亡国の坂道

日蓮大聖人の云く、「仏法漸く転動しければ世間も又濁乱せり、仏法は体の如し、世間は影の如し、体曲がれば影斜めなり」と。

浅井会長が百八十度豹変した原発問題

2014年11月10日 13時30分08秒 | 亡国の坂道 
顕正会の浅井会長は、去る平成5年6月6日に開催された、青森大会に於ける質問会で、原発大賛成の意思表明を為され、次のように発言されています。

質問 「青森県六ヶ所村の核燃料基地が話題になっていますが、日本の原子力利用をどう見たらよろしいでしょうか?」

答え 「青森だけなんですかねえ、今の、原子力のエネルギーの、核燃料基地っていうのがあるっていうのは、六ヶ所村に。おそらく、まあ、そこが一番適当だっていうんで、日本政府が選んだんでしょうけどね。

まあ、これは直接仏法とは関係ない、あのー、話題でありますけど、まあ、私はこう思うんですね。

えー、今、この、発展しつつある経済、この経済発展を支えているエネルギー、これはもう石油には頼れないんだろうと。今後、石油は枯渇しますからね。そうするとどうしても、もう、いかなる国も、人類全体が新しいエネルギー源としてですね、原子力に頼らざるを得ない。これもし頼らないということになってくると日本の今の経済生活、どうなんでしょうか、大変なことになるんでしょうね。

おそらく今の、あれでしょ? エネルギーの中で、全国の発電量の30パーセント、までいってるんじゃないですか、現在。原子力の発電が。だから原子力を全部日本人がですね、ダメだ捨てろ捨てろと言うと、30パーセントの電力がなくなっちゃうから、経済成長も三分の一にダウンしちゃう。と、日本は生活できないですね。

それ日本だけじゃない。全世界が、もう、核エネルギーっていうことを使って、現在の生活が成り立っている。まあ、そこで私思うんですね。もうロシアのような、もう、ああいう、国になりますとね、核燃料は使い捨て、そして管理はメチャメチャ、だからチェルノブイリみたいな事が起こるんですね。ああいう使い方はいけないけれども、核燃料をもう避けて通ることができないんだったらば、それを完全に安全管理する、これやっぱり、人間の一つの智慧なんでしょ。

その中においては、日本の国は最も用心深く安全に管理しているんではないか、私そう思うんですね。もしそれを核燃料を核アレルギーからですね、全部捨てろ捨てろっていうのは、今の日本の経済生活を全部否定して昔に戻るんだと。もう電力なんかいらないと、いうんだったらかまいませんけども、今の生活を維持しようっていうんだったら、核エネルギーっていうことを、無視することはできないんだから、これを用心深く安全管理する日本ならそれをやれているんではないかと思う。

ところが、何でこれを反対反対反対ってことが、これ、かまびすしいかといいますとですね、これ社会党が言ってるんですよ。実は、社会党が以前から反対していることは三つあったんですね。自衛隊反対。これは違憲。憲法違反です。自衛隊なんか解体しろ。もう一つ、原発反対っていうんですよ。現行の原子力、原子力の核は核兵器に通ずる、なんて言って、みんなが日本人はヒロシマ・ナガサキっていうんで、核アレルギーを起こしている。それに与同してですね、その、原発もいけないっていう。

それからもう一つ。日韓、この、条約を破棄しろと言って、韓国との交渉も、これするなとこう言ってる。でこのようなことを今になってみて社会党が困っちゃってこれじゃもうこの、選挙負けるということで全部それを、変更しはじめたでしょ? 自衛隊も容認すると。原発も容認する、なんて言ったけどもう既に遅い。そのように社会党が騒ぎに騒いだからみんな国民が何か私は誤解をしている。社会党が何故騒いだかわかりますか? ソ連の政策だったんですよ。ソ連が何としても日本を弱くしようと。それで自衛隊を解散させると。で自衛隊は違憲、違憲、憲法違反ってやつ。それから原子力。これを日本が利用するってことはますます経済発展になる。

だから原発反対しろと。それに社会党が、いわゆるソ連の、謀・・・日本に対する対日謀略の手先になった。ですから、今、社会党が、一番触れられたくない問題が何かというと、ソ連から資金援助を受けたんですね。ソビエトから、ものすごい資金援助を受けてきたでしょ? この場合、これは今、ソビエト共産党が崩壊することによって機密文書が出て、どんどん社会党に援助したことが、文書が出てんで、社会党が一番困ってる。このように、外国からお金をもらって、日本の国益に反するようなことをやっておったのが、あのかっての社会党だった。そこに今の社会党のまことにみじめったらしい姿が出てきてるんですね。

