亡国の坂道

日蓮大聖人の云く、「仏法漸く転動しければ世間も又濁乱せり、仏法は体の如し、世間は影の如し、体曲がれば影斜めなり」と。

日達管長の二枚舌

2013年10月29日 13時17分45秒 | 亡国の坂道 
御開山日興上人の遺誡置文の中に「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」との有名な一条があります。

彼の日達管長は、国立戒壇の御遺命を永久放棄す以前には、上記の置文を次のような正しい解釈をしていたのであります。

云く「後世の総本山の代表たる貫首であっても大聖人の仏法に相違して自分勝手な説を立てて固執するならば、その説は勿論、その貫首を用いてはならない。日興上人は大聖人の仏法を守るためには、かくの如く実に厳格であったのである」と。

ところがその後日達管長は、ニセ戒壇正本堂を指して広宣流布の「事の戒壇」などと大宣伝を始めたため、顕正会の浅井会長にその邪義を諌められ、自らの邪説が露見するや、破廉恥にも遺誡置文の文意を次のように曲げて解釈し、平然と大聖人様の仏法を曲げてしまったのであります。

云く「時の貫首とは、その宗の頭、即ち現在の管長であり法主である。管長であるから宗門を運営するに当って、誰を採用し、任用してもよいのであるが、大聖人の仏法に違背して自分勝手な説を立て、しかも注意されても改めない人を用いてはならない。つまり、時の貫首の権限を示されているのである」(置文講義録 昭和47年7月30日)と変更してしまいました。

上掲の二通りの解釈はとても同一人物のものとは思えない破廉恥なものであります。佐渡抄に云く、「外道悪人は如来の正法破りがたし、仏弟子等必ず仏法を破るべし、師子身中の獅子を食む等云々」と。

大聖人様はここで「仏弟子等必ず仏法を破るべし」と仰せでありますが、邪義を振りまく者は仏弟子とは呼ばないのであります。邪義に染まった坊主に於いては仏法を護るも破るも有りません。邪義は何処までいっても、邪義に変わりはないのであります。

大切なことは、正系門家の僧侶が必ず仏法を破ると仰せられているのであります。正系門家の僧侶とは、日蓮正宗の僧侶の事であります。その僧侶の頭が先頭を切って、三大秘法抄の戒壇義を破壊し、御開山日興上人の遺誡置文の文意を破壊したのであります。故にこれを称して、悪坊主と呼ぶのであります。




邪義破折班の坊主と日顕を正系門家から追放せよ!

2013年10月27日 05時22分48秒 | 亡国の坂道 
邪義班の「最後に申すべき事を砕破す」(P.39~40)に云く「二書について述べられた内容は、正本堂について、当時のみに限られた意味が存しているのであり、これについては当時四悉壇の上からの慰撫教導としての正しい意義が存したのであるが-----正本堂が撤去された現在となっては、その意義を論ずることは無意味なのである」などと。

つづけて(P.40)に日顕の云く『昭和47年の「国立戒壇の誤りについて」と昭和51年の「本門事の戒壇の本義」は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこにはたしかに、戒壇の建物は広布以前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物を想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども、これはあくまでも、正本堂の意義を「三大秘法抄」の戒壇に作り上げようとした創価学会の背景によらざるをえなかったのです。つまり、あの二書は正本堂が出来る時と、出来たあとだったが、浅井の色々な問題に対処することも含めているわけで、強いて言えば全部、正本堂そのものに関してのことなのであります。そういうことですから、正本堂がなくなった現在、その意義について論ずることは、はっきり言って、全くの空論であると言ってよいと思います』(大日蓮 平成16年12月号)などと。

何んという詐話師的言辞であろうか、悪僧日顕らは言訳をする際に必ず四悉壇を持ち出し、読者を煙に巻いて自らに都合の良い事だけを並べ立てて、幕引きを計ろうと懸命の様子だが卑劣とはこのことであります。何が「正本堂が撤去された現在となっては、その意義を論ずることは無意味であり、全くの空論」とは、何んという手前勝手な独善的な言い草でありましょうか。正本堂を取り壊した後は、何を言っても空論の一言で言論を封じてしまう。このような独り善がりが世間でまかり通ると考えているような狡猾で不真面目な神経は、出家坊主が無辜の信徒を騙す時につかう特有の救い難い言い逃れ以外には言葉もありません。

大体このような出家坊主は自らが額に汗して浄財を得る働きもせず、須らく信徒の供養に胡坐を掻いて、袈裟の権威を振りかざしながら太平楽を漕いで、ただ飯を食らってきた者にしか言えない悪質極まりない暴言なのであります。

正本堂を建てる時には、筆に口に大掛かりな鳴り物入りで大騒をぎしながら募財を煽り立て、正本堂を破壊する時も信徒の莫大な浄財を用いて撤去している。それでいながら、正本堂が撤去された現在となっては、その意義を論ずることは全くの空論」などと開き直っているのであります。開いた口も塞がらないとはこの事です。こんな身勝手な言訳は良識を問われる一般社会では一切通用しないということであります。

こんな卑怯な態度で逃げを打って、ニセ戒壇正本堂の一切の幕引きを計ろうとしていますが、それが通用する社会とは、日蓮正宗という教団では常識の世界なのかも知れません。

つづけて「今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども、これはあくまでも、正本堂の意義を「三大秘法抄」の戒壇に作り上げようとした創価学会の背景によらざるをえなかったのです」とは恐れ入りました。

こんな言い草は決して通用しません。これではまるで信徒団体の創価学会に全ての責任があるような言い方ではないか! 信徒が間違いを犯した時には、僧侶が善導しなければならないのは云うまでもないことです。それが今になれば一切の責任を創価学会になすりつけて、宗門は恰も被害者の顔をして言い訳ばかりに終始している。卑劣とはこの事であります。

このような卑劣極まる言辞が通用すると思い上がっているのは悪僧日顕だけで、良識ある信徒には一切通じないのであります。ましてや、御本仏大聖人様においておや、悪僧日顕にはどだい信心の一欠けらもないから、大聖人様の御眼が己の目に入らないのであります。

そもそも二書についての執筆の発端も「国立戒壇」を否定するために「池田大作の強力な要請によって、学会の法律家グループの示唆に基づき、現行憲法の主権在民の規定に諂って日顕が書いた」と、山崎正友が自らの著書(盗聴教団)で暴露していますが、日顕は明らかに嘘を付いているのであります。そのあくどい嘘に邪義班の坊主らが先を争って、悪僧日顕に便乗しているのであります。

日顕は二書の中で、三大秘法抄の王臣一同について「この王臣一同ということであるが、現代では、民衆が王であるとともに臣である。ゆえに『民衆一同』と読むのが、今日では正しいのである」としています。

これ、信徒団体の池田大作の主張に諂った言辞の見本であります。池田大作は、昭和45年5月の総会で下記のような発言をいしています。

云く「仏法でいう王とは、全民衆・全社会を包含した内容であり、もはや、国王を指すのでもなければ国家権力でもない。現代的にいえば、政治・教育・文化等、社会全般のことを指すと考えるべきでありましょう。主権在民の現代は、民衆が王であり、社会が王なのであります」(大白蓮華 昭和45年5月号)と。

池田大作と日顕の国家観は瓜二つであります。この二人の国家観は、現行憲法の国民主権主義の規定に迎合して諂った解釈ではないか! 後年世間の物笑いとなること請け合いです。

日顕は御本仏大聖人様の御金言を曲会して、王臣一同を民衆一同などと解釈し、自らの幼稚な意見を開陳していますが、王とは、国の最高権力者のことであり、臣とは、王に仕え国政の衝に当る大臣をいうのであります。したがって悪僧日顕の謎言は、憲法の国民主権主義に悪乗りし、信徒の池田に諂った幼稚な解釈の見本であります。

つづけて悪坊主日顕の云く「今日においては、もはや大聖人の時代におけるような勅宣はあり得ない。また、当然御教書もない。したがって、現在もなお、こうした古い時代の形式に固執し、戒壇の本意を失うことがあるとすれば、それは誤りと言うべきである。----それでは現代に於いては、この「勅宣並びに御教書」は、どのように考えるべきか。結論から言えば、そうした文書は現代ではあり得ないし、必要ないのである。消極的意味からすれば、先の比叡山の例から考え合わせて、一宗としての正統かつ独自の主体性を獲得せんがためと解する事が出来る。これは既に現憲法の信教の自由の保証によって実現されていると見てよい」(国立戒壇の誤りについて)などと。

見事な曲会と諂いであり、教義歪曲の典型であります。佐渡御書には「外道・悪人は如来の正法破りがたし、仏弟子等必ず破るべし、師子身中の虫獅子を食む」との誠誡がありますが、正系門家の中に在って、御本仏の一期の御遺命を破壊する獅子身中の虫とは、悪僧日顕たること疑う余地もない証拠であります。

また「今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども」などと、言訳にもならない屁理屈でありますが、このような大謗法が「言い過ぎ」とか「はみ出し」で事がすむなら、法然の「捨・閉・閣・抛」も、弘法の「第三戯論」も、自覚・智勝の「理同事勝」も、言い過ぎ、はみ出しで事が済んでしまうのであります。このようなふざけた言訳で罪を逃れようとしても、仏法の厳しい網を潜り抜けることは絶対に不可能なのであります。願わくば、悪僧の堕獄の相を是非とも見届けたいものであります。

悪坊主日顕は現行憲法の信教の自由の規定に悪乗りして、広宣流布の暁の戒壇建立は邪教と肩を並べて並存するかの如く吹聴していますが、この悪僧には邪法乱国・正法治国の意味がまるで理解できていないのであります。大聖人様は「権教権門の輩を一人もなく攻め落とせ」あるいは「諸教は無得道堕地獄の根源、妙法一人成仏の法なりと声も惜しまず呼ばわり給え」との仰せがまるで理解できていないのであります。

広宣流布とは、邪教の存在を一切許さない妙法一人繁盛する厳正な国清める世界なのであります。

御本仏大聖人様の嫡流を自認する正系門家の日蓮正宗は、あのニセ戒壇たる正本堂は取り壊したものの、依然として教義歪曲はニセ戒壇正本堂以来、国立戒壇を永久放棄して曲がったまま、無気力な養老集団と成り果ててしまったのであります。

これは宗門七百年の唯一の宿願としてきた国立戒壇を永久放棄したが故の、仏罰であります。依って、今日の日蓮正宗の信心には爪の垢ほどの功徳もなく、一人の成仏を遂げる者も居なくなってしまったのであります。是れ一切が出家坊主の罪であり責任であります。





末法万年の総貫首とは御開山日興上人のことだ

2013年10月26日 18時50分46秒 | 亡国の坂道 
ICHRO君の続けて云く「まずは君が、先にスルーした質問を再掲する。広宣流布には三義がある。それぞれの意味を答えて頂いてから、上記文書について見解を示そう」などと。

拙者はICHRO君の仰せどおり広宣流布には三義があるとは考えていません。広宣流布は大きく分けて①法体の広宣流布、これを逆縁の広宣流布と云います。②順縁の広宣流布、これを化儀の広宣流布と呼ぶのであります。

ただICHRO君の云う広宣流布の三義なるものは、①800万人の入信で広宣流布。②舎衛の三億で広宣流布。③流行の広宣流布の三つではないのでしょうか? かつて悪僧日達は、昭和40年当時、池田大作との漫才で「私がすでに広宣流布していると言ったら、会長先生はそうです。舎衛の三億です。この見識に感嘆したのである」(大白蓮華 昭和39年1月号)とありますが、これは①②でいう処の広宣流布を意味しているようです。

事実、悪僧日達は「日本国の三分の一以上の人が本門の戒壇御本尊に、純真なしかも確実な信心をもって、本門の題目・南無妙法蓮華経を異口同音に唱える事ができた時、その時こそ、日本一国は広宣流布したと申し上げるべきである」(大日蓮 50年1月号)などと邪説を展開しています。その後、この邪説が通用しなくなると、池田大作の邪説に便乗して「広宣流布は終着点のない流れ自体」即ち、③の流行の広宣流布。(大白蓮華 昭和45年1月号)という新説邪義を発表するに至るのであります。

つづけて云く「身伏隋従」では無く「信伏随従」である。このような基本的な言葉すら知らない浅識者が仏法を語るのは百年早い」等と。

一字打ち損じたからと云って、そんなに鬼の首を取ったが如くはしゃがなくても良いのにね~ パソコンの世界ではこんな事は日常茶飯事ではないのかね~

つづけて云く「そもそも「遣使還告」を認めるなら、医師の使いの言葉は即「宗祖が現在に存したら(如在)このように御教示だった」と拝する事を言う。これが信じられないのを「不信謗法」(十四誹謗の1つ)と呼ぶのである」などと。

