亡国の坂道

日蓮大聖人の云く、「仏法漸く転動しければ世間も又濁乱せり、仏法は体の如し、世間は影の如し、体曲がれば影斜めなり」と。

日蓮正宗が正系門家と謂われる所以と諸天の治罰

2013年08月31日 09時15分47秒 | 亡国の坂道 
一期弘法付嘱書に云く「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍利日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の誡法と謂うは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり」と。

僭越ながら、此処で一期弘法付嘱書の御付嘱状について少しく解説を加えることにします。

はじめに「日蓮一期の弘法」の御文を、御本仏大聖人様の一代三十年の御化道を一言で括って顕すとすれば、「日蓮一期の弘法」とは、①本門戒壇の御本尊の御事となるのであります。此の一期弘法付嘱書の中に日蓮大聖人様の顕された三大秘法と日蓮正宗が正系門家と謂われる所以が明確に示されているのであります。

次に「白蓮阿闍利日興に之を付嘱す」とは、②唯授一人の血脈相承のことであります。次いで「本門弘通の大導師たるべきなり」とは、御開山日興上人を本門の本尊と題目を弘通する総大将として、広宣流布を成し遂げよとの勧奨であります。したがって未だ広宣流布せざる間は身命を賭して随力弘通せよとの、大聖人様の御命令とも拝すべき、富士門流僧俗信徒に対する絶対の指針であります。

続いて「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」とは、③国立戒壇の建立の勧奨であります。即ち、広宣流布の暁に天皇陛下の勅宣を賜り、御教書たる国家意思の表明を闡明にし、富士山麓の最勝の地たる天生原に、国立戒壇を建立せよとの御命令であります。

①~③は、とりわけ日蓮正宗の命ともいうべき宗門の根本的な化法・化儀なのであります。日蓮正宗が正系門家と謂われる所以が正に此処に存するのであります。即ち「①戒壇の本尊と、②唯授一人の血脈と、③国立戒壇」建立が、この御付嘱状の中に整足して明確に示されているのであります。これこそが日蓮正宗の宗旨の命であって、特に③は、御本仏大聖人様の終窮究竟の御本願であり、また日蓮正宗七百年来の宿願と謂われるのであります。依って、日蓮正宗に此の三つの宗旨が確然と整足する故に、日蓮正宗が正系門家と謂われる所以が此処に存するのであります。

今、日蓮正宗の中で国立戒壇を目の敵にして反対を唱える者は、昭和期の始めに猊座に就かれた第五十九世の日亨上人と、第六十四世の日昇上人と、第六十五世の日淳上人並びに、第六十六世の日達上人の四上人だけで、それ以前の貫首上人は、大聖人をはじめ二祖日興上人・三祖日目上人を含め、「誰一人として、国立戒壇を主張した上人はおられない。仮に居るとしたら、その文証を出して見よ」等と悪態をついていますが、是れこそが、自らの無知を晒した恥知らずな姿なのであります。

更に邪義破折班の坊主の手に掛かると、この四上人が宣揚した国立戒壇論は、彼の悪僧日顕が編み出した、いわゆる、『「国主立戒壇」の意味で云っているだけで、決して、国家的に立てる戒壇ではない』などと驚くべき邪義を垂れ流し、悪態をついているのであります。是れでは四上人は、まるで悪僧日顕の弟子となってしまうのであります。

それは置くとして、二祖日興上人から第三祖日目上人への御付嘱についても、①本門戒壇御本尊と、②唯授一人の血脈相承と、③国立戒壇の三つが御相伝として伝えられているのであります。

その文証を挙げる事にします。日興跡条々事に云く「日興が身の宛て給わる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に掛け奉るべし」と。

「日興が身の宛て給わる所の弘安二年の大御本尊」とは、申すまでもなく、①本門戒壇の大御本尊の御事であります。次に「日目に之を相伝す」とは、②唯授一人の血脈相承であります。次いで「本門寺に掛け奉るべし」とは、広宣流布の暁に戒壇の大御本尊を、③国立戒壇に掛け奉るべしとの御命令であります。

此処で最も大切な事は、御開山日興上人から第三祖日目上人への御付嘱状にお示しの「日興跡条々事」と題された、日興上人の命の底からの叫びにも似た甚深の御配慮に、末代の我等は満腔の思いを致さなければならないのであります。その故は、その表題が示す如く「日興跡条々の事」と仰せられる題号の元意に、末法万年尽未来歳に亘って日蓮正宗の貫首たる者は、①戒壇の大御本尊と、②唯授一人の血脈と、③国立戒壇の三つの宗旨は、決して捨てたり忽せにしてはならないという、重大な警告が含まれているのであります。

ところが六十六代の貫主職に就いた日達は、①~③の内、①の戒壇の大御本尊は認めてはいたものの、②の唯授一人の血脈相承の受については、昭和34年11月16日、丑寅の刻に先代の日淳上人から血脈相承を受けるも、授については、残念ながら是れを為し得なかったのであります。その故は、昭和54年7月22日、入院中のフジヤマ病院で思わぬ急死を遂げ、次期貫主に対する相承を授ける事が適わなかったのであります。是れ「授」なしであります。更に、③については、昭和45年5月3日、世間に諂って、国立戒壇永久放棄の宣言を為して、正系門家七百年来の伝統教義と宿願を弊履の如く捨て去ったのであります。

仄聞するところに依りますと、日達管長は相承の授受を済ませようと考えていた前日の7月21日、病院を訪れた側近の僧侶に対して「いまだ退院には時間がかかるようだが、取り敢えず、相承に儀を済ませて置きたいので大奥に布団を敷いておくように」と命じられてその日に備えていたのでありますが、御本仏大聖人様は、国立戒壇を否定するような曲がった貫首には、相承の授受をお許しにならなかった。との事であります。

何とも厳しい現実であります。日達管長は後任の貫首に誰を考えていたかは、本人のみ知る処にして、決して他人は窺い知ることは出来ない事柄でありますが、悪僧日顕でなかった事だけは確かのようです。いずれに致しましても、御本仏大聖人様の一期の御遺命たる国立戒壇を否定するような、悪僧日達には唯授一人の相承の授受をお許しになられず、その直前になって大聖人様から命を召し取られているのであります。

つづく六十七代に就いた日顕は、①~③の全てを否定したのであります。①については、昭和53年2月7日、東京帝国ホテルの一室で腹心の川辺慈篤房との密談の中で、①の戒壇の大御本尊は偽物と断定。②の唯授一人の血脈相承については、昭和54年7月22日先代の急死に依り「受」の無いまま、勝手に自己申告の形で猊座を簒奪したのであります。③の国立戒壇については、猊座に就く前から徹底して反対し「国主立戒壇」が、主権在民の今日では絶対的に正当としているのであります。

かつて日蓮正宗の血脈付法の第六十四世の日昇上人は、次の如く国立戒壇を高らかと宣揚していたのであります。

云く「夫れ戒壇の本尊は、宗祖日蓮大聖人の本懐、末法衆生の帰命の法体、一宗依止の当体なり。宗祖大聖人弘安二年十月十二日之を建立して血脈付法の二祖日興上人に身に宛て給わるところなり。上人身魂を尽くして護持し大石の寺に奉安し、一閻浮堤の座主日目上人付嘱してより、血脈の法主歴世に奉戴し、或る時は校倉を、或る時は土蔵を宝蔵とて奉安し、専心に守護し、国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年、今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり。三大秘法抄に、『戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に三大秘法の法を持ちて、乃至、勅宣並びに御教書を申し下して建立する所の戒壇なり』と。之は是れ、宗祖の妙法蓮華経が一天四海に広宣流布の時こそ之の時なり。・・・・血脈付法の法主を継げる日昇・・・・『時を待つべきのみ、事の戒法とは之なり』の金言を身に体して、必ず来たるべき国立戒壇建立の暁まで守護すべし。後々の法主も一心同体たるべきと確信す。願わくば宗祖大聖人の法魂、安穏に常住し給わんことを」と熱祷為され、粛然として身振るいするよな慶讃文を垂れられて、国立戒壇を熱願なされていたのであります。

その後を継がれた日淳上人は「蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」(富士一跡門徒存知の文)と。

つづけて「この元朝勤行とても、二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての、広宣流布祈願の勤行を伝えたものであります」(大日蓮 昭和34年1月号)と。

ところが、その後の貫首職を継いだ第六十六世の日達管長は途中で、信徒団体の創価学会の政治選挙のために、池田大作という似非信徒に諂って、正本堂というニセの戒壇堂を広宣流布の「本門事の戒壇」などと偽り、内には八百万信徒をたぼらかし、外には世間と国家を欺き、御本仏大聖人様の終窮究竟の御本願たる「国立戒壇」を永久に放棄するとして、三大秘法義を滅茶苦茶に破壊して葬り去ったのであります。

