私の息子、ひろきが、今エジプトにいます。次はレバノンに行くそうです。私がやったことのない旅行をしているので、凄いなあと感心しています。写真は数年前広島平和公園での、せつことひろきです。私は今はもういないポメラニアンのチョコちゃんを抱っこしています。バックのなかで、いつも寝ていたチョコ、、、可愛かったー。チョコバッグをいっぱい作りました。窓が空いていて、ちょこはそこから新鮮な空気を吸っていました。いまスタジオの庭で寝ています。もう大地に帰っちゃったかな。
ひろきは昨年オーストラリアに行き、働いて一年が過ぎて、今旅を続けています。インドネシアからタイ5月2日からインド。先日のメールでは、ジョンレノンが修行したと言われるリシケシュで誕生日(23日)にガンジス川で沐浴する夢は達成できそう。とありました。ヨガの総本山には2週間滞在したとか、、、。いつまで旅を続けるの?とメールをすると分からないーと帰ってきました。私のおっぱいを飲んでいた、あの赤ちゃんがこんなに自由に旅立つなんて、、感動です。写真は7カ月のひろきです。
私の友達の江原さんに、彼のおじいちゃんの話をききました。おじいさんは”江原房一郎”さんという名前で戦争前から前橋の駅前で人力車屋をやていたそうです。そして戦後タクシーが時代に現れてからも、自分は足で稼ぐんだと、タクシーを買わなかったそうです。そして、群馬はまゆの生産の盛りとなり、まゆを東京まで、なんと健脚で運ぶようになったそうです。そして一晩で帰ってきたそうです。マラソンのようにただ自分が走るのではありません。荷物を積んだリヤカーを引いて、100キロ?200キロ?道も舗装されてなく、もちろん高速のようなまっすぐな道でもなく、、、すごーい事です。
富岡の手前、甘楽町にも、米を運ぶため、前橋から行き来していたようです。甘楽町に行って80代以上の人がいたら、房一郎さんを知っているかもしれません。私の友達江原さん(今60歳)が小学校1年生のころ、そのおじいちゃんとともに働いた、人力車が家にあったそうです。たった53年前です。今日、環境問題の運動をしている人が来て、5月29日14時から16時半に高崎たまごホールで開かれる講演会のちらしを持ってきました。”20年間くまと生活したジイちゃんが語る。””3000万種の生き物たちと人類”と言うタイトルです。今山に動物の木の実などのえさが無くなり、人里におりてきているそうです。昨日のニュースで畑の農作物を食べにくる鹿をハンターが殺し、人間が食べるレストランが出来て、良いニュースのように、語られていました。せっかくこの世に生まれてきたのに、命を全うできず、鉄砲で殺されてしまう鹿さん。九州の20万5千頭の牛さんたちも、悲しい、悲しい、苦しい、出来事です。私たちが、短期に必要以上の乗り物を作ったり、楽を望んだために、地球が悲鳴をあげています。房一郎さんが、今生きていて、フルマラソンを走ったら、、、。早いだろうなー!夢のスーパーランナー!
坂口せつ子
2010年5月20日
富岡の手前、甘楽町にも、米を運ぶため、前橋から行き来していたようです。甘楽町に行って80代以上の人がいたら、房一郎さんを知っているかもしれません。私の友達江原さん(今60歳)が小学校1年生のころ、そのおじいちゃんとともに働いた、人力車が家にあったそうです。たった53年前です。今日、環境問題の運動をしている人が来て、5月29日14時から16時半に高崎たまごホールで開かれる講演会のちらしを持ってきました。”20年間くまと生活したジイちゃんが語る。””3000万種の生き物たちと人類”と言うタイトルです。今山に動物の木の実などのえさが無くなり、人里におりてきているそうです。昨日のニュースで畑の農作物を食べにくる鹿をハンターが殺し、人間が食べるレストランが出来て、良いニュースのように、語られていました。せっかくこの世に生まれてきたのに、命を全うできず、鉄砲で殺されてしまう鹿さん。九州の20万5千頭の牛さんたちも、悲しい、悲しい、苦しい、出来事です。私たちが、短期に必要以上の乗り物を作ったり、楽を望んだために、地球が悲鳴をあげています。房一郎さんが、今生きていて、フルマラソンを走ったら、、、。早いだろうなー!夢のスーパーランナー!