御開山日興上人の置文には「富士の流義些かも先師の御弘通に違せざる事」とあるとおり、宗門が些かも曲がっていないと言う大前提の上での話であります。すなわち、教義歪曲は些かもないという大前提があって、はじめて「遣使還告」の御教示に、理屈抜きで信伏隋従できるのであります。

つづけて云く「君は貫首と総貫首を同列に論じるのかね。本来、時の御法主上人の事は「総貫首」と言う」などと。

拙者は何も貫首と総貫主を同列に論じてはおりません。貫首を総べるという意味に於いては、御開山日興上人をおいて他に存在しないのであります。文証を挙げましょう。

「直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以って総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ」云々とあるとおり、御開山日興上人御一人に限定為されて総貫首とお呼びしておられるであります。

つづけてICHRO君の云く「宗祖の御妙判を挙げておく。伏して拝せよ。「代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(御本尊七箇相承)上記にはっきりと、「御歴代上人は悉く(一人の例外もなく)日蓮(大聖人)と拝せよ」と仰せでは無いか?」等と。

「代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」という宗祖のこの御教示とて、一往の義であって、貫首の全員須らくを「日蓮なりと申す意なり」と仰せられたのではありません。この意味の元意は、御本仏大聖人様の御心に聊かも歴代の貫主が曲がっていない事を大前提として「代々の聖人悉く日蓮なり」と仰せられているのであります。ところが大聖人様の御遺命(国立戒壇)に背いて貫首職を務めた六十六代の日達管長、六十七代の日顕管長は「日蓮」の中に入れないのは当然であります。

云うならば、御遺命破壊の貫首は僧侶の風下にも置けない悪侶と云うべきであって、御本仏大聖人の法類と見做して並べて論ずること事態大きな間違いであります。

さらにICHRO君の云く「もうひとつ「上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり」ここにはっきりと「御歴代上人は全て総貫首」とあるでは無いか?」などと。

何度も云うようですが大切な事は「日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり」と御教示の中にあとります。

「日興が嫡々付法の上人を以て」と断られている御文の元意を弁えなければならないのであります。即ち「嫡々付法の上人」とは、御開山日興上人の如く聖僧であることが絶対の条件なのであります。したがって、国立戒壇の御遺命を曲げて、ニセ戒壇正本堂を「事の戒壇」と嘯くような堕落僧は禿人であって、決して「嫡々付法の上人」とは云わないのであります。このような禿人は、総貫首と仰ぐべきでないのは論ずる以前の問題であります。

つづけて云く「日興上人の御言葉のどこに「時の総貫首」とあるか?」との質問は見当外れであります。拙者は、日興上人の置文の中の「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば之れを用うべからざる事」の条目を引用したのであって、貴方が指摘するような「総貫首」などとは一言も書いてはいません。

ICHRO君が仰せの「君は近世まで末寺住職も貫首と読んだ事も知らないのかね?」とは、これ等は僧侶の傲慢がそういう決めた事を勝手に作り上げたものだろうと断ずるのであります。御本仏大聖人様の一期の御遺命たる国立戒壇を永久放棄して、信徒の上に胡坐を掻いて大謗法を犯すような坊主らは、およそ僧侶には値しないのであり、法を破るにも限度を弁えることこそ肝心であります。

序に申し上げますと、だいたい貫首を「法主」と呼ぶことすらおこがましい限りなのであります。「法主」とは御本仏大聖人御一人に冠せられる尊称なのであります。

それは「法」の「主」(あるじ)であるから仏様を「法主」とお呼びするのであります。それを思い上がって、御遺命を歪曲し、堕落して芸者遊びにうつつを抜かすような貫首をして「御法主上人」などと呼んだら罰が当ろうというものであります。その根拠とも云うべき文証を示します。

滝泉寺申状には「法主聖人時を知り国を知り法を知り機を知る」と仰せであります。また本因妙抄には「仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり」云々とあるとおりであります。

それを末寺の住職を指して貫首と呼ぶのは、驕慢謗法以外何ものでもありません。宗門が今日のように曲がり、腐りきった遠因は其処らへんにありそうですね。

今日の処はここまで

邪義破折班の厚顔無恥と阿部日顕の己義・邪説を憂う

2013年10月21日 12時00分00秒 | 亡国の坂道 
邪義班の坊主らが書いた「最後に申すべき事を砕破す」(P.39)に云く『「三大秘法抄」について、当時の事相について解釈をされているが、これも正本堂が一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含むとはいえ、いまだ御遺命の戒壇そのものではないというところに、二書の基調が存するのである。要するに一連の教導は、総じては宗内僧俗に対するものであるが、別しては池田大作および創価学会員に対する教導なのである』などと、今頃になって開き直っています。

邪義班の坊主の説明によりますと、悪僧日顕が三大秘法抄の文々句々の「勅宣・御教書」=建築許可証、「有徳王」=池田先生、「覚徳比丘」=日達上人等と解釈したのは、当時の事相に沿って述べたものだと言っているのであります。

これは、とんでもない言い草であります。こんな出鱈目な言辞は世間では絶対に通用しません。いかに正本堂を「事の戒壇」として捉えていたとは云え、日顕の云う如く、いくらなんでも「勅宣・御教書」を建築許可証などとこじつけたのは「事相に沿ってのべたもの」とは、狂人の戯言という以外にはありません。まして「有徳王」を池田先生と諂い、日達管長を「覚徳比丘」等と御世辞を使って、それを事相だとは開いた口が塞がりません。「事相」とは、事実の相と意味でありますから、邪義班の坊主らは本気で「勅宣・御教書」を建築確認書として捉え、池田大作を「有徳王」、日達管長を「覚徳比丘」として捉えていたということであります。まことに空恐ろしい限りであります。

そもそも「有徳王・覚徳比丘」の故事は涅槃経に説かれている仏法守護に関する逸話の一つであります。

その物語は、歓喜増益如来の末法に仏法まさに滅せんとする時、一人の聖僧がいました。その名を覚徳といいます。この時、生活の為に出家していた禿人たちも多くいました。これ等の無道心の悪僧らは、覚徳比丘が正しく法を説く姿を見て大いに憎悪の念を燃やし、覚徳比丘を殺害せんとしたのであります。この時有徳王は、殺害されんとする覚徳比丘の命を救わんと護法の為に駆けつけて、悪僧らと戦闘し、有徳王は全身に傷を負い命終したと言う物語であります。

正法がまさに滅せんとする時、在家はかくの如く悪人と戦って正法を守護すべし、との大聖人様の御教示なのであります。

池田大作が果たして、大聖人様の仰せに適った有徳王の行動であったかどうかは論ずるまでもない話であります。

池田大作は「不徳王」であっても決して「有徳王」では有り得ません。池田は正本堂の建設が終わった翌年、即ち昭和48年10月14日、信徒の分際でありながら、正本堂東側広場に於いて並み居る大衆の面前で日達猊下を怒鳴りつけ、壱拾億円もの大金を学会に寄付させているのであります。在家が出家に供養する話は世間の通例だど思っていましたが、在家が出家から大金を毟り取る話など、今まで耳にした事のない、前代未聞の驚天動地の話であります。

また大金を毟り取られた日達にしても、涅槃経に説かれた故事の如く、聖僧とはほど遠い存在であったことは紛れもない事実であります。長年の間、学会が施す身にあまる供応と奢侈に溺れ、大聖人様の唯一の御遺命たる国立戒壇を学会に金で売り渡した結果、信徒の池田大作から舐められ、辱めを受ける羽目に陥り、貫首としての徳を失ってしまったのであります。仏罰とはこんな軽微なものでは終わらないのであります。後年悪僧日達は、心臓病と腸不全の悪化により、臨終思うようにならず、昭和54年7月22日の未明激烈な発作に見舞われ、突然死を余儀なくされているのであります。

邪義班の坊主の続けて云く『これも正本堂が「一期弘法付嘱書」並びに「三大秘法抄」の意義を含むとはいえ、いまだ御遺命の戒壇そのものではないというところに、二書の基調が存するのである。要するに一連の教導は、総じては宗内僧俗に対するものであるが、別しては池田大作および創価学会員に対する教導なのである』などと、学会員をいい加減バカにしています。

邪義破折班の身勝手な言訳には恐れ入ります。今頃になって、正本堂が「いまだ御遺命の戒壇そのものではないというところに、二書の基調が存する」等と開き直っているのであります。ニセ戒壇正本堂を建設する際のあの騒ぎ様は、一体なんだったのでしょうか!

二書とは、悪坊主日顕が池田大作に諂って、憲法を「主」、仏法を「従」と貶め、大聖人様の仰せられる「仏法は体なり、世間は影なり、体曲がれば影斜めなり」の御教示に真っ向から背反して、国立戒壇を否定するために書いた「国立戒壇の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」の二冊の悪書のことでありますが、それを、池田大作と学会員を慰撫教導する為に書いた本、等と嘯く神経とは呆れるばかりであります。

悪僧日顕の悪書の一例を紹介すれば『この「王臣一同」ということでありますが、現代では、民衆が王であるとともに臣である。故に「民衆一同」と読むのが、今日では正しいのである』等としているのであります。

憲法の国民主権主義の規定に諂って、一期弘法付嘱書の「国主」の意を民衆と解釈した同じ手口であります。見てのとおり、二言目には「人権」とか「平和」の語を呪文の如く唱える、創価学会の似非平和主義に迎合した、悪僧日顕の涙ぐましいばかりの、学会路線に追従した姿が滲み出ています。

更に悪僧日顕の云く「今日において国法、制度、宗教的実状、国主の意味等の全てが変わった今日、この勅宣・御教書をもって仏法に対する国家権力の介入の必要性を論ずることこそ守文僻取の徒であり、大聖人の御真意に背くものである。社会機構が変わって、大聖人御在世の頃の意味の国主は今日においてはは民衆である。勅宣・御教書の意味を考えれば、それは信教の自由の制度下における建立の手続き、側ち建築許可証の意味となる」などと。

まさに驚くべき破法の齟齬であります。悪僧日顕は、御本仏大聖人様の三世了達の御智慧を侮り蔑むにも大概にしなければならないのであります。

悪僧日顕は、戦勝国のアメリカから押し付けられた、日本国の永遠の弱体化と平和ボケ国民を大量生産するだけの、国家の解体を図った粗悪極まりない憲法をとらえて、不磨の大典のごとく崇めているのであります。

何が「今日において国法、制度、宗教的実状、国主の意味等の全てが変わった今日、この勅宣・御教書をもって仏法に対する国家権力の介入の必要性を論ずることこそ守文僻取の徒であり、大聖人の御真意に背くものである」なのか!

確かに悪僧日顕が指摘している如く戦勝国のアメリカは、日本国のそれまでの憲法を廃棄し、あらゆる法律を作り替え、日本の古き良き伝統と文化を悉く破壊した上、新しい憲法では信教の自由なるものを謳いながら、主権は国民に存する等としました。その上、皇室典範にまで手を突っ込んで、日本国の本有の国主たる天皇の地位を貶め、天皇は単なる国民の象徴としたのでありますが、そんなもので日本国の皇室が崩壊し、御本仏大聖人様のお定めの「勅宣・御教書」が虚しくなる事など絶対に有り得ないのであります。

それを悪僧日顕は、アメリカから施し与えられた新憲法によって「勅宣・御教書」の意味は吹き飛び、国家権力の介入は許されなくなった。として国立戒壇を真っ向から否定し、国立戒壇を宣揚する顕正会の浅井会長を「守文僻取の徒であり、大聖人の御真意に背くものである」等と誹謗中傷しているのであります。

さらに悪僧日顕は「勅宣・御教書の意味を考えれば、それは信教の自由の制度下における建立の手続き」等として「勅宣・御教書」の現代的意味は「単なる建築許可書に過ぎない」などと言い出したのであります。

バカも休みやすみ言わなければなりません。このような驕慢にして、白を黒と言い包める詭弁の特才だけが取り柄の無知な悪坊主が、猊座を簒奪した挙句、大聖人様の仏法を根こそぎ破壊したのであります。

御本仏大聖人様の御目恐ろしとは思わぬ、驕慢坊主の見本のような悪僧日顕が、信徒団体の学会の池田大作に諂うあまり、御本仏大聖人様の三大秘法を根元から破壊してしまったのであります。そして、ニセ戒壇正本堂の建設に際して、正本堂を、大聖人の御遺命の「事の戒壇」と嘯いたことには固く口を閉ざし、今頃になって邪義班の坊主らの筆と口を借りて、正本堂が「いまだ御遺命の戒壇そのものではないというところに、二書の基調が存する」とは、余りにも無慚な話ではありませんか!