それは昭和45年5月3日、国民注視の中で行われた創価学会第33回総会の席で「国立戒壇」を永久放棄する旨の宣言に始まり、それ以来日蓮正宗では「国立戒壇」の四文字が禁句となってしまったのであります。嗚呼何たる無慚な僻事でありましょうか。このような大それた仏法違背は、久遠の昔に誓いを立てた、南無妙法蓮華経の守護神たる梵天・帝釈・日月四天等の諸天の怒りをかい、これ等の諸天は決して御本仏大聖人様に対し奉る背逆は、絶対に許さないのであります。

その時の日達管長の「国立戒壇」放棄の宣言を振り返れば次の如くであります。「日蓮大聖人は、決して大聖人の仏法を国教にするなどと仰せられてはおりません。日本の国教でもない仏法に『「国立戒壇」などということはありえない。(中略)今後本宗では、あらぬ誤解を招き、布教の邪魔になるため、そういう名称を使用しないことに致します。昭和四十七年十月に完成する正本堂は、広宣流布の本門事の戒壇であります』等と。

この時の日達管長の「国立戒壇」放棄の宣言が、日蓮正宗の命取りとなって、それ以来、取り返しのつかない汚濁に染まった宗門となってしまったのであります。この「国立戒壇」放棄の宣言によって、大石寺を除く富士五山と云われる、北山、西山、小泉、下条、等の諸山は、諸手を挙げて狂喜の酒宴を張って乱舞し、身延をはじめとする邪宗日蓮宗諸派は云うに及ばず、日本のあらゆる邪宗教団の面々は、口裏を合わせたように狂喜して「国立戒壇」放棄をもろ手を挙げて歓迎したのであります。

この宣言によって、国内の既成宗教などの邪宗教団は害毒を流し続け、人々を不幸のどん底に突き落としながら命を長らえることが可能となり、正系門家の国立戒壇放棄宣言は、邪教の存在を何処までも許す結果となってしまったのであります。

「国立戒壇」を否定する六十六代、六十七代の貫主は、ニセ戒壇正本堂のために、一期弘法付嘱書と三大秘法抄の文々句々を次のように捩じ曲げてしまったのであります。

一期弘法付嘱書の「国主」の意を「民衆一人ひとり」と捩じ曲げた揚句、現行憲法の定める主権在民の今日では、『「国主立戒壇」が本来のあり方である』等と言いだしたのであります。また三大秘法抄の「王臣一同」を「民衆一同」に。「勅宣・御教書」を「建築許可証」等とたばかり「霊山浄土に似たらん最勝の地」を「大石寺境内」と偽り、「時を待つべきのみ」を「今立てて何が悪い」などと開き直っているのであります。また「国立戒壇」を云えば、国家主義とのあらぬ誤解を招くこととなり、反って布教の邪魔になるなどと、大仰な諛言を垂れ流して、大聖人様の御本願たる国立戒壇を弊履の如く捨て、永久放棄してしまったのであります。

このような大それた仏法違背は、大聖人様一代三十年の死罪、流罪の大難を忍び給うた忍難慈勝の御化道を水泡に帰すこととなり、御本仏大聖人様を冒涜する最大の大謗法を犯すに当たるのであります。その故に、月々年々国土に三災七難が歳を追うて蜂起する結果を招いているのであります。しかしながら、年々盛んになる災害は、こんなものでは終わらないのであります。

「国立戒壇」を放棄することが、国家に対して如何なる災いを齎すのか、具体的事例を挙げて誤りを糾すことにします。

「国立戒壇」を否定することは、僧俗信徒は人生の目的観の喪失に奔り、形而下の欲望の充足のみに捕らわれて、両親、兄弟、姉妹等、六身不和にして相争い修羅道の集団と化し、信心に対する峻厳なる確信を失わしめ、爪の垢ほども功徳のない、無気力な罰の生活を年々繰り返す事になるのであります。

大聖人様は「人皆口には此の経を信じ、手には経巻を握ると雖も経の心に背く間、悪道免れ難し」(新家御書)と仰せであります。

「国立戒壇」を否定することは、還著於本人であります。仮令、正系門家、日蓮正宗の最高位の貫首であっても、あるいは、日蓮正宗の高僧たりと雖も一様に徳を失い、殉教の精神は云うもおろか、僧道は渡世のための道具となって、職業坊主ばかりで満ち溢れ、世間や身内の信徒からも軽賎の謗りを受ける身となるのであります。また因果応報の輪廻の因果によれば「国立戒壇」を否定する信徒も、おのずから軽賎の罪果を身に受ける事になるのであります。

「国立戒壇」を否定することは、仏法(三大秘法)を破壊することになるのであります。また、国家・国民統合の象徴である皇室や天皇を軽視することとなり、皇室の存続に無関心を助長することにと繋るのであります。皇室に対する敬愛の念を持てない者ばかりが世の中に蔓延する。言うなれば、国家に中心のない、己の我欲や権利ばかりを主張する者で溢れかえり、地獄・餓鬼・畜生の三毒強盛の世の中は、欲望民主主義ばかりが横行する殺伐とした獣の集まりのような世の中になるのであります。現代の世相が正しくそれに当たっています。

「国立戒壇」を否定することは国威を喪失せしめ、近隣諸国から20万人の慰安婦強制連行・30万にの南京大虐殺などの嘲りを受け、政治・経済は混沌として行き詰まり、国民は総じて無気力となり、自殺者は毎年驚異的な増加をたどる結果を招き、凶悪犯罪は日を追って増加し、犯罪国家を呈するような暗い希望の持てない無気力な国家となるのであります。

「国立戒壇」を否定することは、隣国から北方領土・竹島等の領土を侵奪・略奪される結果を招き、国民は等しく絶望的悲壮感に覆われ、総罰の苦悶を味わう事になるのであります。

「国立戒壇」を否定することは、やがて影であるところの、国内の政治・経済をはじめ、産業、教育、文化等の一切の治生産業に行き詰まりをきたし、行き着くところ、終には自界反逆・他国侵逼の二難が現実のものとなり、やがて亡国へと突き進んで行くことになるのであります。

今日、国立戒壇を永久放棄した宗門がいくら口先で布教の重要性を叫んでみても、広宣流布は、絵に描いた餅に等しいと云わざるをえないのであります。一刻も早く「国立戒壇」の正義を、日蓮正宗の僧俗が何をさて置いても取り戻さない限り、やがて自叛、他逼、の二難が事相となることは、絶対に避けることは出来ないのであります。

近年、年を経る毎に盛んになる、異常気象による自然災害や凶悪犯罪の増加、あるいは隣国から領土を侵され侵奪される等の災いは、明らかに是れ先難であり、諸天の諫める警告であります。

立正安国論に云く「徴先に顕れ災い後に至る」と。亦云く「先難是明らかなり、後災何ぞ疑わん、若し残る所の難、悪法の科に依って並び起こり競い来たらば、その時何がせんや」と。



折伏はしないが、坊主は憲法遵守の模範的な国民なのだ

2013年08月21日 18時52分40秒 | 亡国の坂道 
三大秘法抄に云く「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似足らん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か・・・・・」の御文について

御本仏大聖人様が三大秘法抄で御教示の「本門戒壇」について、顕正会の浅井会長は次のように端的な解説をされています。

云く「国家が宗教の正邪にめざめ、日蓮大聖人の三大秘法こそ唯一の衆生成仏の大法・国家安泰の秘法と認識決裁し、これを尊崇守護することである」と。

ところが邪義破折班を名乗る坊主らは「 最後に申すべき事を砕破す」(P.64)に、次のような言語明瞭意味不明の屁理屈を並べて、お得意のいちゃもんを付けております。

云く「仏法を持つのは、あくまでも王法の当事者としての正報たる能持の人であって、能動の主体者である。それに対し、依報たる国土や国家機構は所動の客体であって、こちらに仏法の受持をあてはめるのは誤りである」等と。

このような屁理屈は見当違いの因縁をつけることが目的であって、御本仏大聖人様の嫡流の宗門としての戒壇に関する解釈はおろか、国家が戒壇の御本尊を護持する事に対して幼稚な言語明瞭意味不明の愚論を振り回し、見当違いの邪義を展開しながら、御本仏大聖人様の御本願たる国立戒壇否定しているのであります。

そこで拙者が邪義班の坊主らの数々の誤りを指摘して、破折を加えることにします。

先ず第一の誤りは邪義班の坊主らは、国家・国土を非情の存在(客体)として捉えていますが、これが大きな間違いなのであります。

そもそも仏法では、依正不二の原理を説き明かされているのでありますが、邪義班の坊主らはその事がまるで理解できいないようです。

大聖人様は立正安国論の中で、金光明経、大集経、仁王経、薬師経等の経文を引かれ、いずれも国土が乱れる根本原因は、人心の乱れが投影されたものと指摘されています。それ故に仁王経には「国土乱れん時は先ず鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る」と説かれています。このように、我々人間社会と国家・国土の相関関係は、爾二不二であることを説き明かされているのであります。

