御開山日興上人の遺誡置文の中に「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」との有名な一条があります。
彼の日達管長は、国立戒壇の御遺命を永久放棄す以前には、上記の置文を次のような正しい解釈をしていたのであります。
云く「後世の総本山の代表たる貫首であっても大聖人の仏法に相違して自分勝手な説を立てて固執するならば、その説は勿論、その貫首を用いてはならない。日興上人は大聖人の仏法を守るためには、かくの如く実に厳格であったのである」と。
ところがその後日達管長は、ニセ戒壇正本堂を指して広宣流布の「事の戒壇」などと大宣伝を始めたため、顕正会の浅井会長にその邪義を諌められ、自らの邪説が露見するや、破廉恥にも遺誡置文の文意を次のように曲げて解釈し、平然と大聖人様の仏法を曲げてしまったのであります。
云く「時の貫首とは、その宗の頭、即ち現在の管長であり法主である。管長であるから宗門を運営するに当って、誰を採用し、任用してもよいのであるが、大聖人の仏法に違背して自分勝手な説を立て、しかも注意されても改めない人を用いてはならない。つまり、時の貫首の権限を示されているのである」(置文講義録 昭和47年7月30日)と変更してしまいました。
上掲の二通りの解釈はとても同一人物のものとは思えない破廉恥なものであります。佐渡抄に云く、「外道悪人は如来の正法破りがたし、仏弟子等必ず仏法を破るべし、師子身中の獅子を食む等云々」と。
大聖人様はここで「仏弟子等必ず仏法を破るべし」と仰せでありますが、邪義を振りまく者は仏弟子とは呼ばないのであります。邪義に染まった坊主に於いては仏法を護るも破るも有りません。邪義は何処までいっても、邪義に変わりはないのであります。
大切なことは、正系門家の僧侶が必ず仏法を破ると仰せられているのであります。正系門家の僧侶とは、日蓮正宗の僧侶の事であります。その僧侶の頭が先頭を切って、三大秘法抄の戒壇義を破壊し、御開山日興上人の遺誡置文の文意を破壊したのであります。故にこれを称して、悪坊主と呼ぶのであります。
彼の日達管長は、国立戒壇の御遺命を永久放棄す以前には、上記の置文を次のような正しい解釈をしていたのであります。
云く「後世の総本山の代表たる貫首であっても大聖人の仏法に相違して自分勝手な説を立てて固執するならば、その説は勿論、その貫首を用いてはならない。日興上人は大聖人の仏法を守るためには、かくの如く実に厳格であったのである」と。
ところがその後日達管長は、ニセ戒壇正本堂を指して広宣流布の「事の戒壇」などと大宣伝を始めたため、顕正会の浅井会長にその邪義を諌められ、自らの邪説が露見するや、破廉恥にも遺誡置文の文意を次のように曲げて解釈し、平然と大聖人様の仏法を曲げてしまったのであります。
云く「時の貫首とは、その宗の頭、即ち現在の管長であり法主である。管長であるから宗門を運営するに当って、誰を採用し、任用してもよいのであるが、大聖人の仏法に違背して自分勝手な説を立て、しかも注意されても改めない人を用いてはならない。つまり、時の貫首の権限を示されているのである」(置文講義録 昭和47年7月30日)と変更してしまいました。
上掲の二通りの解釈はとても同一人物のものとは思えない破廉恥なものであります。佐渡抄に云く、「外道悪人は如来の正法破りがたし、仏弟子等必ず仏法を破るべし、師子身中の獅子を食む等云々」と。
大聖人様はここで「仏弟子等必ず仏法を破るべし」と仰せでありますが、邪義を振りまく者は仏弟子とは呼ばないのであります。邪義に染まった坊主に於いては仏法を護るも破るも有りません。邪義は何処までいっても、邪義に変わりはないのであります。
大切なことは、正系門家の僧侶が必ず仏法を破ると仰せられているのであります。正系門家の僧侶とは、日蓮正宗の僧侶の事であります。その僧侶の頭が先頭を切って、三大秘法抄の戒壇義を破壊し、御開山日興上人の遺誡置文の文意を破壊したのであります。故にこれを称して、悪坊主と呼ぶのであります。