彼の日顕のような無反省にして、日和見主義の権化とも云うべき悪僧を、正系門家の名の本に宗門から追放しない限り、真の覚醒も富士の源流への回帰も絵に描いた餅に過ぎない事を知るべきであります。 








N.Hさんとの最後の質疑応答

2013年10月19日 15時17分13秒 | 亡国の坂道 
前回に引き続き下記の4~10項目の箇条書きは、N.Hさんが小生に対して、広宣流布の暁に国立戒壇が建立される過程を、推測して意見を求められたものです。

 4)天皇を国主とする新憲法の作成。
 5)新憲法下での総選挙。
6)内閣に国立戒壇建設準備担当省設立。
7)予算案及び関連法案提出。
8)可決。
9)どこかの建設会社が請け負うのかすべての会社に振り分けるのかはともかく建設着手、
10)完成

このあとの事も大変に興味がありますが、ひとまずここまでという事で無い頭で、推理しましたが、おそらく全然なってないかとも思います。よろしくお願いします。

小生の意見

4)天皇を国主とする新憲法の作成

4)天皇を国主とする新憲法の制定については、3)の処で触れたように、現在の状況からすれば相当先の事になるだろうと思われます。それには、一にも二にも、宗門が国立戒壇の正義に目覚めることが先決です。是れに異を唱える職業坊主は、それこそ、擯籍処分に付して強制的に還俗させれば良いのです。

序に云えば、昭和54年7月22日の未明、六十六世の日達管長は御遺命違背の罰により、相承の授受が敵わないまま近くのフジヤマ病院で臨終思うようにならず急逝されました。その朝、日顕は自己申告のかたちで次期管長職の六十七代を継ぎましたが、間も無く、一山の二百名に及ぶ僧侶から相承の有無を疑われた揚句、法廷の席に引きづり出され、猊座にあった27年の長きに亘り懊悩する羽目になりました。是れ仏罰であります。

先代日達管長から日顕に対する相承の授受に疑義を抱いた二百余名に及ぶ全国の教師と住職の頸を刎ねて擯籍処分に付した事実は、宗門七百年の間いまだ耳にしたこともない破廉恥な大事件でありました。邪宗日蓮宗各派を見渡しても、日本の仏教界でもこのようなおぞましい事件はありません。それが二百余名僧侶の首を斬って擯斥処分にするような事件は、富士門流の宗門史に残る恥辱であります。

5)~10)への項目が実施される時の日本の置かれた国際的地位は、今から考えると想像を絶する状況を迎えているものと思われます。それこそ、三大秘法抄で仰せの王法と仏法が冥合した政治が具現される時、国家そのものが妙法の力用により防非止悪の当体となって、現在のように毎年繰り返される三災七難から解放され、五風・十雨という災害のない穏やかな自然現象が毎年のごとく繰り返され、戦争や飢餓・貧困等の問題はもとより、凶悪犯罪は朝露の如く消え去り、妙法の政治、妙法の経済、妙法の教育、妙法の産業、妙法の農業、妙法の医療、妙法の文化等々が具体化する時、安国論で仰せの「仏国夫れ衰えんや、十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微なく土に破壊なくんば身は安全にして心は是れ禅定ならん」の御文が事相となるのであります。

ここで仰せられる「仏国」とは、種種御振舞御書にお示しの「日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければたもたず、人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり」と仰せの如く、国立戒壇を建立して戒壇の大御本尊を富士山天生原に奉安することによって柱が立ち、日本国の魂は戒壇の大御本尊となるのであります。まさしく、戒壇の大御本仏を魂とする国は、まさしく仏国であります。

その仏国を実現するには、必要欠くべからざる手続きとして、広宣流布の暁に日本国の本有の国主たる時の天皇陛下の詔勅を賜り、国家としての積極的な意思表明を以って、国立戒壇を建立することに尽きるのであります。

その事に依って、はじめて仏国が実現するのであります。これは一個人や、一団体の漠然とした信心では絶対に敵わないのであります。絶対の条件として、天皇陛下の勅宣と御教書たる国家の意思表明は欠くべからざる手続を経ることによって、はじめて仏国が実現する事になるのであります。

この時、符節を合わせるように、中国や朝鮮半島への三大秘法の弘通は進み、近隣諸国との忌まわしい歴史認識や、領土問題は全て解決を見るのであります。

何と素晴らしい新世紀の夜明けではありませんか。このように国立戒壇が建立される時には、血涌き肉躍る、まことに力強い日本民族の興隆が澎湃として巻き起こり、政治も経済も文化もすべてのものが未曾有の大発展を遂げ、世界中の国々が日本中心に、日本国を良き手本として、羨望するような理想の国家社会が現出するのであります。

まさにその様は、印度のガンダーラ文明、我が国の飛鳥・天平文化とは比較にならぬ、それを遥かにしのぐほどの前代未聞、まさしく未曾有の大文明であります。

その時の様相を大聖人様はかく仰せであります。「天下万民・諸乗一仏乗と成って妙法独り繁盛せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば、吹く風枝をならざず雨壊を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各々御覧ぜよ現世安穏の証文疑いあるべからざる者なり」(如説修行抄)との仰せが事実となるのであります。

御本仏大聖人様が顕仏未来記で仰せられる「仏法必ず東土の日本より出づべきなり」の御文と、諫暁八幡抄の「日は東より出づ日本の仏法月氏へかえるべき瑞相なり、月は光明らかならず在世は但八年なり、日は光明月に勝れり五五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり」の御文を良く々々噛みしめたいものであります。 以上    
                                                                  


N.Hさんとの質疑応答

2013年10月19日 09時16分14秒 | 亡国の坂道 
下記の10項目の箇条書きは、N.Hさんが小生に対して、広宣流布の暁に国立戒壇が建立される過程を、推測して意見を求められたものです。

N.Hさんの云く「貴殿のこれまでの論考から推測して恐縮ですが・・・・・、

 1)全国民の折伏達成。
 2)王政復古の申し出並びに今上天皇及び皇室全体の帰依。
 3)自主的政界再編。
 4)天皇を国主とする新憲法の作成。
 5)新憲法下での総選挙。
 6)内閣に国立戒壇建設準備担当省設立。
 7)予算案及び関連法案提出。
 8)可決。
 9)どこかの建設会社が請け負うのかすべての会社に振り分けるのかはともかく建設着手、
10)完成

このあとの事も大変に興味がありますが、ひとまずここまでという事で無い頭で、推理しましたが、おそらく全然なってないかとも思います。よろしくお願いします」

小生の意見

1)全国民の折伏達成

1)大聖人様は三大秘法を広宣流布するについて「権教権門の輩を一人もなく攻め落とせ」(如説修行抄)と御命令であります。つづけて諸法実相抄には「剰え、広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱えんことは大地を的とするなるべし」と御教示であり、広宣流布は必ず実現するという絶対的な確信をお述べであられます。

更に御開山日興上人は「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て隋力弘通を致すべき事」(遺誡置文)と、末法の我等を督励されておられます。仏弟子たる者、三大秘法の広宣流布に向かって、宗開両祖の仰せの如く死身弘法の折伏戦を展開し、仏国実現を目指して闘うことが、唯一正系門家の使命であると考えています。

故に、創価学会第二代会長の戸田城聖は学会再建に当たり「我等が政治に関心を持つ所以は、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである」(大白蓮華 昭和31年8月号)と叫ばれ、昭和20年7月3日豊玉刑務所から出獄後、いち早く学会再建に取りかかり、昭和33年4月2日の逝去に至るまでの間に、前人未到の七十五万世帯の大折伏を敢行しているのであります。

その後を継いだ第三代池田会長の云く「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華 昭和31年4月号)と。

ところが創価学会は、池田大作を第三代会長に迎えて更に爆発的な会員の増加により、政治野心を懐いた池田大作は、学会員の信仰のエネルギーを自らの政治権力の奪取に利用すべく、昭和36年11月には公明党を結成し、本格的に政治進出を深めて行くのでありますが、そこで唯一邪魔な存在になってきたのが、今まで高々と掲げていた「国立戒壇」の四文字でした。

それまで国立戒壇に対する意義について、確固たる信念も確信も持ち合わせていなかった宗門は、創価学会の展開する「国立戒壇を叫ぶと宗門が潰される」という屁理屈と脅しで、法律的な知識に疎い僧侶を手玉に取り、なりふり構わぬ強引な圧力を掛けて、宗門七百年の宿願であった国立戒壇の大目的を永久放棄させてしまいました。

その結果、創価学会は爆発的な破竹の勢いで進んでいた折伏は、爆音を轟かせ宇宙を目指して上昇中のロケットが突然推進力を失って無惨な姿を晒すように、目も当られない無目的の状態になってしまいました。全国民の折伏達成の大目的は、物の見事に雲散霧消してしまったのであります。

唯一の大目的たる国立戒壇を放棄した創価学会は、似非平和団体、単なる選挙のための集票マシーン化してしまいました。

一方宗門も、大聖人以来の宿願たる国立戒壇を永久放棄してからは、目的観を無くした無気力な養老集団となり果て、大欲不知足の職業僧侶の巣窟となってしまいました。

2)王政復古の申し出並びに今上天皇及び皇室全体の帰依
 
2)唯一の正系門家が大聖人様の唯一の御遺命たる国立戒壇を永久放棄して、早半世紀が過ぎようとしていますが、一刻も早く、国立戒壇が宗門の公論とならないかぎり、大聖人様の終窮究竟の本願は成就する筈はありません。そういう観点から考えますと、今上天皇の正法帰依は残念ながら、未だその時期ではないように思われます。

尤も、広宣流布の時には、法華経の会座で上行菩薩と共に出現した無辺行菩薩の再誕たる日興上人の後身であられる、本化聖天子が、日本国の皇室に御出現になられることが言い伝えられております。その一事を見ても、日本の広宣流布はこれから先、相当の年数を要するのではないかと思われます。

3)自主的政界再編

3)広宣流布に至るまでの政界の動向については未知数なるも、そもそも公明党の存在は、当初、広宣流布を達成するために結成された政党だったのです。創価学会第二代会長の戸田城聖氏は「我らが政治に関心を持つ所以は、南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇だけが目的なのである」と叫び、政界進出を計ったのであります。

ところが、第三代の池田大作の時代になると、池田は当初の目的をかなぐり捨てて、学会員の爆発的な増加は、己の政治権力奪取に取って代わり、果ては日本の国父になることを夢見ました。そのため選挙に勝つには、国立戒壇が反って邪魔な存在になってきたのです。

それを象徴する発言が「私は日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想・文化・一切の指導者、最高権力者である」(高瀬広居の人間革命を目指す池田大作その思想と生き方)と。

そこで、池田大作は時の貫主であった日達管長を籠絡し、大聖人様の御遺命たる国立戒壇を放棄させるべく、ニセ戒壇正本堂というニセ戒壇を建てることにして、さまざまな圧力を掛け、昭和45年5月3日創価学会の第33回総会の席で、国立戒壇を永久放棄するに至るのであります。

その時発せられた池田大作の講演は概略次のようなものでした。「①本門戒壇は国立である必要はない。②日蓮正宗の国教化は、その宗教に力なきことを示すものである。③世間は国会の議決によって、将来、学会は日蓮正宗を国教にするのではないかとの疑念をお持ちのようだが、本門戒壇というものは、何処までも、純真な民衆の力によって築かれるものである。④故に、本門戒壇は、絶対に国会の議決等によらぬことを明言しておきたい」という具合に豹変してしまったのであります。

余り期待は出来ないものの、遠い将来宗門が国立戒壇論に復帰するようなことが有ったと仮定して、広宣流布が大聖人様の仰せどおりの国立戒壇が国民の大多数から指示される時期が到来した場合、当然公明党の動向に注目が集まりますが、小生の見方としては、三つの選択肢があるように思っています。

一つには、宗教政党としての存在意義を問われ解党のやむなきに至る。

二つには、公明党そのものが当初の立党の精神に立ち返り、国立戒壇を高らかに掲げて真の宗教政党・大衆政党として広宣流布に向けてその絶大な使命を果たす。

三つめには、公明党は雲散霧消して党所属の個々の国会議員・地方議員が夫々四分五裂し、一人ひとりの議員が国立戒壇の正義に目覚めて細々と活動する。あるいは、徹頭徹尾国立戒壇に反対を唱え議席を失うと共に身を亡ぼす。

今日の処はこれまで





N.Hさんとの質疑応答

2013年10月16日 18時33分08秒 | 亡国の坂道 
N.Hさんからの質問は次のようなご質問でした。

3)上記に関連しますが、「国立戒壇」建設時、日本国民全部が帰依しかつ所属するのは、現行制度のもとでの宗教法人でしょうか。

4)「国立戒壇」建立のために、国家としてなすべき道程として、改正を要することがらが、いろいろあるかと思われますが、道筋といいますか、その姿を解っておられましたら御教授下さい。