ここで最も解り易い例を引いて説明いたしますと「一切の大事の中に国の亡ぶるが第一の大事にて候なり」(蒙古使御書)と御教示でありますが、かつて日本国民は第二次大戦の敗戦により塗炭の苦しみ味わいました。その時、国家・国土は非情の客体であるから、自分には一切関係ありません。等と果たして言える者が存在するでしょうか。

また世間では「水俣病等の公害問題で国を訴える」ということがありました。例えば、薬害エイズや福島の放射能問題では「国が調査」「国が救済」「国の補償」などの新聞の見出しが見受けられたましたが、これ等の例を挙げるまでもなく、果たして国家は非情の客体等と云って、一切の責任を回避することが出来るとでも云うのでしょうか。

それを国家・国土を所動の客体、即ち非情の存在として退け、国家に「仏法の受持をあてはめるのは間違い」として、幼稚な愚論を振り廻すのは、仏法で説く依正不二の原理を否定し、大聖人様の説かれた立正安国論で仰せられる現当二世の不滅の原理を、端から理解していないことに繋がるのであります。

一期弘法抄で仰せられる「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」の御文こそ、国家が三大秘法を受持して永遠の長久、即ち国家の永劫の安泰を計ることを勧奨遊ばされた御文なのであります。邪義班の坊主らは国立戒壇を否定するために、国家に「仏法の受持をあてはめるのは間違い」として、このような幼稚にして、真逆な愚論を展開して平然としているのであります。

このような道念のない無用の長物と化した邪義坊主らは立正安国論で仰せの如く「我れ往昔を念ふに、閻浮堤に於いて大国の王と作れり。名を仙予と曰ひき、大乗経典を愛念し、其の心純善にして麁悪・嫉悋有ること無し。善男子、我れ爾の時に於いて、心に大乗を重んず。婆羅門の方等を誹謗するを聞き、聞き已はって即時に命根を断つ。云々」との御教示を速やかに実践に移すべく、正系門家に屯する悪知識には即座に施を止めることによって、命根を断たねばならないのであります。

つづけて浅井会長が「国家が日蓮大聖人の正法にめざめれば、これを国家の根本の指導原理、即ち国教として用いるのは当然」と発言したことに対して、邪義班の坊主らは次のような愚論を展開して反駁しているのであります。

云く「国教を目指すことは、憲法改正に主眼を置くこととなり、必然的に宗教次元を超えて憲法論議に進む愚論である。宗教者が法律改正に拘泥するなど愚の骨頂である。我々は日本国民として遵法精神を堅持するとともに、宗教者としての襟度を持って布教に邁進すべきなのである」などと。

邪義班の坊主らの反駁は、本末転倒であり大きな勘違いを犯しているのであります。三大秘法の国教化を目指して折伏活動をすることは、国立戒壇を目指しての広宣流布への闘いであって、この闘いは取りも直さず、国家・国土の永遠の発展と、国家救済の究極の国民運動なのであります。しかるところ、こうした広範の国民運動は前代未聞の宗教革命とも云うべき実践活動であって、一人ひとりを三大秘法に帰伏せしめる折伏活動は、憲法違反には当たらないのは当然であります。

現在の憲法の第二十条には、信教の自由が謳われているのでありますが、この規定は、如何なる宗教、如何なる思想を弘めることも自由であり、また、それに反対する自由も保証されているのでありますが、そもそも宗教には正邪・浅深があって、現行憲法の定める信教の自由は、未だ国家が宗教の正邪・浅深が有ることを全く理解出来ていない段階での取り決めであります。したがって、浅井会長が指摘している如く、国家が宗教に正邪・浅深のあることを認識すれば、信教の自由を保証した現行憲法の取り決めは、廃止されるのは当然であります。

邪義班の坊主らが騒いでいる憲法改正問題は二の次、三の次の問題であり、大聖人様の御本願は、三大秘法を広宣流布することによって、始めて国家の安泰が実現することを御教示なのであります。

それにしても三大秘法の広宣流布は、難事中の大難事なのであります。しかしながら大難事の到達点の広宣流布の暁には、自然の流れとして国民大多数の賛同を得て、仏法の慈悲を根底にした憲法が作られることは理の当然であります。邪義班の坊主らが白眼視している憲法改正などは、自然と後からついてくる問題なのであります。

邪義班の坊主らは、肝心要の三大秘法を弘めることよりも、憲法改正問題を最大の難事業に挙げて「宗教次元を超えて憲法論議に進む愚論である。宗教者が法律改正に拘泥するなど愚の骨頂である」等と能天気な発言を繰り返し、半分諦めにも似た固定観念に縛られて、逃げ腰に構えているのでありますが、折伏活動をすることが、憲法改正運動に繋がるという飛躍した幻想を植え付ける事によって、邪義班の坊主らは、顕正会の宣揚する国立戒壇建立への折伏活動を妨害しているのであります。

邪義班の坊主らは「宗教者が法律改正に拘泥するなど愚の骨頂である」等と悟りきったような御高説を垂れておりますが、これは日和見主義者の体制翼賛に拘泥する堕落坊主の逃げ口上というものであります。

憲法改正問題は置くとしても、仮に現行憲法に不備があるならば、宗教者で有る無しに拘わらず、憲法改正に思いを致し、自らの立場で発言するのは当然の話であります。

それに致しましても御本仏大聖人様の御一生は、大難四ヵ度、小難数知れずの忍難慈勝の波乱に満ちた三十年の御化導であられました。まさに立宗から七年後の文応元年七月、執権北条時頼に対する立正安国論の奏進に始まり、御遷化直前の弘安五年十月の池上邸で最後の立正安国を講ぜられるまで、まさに立正安国論の実践に終わるといった、まことに尊い御一生であられました。

中でも人本尊開顕の書と謂われる開目抄に於かせられては「大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経を捨てて観教等について後生をごせよ、乃至、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ」等と鉄石の御決意をお示しになられ、巻末に至り勿体なくも「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」との御宣言は、まさしく日本民族を一人残らず根本から救い出ださんとの、末法下種の唯一人の御本仏様の心地を明かされた御文であられます。

それに比肩するは恐れ多い罰当たりの所行でありますが、現今の御本仏大聖人様の嫡流を自賛する正系門家、日蓮正宗の堕落僧の言説たるや目に余るものが有ります。

云く「我々は日本国民として遵法精神を堅持するとともに、宗教者としての襟度を持って布教に邁進すべきなのである」とは、あまりにもニヤケタ言説であります。いかにも小市民的な情けない堕落した逃げの態度以外何ものでもありません。このようなぶざまな体たらくは、御本仏大聖人様の終窮究竟の御本願たる、国立戒壇という大目的を永久放棄したが故の、広宣流布を忘れた無気力な罰の姿そのものであります。

法華経勧持品には「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に、未だ得ざるを得たりと謂い、我慢の心充満せん。或いは阿練若に納依にして空閑に在って自ら真の道を行ずと謂って人間を軽賤する者有らん」とありますが、この文は、まさしく現在の日蓮正宗の堕落した坊主らのことを言い当てている明文であります。

繰り返しますが「我々は日本国民として遵法精神を堅持するとともに、宗教者としての襟度を持って布教に邁進すべきなのである」などの世迷い事ごときは、体制順応の模範的国民を売りにしての発言と思われますが、そのような逃げの台詞は、かつての五老僧の流れを汲む諂いの心から出た、大欲不知足に塗れた職業坊主のいうセリフであって、決して富士門流の正宗僧侶の口にする言葉ではありません。信心の血脈が断絶すると、このように戯けた堕落した腐った信心が、体制の中で賞賛され、皆から持てはやされるようになるのであります。

正系門家に巣食う今日の職業坊主らが世間に諂い、誰よりも率先して三大秘法義を歪曲した揚句、国家を誤まらせた事実だけは拭い様がないのであります。

今日の日蓮正宗の坊主が折伏弘通に邁進し、苦悩に呻吟する多くの大衆を三大秘法を以て救済しようとする尊い姿は、ニセ戒壇正本堂以来、一度としてお目に掛かった試しがないことだけは、衆目の一致するところであります。

ここで尤もな確信的な事を申し上げれば、仮に、日蓮正宗の僧俗信徒が本気で信心を試みたところで、曲がった教義の繰り返しと実践では、誰一人として功徳を頂戴し、人生の究極の目的たる成仏の境涯を得る者は、皆無となってしまったのであります。

今日の宗門は、三大秘法義の歪曲から一切の功徳を失い、それに依って、目的と歓喜と感動を失い、無気力な信心の堕落がはじまりました。宗門七百年の宿願たる唯一の大目的とは、云うまでもなく三大秘法の国立戒壇であります。その国立戒壇を捨てたが故に、無目的と無気力の信心に陥っているのであります。目的を喪失した無気力と堕落と怠惰の信心は一切の功徳を消失し、爪の垢ほどの功徳も生じなくなりました。

今こそ、上代の御開山日興上人・日目上人の御教示と富士の源流を仰ぎつつ、第六十五世、日淳上人当時の国立戒壇を高々と宣揚する、富士の清流に急いで立ち返り、信心の血脈を一刻も早く回復すべきであります。