坂口せつ子
2010年5月20日
5月は私の大好きな月です。山々が芽吹き、花が咲き乱れます。今日会員さんが来て、35歳のお友達のお葬式を昨日済ませたことを報告してくれました。”がん”だったそうです。精一杯生きて亡くなった事でしょう。若すぎる死は、悲しすぎます。私は来月30日で57歳になります。今まで生きてきて、幸せは追いかけるもの、不幸は突然向こうからやって来るもの、と思っています。つまり不幸はいつやって来るかわからない、追いかけられるもの、だから、出来る限り、幸せを、掴むために、追いかけて、追いかけて、、、でも人間だから生身だから、逃げ切れなかったら、そこで、又受け入れて、その中で精一杯生きるしか、ありませんよね。私は、玄米食、など、身体に良いと言われているものを40年近く、食べ続けています。運動も毎日しています。しかし、まだまだ恩返しすべき人にも、出来てないし、世のお役に立てることも、していません。残りの私の人生何かできるといいなあ!会員さんのお友達のご冥福を祈ります。
一人旅はとても楽しいし、気持ちいい事を、私は18歳の夏休みに体験した。今思えばささやかな旅だったけれど、行き先も時間の使い方も誰に相談することもなく、自分で決められる。危険な事もあったが、皆が親切にしてくれた。昨年10月、夜行バス金沢行きのバスに乗った山中のり子さんは60歳。4日間の一人旅だった。永平寺や東尋坊、三国港などをスケッチし、空気や風までも取り込むように色付けもその場でしてきた。12月末から2月の初めまで伊勢崎の喫茶店で、それらの作品を飾った個展を開いた。40年前から絵を描き始めて、個展は20回を重ねた。群馬を永住の地と決めたのは1996年に伊勢崎商工会議所赤城フォーラムにて大賞を受賞したことがきっかけだった。山中さんはバラの花だけの個展を開いたり、人物画も手がけてきた。10人くらいの仲間と、毎週1回モデルを囲んでデッサン会を12年間主催してきた。一生懸命になれることがあることは、人生を豊かにしてくれることを山中さんは実証している。2月わたしはモデルをすることになった。みなさんがどんなふうに私を描いてくれるのか楽しみ!
坂口せつ子
2006年平成18年2月6日木曜日
高崎市民新聞連載より転載
坂口せつ子
2006年平成18年2月6日木曜日
高崎市民新聞連載より転載
150年前、承久3年(1221年)承久の乱で源氏に敗北した殿様が従者(12名)とともに信州を経て、この地”矢納”(矢を納める”戦争はしないという意味)に住み着いたという。
写真は150年前に造られたという現在の巌さんの家の裏にある井戸です。
写真は150年前に造られたという現在の巌さんの家の裏にある井戸です。
リフレッシュの森にベリークラスを終えた後、川に入り上流に行ってみたりした後、車で奥に行きました。かわいい美しいお花があちこち咲いていて、車を停めては、写真を撮っていると、おじいちゃんが話しかけてきました。“あんた150年前の墓がうちに有るんだけど見るかい””えー!是非”なんとそのおじいちゃんは、自分の先祖の話を子供時代は信じていなかったそうですが1952年に、敷地内に林道造ったら、そこに、鎌倉時代に、京都から逃げてきたおじいちゃんの先祖の殿様とその家老3人の名前と日ずけの入った墓が出てきたそうです。そこでおじいちゃん(巌さん)は、先祖から伝わった話は本当だったと確信し、埼玉県庁勤め時代から、歴史を学び、退職してから、さらに大学に入り史学を学び、自分の先祖の話だけではと”北武蔵.西上州の秘史”という本を上毛新聞社出版局から出版しました。膨大な資料をもとに、中世以来の神流川上流域の空白の歴史を足と手と史観とで15年かけて研究し出版されました。その本をわたしにくださったのです。
栄子さんは、藍をお湯で練ったものを素手で、私の頭皮と長い髪に塗りつけていく。動物園のぞうさんのところにいるような、干し草の気持ち良い匂いが私を包む。インディコブルー。主にGパンの染色に使われている。栄子さんは修行時代、科学染料や薬品を扱っていたことで、手が荒れて、医者から”これ以上この仕事をやっていたら、手を切るようですよ”と言われた。両親も美容師で、自分も美容の世界で生きようと必死になってやってきた。尊敬する師匠と結婚し、二人で身体にも髪にも害のない、むしろ効果、効能のある材料はないかと、やっとの思いでここにたどり着いた。草木染めの大家、高崎市出身の山崎和樹先生が毛染め用に開発した。100パーセント草木染料で、髪のおしゃれができるなんて、ほんとうにありがたい。高崎、いや全国的にもこの手法を取り入れている美容院はないかもしれない。結果をだすためには独自の研究と技術が必要だった。特許をとってこの技術を広めていくことが栄子さん夫婦の夢だ。栄子さんの手はいつも色が付いている。職人の手だ。自然の恵みは、栄子さん夫婦の熱意によって生かされた。
坂口せつ子
2006年(平成18年)1月26日木曜日
高崎市民新聞連載より転載
坂口せつ子
2006年(平成18年)1月26日木曜日
高崎市民新聞連載より転載
Tちゃんは何をやってもうまくいかない。自分に自信がなくて、いつも暗い顔で現れる。30歳になる。一人ッ子のTちゃんは、高崎の空気が気にいって、東京から引っ越ししてきて10カ月になる。アルバイトも雇ってもらったと思ったらセクハラにあって辞めたり、、、。生活に生き詰まると母親に生活費を送ってもらう。そんなTちゃんとコンビニで出会った。とても明るい顔をしている。私が聞かなくてもどんどん話を続ける。”私、恋しているんです。別に付き合っているわけじゃなくて、片思いなんです。でも悲惨なんです。その人転勤しちゃったんです。”Tちゃん体中から光を放って頬もピンク色、かわいい!Tちゃんにとって、競争社会の東京より、少々スローライフの群馬のほうが人間らしく暮らせるのだろうか。ときめきは人を輝かせる。何歳になっても、希望を持って出来る事から少しずつやっていこう。Tちゃんが新しいバイト先の面接に行ってきた。がんばれTちゃん。
坂口せつ子
2006年(平成18年)1月12日木曜日
高崎市民新聞連載より転載
坂口せつ子
2006年(平成18年)1月12日木曜日
高崎市民新聞連載より転載