質問、3,4)のお答え

先ず、3)に対する小生の考えですが、現行制度の日本国憲法は当然廃棄されるものと思います。

また現行憲法の20条で定められている「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」とした条文は、当然の如く廃棄されるものと思われます。

何故ならば、大聖人の立正安国論での御教示は、邪法乱国・正法治国です。いわゆる誤った宗教が不幸の根源という教えであれば当然の措置として、信教の自由条項は廃絶されなければなりません。

この事は恰も、国家が、アヘン、コカイン、大麻、覚せい剤等の麻薬を常習することで、人間が廃人に追い込まれる事を認識しているから、国家は現行の法律でも厳しく取り締まっているのであります。広宣流布が達成される段階で、国家が誤れる宗教が不幸の根源であることを認識さえすれば、当然の帰結として、信教の自由なるものは容認される筈はありません。

それこそ、日蓮大聖人の三大秘法以外の邪宗教を布教し、その誤まれる宗教に対して入信を進める者は、その時の法律によって、厳しく罰せられることはいうまでもありません。

しかしながら個々の人間の内面についての自由は、如何なる法律を以てしても、コントロールできるものではありません。人々の外面にでる行動そのものは、内面に潜む心の反映でありますから、三大秘法以外の間違った宗教に固執して、自らがそれを実践している者は、それなりに生活の上に現証として現れますので、発見された時にはそれなりの制裁を受けるのは当然のことだと思います。

ただ、三大秘法の広宣流布が津々と進む段階で、万人が三大秘法の大利益を享受するなかでは、不幸の根源である間違った邪宗教は、強制的に取り締まるまでもなく、自然のうちに淘汰されるものと思われます。

そのような環境の中では、現行制度の宗教法人法も全面的な改正が行われ、大聖人様の三大秘法こそが、日本国の国教として認識決済されていることは間違いないものと思われます。

故に、第六十五世の日淳上人は「真に国家の現状を憂える者は、其の根本たる仏法の正邪を認識決済して、正法たる国教樹立こそ必要とすべきであります」(大日蓮 昭和32年1月号)と、仰せられているのであります。

4)に対するお答え

現行憲法の第25条では「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と謳われていますが、依然として日本の国内には数多くの病人や生活困窮者、あるいは、ホームレス等が存在しています。彼らは、国民の三大義務と謂われる 教育・勤労・納税を怠っているからでしょうか? あの人たちは好き好んで現在の生活に甘んじ、病気やホームレス生活を望んでいるとは思えません。

広宣流布が成就して国立戒壇が建立されるに至るまでの、国家の法律的問題を断定的に一口では言い表すことはできませんが、敢えて申し上げるならば、現行憲法を含む様々な法律の仕組みは、慈悲の精神が欠如してることだけは指摘できると思います。

その故に、大聖人様は、王法と仏法との冥合した国家社会の実現を叫ばれておられるのであります。また大聖人様は「仏法は体なり、世間は影なり、体曲がれば影ななめなり」と仰せであります。依って、体であるところの日蓮正宗の仏法が曲がれば、世間であるところの政治・経済、教育・文化等々あらゆるものが行き詰まりを来たすのは、当然の成り行きだと思います。この姿は今日の日本という国家を象徴しています。

今日の処はこれまで



N.Hさんとの質疑応答

2013年10月15日 10時43分28秒 | 亡国の坂道 
N.Hさんから二度目のご質問は下記のような内容でした。

2)上記の件等が僕の無い頭をよぎるのは、貴殿の論旨の中に、いわゆるその「国家観」が今ひとつ、見えないのです。この本国土妙たる日本国の国家体制は、いかにあるべきか、という事につき、御教授いただきたいと思っています。やはり明治政府のようなものなのでしょうか・・・・・

質問、2)のお答え

小生の国家観と云っても特段のものではありません。ただ一口で云えば、「仏法史観」とでもいうべきものでしょうか? 即ち仏法史観というものは、日蓮大聖人の仏法を鏡として近現代の歴史を観ることだと思います。それは、戦後の日本を覆い尽くしたマルクス・レーニンの説いた唯物的な左翼思想でもなく、また、偏狭な右翼思想でもありません。それかと言って、天皇絶対主義の皇国史観でもないのは当然です。

いうなれば、御本仏日蓮大聖人様の御教示に随って、立正安国論でお示しの邪法乱国・正法治国の過去・現在・未来の三世を貫く仏法の説く究極の原理に照らして、歴史を俯瞰することに重きを置いた歴史観であります。これこそが、唯一正しい歴史観と確信しています。

ここで一つの実例を挙げれば、日本国は敗戦によって、戦勝国アメリカのマッカーサー元帥から、今日の日本国憲法を押し付けられました。これは別名平和憲法とも妾憲法とも揶揄されるものです。この憲法の前文には何と書いてあるか。云く「日本国民は平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とありますが、こんな腑抜けた他力本願で、日本の平和と独立を永続的に維持することができるとお思いですか?

このような馬鹿げた考えは、森の中には兎さんとか、山羊さんとか、リスさんのような優しい動物さんたちばかりだから、僕は腰巻ひとつで森に遊びに行こうと思っています。というようなもので、ドッコイ森の中にはオオカミやトラやライオンがお腹をすかして群れを成し、獲物の来るのを待っているのが現実であります。腰巻ひとつで森の中に飛び込もうものなら、忽ち野獣の餌食にされるのが落ちであります。冷厳な国際社会は隙有らば取って食おうと狙いを付けている者ばかりで、軍備を持たない丸腰同然の日本国は、近隣諸国からバカにされた上に領土を侵食され、やがて民族の存続が脅かされる悲哀を味わう事になるのであります。

その悲惨を敢えて招きよせるように、第9条1項には「 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

2項には「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」として、戦争の放棄を謳っています。

しかしながら、厳しい国際情勢を見てください。隣国の中国、ロシア、北朝鮮の三国は、核武装をして日本の侵略を虎視眈々と狙っています。その中でも北朝鮮は多くの拉致事件を起し、未だ日本人の数多くの同朋が闇に乗じて連れ去られたままです。また韓国は、日本の固有の領土である竹島を占領して、実効支配を強めている有様です。

韓国の竹島占領について一言触れておきますと、日本国がアメリカの広島、長崎の二発原の爆投下により敗戦を迎えると同時に、国家主権の一切が奪われアメリカの占領政策の中で、政治も経済も教育も全てが疲弊する中、戦勝国アメリカの言いなりでした。

要するに国の外交権すべてが、GHQの施政権下に置かれて手も足も出せない状態にありました。それまでアメリカに亡命していた韓国の反日独立運動で名を馳せた李承晩は、旧日本軍から逃れるためにアメリカに亡命、日本の敗戦と同時に昭和20年10月韓国に帰国するや、韓国初代大統領に就任、日本の敗戦に乗じて、昭和27年、サンフランシスコ平和条約の締結が成る前の昭和22年1月18日、一方的に漁業専管区域なる李承晩ラインなる線を海上に敷いて、日本の固有の領土である島根県下の竹島を、軍事力を背景に李承晩ラインの中に組み入れて占領したのであります。その間、韓国軍に拿捕された漁船員は約4,000人にのぼり、没収された漁船は328隻、韓国軍に銃撃されて死亡した漁民は、44人を数えるまでに膨れ上がり今日に至っているのであります。

これ等4,000人にのぼる拿捕された多くの漁民は、何年もの間日の当たらない刑務所の中で抑留生活を強いられ、残された家族は働き盛りの大黒柱を奪われて、家庭崩壊に至ったケースも数えきれないほどあったのであります。そもそも竹島を取り巻く360度の200カイリの近海は暖流と寒流の交わる狭間に存在する日本国の領海であって、特に海洋資源、日本屈指の漁場資源の宝庫であり、海底に埋蔵するマンガン、レアメタル、メタンハイドレード等、日本国の海底資源の宝庫なのであります。それを一方的に軍事力で韓国から占領されたまま、多くの漁民が拿捕される理由は一切存在しない中で、このような不条理がまかり通っているのであります。

一方ロシアは、昭和20年8月9日長崎の原爆投下に合わせて、日本国が疲弊した終戦のドサクサに紛れて北方領土(歯舞、色丹、択捉、国後)の不法占拠を続けたまま、未だに返還の意思は更々ありません。それどころか最近に至っては島のインフラ整備を充実させ、愈々実効支配を強めている状態です。

また中国共産党の独裁政権は、益々軍事力を増強し尖閣諸島の領有権を主張しています。早晩、アメリカとの軍事パワーバランスが逆転することは確実と見られています。その時、必ず中国共産党は日本に様々な圧力を掛け、尖閣諸島は当然、第二列島線内にある沖縄は勿論のこと、日本の侵略に動きだす事は明白であります。

今日、アメリカの国債を世界中で一番保有しているのは、彼の中国共産党政権なのであります。いまやアメリカは中国から、経済のノド元にドスを突き付けられているも同然な状態に置かれているのであります。その一点を見ただけでもアメリカは、中国と軍事的に事を構えることは不可能なのであります。仮に、中国が保有するアメリカ国債を一挙に売りに出そうものなら、忽ち、ドルは暴落しアメリカをはじめ世界経済は大混乱をきたし、アメリカはたちどころに崩壊するのであります。

最近中国は、我が国の尖閣諸島に対する挑発をエスカレートさせ、事の次第によっては、軍事力の行使もチラつかせています。それに対してアメリカの国務長官は、日本との安保条約第五条の適用範囲に、尖閣諸島は含まれるとの見解を表明していますが、既にそんなものは当てにならないのは明白な事実であります。

アメリカから見れば尖閣諸島なんて、ちっぽけな日本の小島であります。その日本国の島の領有権が中國から犯されたからと言って、アメリカが莫大な戦費を費やし、アメリカの若者が日本国のために、尊い血を流して中國と戦ってくれると思う方が間違いなのであります。冷厳な国際情勢はそんなに甘くはないのであります。

このような中国の軍事力を背景にした脅威は、日を追って切実なものになって来ているのであります。またロシア、韓国、北朝鮮等の軍事的脅威や、理不尽な領土の不法な占領の何処に「平和を愛する諸国民の公正と信義」が存在するというのでしょうか!

韓国は口先では北朝鮮の核に対して表面的には危惧の念を顕す態度を示していますが、それは単なるパフォーマンスに過ぎないのであります。韓国の圧倒的な経済力により朝鮮半島が統一された時には、北朝鮮が保有する核戦力は、自国の物になるとのしたたかな計算の本に動いているのであります。

このような国際情勢を見る時、いい加減に日本人は平和ボケから目を覚まし、今こそ、日本国民は自虐史観から決別して、自国の領土は自らが武力を持って守る事を考えなければならない時が迫っているのであります。

御本仏日蓮大聖人は立正安国論に、このように仰せであります。云く「先難是れ明らかなり、後災何ぞ疑わん、若し残る所の難、悪法の科に依って並び起り競い来たらば、その時何が為んや。帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ、而るに他方の賊来たりて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや、豈騒がさらんや、国を失い家を滅せば、何れの所にか世を遁れん、汝須く一身の安堵を思わば、先ず四表の静謐を祈るべきものか」と。

大聖人様が此処で仰せられる「先難」とは、正嘉元年8月23日の大地震の事であり「後災」とは、文永11年10月5日と、弘安4年5月21日の二度に亘る蒙古襲来を指しているのでありますが、過ぎ去った今日からすれば、此の元寇も過去の出来事で済まされるのでありますが、歴史は必ず繰り返されるのであります。その迫りくる大難事は、大聖人様の御本願たる国立戒壇を永久放棄した事実を見る時、七百年前の元寇をはるかに上回る他国侵逼に見舞われることは必定なのであります。

いま正系門家と云われる日蓮正宗の坊主らは、あのニセ戒壇の正本堂を本門戒壇と偽り、大聖人一期の御遺命たる国立戒壇を永久放棄したまま、教義歪曲を続けながら平然としていますが、このような僻事が何時までも長く許される道理はありません。

再び大聖人様御在世に次ぐ三災七難到来の号鐘は鳴り、一昨年は東日本大震災によって、遂に幕は切って落とされました。その号鐘こそ、先の3.11東日本大地震なのであります。

安国論奥書には「既に勘文之に叶う、之に准じて之を思うに、未来亦然るべきか」と仰せられ「その時何が為んや」の警告が事相となる日もそう遠くはないと危惧するものであります。一刻も早く正系門家の日蓮正宗が、国立戒壇の正義を取り戻さないかぎり取り返しの付かない事になるのであります。


国立戒壇に関するN.Hさんとの質疑応答

2013年10月14日 11時13分40秒 | 亡国の坂道 
この度、N.Hさんから国立戒壇に関する件で、政治の役割についての、ご質問を数項目にわたり頂戴いたしましたが、最初のご質問は次のようなものでした。

1)国立の建物を建築するにあたり、現体制下ですと、与党政府で予算を組み、野党との質疑応答ののち、多数決か満場一致かで、その法案が通り、関連法案も多岐に渡るかと思いますが、とにかくそれも無事、可決されたとして、いよいよとなった際、「入札」が実行されるのですが、「国立戒壇」を競争入札でもって建築することについては、なにかしら違和感を感じます。いかがでしょうか?