血脈抄に云く「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」と。亦新池御書に云く「人皆口には此の経を信じ手には経巻をにぎるといへども、教の心にそむく間・悪道免れ難し」と。また御妙判に云く、「かかる日蓮を敬ふとも、悪しく敬はば国亡ぶべし」と。





日蓮正宗の僧俗信徒は法華経を杖として反って堕獄する

2013年08月16日 08時41分28秒 | 亡国の坂道 
邪義破折班の「最後に申すべき事を砕破す」(P.36)には、悪坊主日顕が猊座を退く直前になって、全国の指導教師(住職)を本山に集めて「国立戒壇の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」の二冊の悪書に対する言い訳を、次のような己義を以って己の立場をどこまでも正当化しようと、懸命に被害者を装いながら、次期貫首に対する「国立戒壇」回帰を阻止するための楔を打ち込み、先代の日達管長の時代に取り決めた「国立戒壇」否定の宗門合意が末永く引き継がれることを目的に、全国教師指導会を開いて、これからも邪義を徹底して展開していくよう、正宗僧侶を間違った方向にミスリードしているのであります。

云く「日達上人の御指南を承りつつ、どうしてもやらざるをえなかったのが正本堂の意義付けということでありました。私は当時、教学部長をしていたものだから、結局、このことについて私がかくことになってしまい、これは全部正本堂に関係していることであり、その理由があって書いたのです。つまり正本堂の意義付けを含め、田中智学と瓜二つの浅井の考え方を破り、また本来のあり方を示しつつ、さらに創価学会の考え方の行き過ぎをやや訂正するというように、色々と複雑な内容で書いたわけであります」(大日蓮 平成16年11月号)と。

悪僧日顕が敢えてこの時期を選んで、全国の指導教師を集めて教師指導会を開催したかと申しますと、丁度この平成16年4月には、顕正会の浅井会長が日本国民に対して、一国諫暁書たる「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」を発刊し、日本全国津々浦々に至るまで、全顕正会員の手を通じて、この諫暁書が配布されたのであります。悪僧日顕はその衝撃と反響の大きさに驚き、居ても立っても居られなくなって、自らの立場を取り繕うためと浅井会長に対する対抗意識から、全国指導教師を急遽本山に集めて、件のごとき教師指導会を開催し、己の立場とニセ戒壇正本堂の意義付けなるものを仰々しく発表したのであります。

活字というものは恐ろしいもので誤魔化すことはできません。悪僧日顕は正本堂の建設当時には「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、初めてその実現の大光明を顕さんとしている」(大日蓮 昭和42年11月号)などと云った邪義を垂れ流していたのであります。

当時は強大な権力を手中におさめ、公明党を私兵として顎で使う池田大作に諂って、このような諛言を披瀝して、池田に対する胡麻すり三昧の日々を送っていたのであります。

悪僧日顕は未だに諂いの根性が抜け切れないのか、創価学会に対しては「創価学会の考え方をやや訂正するというように」などというに至っては、憤りを通り越して悲しみさえ覚えるのであります。創価学会池田大作こそが、御本仏大聖人様の終窮究竟の御本願たる、広宣流布の暁の本門寺の戒壇=国立戒壇を、学会の政治・選挙のために、宗門に強大な圧力を加えて、切れた草履をドブに捨てる如く、国立戒壇を永久放棄させた張本人なのであります。それを「創価学会の考え方をやや訂正するように」とは、未だに池田に対する諂いの根性が捨て切れない何よりの証拠であります。このような池田創価学会に対する未練がましい言い訳は、御本仏大聖人様を虚仮にするにも限度を超えています。これこそが、ご都合主義の典型ともいうべき諛言の最たるものであります。

また悪僧日顕のいう如く正本堂の意義付けに係わるインチキぶりについては先に示したとおりでありますが、ここで許せないのは、顕正会の浅井会長が展開する「国立戒壇論」は、国柱会の田中智学が創唱した国立戒壇と瓜二つという、悪僧日顕が言い出した邪説を粉砕しておく必要があります。

そもそも田中智学という人物は、かつて邪宗日蓮宗身延派の坊主だったのですが、途中で坊主を辞めて還俗し、明治十三年に蓮華会を設立、その後在家のみの仏教教団、日本国柱会を旗揚げしたのであります。そして明治十五年には、日蓮正宗の横浜久遠寺の本門講との間で筆戦による法論が行われる事になりました。これが後の「横浜問答」といわれるものであります。

この時、日蓮正宗第五十二世の日霑上人が法論の主席を務められたのです。田中智学は途中で法論に敗れ、宿舎を払って遁走を計り行方を晦ましています。それ以来、身を隠している間に彼は、秘かに日蓮正宗の独特の教義を深く学び、明治三十五年に著述した「本化妙宗式目」と後の「日蓮聖人の教義」なる著書の中で盛んに「国立戒壇」という正系門家七百年の宿願たる教義を盗んで、国立戒壇を叫ぶようになったのであります。

憚りながら顕正会の掲げる国立戒壇論は、御本仏大聖人様が仰せの「一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄でお示しの、本宗生粋の国立戒壇論であります。ところが悪僧日顕は、創価学会の池田大作に諂うあまり「顕正会の掲げる国立戒壇論を、田中智学と瓜二つの浅井の考え」などと、馬鹿げた事を云っていますが、顕正会の宣揚する国立戒壇論を破るというなら、悪僧日顕が宣伝する戒壇義は本宗の教義とは合い入れない、御本仏大聖人様仰せの戒壇義とは天地雲泥ほどの違いのある、まったく異質な戒壇義という事になるのであります。

御本仏大聖人様は開目抄に「智者に我が義破られずば用いじとなり。其の外の大難風の前の塵なるべし」と仰せであります。依って悪僧日顕の編み出した戒壇義なるものは、仏法破壊の魔の吟ずる邪義・邪説ということは今さら申すまでもありません。

それが所謂「国主立戒壇」なる馬鹿げた戒壇義であります。ここで悪僧日顕が云う「国主立」とは、国主たる民衆一人ひとりが建てる戒壇を指すのだそうです。悪僧日顕に言わせると、一期弘法付嘱書で仰せの「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」の御文は、今日の民主主義、主権在民の社会において、その意味を素直に解釈するならば「国主」とは「民衆一人一人」を指すなのだそうであります。

日顕の云く「社会の機構が変わって大聖人御在世の意味の国主は今日において民衆である。勅宣・御教書の意味を考えれば、それは信教の自由の制度下における建立の手続き則ち建築許可証の意味となる」(本門事の戒壇の本義)悪書。是れは、憲法を主として捉え、仏法を従として軽視した、摧尊入卑の最たるものであります。

大聖人様は摧尊入卑について斯く仰せであります。「尊を摧いて卑に入れ、概して平等ならしむ」云々。弘に云く「比丘の身と作って仏法を破滅す」と。まるで日顕の所行を言い当てているようです。

いずれにしても、勅宣・御教書を必要としない国家意思の表明の伴わない戒壇は、ニセ戒壇正本堂と変わらない、まやかしのニセ戒壇となるのであります。それにしても、直宣・御教書を、建築許可証などと云って除ける神経には驚きましたね。悪相日顕は、このようにして、三大秘法抄の御本仏大聖人様の御金言を、徹底して破壊してしまったのであります。

勅宣・御教書の意味が、単なる建築許可証であるならば、大聖人様はどうして本門戒壇を建立するに当たり「時を待つべきのみ、事の戒法と申すは是れなり」等と仰せられ、厳しく誠誡なされる必要があるのでしょうか!

話を田中智学の宣揚する戒壇義に戻すことにします。本宗第六十五世の日淳上人は「田中智学氏の『日蓮上人の教義』なる著書は、日蓮正宗の教義を盗んで書いたものであることは明白である」(興尊雪寃録)と仰せであります。

このように、国柱会の田中智学の方が日蓮正宗の教義を盗んで「国立戒壇論」を口真似したのは、歴史的事実なのであります。

その更なる証拠を挙げます。平成3年に破門された創価学会発行の「日蓮正宗創価学会批判を破す」にはこのようにあります。「じつに国立戒壇の建立こそは、第二祖日興上人にのみ御遺命になったのである。そしてその場所も、富士山と明白にご指示になっている」等と記されているのであります。

続けて「あらゆる正史料から、日蓮正宗のみが、大聖人の御遺命をうけて、富士山に事の戒壇(国立)を建立しようと、必死の努力を続けてきたことは明白になった。近頃は田中智学門流でも(本宗の国立戒壇を)囀っているではないか」などと、田中智学が日蓮正宗の教義を盗んで口真似をしている等と、国柱会の田中智学を批判しているのであります。

かつて日蓮正宗の信徒団体であった創価学会ですら、このように田中智学を批判していたのであります。それを有ろう事か、悪知識の悪僧日顕は『「国立戒壇」は田中智学の創唱である』などという有りもしない歴史をねつ造し、その猿真似をしているのが顕正会である。などというとんでもないことを言い出したのでありますが、もう一つの目的は、学会がニセ戒壇正本堂を建てて世間の「国立戒壇」に対する批判をかわそうとした目的を、悪相日顕が創価学会の邪義を助ける為に考えついた、学会擁護の最大の作り話なのであります。