まあ、そこに私は、今のこの、原子力発電っていうことを反対、核エネルギー反対って言ってこれを全部破棄しろというんだったら、そいで危険だというんだったら、しかし日本でもって、この原発でもって誰が死んだんでしょうか。誰も死なないでしょ? 私は非常に用心深くやられてると思うし、もしこれが危険だ危ないんだって言ってやめるんだったらね、自動車乗るのをやめたらどうかと思う。原発じゃまだ死んでないけど。

自動車じゃ年間一万数千人死んでるんですから、事故でもって。それこそ、一万数千人から死んでる自動車みんなやめろっていって、ホントはこれに賛成しなきゃならない。またゴールデンウィークなんたって、あれやると必ず、山で死んだ海で死んだって、必ず数十人、毎年死ぬんですよ。休まない方がいいじゃないですか。だからそうなってくるとですね、今の核、この、原発反対ってことはいかにも感情論なんだと。私は思うんですね。

まあ、こういうことも、仏法の智慧でもってでね、一体何が必要なのかと。そして、たとえ必要なものであっても危険なもんだったら充分用心しなきゃいかん。まあ、そのバランス感覚っていうのか私は仏法の智慧で見ていかなければならない、と思う。

そして、将来私はですね、これは広宣流布になったときにおいては、もう石油も何もかもですね、使わずに本当に、広宣流布になった後の私はエネルギーはですね、私のこれは私見でありますが、えー、核融合のエネルギー、太陽と同じエネルギーで、全然クリーンのですね、もう排気ガスも出さないというようなことが必ず、広宣流布になって、世界平和になってくると、全部がそういうようなことになってきて、そういった物質面においてもですね、寂光土が出てくる、私は思いますね。

今、それまでの間、しばらく、まあしかし、まあ、原発の問題なんかちっちゃい。もっともっと重大なことが参ります。原発の危険よりも、北朝鮮が、こちらに向かって核ミサイルをですね、ぶっ放すかもしれないって時代が来てるんでしょ? ロシアの、それこそ、核の、あの、廃棄物、あれをどんどん日本海に垂れ流しているんじゃないですか。おそらく青森にも来てるんじゃないですかね。そのような事を本当は騒がなきゃいけない。中国の核兵器どうするんですか、こういう事を社会党は少しも文句言わないんですね。

本当は、日本海でもって、あの、沿海州でもって、ソ連がどんどん核の廃棄物をですね、固形物も、それから液体も流している、あれこそ社会党、声を大にしてデモ行進しなきゃなんないのにそういうことは一言も言わない。この、一つ、カラクリを見破ってですね、私達は何よりかによりとにかく広宣流布してすべてを根本から解決しなきゃいかんということを、ひとつ見つめていきたいと思うんですね。はい」等と。

その後、浅井会長は平成23年3月11日の東日本大震災を機に、今度は、原発大反対を打ち出されましたが、それホンマですか!? それでは、平成5年6月6日の青森大会での原発大賛成の発言は、一体何だったのでしょうか! これ気まぐれ発言だったのでしょうか? いずれに致しましても今回は、浅井会長の仰せられる原発大反対に転じられた理由をお聞きする事にしましょう。

その具体的な発言として、平成24年2月5日、及び同年4月5日付の顕正新聞・原発廃絶特集号に、浅井会長が、原発絶対反対に転じられた理由が詳しく報じられています。

中でも平成24年2月5日号の原発廃絶特集号の大見出しには「原発は日本を亡ぼす、即時全廃せよ」「人のDNAを破壊、国土を居住不能にする。代替は天然ガス・コンバインドサイクルで十分、惨禍をもたらすを知って推進するは犯罪」として、独創的な論陣を張られ「ヨウ素131」「セシウム137」「ストロンチウム90」「プルトニウム239」等がもたらす危険な毒性の被害について、専門家の意見を交えながら、詳しく説明され「高速増殖炉・もんじゅ」の失敗に次ぐ失敗を取り上げられ、次いで「プルサーマル核燃料サイクル計画」の危険性についても言及されています。