1)のお答え

貴方は、国立戒壇が建立される時の時代背景を、今日の政治体制の上で論じておられるように見受けられますが、大聖人様御教示の広宣流布が達成され、流溢の中で建立される本門戒壇というものは、政治体制も今日とは様相を一変したものになっていることは云うまでもありません。その時は当然、憲法も改正されて三大秘法抄で仰せの如く「王法と仏法が冥合した政治体制であることは間違いありません。それを現在の政治体制の中で論ずること事態、あまり意味のない事だと思います。

ただ此処でいえる事は、宗門は昭和45年5月3日、創価学会の第33回総会の席で大聖人様の一期の御遺命たる、本門寺の戒壇=国立戒壇を永久放棄してしまいました。このような大それた教義逸脱が行われた背景は、創価学会池田大作の政治野心に迎合し、宗門が積極的に手を貸し、それに従属したが故の結果であったことは歴然としています。

その池田大作の政治野心と権力・財力に、第六十六代の日達管長と第六十七代の日顕管長が諂い、御遺命を彼等に売り渡して大聖人様の御心に違背して、正本堂を「事の戒壇」と偽ったことから唯一の正系門家たる日蓮正宗が、間違った方向へ走り出してしまいました。その事に依って、宗門も信徒も広宣流布への気概は失われ、宗門はあのニセ戒壇正本堂以来、職業坊主の巣窟となり果てています。

この様は、かつて伝教大師の打ち立てた叡山の法華経迹門の戒壇が、第三代の慈覚、代四代の智証に依って、真言の「理同事勝」の邪義が混入されて亡んで行った事よりも、何千億倍も超過する大悪事なのであります。

大聖人は三大秘法抄にかく仰せであります。「延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじき処に、叡山に坐主始まって第三・第四.の慈覚・智証、存の外に本師伝教・義真に背きて、理同事勝の狂言を本として我が山の戒法をあなづり戯論と謗ぜし故に、思いの外に延暦寺の戒・清浄無染の妙戒なりしが、徒に土泥となりぬる事云うても余りあり、嘆きても何かせん。彼の魔黎山の瓦礫となり、栴檀林の荊蕀となるにも過ぎたるなるべし」云々と。

上掲の御文を要約しますと、元々延暦寺の戒壇は法華経の迹門の戒壇であるから、末法に入っては、釈迦仏法は当然利益が失われてしまう処に、叡山が始まってより、第三の慈覚、第四の智証が思っても見なかった本師の伝教大師と義真に背いて、真言の理同事勝なる邪義(法華経と大日教は理は同じであるが、印契があるから事に於いて勝れている)を根本に据えて、叡山の法華経迹門の戒法をあなづって誹謗している故に、唯一正しい延暦寺の清浄無染の法華経の妙戒が、いまや、いたずらに土泥となってしまった。この事は言葉を以てしても言い尽くせるものではないし、嘆いて見たところで取り返しがつくものではない。喩を借りれば、彼の栴檀という香木の生い茂る魔黎山が瓦礫の山と変わり、高貴な栴檀林が荊蕀の林になるよりも過ぎたる僻事である。

現今の宗門の実態たるや、彼の叡山の堕落よりも甚だしきがあります。いま何を語るにしても、現今の宗門が上代の御開山上人、日目上人の富士の源流に立ち帰ることこそ肝心要のことだと思います。それには、智慧勝れた英邁な貫主上人の御出現を待つ以外にはありません。

御開山日興上人は、遺戒置文の冒頭の第一条に「富士の流儀聊かも先師の御弘通に違せざる事」と誠誡遊ばされていますが、大聖人様の御心に背いていては「教の心に背くあいだ悪道免れがたし」で、現今の宗門の信心では、一生成仏は夢の話しであって、一人も適う者はありません。依って、爪の垢ほどの功徳も生じないことを知るべきであります。

今日の処はここまで






国立戒壇は田中智学の創唱という日顕なら、坊主の行状も呆れたもんだ

2013年10月12日 11時08分14秒 | 亡国の坂道 
国柱会の田中智学という人物の元を糾せば、元々邪宗日蓮宗身延派の僧侶をやっていた男であります。

その田中智学という男は途中で僧侶の職を投げ出し、還俗して明治13年に蓮華会を設立し、その2年後の明治15年になって、田中智学は日蓮正宗の久遠寺(横浜)信徒に教義論争をふっかけてきたのでありますが、久遠寺では手におえない相手と見て、早速本山にこの事を報告したところ、当時猊座にあられた第五十二世の日霑上人が法論を引き受ける事となったのであります。

この法論は筆戦によって行われる事が決まり、これが後の「横浜問答」といわれるものであります。

この教義論争については、本宗第五十二世の日霑上人が教義論争の主席を務められたのでありますが、本尊論・三衣論・血脈論・戒壇論と進んでいく内に、田中智学は戒壇論になると返答に窮し、彼は法論の途中で口をして鼻の如く、閉口頓首せしめるほど追いつめられ、田中智学は法論の途中であるにも拘らず、突然いずこともなく姿を晦まし、田中は宿舎を払って遁走を計ったのであります。

日霑上人の前から姿を眩ました後、彼は秘かに日蓮正宗独特の教義を深く学び、明治35年に彼の著述した「本化妙宗式目」と後の「日蓮聖人の教義」の中で、盛んに「富士戒壇論」や「国立戒壇」なる戒壇義を多用することになったのであります。

そこで本宗の第六十五世日淳上人が興尊雪寃録の中で、田中智学著述の「日蓮聖人の教義」を取り上げ、その中で彼が力説している国立戒壇論を批判されているのであります。要するに田中智学の方が日蓮正宗の教義を盗んで「国立戒壇」を口真似したのは明白な事実なのであります。誰が考えても解るとおり、元々日蓮宗身延派には、唯授一人の血脈相承と国立戒壇論は存在しないのであります。したがって日蓮正宗の信徒でもなかった者が広宣流布の暁の国立戒壇を宣揚する道理はないのであります。

田中智学は身延の僧職を投げ出し、還俗した男に御本仏大聖人様の終窮究竟の本願を知り得る道理は、何処にも存在しないという事が分かります。

平成3年に破門処分にされた創価学会から発刊された(日蓮正宗創価学会批判を破す)書籍にはこのようにあります。云く「じつに国立戒壇の建立こそは、第二祖日興上人にのみ御遺命になったのである。そしてその場所も、富士山と明白にご指示になっている」との記述にも明らかであります。

つづけて「あらゆる正史料から、日蓮正宗のみが、大聖人の御遺命をうけて、富士山に事の戒壇(国立)を建立しようと、必死の努力を続けてきたことは明白になった。近頃は田中智学門流でも、本宗の国立戒壇を囀っているではないか」などと、田中智学の国立戒壇論を創価学会は、日蓮正宗の口真似だと云って批判していたのであります。

かつては日蓮正宗の信徒団体であった創価学会ですら、このように田中智学を批判していた事実を知れば、日顕の吹聴する「国立戒壇は田中智学の創唱でり、顕正会は田中智学の口真似をしている」等とした誹謗中傷は、為にする批判という以外にはありません。

田中智学は後年、本門戒壇の御本尊ばかりは如何にしても手が届かない事を悟り、それに対抗するために「佐渡始顕の本尊」なるものを担ぎ出してきたのであります。

くりかえしますが、田中智学を名乗る男は、かつては日蓮宗身延派の僧侶だった人物であります。それに身延山の開基は、五老僧の内の民部日向であり、その日蓮宗身延派には元々唯授一人の血脈相承は存在しないのであります。

それがどうして、田中智学が大聖人の御本願たる「国立戒壇」を創唱する事ができるのでしょうか。誰が考えても矛盾した話であることが解るはずであります。

悪僧日顕は、ニセ戒壇正本堂を大聖人様の御遺命の戒壇と偽るためと、池田大作に諂って「国立戒壇」を否定する側に寝返りを打ち『「国立戒壇」は田中智学が最初に言い出した邪義である』などと荒唐無稽なことを言い出して「顕正会は田中智学の口真似をしている」等と、顕正会を誹謗しているのでありますが、無惨とはこれであります。

また悪僧日顕は「国立戒壇」を捨てた学会が世間の批判をかわす事ができた実態を目の当たりにし、宗門も学会に習って国立戒壇を捨てなければ、いずれ批判の矢面にに立たされるのは宗門であり、批判の矛先が宗門側に向けられる前に、国立戒壇を否定する。その事によって世間の批判をかわし、憲法に従属する態度を鮮明にする形で僧侶の安住の立場を得ようと計ったのであります。

その事が功を奏したか、国立戒壇を捨てた宗門は世間から批判を浴びることもなく、同門の日蓮宗各派からは、思いの外、拍手喝采を浴びる栄誉に恵まれたのであります。しかしながら悪僧日顕の邪義に洗脳された若手僧侶らの全ては、国立戒壇なる教義は、正真正銘の田中智学の創唱だと思う者ばかりで覆われ、国立戒壇が御本仏大聖人様の根本教義であることが解らなくなり、今や、国立戒壇は邪義だと思う者で一色に染められてしまったのであります。

現今の日蓮正宗僧侶の全ては日顕の邪義に染まって、心底から「国立戒壇」は田中智学の創唱と思い込んでいるのでありますから、まことに始末が悪いのであります。

この事は、天台の一念三千の義を華厳の澄観や真言の善無畏三蔵に盗まれて、不勉強の天台の末学は皆、澄観の弟子、善無畏の弟子になった史実を彷彿とさせるものがあります。

その事を大聖人様は「墓ないかな天台の末学等、華厳、真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて、還って彼等が門家と成りぬ」(観心本尊抄)と仰せであります。

悪僧日顕の罪は誠に深く万死に値する大謗法であります。顕立正意抄に云く「我弟子の中にも信心薄き者は、臨終の時、阿鼻獄の相を現ずべし」と。

話は変わりますが日蓮正宗の折伏推進委員を務める長野県・妙相寺住職の石岡雄哲氏が、派遣先の高知のホテルで急死したようです。57歳の若さだったとの事であります。

石岡住職は今月8日夜に高知県内で行われた南四国布教区の広布推進会に出席した後、ホテルに戻ったものの、翌9日朝、チェックアウトの時間になっても出てこなかったため、ホテルの従業員が部屋を確認したところ、変わり果てた姿で発見されたのであります。

妙相寺と云えば、あの邪師の樋田で有名です。先日も石岡住職は今年七月十六日、樋田らと連れ立って、大阪府羽曳野市の応神天皇陵にまで出かけて行き、鳥居の前に塔婆を立て、石岡住職が導師になって勤行・唱題していました。その塔婆には「応神天皇」と書かれてあり、石岡住職と法華講員らは応神天皇の成仏を祈っていたようでありますが、これは根本的に間違いであります。

応神天皇といえば、第十六代を継がれた天皇陛下のことで、日本国守護神の八幡大菩薩の御事でありますが、八幡大菩薩は我が国皇室の百王まで守護するとの誓いを立て、後に法華経の行者の守護神として文永八年九月十二日、竜の口の頸の座では、巨大な光り物となって御本仏大聖人様を守護し奉っています。

日蓮正宗の僧俗信徒が、初座の勤行の御観念文で「生身妙覚自行の御利益、大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王・天照大神・正八幡大菩薩等・総じて三大秘法守護の諸天善神、諸天昼夜常為法故而衛護之の御利益、法味倍増の御為に」と観念申し上げ法華経の法味を供養申し上げていますが、正八幡大菩薩は天照太神と共に法華経の行者を守護するために誓を立てた、法華経の行者と日本国の守護神の一神なのであります。

ところが宗門では、あのニセ戒壇正本堂以来、初座の御観念文から「天照大神・正八幡大菩薩」の十文字を削り取ってしまったのであります。その理由が振るっています。「天照大神・正八幡大菩薩」の文言が観念文の中にあると、韓国や中国に対して、反日感情を煽ることになり、布教の邪魔になるとの理由から取り除いたのだそうです。馬鹿げています。

何故に、三大秘法を広宣流布するに於いて、韓国や中国ごときに諂ったり気兼ねする必要があるのでしょうか! 御遺命を投げ捨てた坊主らには、日本国の皇室の始まりと三大秘法の深い縁(えにし)がまるで理解できていないのであります。天照大神も八幡大菩薩も元をただせば印度応誕の釈尊の垂迹なのであります。

