10歳から日記を書き続けている私は、今また改めて過去の日記を読み返しています。
過去の日記というものは、何度読み返してみても新たな気づきが得られます。
以前の記事で、過去の自分はもはや前世のようなもの、という感想を記したことがあります。
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今回もそれに似ているといえば似ていますが。
今回は、昔の自分はもうこの世界には存在していないんだなあ、ということを改めて実感しました。
今この瞬間の自分は、過去から続いているひとりの同一自分物という意識で生きてきましたが、
よくよく考えるとこの自分の肉体を構成している物質はどんどん生まれ変わっているのだから、遠い昔の物質部分の自分などは、すっかり消え去り跡形もないように思えてきました。
なので今現在ここに存在している私を構成している物質部分も、この先どこかで跡形もなくこの世から消え去ってしまうわけですね。
でも、命ある限りは細胞も新しく生まれ変わってくれるはずなので、それまで生きてきた記憶や体験のデータを引き継いで、新たな年代の自分が未来を生きるはず。
長く生きるにつれ古い肉体を脱ぎ捨てる回数も増えているので、まさに脱皮したかのように元の状態とはかけ離れた自分を感じることもあります。

とりとめのないことを書いてしまいました。
はあ❔ なにが言いたいんだろう❔と思った方は正常です.笑
私は特に忘れ去りたい過去があるわけではないですが、今回このように考えたことで不思議と気持ちが楽になったのです。
それは過去の日記を読んでいく中で、
ああ、あの時なんで自分はあんなことしちゃったんだろ😰
とか
なんでそんなこともわからなかったんだろう 😫
とか
ばかなことしちゃったな~ 😡
と赤面したくなるような過去の失敗や過ちに対し、
ストレートに今の自分を責めることはなくなり、それでいて全くの他人事として捉えるでもなく
自分の部下だとか後輩や子供のような存在がご迷惑かけて申し訳ありません。
といった、そんなちょうどいい距離から過去の自分を受け止めることができました。
過去の自分はもうこの世には存在していないのです。
過去のデータを引き継いで今を担当しているのが今の私です。