つづけて、同年4月5日付の原発廃絶特集号の見出しには大書して「日蓮大聖人こそ日本を救い給う御本仏」「原発は日本を滅ぼす、即時廃絶せよ」「天然ガス発電で電力供給すでに充分」「再稼働は国家・国民への犯罪行為」として、改めて放射能の恐ろしさについて述べられ、御用学者と原発利益共同体の責任を重ねて追及されています。

云く「放射能は、人間のDNAを破壊し、日本全土の食品を汚染してしまう。DNAが破壊されれば、遺伝子異常を引き起こして細胞が再生されずに急性死したり、あるいは五年・十年・二十年のちに、ガンや白血病を発症する晩発生障害が出てくる。また子孫に正確な遺伝情報が伝わらないから、奇形児がうまれてくる。すでに各地で出始めて来ていますね。こういう話を聞くたびに、恐ろしい思いがいたします。このように放射能は、生命活動の根幹ともいうべきDNAを破壊するから、他の災害とは全く異質の恐ろしさがあるのです」と。

さらに「この特集号、私は国会議員および全国地方自治体の首長、さらに都・市・町・村の全議員、また言論人、マスコミ関係者、約三万ヶ所に送付いたしました。さらに全顕正会員による真心の配布は、二月七日の出来より本日までのわずか二〇日の間に、すでに百万部を超えております。このように、日本を救う諫暁書は、今しんしんと日本全土に浸透しつつある。日蓮大聖人の弟子として、顕正会の原発全廃の戦いはこのような薄っぺらな政治活動ではない。日蓮大聖人の弟子としてこれを推進しているのです。その思いは、ただ偏に原発の放射能によって日本民族の滅ぶる事を憂えるにある」とあります。随分大げさなお話ですね。

それは兎も角、先生が仰せられる「顕正会の原発全廃の戦いはこのような薄っぺらな政治活動ではない」と仰せられていますが「このような薄っぺらな政治活動ではない」」とは、いったい何処の何方の政治活動を指摘されてのご発言なのでしょうか? 少々気になる話ではあります。

次いで「さらにその奥にあるもっと深い思いは、日蓮大聖人の本国土、この麗しき日本を汚染させてなるものか。御本仏の戒壇建立の重大な御化導を障礙させてなるものか。この日本は御本仏・日蓮大聖人の本国土、三大秘法が全世界に広宣流布する根本の妙国である。この麗しき日本を、断じて汚染させてはならない。顕正会は150万の弘通の赤誠、大聖人に達するのとき、諸天は必ず動く。そして原発は必ず日本から消滅すること、私は確信しております。さあ、いよいよ大事な四月、全組織が弘通の赤誠を尽くして勝ち抜き、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか」等と。

確かに浅井会長が仰せられるとおり、原発が、中國のミサイル攻撃を受け、あるいは巨大地震等で水蒸気爆発を起こして高濃度の放射能流出事故を起こせば多くの死傷者をだし、付近に暮らす人間をはじめあらゆる生物のDNAを破壊し、国土を居住不能にする等、取り返しのつかない事になることを決して否定するものではありません。しかしながら、今日、日本の置かれた現実に目を転ずるとき、すでに国内には五十四基の原発が存在するのであります。それをいきなり、中国からのミサイル攻撃や、最悪の水蒸気爆発が起こった時の惨劇を想定し、放射能被害がもたらす悲惨な事例を引き合いに出して原発廃絶論を振りまわす。あるいは反対に夢のような理想論を並べて「即時全廃せよ」等と騒ぎ立てるのは、余りにも荒唐無稽にして、短絡的な発想と断ぜざるを得ないのであります。

仮に、国内全ての五十四基の原発を即時廃絶するとなると、何百人、いや何千人という多くの原発運転に携わってきた者と、原発の発展に関わってきた原子力技術者は勿論、原発稼働の周辺事業に関わってきた何万人の方々が、一斉に職を奪われる事になるのであります。そうなれば、生活の為に、その多くの原子力技術者は、間違いなく時を得ずして世界各国に流出することとなるのであります。特に、お隣の中國や韓国は、日本の優れた原発技術者を、喉から手が出るほど欲しがっているのであります。そのような事態を迎えた場合、国内の原子力に関する学者も原発技術者も手薄になり、今有る原発を放置したまま廃炉作業が出来ないばかりか、職を失ったまま、再就職できない方々も数多く出てくるのであります。