元々唯授一人の血脈相承の存在しない身延派の坊主をやっていた田中智学が、どうして日蓮正宗の根本教義である「国立戒壇論」を叫ぶようになったのか、並みの常識人ならば、ここで大いに疑問を持って当然なのでありますが、悪僧日顕は、正宗信徒は盲信徒ばかりで、その上、無気力な僧俗信徒の寄せ集めということで、およそ世間では通用しないような狡猾な嘘をついて、不勉強の正宗信徒を騙し続けているのであります。

かつて華厳宗の澄観は、天台の一念三千の義を盗んで「華厳宗にこそ一念三千の義が説かれている」等と嘘をついて法華経を下し、華厳宗を大いに宣揚したのであります。後世の天台の末学は不勉強のあまり、悉く、この嘘に騙されて、天台宗から華厳宗に改宗した歴史と同じ轍を踏んで堕獄の道へ突き進んでいるのが、現在の日蓮正宗の僧俗信徒なのであります。

彼等は顕正会は、田中智学の弟子などと言って嘲笑っていますが、現今の法華講は悪僧日顕の構える邪義に染められ、御本仏大聖人様の流れを継承する、唯一の正系門家と云われた日蓮正宗は、今や日顕宗の汚名を着せられ、自らが所属している日蓮正宗のかつての清らかな清流を汚れた濁流にならしめたのであります。

依って、稀代の悪僧たる日顕の邪義に騙されて堕獄するのは、日蓮正宗の哀れな信徒なのであります。是れを称して、「法華経を杖として還って地獄に堕ちる」とは、今日の日蓮正宗に席をおく僧俗信徒の事をいうのであります。




一刻も早く国立戒壇の正義を取り戻さないと大変な事になる

2013年08月12日 18時19分42秒 | 亡国の坂道 
邪義破折班の「最後に申すべき事」を破す」(P.29)に云く「正本堂は、大聖人の御遺命にしてまた我々門下最大の願業である戒壇建立、広宣流布の弥々事実の上に於いて成就されることになるのであります」(院達944号・大日蓮 昭和40年10月号)と。

当時はこのような間違った院達が発布され、邪義が宗門を覆い尽くし、之に異を挟む者は袋叩きに遭うような仕打ちを受け、信徒資格を失うのは朝飯前のような情勢だったのであります。この院達では「正本堂は大聖人の御遺命」あるいは「広宣流布の成就」という虚言が大宣伝されている事実を振り返る時、時勢とはいえ、まことに恐ろしい時代だったのであります。

当時の日蓮正宗の信徒は、旧信徒と学会員の数を合わせても、たかだか800万人であります。その時の日本の総人口は、約1億2,500万人でしたから、人工の一割にも満たない、未だ入信に至らない謗法の人々の方が圧倒的に多かったのであります。大聖人様は如説修行抄に「権教権門の輩を一人もなく攻め落とせ」と仰せられ、その時が日本国の広宣流布だと御教示なのであります。

それであるのに「広宣流布の成就」あるいは「正本堂は大聖人の御遺命」などと大騒ぎをする。一体、誰に向かってそのような嘘八百を並べる必要があったのでしょうか、これ即ち「国立戒壇」を否定する目的と、言論問題に端を発した創価学会に対する世間の非難をかわすことに最大の目的があったのであります。

このような悪質な欺瞞と虚飾に満ちた虚言を先頭切って吹聴し、慰撫教導の名の下に純真な信徒を指導したのが今は亡き、あの悪僧日達と、未だに世に邪義・邪説を垂れ流しつづけている、日顕を名乗る如是相の険しい隠居坊主だったのであります。

大聖人様の御妙判には「十如是の中にも相如是第一の大事なり」との仰せが御座いますが、日達・日顕ごときの悪相は、御本仏大聖人様の御指摘が見事に当てはまる、世にも恐ろしい形相を現じているのでありますが、是れ大謗法による仏罰であります。

序でに申し上げれば、本山の奉安堂での御開扉のおりに信徒の入場が終わり、しばらくの静寂の中に、須弥壇の左右の両脇から薄墨色の袈裟を纏った僧侶の一団が入場して参ります時、僧侶の一人ひとりの顔を見るに、無目的、無気力、無感動の如是相をさらし、一人として、御本仏大聖人様の三大秘法を流布して、大衆を救済しようとする目的観を持った、魂の迸りを感じさせる富士の清流に浴された、凛とした品格を備えた僧侶は一人として見当たりません。

見るからに彼らは半分疲れたような、緊張感のない怠惰な風体をさらして眼は虚ろで死んでいます。このような僧侶には、正法を弘通を期待するどころか、一人の迷える信徒を教導する事すら出来ないのであります。是れ、御本仏大聖人様一期の御遺命たる国立戒壇、即ち宗門七百年の宿願を捨てたが故の仏罰であります。

唯一の正系門家と誇っていた宗門に、日達、日顕を名乗る二人の稀代の悪僧の出現により、宗門七百年の宿願たる「国立戒壇」は、創価学会の政治選挙のために弊履のごとく捨て去られ、ニセ戒壇正本堂が大聖人様の御遺命の戒壇とすり替えられてしまったのであります。

ニセ戒壇正本堂が建てられた昭和47年には、次のような驚くような邪義が、宗門一致の総意として、臆面もなく声高に叫ばれていたのであります。

云く「正本堂は三大秘法抄に予言されたとおりの相貌を具えた戒壇」などとして、悪僧日達をはじめ、宗門高僧が先を争うように邪義の大合唱を繰り返していたのであります。

悪僧日達の虚言には次のようにあります。「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」(大白蓮華 201号)と。何んという矛盾に満ちた御本仏大聖人に背反する曲言でありましょうか! 入信者の数はどうあれ、ニセ戒壇正本堂が完成しただけで広宣流布とは呆れましたね。日達管長はこの時期、正本堂を「事の戒壇」と偽ることで、創価学会がマスコミや日本共産党から追及される事態を、未然に阻止する役割を自ら買って出ていたのであります。

次に悪知識日顕の諛言には「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、初めてその実現の大光明を顕さんとしている」(大日蓮 昭和42年11月号)と。よくもまあ、ぬけぬけとこのような邪義が筆にできたものよ、と長嘆息路繰り返すばかりであります。

それにつづく佐藤慈英宗会議長の曲文「この正本堂建立こそは、三大秘法抄に示されたところの「事の戒法」の実現であり、百六箇抄に『日興嫡々相承の曼荼羅をもって本堂の正本尊となすべきなり』と御遺命遊ばされた大御本尊を御安置申し上げる最も重要な本門戒壇となるので御座います」(大日蓮 昭和42年11月号)と。

つづけて椎名法英宗会議員「『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ』との宗祖日蓮大聖人の御遺命が、いま正に実現されるのである。何たる歓喜、何たる法悦であろうか」(大日蓮 昭和42年11月号)と。

菅野慈雲宗会議員「正本堂建立は即ち事の戒壇であり、広宣流布を意味するものであります。この偉業こそ宗門有史以来の念願であり、大聖人の御遺命であり、日興上人より代々の御法主上人の御祈念せられて来た重大な念願であります」(大日蓮 昭和42年11月号)と。どうしたらこのような虚言を並べることができるのか、まさに「法師の皮を着たる畜生」とは、これらの諛言を吐く出家坊主のこと事を言われたものなのであります。

これらの目を覆うような諛言を指して「最後に申すべき事を砕破す」(P.29~30)に、邪義破折班の坊主によれば「この院達により宗門の広布前進への空気はいよいよ盛り上がった。その中において挙行された正本堂建立の発願式に参加された上からの御発言であり、複数の御僧侶と共に述べられたのである。それは、当時の宗門の広布実現を目指しての大前進の御配慮だったのである」として、邪義を振りまく坊主らの狂気の発言を、褒め称え正当化しているのでありますから、まことに空恐ろしいかぎりであります。

当時の正系門家・日蓮正宗の邪義坊主らの発言が発言なら、現在の邪義破折班の連中が発する邪義も同根であり、源は一所なのであります。御抄に云く「源濁れば流清からず」の御金言のとおりであります。それでいながら、出家坊主らは何時如何なる時でも、曲がったことは一切無く、常に正しく信徒を慰撫教導してきたなどと、自賛と自惚れで今日を迎えているのであるります。

付ける薬がないとはこの事であります。このような邪義に塗れた職業坊主を宗門から一人残らず駆逐しない限り、正系門家の濁りは永遠に回復しないのであります。このままでは、宗開両祖の目指された仏国土実現とは、それこそ夢物語で観念の世界の話で終わってしまうでしょう。

宗門は悪僧日達以来、邪義・邪説を垂れ流し続け「国立戒壇」は、まるで異端者の発言の如く白眼視されつづけておりますが「国立戒壇」に異を唱える者は、即刻、宗門追放すべきなのでありますが、それには上代の富士の源流を取り戻す、清き聖僧の出現を待つ以外にはありません。

