瀬戸内寂聴さんの「寂聴 般若心経」という本を読んでいる。これも兄が片付けていたら出てきた本で、88年に初版発行されているから、けっこう古い本だ。そこで、菩薩と如来の違いについて書かれていたことが、私にはとても印象的だった。
如来は一番高い位の仏様で、その仏様と人間の間に立って取次ぎをしてくれるのが菩薩なのだそうです。
なるほどなるほど。とすると、
神様と人間の間に入って取次ぎをしてくれている天使と同じような存在ですね。
位でいうと菩薩は如来の下、ということになってしまうわけですが、菩薩も一度は如来になっているとのこと。いったん如来になった上で、人間を救うために、わざわざ一段身を落として、我々に近づいてきてくれているのだそうです。
地蔵菩薩はいつでも苦しんでいる人を救済に行けるよう、杖をつき、はだしで立っているのだそうです。高い位に就けるのに、わざわざ身を落とし、弱い人、苦しんでいる人の救済にいつでも行けるよう、はだしで立っている菩薩のことを知ったら、なんだか言葉にはできないような、熱いものがこみあげてきた。
菩薩って、そういう存在だったんですね。。。
このお地蔵さんは、杖じゃなくてほうきを持ってるぞ。
昨夜はまた、夢を見ている途中で突然「これは夢だ!」と気づいてしまい、一瞬、恐怖感に襲われた。夢の途中で夢だと気づいても、その瞬間に自分の意思で目を開けることはできないので、ちょっとした恐怖感がある。
でも、昨夜はとっさに守護天使に助けを求めていた。「守護天使さん、どーか目覚めさせて下さい!」と強くお願いしていたら、15秒くらいのうちに目を開けることができた。予想以上にすんなり目を覚ますことができてしまったので、これはまだ夢かもしれない、とちょっと疑い、枕元にあるケータイをいじってみたり、しばらく目を開けて様子を見ていたけれど、本当に目覚めていた。
知らず知らずのうちに、困った時には守護天使さんを呼ぶ習慣が身についている自分に、改めて気づいた☆゛