浅井会長もかつては「核融合のエネルギー、太陽と同じエネルギーで、全然クリーンのですね、もう排気ガスも出さないというようなことが必ず、広宣流布になって、世界平和になってくると、全部がそういうようなことになってくる」と仰っていたことが全て絵空事となってしまうのであります。

浅井先生が仰せられるように、核融合に依って生ずる、太陽と同じクリーン・エネルギーの研究開発には、巨額の研究開発費と多くの優秀な人材育成は避けて通れない問題であります。しかもこの問題は、普段から切れ目のない血の滲むような研究の積み重ねから生まれてくるものと思われるのであります。それをこの時点で原発廃絶を断行すれば、原子力技術が途中で中断し放棄されることにもなり、国力の衰退は歴然であります。その事は間違いなく、国の安全をより危険にさらす事に通ずるのであります。

これは原子力技術とは直接関連しない現実の話でありますが、彼の東芝は、十数年前から続く不況から抜け出すために、見境もなく多くのIT技術者を解雇する方法で会社の生き残りを図ったのであります。その時、韓国のサムスン電子が、彼らにプール付、メイド付の住まいを与え、日本の三倍もの高給を支払ってまでして彼らを迎え、東芝の所有するIT技術に係る先端技術を、難なく、根こそぎ手に入れることが出来たのであります。その結果、日本のIT技術は低迷し、携帯電話やスマホ・白物家電といわれるほとんどの製品に取り入れられているIT技術が、サムスンに奪われ、今では、中国や台湾の技術に、ややもすると遅れを取る状態に追い込まれているのであります。

それが、核をコントロールする原発技術となると、国の存亡に関わる大問題であります。それを単純に「原発全面廃止」等と、ヒステリックに感情論で騒ぎ立てる事に対しては、簡単には賛成しかねるのであります。

最も解り易い事例を挙げて説明しますと、日本国は敗戦と同時に戦勝国のアメリカから、二度と再びアメリカに刃向かう国にしてはならない。永久に日本国の弱体化を計るためとして、くだらない憲法を押し付けられました。その憲法の前文には「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」等と謳い、世界に先んじて全ての武力を放棄させられ、紛争や戦争は一切まかりならぬとして、手足を縛られてしまいました。

果たして世界は、隣国の中國、北朝鮮、ロシア、韓国等は、憲法の前文が謳うような「平和を愛する公正と信義を信頼しうる国家」だと言えるのでしょうか、中国にしても、北朝鮮、ロシアにしても、みな核武装で国を固め、日本の安全を脅かし、韓国やロシアからは、竹島や北方四島等の日本固有の領土が武力で奪われたまま、未だに泣き寝入りを強いられ、中国は隙あらば、尖閣諸島を沖縄を奪いに来ているのであります。

これこそ、武力を持たないが故の悲劇であり、核を持たないが故のていたらくであります。いま浅井会長が主張されていますように、原発を即時廃絶にした場合、一切の武力を捨てさせられ、戦争を放棄させられた日本国が、隣国の中国、北朝鮮、韓国から様々な脅しや嘲りを受けているごとく、益々日本国は隣国から舐められるだけ舐められて、今日では一千人に近い多くの同朋が拉致されたまま、未だに帰してもらえず、慰安婦問題や歴史認識、あるいは靖国問題等で執拗に難癖を付けられて贖罪意識を強要された上、揚句の果てに、多額の金員を毟り取られ、核の脅しを受けつづけている現実から何時までも抜け出せないのであります。

どうして浅井会長は事あるごとに危機意識を植え付けるばかりで、国民大衆の不安を煽り立てて、原発全廃に梶を大きく切られたのでしょうか! 理解に苦しむところであります。日本国は、御本仏大聖人様の御出現になられた根本の妙国であるならば、隣国から脅されたり舐められるのではなく、武力や核を保有してでも、大聖人様御出現の根本の妙国の安全を計り、仏法守護のため、日本国の尊厳を護るべきであります。その事が仏法の道理に適った唯一の取り得る方法なのであります。

時代が違うとはいえ、御開山日興上人は遺誡置文の中に厳然と示されていますように、出家僧侶が武器を所持することすらお許しなのであります。

云く「刀杖等に於いては仏法守護の為に之を許す。但し出仕の時節は帯すべからざるか、若し其れ大衆等に於いては之を許すべきかの事」と。

上記の意は、仏法守護の為には武器を所持することを許す。但し、猊下や僧侶が法要などで出かける場合は刀杖等の武器は直接所持してはならない。その場合、付添いの在家の者が武器を所持して安全を計ることは差支えないと。