突然死した石岡住職は、宗門が国立戒壇を永久放棄したことから、三大秘法が何たるかも解らなくなってしまったのであります。御本尊様を根本に諸天を供養する化儀のイロハが解らなくなり、応神天皇を直接拝むとは馬鹿げています。それを、邪師の石岡住職と樋田が連れ立って多くの法華講員を引き連れて、応神天皇陵まで行って、塔婆を立てて勤行を行い、お題目で供養するとは、本末転倒なのであります。

宗門の坊主らは、御本仏大聖人様の究竟の御本願たる国立戒壇を永久放棄した罰により、一切の化儀が解らなくなってしまった証拠であります。

今に、法華講員に御本尊を拝むのは止めにして、伊勢の皇大神宮の神札を拝め、などという坊主が出てきても、何等不思議ではないのであります。


今度は三分の一以上で広宣流布だなんて

2013年10月10日 11時42分43秒 | 亡国の坂道 
摧破異流義考(P.50)に、悪僧日達が昭和49年1月17日の説法の中で、広宣流布の時期を表現したくだらない邪義が掲載されていますので紹介することにします。このような邪義こそ、大聖人様の御心に背反する第一級の邪説であります。

云く「日本国全人口の三分の一以上の人が、本門事の戒壇の御本尊に、純真な、しかも確実な信心をもって、本門の題目・南無妙法蓮華経を異口同音に唱え奉ることができた時、その時こそ、日本一国は広宣流布したと申し上げるべきことである」と云う話であります。

此れは何処かで聞いたような台詞だな~、と思っていましたら、池田大作と悪僧日達との間で取り交わした、下手な漫才を連想させたあの時のやり取りでした。日達の云く「昨年の春私がすでに広宣流布しているといったら、そうです舎衛の三億です。と即座に池田先生が答えられたので、その見識に感嘆したのであります」(大白蓮華 昭和40年1月号)と。その時、池田が発した舎衛の三億の逸話になぞらえた、デタラメ広宣流布を悪僧日達が受け売りして、三分の一以上で広宣流布達成という姿を描いた妄想だったのであります。

そもそも舎衛の三億なる逸話は、竜樹菩薩の大智度論の中にある話でありますが、この故事は「見仏・聞法の難き」すなわち、仏様に値って法を聞くことが、如何に難しいかという事の喩を説いたお話であります。簡単にご紹介しましょう。

むかし印度の舎衛国に九億の民が在りました。三億の者は仏様を見る事ができ法を聞く事が適いました。また三億の者は仏様の存在を耳にしましたが、法を聞くことはありませんでした。残りの三億の者は、仏様の存在を聞いた事もなければ、法を聞く事はありませんでした。「仏、舎衛に在すこと二十五年、しかも此の衆生は見ず聞かず、何に況や遠き者おや」と。つまり、釈尊が出生し二十五年も住した舎衛国においてすら、実際に釈尊を眼で見て法を聞く事が出来た者は三分の一しか居なかったというお話であります。

このお話と日蓮大聖人様の下種仏法の広宣流布とは何ら関係のない話であります。それが似非信徒の池田大作の手に掛かると「学会員が日本の人口の三分の一となり、信心はしないが公明党の支持者が三分の一になり、残りの三分の一は例え公明党に反対であっても、事実上の広宣流布だという図式であります。この『舎衛の三億』は、仏法が信教の自由を認めている厳然たる証拠であります」(大白蓮華 昭和40年9月号)などという、デタラメ広宣流布を池田流に定義づけたのであります。    

この池田のデタラメ広宣流布に悪僧日達が便乗して、学会員が日本の人口の三分の一になったら、三大秘法の広宣流布にしてしまおうという邪義であります。さらに池田が輪をかけてデタラメな知ったかぶりを披露しています。云く「仏法が信教の自由を認めている厳然たる証拠」とは呆れましたね。大聖人様の下種仏法は邪法乱国・正法治国が立宗の根幹であり宗旨の命であります。それからすれば広宣流布の暁には、信教の自由は決して認めないばかりか、人々を不幸のどん底に突き落とすような間違った邪宗教は、法律によって強制的に廃絶・撲滅されるのであります。

分かり易い事例は、覚せい剤や麻薬の売人あるいは所持者等が、国の法律によって、厳しく取り締まりを受ける事と同じ理屈であります。

この度、日達の提灯持ちを買って出た邪義班の坊主らが悪僧日達の「舎衛の三億」なる邪義を解説して云く「この御指南は、要するに、今日日本国の主権者が、天皇でも幕府でもなく、国民であるという、主権在民の現実を鑑みられた上で、さらに、一国に正法が流布され渡り、実質的に、正法によって一国の動向が決せられるまでの状態(全人口の三分の一の人達)が実現した時、しかも末法万年の先々までも、この正法正義を断絶させぬという確固たる状態(純真な、しかも確実な信心をもって)を作り上げた、まさにその時を、広宣流布達成の時と御示しになったものである」などと。

悪僧日達と提灯持ちの坊主らがいう広宣流布観なるものは、いかにも確信がない。日本全人口の三分の一で広宣流布と断定しておきながら、さまざまな条件を付けています。例えば「純真な、しかも確実な信心を持って」という条件を付した上に、更に「南無妙法蓮華経を異口同音に唱え奉ることが出来た時」などと、誰人も確認できないような条件を何重にもつけて、その時が広宣流布だというのであります。

バカを言うにも好い加減にしなくてはなりません。ここで云う「純心」とか「確実な信心」とか「異口同音に唱える題目」なんて、そんな個々の内面に係ることは、仏様でなければ知る事のできない問題であります。そんな人々の内面に属する問題を持ち出して来て、それらの条件が満たされた時が広宣流布だなんて、凡そ馬鹿げた戯言であります。

更に、広宣流布の条件を確定して云く「全人口の三分の一の人達の入信が実現して、しかも末法万年の先々までも、この正法正義を断絶させぬという確固たる状態を作り上げた、まさにその時」などと。

こうなっては開いた口が塞がりません。こんな条件付きの広宣流布なんて、聞いた事もないし絵に描いた餅であります。

そもそも日蓮正宗七百年の唯一の宿願たる、広宣流布の暁の国立戒壇の大目的を永久放棄しておきながら「全人口の三分の一の人達の入信が実現して、しかも末法万年の先々までも、この正法正義を断絶させぬという確固たる状態を作り上げた、まさにその時」などと気勢を挙げたところで、唯一の大目的を放擲して、僧俗信徒をこの上ない無気力の世界に追いやっておきながら「全人口の三分の一の人達の入信が実現する」とは酔っぱらいの戯言であります。

宗門七百年の宿願たる国立戒壇の大目的を永久放棄した後の宗門では、決して日本の人口の三分の一に達するまでの折伏は不可能であり、絵に描いた餅で終わるのであります。悪僧日達が日蓮正宗の七百年の宿願としてきた国立戒壇を永久放棄した後の僧俗信徒の姿たるや目も当てられない惨状であります。無目的にして無気力、まるで洋上に漂流する養老集団そのものであります。

何度も云うようですが、正本堂の時は僅か八百万人足らずの学会員で建てたニセ戒壇でありますから、三才の幼児が見ても、広宣流布に至っていないことが解ります。また、日本の人口の三分の一で広宣流布という説も、池田と日達の共謀による邪義であります。三分の一の入信で広宣流布達成と云う邪義は、池田大作と悪僧日達が勝手に作り出した邪義の典型であります。それを舎衛の三億の逸話を引き合いに出して広宣流布を誤魔化すとは恐れ入りました。

池田大作の身勝手な憶測による「仏法が信教の自由を認めている厳然たる証拠であります」(大白蓮華 昭和40年9月号)などのデタラメが通用するなら、宗門から破門された邪教創価学会、あるいはオウムや天理教、幸福の科学といった、ありとあらゆる邪教は共に肩を並べて、いつまでも、どこまでも存在が許される事になるのであります。

果たしてこのような状態で「正法によって、一国の動向が決せられるまでの状態(全人口の三分の一の人達)が実現した時、しかも末法万年の先々までも、この正法正義を断絶させぬという確固たる状態を作り上げた、まさにその時」などと、幼稚にして馬鹿げた矛盾した話を振りまいていますが、これは謗法の咎により一人酔いしれている姿に他なりません。僅か三分の一の入信で「一国の動向が決せられるまでの状態」を作り上げるとは、観念論であり絵に描いた餅以上に馬鹿げた話であります。残る処の三分の二の方が、圧倒的数と力を有するのは論ずるまでもない話であります。 

このような、くだらない独り善がりも大概にしなければならないのであります。悪僧日達をはじめ邪義班の坊主らは、立正安国論で仰せられる邪法乱国・正法治国の大精神や、一期弘法抄の意味と三大秘法抄の御教示がまるで理解できていないのであります。

大聖人様の御本願は、日本国を仏国にすることが究竟の御本願であります。それには立正安国論の精神に基づき、国立戒壇を建立して国教を樹立することが立宗の主旨である事を知るべきであります。

その故に御抄には「諸教は無得道堕地獄の根源、妙法一人成仏の法なりと声も惜しまず呼ばはり給いて人法共に折伏してご覧ぜよ」と御教示であり、つづけて「権教権門の輩を一人もなく攻め落とせ」と仰せであれば、この仰せにしたがって、国立戒壇の建立を目指して折伏行に邁進することが、正宗信徒の務めであります。ニセ戒壇正本堂の為に三大秘法義を破壊するだけ破壊しておきならが何をかいわんやであります。

それを三分の一とは笑わせるではありませんか。悪僧日達は御本仏大聖人様の弟子ではなく、三大秘法の仏法を渡世の具とする食法餓鬼ともいうべき稀代の悪僧だったのであります。







言わずんばあるべからず、恐れずんばあるべからず

2013年10月07日 11時37分47秒 | 亡国の坂道 
摧破異流義考(P.33)に云く「戒壇の本義については、今日、浅井昭衛の盲説の出来を待って、第六十六世日達上人が、甚深の御相承の法義を拝されつつ「事の戒壇」について、初めて体系的に明示あそばされたのである」などと、大聖人秘墺の甚深の法門を初めて明かされたごとく、邪義班の坊主らは、寄って集って好い加減な出鱈目を垂れ流し、たいそうな勿体付けながらウソ八百を書き連ねています。

いわゆる「義の戒壇」と「事の戒壇」の立て分けは誠に大切なご法門でありますが、六十六代目を継いだ悪僧日達は、ニセ戒壇正本堂を指して広宣流布の「事の戒壇」などという邪義を展開し『「事の戒壇」に二重の意義がある』などとした邪義を編み出したのであります。そこで本宗不世出の貫首上人たる第二十六世日寛上人の御教示を基として「事の戒壇」の意義について此処で明確にし、後人の誤り無きを期するものであります。

日寛上人の法華取要抄文段には「本門の戒壇に事あり、理あり、理は謂く、義理なり、これ即ち事中の事・理にして迹門の理戒に同じからず、その名に迷うこと勿れ、故にまた義の戒壇と名づけんのみ」と仰せられ、重々の注意を促されておられるのであります。

日寛上人が仰せられる「事中の理」と「事中の事」の違いについては、まことに重要な法門であるため、折角の機会でありますから日寛上人の智目を助けとして、拙者がこの機会に明確に説明する事にします。

ここで日寛上人は「事中の理」すなわち戒壇の御本尊は、事の一念三千の御当体そのもでありますから「事中の理」あるいは「事中の事」と仰せられ、広宣流布以前の戒壇の大御本尊の所住の処を「事中の義理」即ち「事中の理」と定義せられているのであります。また「事中の事」とは、広宣流布の暁の本門寺の戒壇を「事中の事」と称するのであります。つづけてここで定義する化儀については、法華経迹門でいうところの理戒という意味ではないから「その名に迷うこと勿れ」と特段の注意を促されているのであります。

日達が云うような、戒壇に「事」の二重の意義があるなどとは片鱗も仰せられてはいないばかりか「故にまた義の戒壇と名づけんのみ」と念記せられ、これ以外の解釈や表現を厳しく排除しておられるのであります。悪僧日達がこじつけるように「戒壇に二重の意義」がある等と云う邪義は、ニセ戒壇正本堂を広宣流布の「事の戒壇」と呼称するための、似非信徒の池田大作に諂って、池田の政治野心に奉仕するために編み出した己義・邪説であります。

次に「事中の事」とは、戒壇の御本尊は事の一念三千の御当体そのものであります故に、本門戒壇の御本尊様を広宣流布の暁に天皇陛下の詔勅を賜り、国家意思の表明を以て、富士山天生原に、事実の相として建立される本門寺の戒壇堂=国立戒壇堂に安置し奉ることを「事中の事」と定義されているのであります。

その故に日寛上人は「事中の事」の戒壇として、三大秘法抄を引かれて「戒壇とは王法仏法に冥じ、仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて云々」と仰せられています。この戒壇こそが、広宣流布の暁に事相に建てられる「事の戒壇」であります。これが日寛上人御教示の本門戒壇に関する「事中の事・理」の法門の捌きなのであります。