今日の日蓮正宗の仏法違背は、かつての五老僧が犯した謗法の比どころではなく、三大秘法の根本教義に関わる大問題なのであります。昭和47年に建てられたニセ戒壇正本堂の建立は五老僧のそれとは、百千万倍も超過する悪行であります。あのニセ戒壇正本堂以来止まることを知らない邪義を展開していることに気が付く日の、一刻も早からんことを祈るのみであります。

建設から僅か26年にしてニセ戒壇たる正本堂は姿形もなく取り壊したとはいうものの、肝心要の三大秘法義の歪曲を一刻も早く正し、国立戒壇論に回帰しない限り、宗門も国家も月々年々に衰微し、いずれは亡国の憂き目をみることになります。







邪義破折班の、「最後に申すべき事」への反論を破す

2013年08月07日 14時59分12秒 | 亡国の坂道 
かつて顕正会の浅井会長は「最後に申すべき事」に、六十六世の悪僧日達と六十七世の日顕の二人の貫首が御本仏大聖人様の御遺命に背いて邪義・邪説を垂れ流したことに対して、下記のように指摘されていました。

云く「六十六世・細井日達管長がいかに己義を構えたかをみてみよう。それは、天を地と云うごとき自語相違を見れば明らかである。同管長は登座直後には、御遺命のままに正義を述べていたが、池田大作に諂うや忽ちに誑言を吐いている。例せば『国立戒壇』においても『富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である』(大白蓮華 昭和35年1月号)と。これは正論である。ところが忽ちに『国立戒壇は本宗の教義ではない』(大日蓮 昭和50年9月号)となる。

また『事の戒壇』についても『事の戒壇は富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は、広宣流布の時の国立の戒壇であります』(大日蓮 昭和36年5月号)と正論を述べていたのが後には『この(戒壇の)御本尊在すところは事の戒壇でございます。だからその御本尊が、たとえ御宝蔵にあっても、あるいは唯今奉安殿に安置し奉ってあっても、あるいは今正に出来んとする正本堂に安置し奉っても、その御本尊の在すところは何処・何方でも、そのところは即ち事の戒壇であります』(唱和45年4月27日 教師補任式)と変わる。これでは、いったいどちらを信じたらいいのだ。このように「法主」であっても魔が入れば仏法相違の己義を構えるのである」と、悪僧日達の展開する邪義を喝破されておられます。

その悪僧日達に続く悪僧日顕は、似非信徒の池田大作に諂う余り、かつてのニセ戒壇正本堂を指して次のような諛言を述べていました。云く「正本堂は宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、始めてその実現の大光明を顕さんとしている」(大日蓮 昭和42年11月号)等と。

今から考えると良くもまあ、このような邪義・諛言を臆面もなく筆にすることができたものよと、感心をとおり越して滑稽にさえ思えてきます。それから半世紀も経過した今頃になって、邪義破折班の坊主らの筆に掛かると邪僧日顕に対して、次のような諛言となって現われてくるのであります。

云く「おそれ多くも宗開両祖以来の血脈を承継遊ばされる御法主日顕上人猊下を悪し様に罵り、日蓮正宗の尊厳なる血脈法水を誹毀讒謗している。これ天人ともに許しがたい大逆行為である。よってかかる謗法の徒である貴殿浅井昭衛を、以後、汝と呼称する」「最後に申すべき事を砕破す」(P.1)などと。邪義破折班の坊主らが寄って集って、屁理屈にもならない言い訳をして、反撃に転じているのであります。

更に破折班の云く「教学部長を務められていた日顕上人の正本堂に関するご発言は、当時御仏意の上に広宣流布の時を御感遊ばされた日達上人の広布への前進を慰撫教導なされた御化導に基づくものであることはいうまでもない。すなわち、日顕上人のこの発言は、昭和49年9月の院達にもとづいたものなのである」同書(P.29)等と。

その院達によりますと「正本堂は、本門戒壇の大御本尊を奉安申し上げる清浄無比の大殿堂であり、このことは、大聖人の御遺命にして、また我々門下最大の願業である戒壇建立、広宣流布の弥々事実の上に於いて成就されることになるのであります」(院第944号・大日蓮 昭和40年10月号)と。

開いた口が塞がらないとはこの事です。そもそも院達自体が間違っているのであります。また、「広宣流布の時を御感遊ばされた日達上人の広布への前進を慰撫教導なされた御化導」とは、滑稽をとおり越して悲しくなって参ります。邪義班の坊主らは、悪僧日顕の戯言を引き合いに出して、能天気な認識を羅列しているのであります。

ニセ戒壇正本堂を指して「大聖人の御遺命にして、また我々門下最大の願業である戒壇建立、広宣流布の弥々事実の上に於いて成就される」などと言っていますが、このような邪義を展開しておきながら、これが慰撫教導とはね~、慰撫教導とは、慰め教導することを言うのでありますが、考えただけでも身体中に悪寒が走り、反吐が出るほど気色が悪くなるのであります。そればかりか、依然として邪義坊主らは、邪義を垂れ流して純真の信徒を迷わせた上に、不幸のどん底に突き落とした揚句、自らの無謬性ばかりを強調し、諂いを発した口を拭おうともしない図々しさには呆れるばかりであります。このような道念のない邪義坊主には、大聖人様の御眼が目に入らないため、いつまでも平然として邪義を垂れ流すのであります。

今、唯一の正系門家と云われる日蓮正宗の坊主らが、一山を上げて、上は六十六代の貫首職を継いだ日達管長から悪知識の日顕を先頭に、ニセ戒壇正本堂を大聖人の御遺命の「事の戒壇」の達成だとして大騒ぎをし、内には800万の純真の信徒を騙し、外には政府と、日本国家をも欺いたのであります。

それでいながらニセ戒壇正本堂を指して「御本仏大聖人様の御遺命の戒壇の実現」などとバカ騒ぎをしたのもつかの間、ニセ戒壇正本堂は、建設から僅か26年で崩壊に至ったとは云え、今日に至るも宗門は何等の反省も検証もなく、坊主らは何処まで行っても、当時の指導は慰撫教導だったとして、信徒の上に胡坐をかいているのだから始末が悪いのであります。これでも盲信徒は猊下様は有難い、御住職さまは有難い等と諂って、供養に励み邪僧に対する身伏随従を、言外に強要されるのですから哀れという以外に言葉もありません。

ところが何を思い付いたのか、今頃になって「国立戒壇」という戒壇義は、明治以前には存在しなかった。「そもそも国立戒壇は、国柱会の田中智学が創唱したもので、国立戒壇なる戒壇義は本来日蓮正宗の教義ではない」等と言い出したのでありますが、このような邪義には驚くほかありません。悪僧日達は、妙信講を欺き世間に諂うために「国立戒壇は本宗の教義ではない」等と前言を翻して豹変したのですが、続く悪僧日顕は「国立戒壇は田中智学が言い出した」等と、これまた顕正会を攻撃するために、突如として言い出したのが始まりであります。これらの邪義こそ、御本仏大聖人様に対し奉る最大の冒涜であります。

このような邪義は、かつて中國の天台大師が創唱した一念三千の義を、華厳宗の澄観や真言宗の善無畏三蔵が盗んで「一念三千の義は元々華厳経に説かれている。あるいは真言宗の大日経に説かれているもので、後に説かれ法華経には一念三千という義は存在しなかった」などと言って、天台宗の末学はこの邪説に飛びついて華厳宗や真言宗に進んで同調し改宗した者が多くいたのです。後の天台の末学たちはそうした邪義に、悉く騙された構図と瓜二つであります。

いま、宗門の中で「国立戒壇」を否定して之を笑う者は、華厳の澄観や真言の善無畏に騙された天台の末学の流れを汲む、極楽トンボと何等変わらない。笑うべきは彼等の無知蒙昧を笑うべきなのであります。

その事を大聖人様は「墓ないかな天台の末学等、華厳・真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて、還って彼らが弟子と成りぬ」(観心本尊抄)と仰せられています。

また本宗第六十五世を継がれた日淳上人は「田中智学氏の『日蓮上人の教義』なる著書は、日蓮正宗の教義を盗んで書いたものであることは明白である。ただ本尊段において佐渡始顕の本尊を立てをるのは、日蓮正宗に何かと対抗せんとの窮余の考えからである」と喝破せられているのであります。

彼の創価学会ですら、かつては次のような正論を展開していたのであります。

云く「じつに、国立戒壇の建立こそは、第二祖日興上人のみに御遺命になったのである。そして、その場所も、富士山と明白に御指示になっている。また、あらゆる正史料から、日蓮正宗のみが、大聖人の御遺命を受けて、富士山に事の戒壇(国立)を建立しようと、必死の努力を続けてきた事は明白になった。近ごろは田中智学の門流でさえも、(国立戒壇)を囀っているではないか」(大白蓮華 昭和32年9月号)と。