今日、日本国がおかれた国際環境に目を向けるならば、今さら論ずるまでもなく、国家そのものが隣国の横暴と覇権とエゴによって、存立を脅かされているのであります。御在世当時に僧侶の安全が脅かされる時代背景とは、比べものにならないほどの危険に晒されている現実を認識すべきであります。 

浅井会長も指摘されていますように、日本のおかれた今日の自動車社会では、少なくとも毎年、年間一万三千人の尊い命が交通事故で命を奪われているのであります。それを槍玉に挙げて、車を廃止すべしなどと、騒ぎ立てる者はいないのであります。それだからと云って「原発は危険だから即座に全廃せよ」などと叫ぶのは如何なものでしょうか。日本の原発は運転を始めて、五十年の歳月をつみ重ねていますが、未だに原発で命を落とした者は一人も居ないのであります。その実績を一切無視して、原発即時廃絶を声高に叫ぶことに、国民大衆から大きな理解を得る事ができるのでしょうか、甚だ疑問の残るところであります。

また経済面から申し上げますと、原発が止まったいま、それに代わる燃料として、LNG(液化天然ガス)や、LPG(液化石油ガス・シェールガス)の購入代金が一日当たり、百億円を優に超えて、年間当たりLNG・LPG等の燃料代金は、四兆円を越し、各電力会社の財政負担を増大させて経営環境の悪化を招き、国民の多くは度重なる電気料金の値上げに音を上げているのであります。

それに、アメリカ自慢のシェールガス開発は、当初、温室効果ガス排出量を減らすことができるとの見解を示していました。しかしその後シェールガスの温室効果ガス排出量が、従来の天然ガスや石油よりも、大きくなるとの指摘が為され、温室効果ガスの排出量に対する疑問の声が上がるなど、昨今は学界から厳しい眼が注がれているのであります。

そうしたところ政府(安倍政権)は、再生可能エネルギーの導入拡大を図るため「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」によって、再生可能エネルギーの固定価格買取制度を、平成24年7月1日から開始しました。この再生エネ買取制度は、太陽光発電や風力発電等の再生可能エネルギーによって、発電された電気を法令で定められた価格で電力会社等が買い取り、買取りに要する費用を「再生可能エネルギー発電促進賦課金」として、電気を使用する国民に負担しもらう制度であります。

平成24年7月1日からは「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」に基づき、太陽光で発電した電気を一定期間・一定価格で電力会社が買い取ることを義務付ける制度に呼応して、ソフトバンク、NTT、JR九州、JA全農、積水ハウス、大和ハウス等の大企業が続々と太陽光発電事業へ参入しているのであります。法律で定められた20年間に亘って、確実な安定した収益が見込めるとして、多くの企業や個人が参入して発電事業に寄与しているのであります。

そういう時代の流れを俯瞰するとき、危険の伴う原発問題は「原発即時廃止」などと大騒ぎをしなくても、おのずから解決されるのであります。今や、再生可能エネルギー法の施行によって、電気の供給量は、需要を大きく上回っているのであります。そのため昨今では、電気の買い取り金額の引き下げを、各電力会社が政府に働きかけるような状況が生まれつつあります。買い取り金額の引き下げが認められれば、電気代の引き下げも可能となるのであります。

会長云く「私は国会議員および全国地方自治体の首長、さらに都・市・町・村の全議員、また言論人、マスコミ関係者、約三万ヶ所に送付いたしました。云々」と。まことに素晴らしいことであります。これら、原発廃絶特集号を受け取った国会議員並びに、全国自治体の長等々、および、言論人、マスコミ関係者等から寄せられる反響は、如何なものだったのでしょうか? 少々気になるところであります。

漏れ聞くところによりますと、ある未婚の女子会員は、浅井先生の仰せられる原発廃絶に関するお話を耳にするや、感動の余り、いてもたっても居られず、長年にわたり結婚資金として貯めていた数百万円の大切なお金を、原発廃絶特集号の配布のために全額消費したという。何とも痛ましいお話であります。

もはや、次のことばが見つかりません。それにしても、浅井先生の原発廃絶論の巧みな話術に乗せられて、大切な預貯金の大半をはたいて新聞代に費やした初心(うぶ)な会員は、彼女一人で済んだのでしょうか、他にも大勢いるのかも知れません。他人事ながら心配しています。









妙信講は何故に顕正会と名称変更したのか?