ところが、摧破異流義考(P.33~34)に展開する邪義によりますと「戒壇の本義については、今日、浅井昭衛の盲説出来を待って、第六十六世日達上人が、甚深の御相承の法義を拝されつつ、初めて体系的に事の戒壇の二重の意義を体系的に明示あそばされたのである」などと、ニセ戒壇正本堂を、広宣流布の時の「事の戒壇」と宣伝したい為に、とんでもない邪義を展開し、正系門家七百年の伝統教義を滅茶苦茶に破壊してしまったのであります。

悪僧日達のこの教義歪曲によって、三大秘法義は根底から破壊され日蓮正宗の信心に一切の功徳を消失し、一人の成仏も叶わない宗門に成り果ててしまったのであります。いま、法華講員が御開扉と称して本山にお百度踏んで、戒壇の大御本様に何十回お目に掛かろうとも、爪の垢ほども功徳が生じない原因がここに存するのであります。

話を本題に戻します。ここで悪僧日達が破壊した事の戒壇の二重の意義なるものを具体的に示すことにします。即ち、日達以後の坊主らが展開する三大秘法の開合の相は、三大秘法義には存在しない変則的な六大秘法となっているのであります。

その邪義を明示しますと、本門の本尊は「人」と「法」、本門の題目は「信」と「行」、次に本門の戒壇は「事」と「事」ということなのだそうです。こうなってくると「義」の戒壇は、まったく存在しなくなるのであります。

その邪義を追求されると、歴代書写の御本尊を他所から持ち出してきて、これを「義の戒壇」等と言い出したのであります。これは、まんざら間違いではないものの、これでは、変則的な六大秘法となってしまい、下手をすると七大秘法となってしまう。是れ明らかな邪義であります。

そもそも三大秘法開合の相という法門は、一大秘法の本門戒壇の本尊を開いた時に「三秘総在の本尊」となります。所謂「本門の本尊」「本門の題目」「本門の戒壇」であります。更にそれを開けば六大秘法となるのであります。すなわち本門戒壇の御本尊のみに限定して三秘・六秘を論ずる法門であって、他所から全然別の本尊を持ち出してきて、開合の相を論ずること事態ナンセンスであり間違いであります。

つづけて云く『浅井らは、ともかく、御歴代のどなたが仰せである、ゆえに宗門古来からの定義である等と強弁するのみで、法門の道理よりも、単なる「言った、言わない」論に終始しているが、実に低次元極まりない、文字どおりの浅い教学ではないか。そもそも広布の暁に建立されるという戒壇の建物と、大聖人出世の本懐たる大本尊の当体及び所住と、いずれを事の戒の根本として法義を展開すべきか、寛尊の「一大秘法」「三秘総在」との御教示を拝すれば、筋道は明白である』としているのでありますが、邪義坊主らの展開する屁理屈は、意味不明の文字を弄んでいる事に他なりません。

邪義班の坊主らが云う「広布の暁に建立されるという戒壇の建物と、大聖人出世の本懐たる大本尊の当体及び所住と、いずれを事の戒の根本として法義を展開すべきか、寛尊の「一大秘法」「三秘総在」との御教示を拝すれば、筋道は明白である」とは、一体どういう意味なのか? 仮に、坊主らの展開する邪義が解る者がいたら、それは誠に御目出度い人であります。誤魔化そうとするから判読はまったく不可能なのであります。

寛尊の示された一大秘法、三秘総在の御教示は、先に示した如く、本門の戒壇には「義」と「事」に分けられた懇切丁寧な御教示であり、是れを深く味わうべきであります。

更に坊主らの邪義は止めどなく続きます。云く「日達上人が御相承の法門の上から、戒壇に事・義を立て分けられ、さらに根源の事の戒壇とを広布の事相における事の戒壇とを説き示された御指南は、日寛上人の御教示の奥に拝せられる御真意と、いささかも異なるものであはないのである」などと。

邪義班の坊主らは「日達上人が御相承の法門の上から、戒壇に事・義を立て分けられ、さらに根源の事の戒壇とを広布の事相における事の戒壇とを説き示された御指南」等と矛盾したデタラメを吹聴していますが、悪僧日達は御相承の法門を堅持するどころか、最初から戒壇については、事・義に立て分けることを真っ向から否定し、戒壇は、事・事しか有り得ないとして、ニセ戒壇正本堂は広宣流布の「事の戒壇」である等と己義・邪説を構えたのであります。

邪義班の坊主らはこのような驚くべき己義・邪説を展開していながら、日達の己義・邪説と日寛上人の定義された法門に天地ほどの相違を下手な文字を並べて隠蔽しておきながら「いささかも異なるものではない」などと強弁を張っていますが、何処をどう解釈すれば、そのような邪義を垂れ為すことができるのか。この明らかな相違を認めようとしない坊主らの罪は誠に深いと指摘しておきます。

日寛上人は、文低秘沈抄の御文の中で、天台の文句第十を引かれ「仏其の中に住す。即ち是れ塔の義と釈するが如し云々」と御教示のように、広宣流布以前の戒壇の大御本尊の所住の処は、塔の中にお住まいの秘仏のお姿をお示しなのであります。依って、広宣流布が達成されるまでの間は、戒壇の大御本尊様は御法蔵の奥深くにおしまい申し上げて、遠くから遥拝することが正しい化儀なのであります。

それを坊主らの生活の為の商売道具として、内拝と称して信徒の面前でやりたい放題、見世物のごとく晒して御開扉料をメシの種にするとは、大聖人様を利用冒涜することとなり、大聖人様の御心に背反する大謗法に当たるのであります。

現在のような坊主の金儲けの為に信心の薄い大衆が無差別に動員され、戒壇の大御本尊様の御宝前に、先を争ってなだれ込むような軽佻浮薄の御開扉は間違いであり、大謗法に当たるのであります。いくら内拝と雖も度が過ぎるというものです。坊主の中には、ひげを伸ばし欠伸をしながら度重なる御開扉に付き合わされているというような、だらけた不遜な態度が見受けられますが、このような緊張感の欠けた不敬な態度は罰当たりの最たるものであります。

法華経寿量品第十六には「若見如来・常在不滅・便起憍恣・而懐厭怠・不能生於・難遭之想・恭敬之心」等とありますが、この文の意味するところ、若し仏さまは常におわして滅することもなければ、たちまち憍恣の心を起こして、厭怠にして、しかも鬱陶しいと思う心に支配され、仏様に対して恋慕渇仰して恭敬の心を持つこともできないような結果を生んでしまう」と説かれているのであります。このように大聖人様の御心に背反する御開扉は、不敬冒涜以外になく根本的に間違っているのであります。

このような不敬冒涜を繰り返している御開扉が、今日の宗門の御開扉の実態なのであります。序でに申し上げれば、ニセ戒壇正本堂を解体を機に戒壇の大御本尊は、御宝蔵の奥深くに御遷座申し上げるべきだったのであります。この精神を文句の第十に「仏其の中に住す。即ち是れ塔の義と釈するが如し」と仰せられたのであります。商売に目が眩んだ悪僧日顕・日如は、罰当たりも極に達した不遜の悪僧ともいうべきであります。

北面の武士さんが、かつて富士大石寺の行儀を述べられた中で、次のような一節を披露していました。

云く「江戸期の御内拝への正式な請願文である内拝請願文(寂日坊所蔵)の中にも『「御慈悲ヲ以て事戒壇タル奥御宝蔵ニテ、戒壇之御本尊ヘノ御内拝ヲ願イ奉ル」との厳粛な慣例があった』とありますが、檀家の代表が本門戒壇の大御本尊様に内拝申し上げる時には、峻厳な自覚と緊張をともなった良き事例を述べておられましたが、是れこそが正系門家の七百年の伝統だった事を考えれば、今日の御開扉の精神とはまた隔世の感があることがわかります。

ただ此処で一言申し上げれば、寂日坊所蔵の内拝請願文の文中「事戒壇タル・・・・戒壇之御本尊ヘノ御内拝」と記された請願文は、明らかな間違いであって「義戒壇タル」が正しいのであります。

第六十五世を継がれた先代の日淳上人は悪僧日達とは比べるも愚か、日淳上人は真に英邁な貫主上人であられました。御本仏大聖人以来の国立戒壇の正義を宣揚せられ、猊座にある時は常に、国立戒壇の建立を念願遊ばされておられたのであります。

云く「連祖は国立戒壇を念願せられ、これを事の戒壇と称せられた」と仰せであり、つづけて「この元朝勤行とても二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を伝えたものであります」(大日蓮 昭和34年1月号)と御教示である事からも明白であります。

このように日淳上人は、広宣流布の時の「事の戒壇」と、御本尊の在所の「義の戒壇」を明確に峻別遊ばされていたことは、上掲の御指南からも明らかであるし、国教の樹立の必要性についても高らかに叫ばれていたのであります。

国教樹立の必要性については「真に国家の現状を憂える者は、其の根本たる仏法の正邪を認識決済して、正法たる国教の樹立こそ必要とすべきであります」(大日蓮 昭和32年1月号)と仰せられています。

それに反して悪僧日達は、似非信徒の池田大作に会うとたちまち豹変し、ニセ戒壇正本堂の建設と合わせて「事の戒壇」に、二重の意義があるなどという、とんでもない邪義を構えるようになったのであります。

それがあの有名な「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」(大白蓮華 201号)等という、馬鹿げた説法であります。ニセ戒壇正本堂が建っただけで、王仏冥合の広宣流布とは呆れるばかりであります。

要するに悪僧日達の心の中にあったものは、大聖人様の御遺命たる広宣流布は、似非信徒の池田大作と日達の時代に「事の戒壇」たる正本堂は完成し、広宣流布は見事に達成されたという事を云いたかったのであります。

広宣流布が達成されたかされないかは、三才の児戯でも認識できる論ずるまでもない誠に愚かな話であります。いま宗門は、あのニセ戒壇正本堂以来の教義歪曲を一掃して、富士の清流を一刻も早く取り戻さない限り、功徳の有る無いの話どころではなく、今に日本国が取り返しのつかない国難に晒される事になるのであります。

御妙判に云く「仏法は体なり、世間は影なり、体曲がれば影ななめなり」と。


宗門の邪義はニセ戒壇正本堂の建設以前から始まっていた

2013年10月06日 11時53分38秒 | 亡国の坂道 
北面の武士さまに申し上げます。貴方の御高説によるとこのようにあります。

云く『いくつか誤解があると思いましたので、愚見申し上げます。事の戒壇について、あなたのご意見は良く分かりましたが、我ら檀家の間では古来「事の戒壇」と言えば「戒壇の御本尊様所住のところ」を呼んでおりました。これは何も日達上人様に始まったわけでもありません。また、仏法の用語は全てが「相対用語」であります。事の戒壇にしても「広宣流布の暁の戒壇」=「事の戒壇」とした場合、それまでの戒壇は全て「義の戒壇」になりますが、戒壇の御本尊様が所住する所を事の戒壇とする事も代々の檀家の中では常識でした』などと。

そこで拙者の意見を申し上げる事にします。先ず、貴方の展開なさる論理には初歩的な矛盾があります。その一つは『我ら檀家の間では古来「事の戒壇」と言えば「戒壇の御本尊様所住のところ」を呼んでおりました。これは何も日達上人様に始まったわけでもありません』などとありますが、これは明らかな教義解釈の間違いですね。

端的に申し上げますと第六十六代の日達という悪僧は、創価学会の池田大作に諂って、大聖人様の御遺命たる国立戒壇を弊履の如く投げ捨て、金で御遺命を売り渡してしまったのです。

第二十六世の日寛上人は『「聖典」の中で「義の戒壇とは、即ち是れ本門の本尊の所住の処、義の戒壇に当たる故なり」と仰せられ、事の戒壇については、「正しく事の戒壇とは、一閻浮堤の人、懺悔滅罪の処なり、但然るのみに非ず、梵天・帝釈も来下して踏みたもう戒壇なり』として、広宣流布の暁に時の天皇陛下の勅宣を奉戴し、国家意思の表明を以て建立される最終の戒壇を「事の戒壇」として、三大秘法抄の文を引かれて定義されておられるのであります。

更に『「事の戒壇にしても「広宣流布の暁の戒壇」=「事の戒壇」とした場合、それまでの戒壇は全て「義の戒壇」になりますが、戒壇の御本尊様が所住する所を事の戒壇とする事も代々の檀家の中では常識でした』とありますが、この解釈も日寛上人の御教示に従えば、邪義であるということが明白ですね。