また「田中智学は、三大秘法抄の『霊山浄土に似たらん最勝の地』とは、正しく富士山であることを決定している。もし各宗派が三大秘法抄と富士戒壇を容認するならば、それは日蓮門下にとって、一つの進歩といえるであろう。しかし、所詮は田中智学のごとく、富士大石寺の本門戒壇の大御本尊を知らないために、邪義に陥っている(同号)と。

今宗門に在って、国立戒壇は国柱会の田中智学の創唱であって、顕正会はその猿マネをしている等と笑う者は、御本仏大聖人様の弟子ではなく、須らく田中智学の弟子になったという事であります。是れを称して信心の血脈の断絶と云うのであります。信心の血脈が断絶するところには一切の功徳は生じないのであります。今日の日蓮正宗の信心がまさしくそれを立証しているのであります。

生死一大事血脈抄に云く「謗法不信の者は「即断一切世間仏種」とて、仏に成るべき種子を断絶するが故に生死一大事の血脈之無きなり」と。亦云く「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」と仰せであります。国立戒壇は、田中智学の創唱などという、卑劣極まる虚偽と邪義を垂れ流す、悪僧日顕の所行こそ、徹底して糾弾し追及し弾劾されるべきであります。

大聖人様から二祖日興上人へ下された一期弘法付嘱書には「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」あるいは、三大秘法抄の「勅宣並びに御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて云々」の御文こそ「国立戒壇を建立して、日本国を仏国土にすべし」と勧奨遊ばされていることは文によって明らかであります。是れこそが、御本仏大聖人様の究竟の御願業なのであります。

明治以前の貫主の説法や書き物の中に国立戒壇の四文字の字句が存在しないからとして「国立戒壇」を否定する者は、依義判文という仏家の習い、その通軌を弁えなければならないのであります。

例えば、法華経の中には「一念三千」という語句は存在しないのでありますが、人間の生命の刹那の変転、すなわち、生命が一瞬の刹那の瞬間に外界の縁に触れて様々に、地獄界から仏界までに変転する活動する様を、天台大師は「一念三千」と名づけました。是れ、天台一人の己証であります。是れを天台の邪義と非難する者は何処にも存在しません。

また日寛上人は大聖人様の三大秘法を説明する上で、人の本尊・法の本尊を表現するなかで「人法体一」と名づけられました。是れを日寛上人の己義などと云う者は何処にもいないのであります。

即ち、一期弘法付嘱書および三大秘法抄の文の中には、厳然と国立戒壇の義が明確に示されているのであります。したがって、これらの文の中に義のあるところ、自ずから名が付されるのは当然であります。このように広宣流布の暁に建立される本門寺の戒壇は、日本国という国家の意志の本に国家的に建立される戒壇なる故に「国立戒壇」と称するのであります。その時建立される国立戒壇の大利益は国家そのものが防非止悪の力用に依って今日の様々な凶悪犯罪は雲散霧消し、年々繰り返される悲惨な三災七難から解放され、五風十雨といわれる五日に一度爽やかな風が吹き、十日に一度、しとしとと雨が降るといった夢のような仏国土が初めて顕現するのであります。

是れこそが、立正安国論で仰せの実践の果実であります。此の国立戒壇の秘術を立正安国論で「然れば則ち、三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや。十方は悉く宝土なり。宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く、土に破壊無くんば、身は是れ安全にして、心は是れ禅定ならん」と仰せられるのであります。なんと素晴らしい広大無辺の大利益ではありませんか。

故に第二十六世日寛上人は「事の戒壇とは、すなわち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり」と仰せられ、御相承を引いて云く『日蓮一期の弘法乃至国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』云々(報恩抄文段)と、御教示であります。

今さら申すまでもなく「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」とは、広宣流布の暁の、国立戒壇のことなのであります。


山門入口の妄言と国立戒壇永久放棄の罪過

2013年08月01日 18時35分19秒 | 亡国の坂道 
「星界の道~航海中」と題するブログを書いている「山門入口」を名乗る顕正会崩れ思しき法華講員が、横着にも拙者の書き込みに難癖を付けに来たので、お灸を饐えておきます。

山門入口の云く「日蓮正宗では、時代にそぐわない表現だからとの判断で、国立戒壇の名称を使用しなくなっただけであり、本来の「本門の戒壇」「本門寺の戒壇」と名称を戻しただけである」等と。

これこそがバカの骨頂であります。御本仏大聖人様は広宣流布の暁に富士山麓の最勝の地たる、天生原に本門寺の戒壇=国立戒壇を建てて、日本国を仏国にすることが究竟の御本願であることは、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄に明確に御教示であります。山門入口なる者は顕正会で何を学んだというのでしょうか、顕正会こそが、妙信講発足以来終始一貫して国立戒壇を叫ぶが故に、死罪ともいうべき講中解散処分を受けた、唯一の団体であったことも理解できないでいたとは呆れてしまいます。世間には、「明き盲」なる他人を蔑称する例え話がありますが、このような例え話は彼の為に存在するような例示だと思われます。

山門入口ごときは悪僧日達・日顕等の尻馬に乗って、御本仏大聖人様の御本願であられる、広宣流布の暁の「国立戒壇」を、知ったかぶりして小ばかにし、生意気にも嘲笑っておりますが、然らば山門入口の言う、本来の「本門の戒壇」「本門寺の戒壇」なる戒壇は、如何なる性質の戒壇なのか、何時、如何なる手続きによって、如何なる方の発願によって、如何なる場所に建立されるべきものなのか等々、明確に示すべきなのであります。

それを山門入口なる者は「時代にそぐわなくなった」という理由で「国立戒壇」を放棄したなどと自らのブログで宣伝しておりますが、このような屁理屈は、六十六代目の日達管長が池田大作に媚を売って、創価学会の選挙を勝たせるためと、世間の国立戒壇に対する批判をかわすために、取って付けたように言い出した悪質な詭弁なのであります。山門入口ごときは調子に乗って、それを受け売りしながら、一人でしたり顔しているのであります。

宗門七百年の宿願たる国立戒壇は、政治野心に燃える創価学会の選挙のために、似非信徒の池田大作から、強引に捨てさせられたのが真相なのであります。

そもそも正系門家の貫首からして「国立戒壇」に関する意義と認識がこの程度のものでしかないから、顕正会を退転して宗門に鞍替えした法華講を名乗る山門入口ごときが、御本仏大聖人様の究竟の御本願を正しく理解できないのも当然かも知れません。

それはさて置き悪僧日達は、信徒団体の創価学会と世間に諂って、御本仏大聖人様の一期の御遺命を金で売り渡すことになるのでありますが、こんな出来の悪い悪僧が日蓮正宗の貫首職に就いたということは、宗門に取っても、日本国にとっても取り返しのつかない不幸の始まりであり、甚大な損失でありました。

世間の風評や風当たりを気にして、アメリカから押し付けられた現行義憲法に、国民主権主義が謳われていると言って「主権在民だから国主は民衆だ」等と、有頂天になって国立戒壇を否定し、三大秘法義を破壊して、平然としているのが、今日の日蓮正宗の坊主なのであります。

また、日本国の本有の国主である天皇の権威を貶めるために、主権在民だから「国主」は民衆一人ひとりなどと言い張って恥じる事を知らない。このような間違った考えこそが、戦後の左翼思想に錯倒した戦後民主主義者の典型ともいうべき忌むべき思想なのであります。

「国立戒壇」ということが、どうして時代のそぐわなくなったのか? その明確な理由を示すこともできないで「時代にそぐわなくなった」といえば、恰も民主主義を先取りしたようで、耳障りが良いから大衆受けをする。そこに大きな落とし穴があるのであります。その典型が「勅宣・御教書」の意を「時代にそぐわなくなった」との理由で「建築許可証」などと歪曲する。このバカげた解釈が、御本仏日蓮大聖人に背反する大謗法の所行なのであります。

また「時代にそぐわなくなった」という理由で「国立戒壇」を否定することは、邪教と肩を並べ、立正安国論の仰せを否定することに通ずることになるのであります。いま「国立戒壇」を否定することは、御本仏大聖人を否定することは云うにおよばず、国家永遠の大計治術と広宣流布の暁の国家が防非止悪の当体となる御本尊の及ぼす甚深の秘術を否定することになるのであります。

「国立戒壇」の意義を少しく説明するならば、大聖人様は種々御振舞抄に、開目抄の意を解説されて云く「去年(こぞ)の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり。頸切るるならば日蓮が不思議とどめんと思いて勘えたり。此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければたもたず、人に魂なければ死人(しびと)なり。日蓮は日本の人の魂なり」と。
即ちこの元意は、御本仏大聖人様は自らを日本国の魂であると仰せ下さり、大聖人様を国家の柱として立てるか、立てないか。すなわち、国立戒壇を建てて戒壇の大御本尊を国家的に尊崇するか、しないかで、日本国の存亡が決すると仰せなのであります。

