をとても大切にする、そんな男だった。

だから自分も惹かれたのだ。


今から自分を抱きに来る男性は、自分のまったく知らない男なのだ。


そんな時だった。


耳を塞ぎたくなるような高い摩擦音が聞こえた、と思ったその瞬間。
どしん、と重い破壊音が空気を叩いた。

その衝撃波はみさ子の心臓めがけて飛んできたようにどん、と重く心臓を叩く。
途端に妄想から目覚めるように、はっと我に返った。
息が止まったかのように、周囲は時間を止めた。

振動が響き渡る一瞬、言葉を失い、ざわっ、と嫌な音を立てて、公園内の木々は震えるように青葉を揺らす。
それは蒼穹の広がる青空が曇りかけていたからか。いや、先ほどから輝く青は、その色を留めたままだ。むしろ、吹き付ける風がどこか冷たく感じるのは気のせいではあるまい。
誰かがそっと、自分のうなじに息を拭き掛けた、そんな感じだ。


背中にざわりとした感触が当たるのに、訳も無くみさ子の額からは嫌な汗がたらりとこぼれる。
高揚した気分はがらりと変化し、「不安」という名の衝撃が、全身を蝕み始める。


あまりの空の青さに、眩暈を感じた。




(次回へ続く)  




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


思い出したかのように、久々の更新です。

長い間放置しててさすがにヤバイです。年が明ける前には完成しますんで
一つ、宜しく。


ところで、今回もまた説明的な描写が思ったよりも長くなってしまい、肝心の急転直下な分岐点話までこれなかったです。

がっかり。

さて、気を取り直して次回こそは本題に入るぞっと。


問題は…… 待たされた割には大したことのねえ話じゃん
 と言われそうなことですが…………。


あわわわ。



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