大聖人の御抄に「例え等覚の大師法を説くと雖も、教を手に取らざるは是を用うべからざるなり」と仰せでありますように、古くから檀家の中で言い伝えられていた教義解釈といえども、御本仏大聖人の御心に違背する教義展開は、間違いであれば、即刻改められるべきであります。事の戒壇、義の戒壇の立て分けは、寛尊の文低秘沈抄、法華取要抄文段等を拝読すれば、掌を見る如く明々白々となるのであります。



摧破異流義考の邪義を嗤い正系門家の誤りを憂う

2013年10月03日 10時59分47秒 | 亡国の坂道 
摧破異流義考の(P.28)に、邪義班の坊主らの云く「およそ、広宣流布以前に事の戒壇がなかったり、広宣流布によって初めて、大聖人の三大秘法・六大秘法が成就するなどということは、よくよく考えれば、大聖人が宗旨を成就せられぬまま御入滅されたことになってしまうのであり、本仏日蓮大聖人の円満無欠の御化導において、かかることがありえよう筈はない」などと、

また、本門戒壇については「大御本尊まします事の戒壇、この戒壇は、何時いかなる所であろうとも事の戒壇、という根源の意である」として「正本堂は正しく事の戒壇であり、大聖人の御遺命の広宣流布は達成した」などと、今から約49年も前、すなわち正本堂建設の8年前の昭和39年当時に、宗門一千振りまく邪義に同調して振りまく邪義に同調して、異口同音に口を揃えて広宣流布達成を宣言し、狂気の乱舞に明け暮れていたのであります。

今から考えるとまことに恐ろしい現実でありますが、此処で改めて大聖人様の一期の御遺命たる本門戒壇に関する一期弘法抄と、三大秘法抄の御教示を改めて拝読し、当時を振り返ってみる事にします。

始めに一期弘法抄「日蓮一期の弘法白連阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり」と。

次に三大秘法抄「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮堤の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給うべき戒壇なり」云々とあります。

御本仏日蓮大聖人様の嫡流を自認する日蓮正宗は、ニセ戒壇正本堂落成の直前の昭和47年に発せられた悪僧日達の「訓諭」には次のようにあります。

云く「正本堂は一期弘法抄並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり、すなわち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり、但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の御本尊は公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり」と。何とも訝しい矛盾だらけの内容であります。

それもその筈であります。昭和40年当時、すでに一山を代表する坊主らは、下記のような馬鹿げた邪義を大真面目に叫んでいたのであります。

初めに悪僧日達の邪義を示します。云く「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」(大白蓮華 201号)と。

次に、日達から相承を受けたと自認する悪僧日顕の云く「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、初めてその実現の大光明を顕さんとしている」(大日蓮 昭和42年11月号)と。

佐藤慈英・宗会議長の云く「この正本堂建立こそは、三大秘法抄に示されたところの『事の戒法』のじつげんであり、百六箇抄に『日興嫡々相承の曼荼羅をもって本堂の正本尊となすべきなり』と御遺命された大御本尊を御安置申し上げる最も重要な本門戒壇となるので御座います」(同大日蓮)と。

大村寿顕・宗会議員の云く「この大御本尊安置の本門戒壇堂の建立をば、『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ』云々と、滅後の末弟に御遺命されたのであります。その御遺命通りに、末法の今、機熟して『本門寺の戒壇』たる正本堂が、御法主上人猊下の大慈悲と、法華講総講頭・池田大作先生の世界平和実現への一念が、がっちりと組み合わさって、此処に新時代への力強い楔が打ち込まれたのであります。(同大日蓮)

椎名法英・宗会議員「富士山に本門寺の戒壇を建立すべきなり、時を待つべきのみ」との宗祖日蓮大聖人の御遺命が、いま実現されるのである。何たる歓喜、何たる法悦であろうか」(同大日蓮)と。

菅野慈雲・宗会議員「正本堂建立は即ち事の戒壇であり、広宣流布を意味するものであります。この偉業こそ、宗門有史以来の念願であり、大聖人の御遺命であり、日興上人より代々の御法主上人の御祈念せられて来た重大なる念願であります」(同大日蓮)などと。

此処で改めて悪僧日達の間違いだらけの、バカげた訓諭をお浚いしてみることにします。

「正本堂は一期弘法抄並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり」とありますが、何処を探したらニセ戒壇正本堂建設に際して、一期弘法抄でお示しの「国主」が存在していたのでしょうか。更に「三大秘法抄の意義を含む」とありますが、何時、王仏冥合の実現が成り、勅宣であるところの、天皇の詔勅を奉戴した事実が有ったのでしょうか。また、御教書たる国家意思の表明たる、国会の議決が為された事実が存在したのでしょうか!

この訓諭は全てが嘘とデタラメと邪義で構成されているのであります。悪僧日達は「現時における事の戒壇なり」と強弁を張っていますが、広宣流布以前の本門事の戒壇に「事の戒壇」なるものは存在する道理はありません。広宣流布する前に建設された正本堂は端からニセ戒壇だったのであり、御遺命違背の魔の殿堂だったのであります。悪僧日達が宣伝する如く、ニセ戒壇正本堂という建物が完成した時が広宣流布とは、呆れて二の句が出ないのであります。

つづいて「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」とありますが、これでは「事の戒壇」は、広宣流布は達成されてもいないのに、前もって建てたということになるのであって、大聖人様の仰せられる「時を待つべきのみ」の誠誡に違背することになるのであります。大聖人様は「時を待つべきのみ」と誠誡せられ「事の戒壇」と称して、ニセ戒壇のような建物を先に建てる事を固く禁じておられるのであります。

そもそも本門戒壇とは、広宣流布の暁に天皇陛下の勅宣を賜り、国家意思の表明を以て、富士山天生原に建立される国立戒壇の事をいうのであります。

つづけて「現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の御本尊は公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり」とありますが、此の訓諭を読んで空恐ろしくなってくるのであります。

「現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の御本尊は公開せず」とあるごとく、此の文を見ただけでも、未だ広宣流布は達成していないことを、自ら証明しているのであります。

大聖人様は「権教権門の輩を一人もなく攻め落として法王の家人とせよ」と御教示であれば、何が「謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の御本尊は公開せず」なのでしょうか。

三大秘法抄には「三国並びに一閻浮堤の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給うべき戒壇なり」と御示しの通り、広宣流布の時の本門寺の「事の戒壇」とは、全世界の人々の前に開かれた懺悔滅罪の戒法の道場となり、更には、大梵天王・帝釈等の諸天善神も来下して参詣するという、未曾有の大戒壇のことを仰せなのであります。

元々正本堂はニセ戒壇であるが故に、大聖人様は此のニセ戒壇の存続を許し給わず、建設からわずか26年にして、轟音と共に崩れ去り、この世から跡形も無く姿を消す羽目になったのであります。

このようにしてニセ戒壇は跡形もなく無くなりましたが、教義は歪曲したまま出家坊主らの心の中は何等の反省も検証も無く、依然として現今の宗門は無謬性ばかりを強調し、派閥をつくり袈裟の権威で肩で風を切って信徒を睥睨しているのであります。そうして供養金を収奪することだけしか眼中に無く、何かにつけて登山を強要して御開扉料を稼ぐことばかりを考え、己の贅沢三昧と、本山の伽藍ばかりをきらびやかにすることのみに明け暮れているのであります。

御開山上人が置文の冒頭に「富士の流義聊かも先師の御弘通に違せざる事」との御誠誡は馬耳東風のごとく、まるで他人事のように鼻にも掛けない者で溢れ返っているのであります。いま宗門は、ニセ戒壇正本堂以来の教義歪曲を糺して、上代の日興上人・日目上人の時代の富士の源流に立ち返ることこそ、一刻を争う喫緊の重大事となっているのであります。

御本仏大聖人様は立正安国論の中で「先難是れ明らかなり、後災何ぞ疑わん、若し残るとこの難、悪法の科に依って並び起こり、競い来たらば、その時何がせ為せんや」と仰せでありますが、現今の宗門はあのニセ戒壇正本堂以来、三大秘法義の歪曲を糺すことなく、一切反省も懺悔もしていないのであります。

それに布石を合わせるように、ようやく昨今の自然災害だけを見ても、大地震をはじめ日本の各地で巻き起こっている未曾有の風水害や竜巻等、年を追うごとに激しさをまして、多くの尊い命が奪われています。それと併せて領土問題では、竹島、尖閣諸島の領有権問題等が俄かに騒がしくなり、今やこれ等の問題は国難とも言われる状況を迎えています。まさに、尖閣問題は中国との間で一触即発の様相を呈しています。是れこそ亡国の先兆であります。

このように、正系門家の仏法が曲がれば、やがて国が傾いてくるのであります。蒙古使御書に云く「一切の大事の中に国の亡ぶるが第一の大事にて候なり」と教示であれば、正系門家の僧侶たる者は、何をさて置いても三大秘法義の歪曲を速やかに糺し、富士の源流を一刻も早く取り戻さければならないのであります。正系門家の僧侶には、それほどの重い責任が存するのであります。

今こそ日蓮正宗の曲った教義を糺さなければ、日本国は、将来取り返しのつかない禍根を残す事になるのであります。



摧破異流義考誌の頭破七分を笑う

2013年10月03日 04時09分58秒 | 亡国の坂道 
摧破異流義考(P.30)には、次のような子供騙しのような邪義を展開し、六大秘法の中身を破壊して「義の戒壇」は、一切存在しない等と云う邪義を垂れ流しています。

云く「およそ、広宣流布以前に事の戒壇がなかったり、広宣流布によって初めて、大聖人の三大秘法・六大秘法が成就するなどということは、よくよく考えれば、大聖人が宗旨を成就せられぬまま御入滅されたことになってしまうのであり、本仏日蓮大聖人の円満無欠の御化導において、かかることがありえよう筈はない」などと。

坊主が云わんとすることは、これまでは、戒壇の御本尊の在所は、何時でも、何処でも「事の戒壇」でり「義の戒壇」は絶対に存在しないという事を強調していたのでありますが、この度の邪義もそれの上塗りであります。

ところが(P.31)には、日寛上人の文低秘沈抄の文を挙げて、云く「義の戒壇」とは即ち是れ本門の本尊所住の処、義の戒壇に当たる故なり」の文を列記しているのであります。これでは矛盾撞着支離滅裂ではないか。

そもそも摧破異流義考の出版の目的は、顕正会が展開する教義を破折のために、大そうな題名を付けて、この本を発刊したのではなかったのか? それが、ページをめくる毎に、まるで間違いだらけ文章を書き連ねて、読む者をして落胆せしめているのであります。

それで居ながら往生際のわるいことに、云く「しかしながら、この御教示とて、広布の事相における事の戒壇の根源には三秘総在の大御本尊がましますのあり、その三秘総在の大御本尊の所住、さらにいえば、当体そのものが根源の事の戒壇であることと、何ら矛盾するものではない」として、次元の違う法体の事をとりあげて邪義の文章を書き連ねているのでありますが、これこそ正に頭破七分の見本であります。

正直言って、邪義班の坊主らの書いた文を読んで、この文意を理解できる者は、十人が十人、百人が百人、一人として居ない筈であります。

文章そのものが日本語として成り立たってないのであります。拙者が、坊主らの言わんとするところを慮って、その意を代弁すならば、文章は次のようにならなくてはならないのであります。

「三秘総在の大御本尊の所住の処は「義の戒壇」であり、当体そのものが根源の事の本尊であることと、何ら矛盾するものではない」とならなければ、まったく意味は通じないのであります。当体というからには、本尊でなければ意味は通じない。それなのに、戒壇を指して当体とは恐れ入りましたね。

それで「事の戒壇」の説明として、下記のごとく三大秘法抄の御文を引いているのであります。

「正しく事の戒壇とは一閻浮堤の人、懺悔滅罪の処なり、但然るのみに非ず、梵天帝釈も来下し蹋みたもうべき戒壇なり」(聖典849)と。

ここで単純明快に「義の戒壇」と「事の戒壇」の違いを説明すれば、「義の戒壇」とは、広宣流布以前の戒壇の御本の在所のことであります。

それに対して「事の戒壇」とは、広宣流布の暁に事実の相として建立される、本門戒壇=国立戒壇を「事の戒壇」と呼称してきたのが、宗門七百年の正しい教義の展開だったのであります。

邪義班の坊主らの展開する戒壇義は、単なる植字のミスではなく、坊主がニセ戒壇正本堂を「事の戒壇」として固執する余り、このような表現になったのは間違いありません。いずれにしても、真面目な信徒を煙に巻くための悪意からの表現と思われます。坊主の展開する邪義には、余ほど用心して掛からないと、堕獄の道ずれにされることは間違いありません。

御抄に云く「悪知識においては怖畏の心を生ぜよ」との御教示がありますが、坊主の垂れ流す邪義を鵜呑みにしようものなら、間違いなく堕獄の憂き目に遭うのであります。