そんな重大な大聖人様の仰せが耳に入らないのか、あるいは理解が及ばないのか、やれ民主主義だ、国民主権主義だと大騒ぎをした揚句「国立戒壇」は時代にそぐわなくなったから永久に捨てるとは、為にする世間への諂いであり、これを、軽佻浮薄の最たる愚行というのであります。

広宣流布の暁に国家の意思表明を以って、大聖人様の御魂である戒壇の大御本尊を国立戒壇に奉安することによって、日本国の魂は戒壇の御本尊となるのであります。御本仏を魂とする日本国は、即仏国であります。この原理を端的に「日蓮は日本の人の魂なり」と仰せられているのであります。

安国論に仰せの「仏国其れ衰えんや、十方は悉く宝土なり、宝土なんぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無くんば、身は安全にして心は是れ禅定ならん」の仰せがその事を指しているのであります。

いま、此処で立正安国論で仰せの、正法治国・邪法乱国の三世を貫く不滅の原理と国立戒壇の防非止悪の妙用と力用の広大無辺の御利益を説明したところで、理解の及ぶ者は皆無だと思われますが、その広大甚遠の御利益は、個々人に於いては現当二世の安穏は勿論の事、国家永遠の安泰はいうにおよばず、中國・印度さらには、全世界の人々の懺悔滅罪の戒壇となり、天界即ち自然界にも利益が及ぶと仰せなのであります。

即ち、自然界にも利益が及ぶとは、毎年のように繰り返される台風や水害等の災害から解放されるということであります。その事を三大秘法抄に「三国並びに一閻浮堤の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給うべき戒壇なり」と御教示なのであります。

ところがその御本仏の意に反して、国立戒壇に悪念を懐き反対する者の国土世間は、御開山日興上人が御指摘の如く「所詮、末法に入って法華本門を建てられざるの間は、国土の災難日に随って増長し、自他の叛逆歳を逐うて蜂起せん」との仰せが、月々年々現実のものとなりつつあるのであります。

最近の自然災害を挙げるまでもなく、今年のゲリラ豪雨と大旱魃は、山口、島根、福島、新潟等の大豪雨に反して、沖縄、奄美、九州宮崎等の無残な大旱魃は近年にない大惨事であります。是れ、安国論で仰せの魔鬼来乱の為せる災いであります。また、国際社会に目を転ずれば、隣国の中國や、韓国からは、毎年のように歴史認識や慰安婦問題を持ち出された上に、日本固有の領土である尖閣諸島の侵略は風前の灯と化し、竹島は武力で不法に略奪されて執拗な攻撃を受け、民族の自尊心は徹底的に侮蔑されたまま歴史認識を逆手に取られて貶められ、逆に嘲りをうけています。

昨今も、韓国から浴びせられる卑劣な侮蔑はスポーツの世界にまで持ち込まれ「歴史を忘れた民族には未来はない」等と大書した横断幕がサッカー場に掲げられたり、アメリカ、ロス郊外のグレンデル公園には、あの忌まわしい慰安婦像が設置され、歴史を歪曲して日本の過去をあげつらってそれを槍玉に挙げ、アメリカ全土にこれ等の慰安婦像を数十カ所も設置する計画を発表する等、日本民族を徹底して侮辱し貶めようとしています。

是れ唯一の正系門家が、御本仏大聖人様の御本願たる、三大秘法抄で仰せの本門寺の戒壇=国立戒壇を永久放棄したが故の仏罰であります。然るところ、これ等の終わりのない国難とも云える災いは、如何に、政治・外交の最善を尽くしても、決して解決はしないのであります。まさしく「災いを千里の果てより招き寄せる」の御本仏の戒文が事相となって参りました。やがて国立戒壇永久放棄の大悪事は、早晩国家の存立をも危うくする事態を迎えるのは明らかなのであります。

いま、日本国がこれ等の降りかかる諸問題を根本的に解決するには、御本仏大聖人様の唯一の御本願たる、国立戒壇の正義を速やかに取り戻し、五体投地の深い懺悔と共に正宗僧俗全信徒が一決して国立戒壇の旗を高らかに掲げて国家を諫暁し、正しく三大秘法の弘通に専念する以外には、絶対に解決の道はないのであります。

六十六代の日達管長と六十七代の日顕管長の二人は、似非信徒団体の池田大作に諂って世間に迎合する余り、大聖人一期の御遺命である「国立戒壇」を「民衆立」あるいは、「国主立」等という造語をもって御遺命を破壊したのであります。また、悪知識の権化とも云うべき悪僧日顕は、三大秘法抄の文々句々を悉く捩じ曲げて、末法弘通の大白法たる三大秘法を徹頭徹尾破壊したのであります。

また悪僧日顕は日本国の「王法」を指して「あらゆる社会の原理」などと嘯いていますが「王法」とは、一言でいうなら一国の政治を指すのであって、広義には国家主権のことを云うのでありますが、その国家主権も国立戒壇永久放棄によって、今や隣国より著しい嘲りを受ける結果を招いているのであります。

四十九院申状に云く「夫れ仏法は王法の崇尊に依って威を増し、王法は仏法の擁護に依って長久す」とは是れであります。

悪僧日達が「時代にそぐわなくなった」との理由で「国立戒壇」を永久放棄して、ニセ戒壇正本堂を「広宣流布の事の戒壇」と呼ぶ牽強付会と、悪僧日顕が「勅宣・御教書」を「建築許可証」等とするたばかりも同根から出た邪義なのであります。大聖人様の一期の大事の御遺命がこのような形で破壊されるとは、誰人も予想できなかったとは云え、一山を代表する貫首が、御本仏大聖人様の三大秘法義を曲げることに依って、今日の日蓮正宗は一切の功徳を失い、国威まで喪失してしまったのであります。

大聖人様の仰せに云く「仏法ようやく転動しければ世間も亦濁乱せり、仏法は体の如し、世間は影の如し、体曲がれば影斜めなり」と。亦云く「源濁れば流れ清からず」と。更に云く「根本滅するにおいて豈枝葉栄えんや」との仰せを今こそ深く味わうべきであります。

根本とは三大秘法であり、枝葉とは、政治・経済等一切の治生産業のことであります。

故に減劫御書に云く「一切世間の治生産業は皆実相と相ひ違背せず」と仰せられるのであります。

現今の宗門が「国立戒壇」を否定して、ニセ戒壇正本堂を「広宣流布の事の戒壇」と宣伝した後、事相の広宣流布の暁に建てられる「本門戒壇」とは、如何なる戒壇なのでしょうか? 国家とは一切関わりのない無関係の戒壇とは、ニセ戒壇正本堂のような戒壇になるのは目に見えています。このような戒壇では、国家・国土を成仏せしめる戒壇どころか、一人の成仏も叶わない戒壇となるのであります。

そもそも宗門七百年の唯一の宿願たる、国立戒壇を永久放棄した今日の宗門には、新たに戒壇を建てようとする気力そのものが失われている故に、そのような心配はナンセンスかもしれません。要するに間違った教義を展開する中では、折伏そのものが一切出来なくなるばかりか、間違った教義の展開は大聖人様が決してお許しにならないのであります。

故に、平成27年の日興上人御誕生七百七十年の佳節に合わせた法華講員50%増と、平成33年の大聖人様御誕生の八百遠忌に、法華講員80万人体勢にするとの折伏目標も、絶対に実現できない絵に描いた餅で終わるのであります。

いずれにしても、国家意思の表明のない国家と無関係に建てた戒壇では、仏国は決して実現しないのであります。そのような戒壇は所詮、かつての正本堂と同じ意味合いのニセ戒壇ということになるのであって、そんな建物を立てるのに大聖人様はどうして「時を待つべきのみ」と仰せられる理由があるのでしょうか、平仄が合わないとはこの事であります。

山門入口の続けて云く「広宣流布は、時の法主の判断に従うのが、日蓮正宗信徒のとる姿である」などと。

脱線するにしても限度を弁えなければならなりません。「国立戒壇」は御本仏大聖人の究竟の御本願なのであります。それを、「時の法主の判断に従うのが、日蓮正宗信徒のとる姿である」とは呆れましたね。信徒がそのように無能にして無気力な体たらくだから、邪義坊主に舐められるのであります。

そもそも「広宣流布は、時の法主の判断に従うのが、日蓮正宗信徒のとる姿である」等と言い出したのは、悪僧日顕が、貫首の権威に箔を付けようとする魂胆以外にはないのであります。そんなバカげたことがまかり通るなら、貫首の気まぐれで何時だって、広宣流布の宣言ができてしまう。裏を返せば、信徒は盲で良い。ただ黙って供養に励めばお利口さん。ということになってしまうのであります。

出家坊主のそのような狡猾に目をつむり、盲信徒の山門入口らがそれを有りがたがって、坊主の垂れ流す邪義を無批判に受け売りしているだけだから、今日の法華講は邪義を振りまく禿人からバカにされるのであります。法華講にはこのような無能な盲信徒しかいないから、禿人が己の邪義をいつまでも改めることもなく、どこまでも邪義を垂れ流して平然と構えているのであります。