ネコきか!!

バビデ
ヤンユジュ
ホイミ
レロレロ

あの店 前編

2006-05-11 | 小説・その他
「いい店知ってんだ。行ってみないか」
スナック畑仲を出るとAは言った。
懐はまだ余裕があったし、明日は休みということも手伝って私はその店に行ってみることにした。
Aに連れられて二十分もするとその店はあった。
内はきれいに片づいており、カウンター越しに頭を下げるマスターと、遊んでいるピアノが私に好印象を持たせた。
Aがカウンターの端に座ったので、私は隣の席に着きジントニックを注文した。あれは後味がすっきりしているので好きだ。
しかし、マスターは済まなそうに、
「申し訳ございません。うちで扱っておりますのはこちらだけでして」
と、赤い液体の入ったグラスを出してきた。
「これを飲ませたかった」
と、Aは私にグラスを握らせた。もう片方の手は自分のグラスを握っている。軽くグラスを合わせ、三口飲んだ。どことなく塩辛いが、それが私の気に入った。
ふいにピアノが鳴りだした。いつのまにか女性が鍵盤に指を滑らせていた。聞いたことのない曲だった。オリジナルなのだろう。忘れられた神殿のような、美しく、寂しい曲だった。結局五杯飲んで私は店を後にした。Aは疲れたと言ってカウンターから離れようとはしなかった。
それからAは会社に来なくなった。電話にも出ず、自宅にも帰っていなかった。
一週間が過ぎ捜索願いが出された。
私に出来ることはなく、一人社食をとっていると、
「A君はどこへ行ったのかねぇ」
と、係長が話しかけてきた。
数分Aのことを話したところで、係長は私の食事を覗き込み、
「それで足りるのかね」
と、訊いてきた。
確かに少ない。なにしろサラダしかないのだ。あの店に行って以来、食欲はかなり減退していた。日に一度の食事がこれだ。私は苦笑するしかなかった。
実はAがいるかもしれないと、あの店を探したことがある。だが、どこをどう歩いてもあの店は見つからなかった。それどころか、あの店を知っている人間がいなかった。
一ヶ月が過ぎると、会社の人間もAのことを諦めていた。
ある日、私に電話がかかってきた。Aからだった。

続く

最新の画像もっと見る