2014年11月01日 06時03分37秒 | 亡国の坂道 
今日の冨士大石寺顕正会は、昭和17年に品川の妙光寺所属の法華講として、浅井甚兵衛氏(昭衛氏の父)が「東京妙信講」を立ち上げて、妙光寺の法華講の初代講頭として講員の信心指導や生活相談の先頭に立ち、戦前からたった一人で、自ら自転車のペダルを踏んで、講員の家を一軒一軒尋ねて駆け回り、積極的に折伏戦の闘いを進めてい宗門内に存在する希有の法華講衆たったのであります。

その後、浅井甚兵衛氏の率いる「東京妙信講」は戦後になって、豊島区池袋の法道院へ所属替えをするのでありますが、後に、再び妙光寺に戻り信徒総代を務めた後、浅井甚兵衛氏は住職の要請を受け容れて、再び法道院へ戻り、法道院所属の法華講と合併するため「東京妙信講」は発展的に解消するのであります。ところが、法道院住職の信心に対する姿勢や、元々の法道院の法華講員との間には、信心に対する考え方に大きな隔たりがあり、当時の彼らには、広宣流布を考える者など、一人として望むべくもなかったのであります。

浅井甚兵衛氏は法道院の住職の横暴を断ち切るため、昭和32年8月3日、法道院と袂を別ち、講員わずか三百八十人たらすで、妙信講の再建が図られるのであります。浅井昭衛氏の後日談に依りますと「当時の法道院の住職は広宣流布などは殆ど眼中になく、ただ寺の経営のことしか考えないような住職で、何かにつけて供養を奨励し、半年毎に可笑しげな理由を付けて、供養の大切さばかりを強調していた」との話をされていた記憶があります。

それは置くとして、妙信講が再建された時の講報第一号には、彼の有名な「法華経に勝る兵法なし、権勢に諂うな、おもねるな、曲げて安易に住するな、唯恐れるは仏の金言に違わんのみ、その他に何が怖い・・・・・」と記して、再び広宣流布への第一歩が踏み出されるのであります。

そのような中、昭和33年1月15日、遠く本山から妙信講の純粋な広宣流布へ掛ける闘いと情熱を、ジッと見ておられた第六十五世を継がれた堀米日淳上人は、本山で異例とも思える妙信講の認証式を行って下さり、新たな妙信講の所属寺院として、本所吾妻橋の妙縁寺と決めて下さったのであります。その時の日淳上人の御言葉が「法華講とは、盆と正月にお寺に参詣する者たちのことではなく、熱原の闘う法華講のことを云うのでる。妙信講は闘う法華講として、先ず、三千の折伏を達成して見よ」と訓令されたとのことであります。

猊座に次ぐ御高徳の松本日仁尊能化を妙信講の指導教師として戴いた新生妙信講は、水を得た魚のごとく、いよいよ力強い折伏戦を展開することになるのであります。

後に浅井昭衛氏は「日淳上人とのお約束の三千世帯達成は、年六年掛かりで、昭和39年になって漸くお約束を果たすことが出来たが、それこそ、寝食を忘れて地を這うような苦しい闘いの連続だった」と述懐されていたことを思い出すのであります。

それから昭和40年には男子一千名の結集、つづいて昭和41年には五千世帯の達成、そして、昭和44年5月には七千の法城を屹立、ちょうどこの年の4月、創価学会主導による日蓮宗を名乗る邪宗連合の「聖人展」が池袋の東武デパートで開催されました。その時あろう事か、本山から御開山日興上人の御影様が持ち出され、身延から出品された民部日向が書いたニセ本尊と同座させられるという、日興上人が遺誡置文の中で「謗法と同座すべからず与同罪を畏るべき事」と御誠誡された御教示が現実となった事件が起こるのであります。

それをご覧になられた妙信講の浅井昭衛氏は、本山に飛んでいって、聖人展即刻中止の申し入れを再三に亘り懇請されるのでありますが、本山宗務院に侍る早瀬道応、阿部信雄の二人の高僧らは、けんもほろろに浅井氏の申し入れを歯牙にも掛けない態度で応じ、聖人展は開催日程を変更することもなく強行されたのであります。

つづけて浅井昭衛氏は、翌年の昭和45年3月25日には、第一回目の本格的な宗門諌暁の書として「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」を、学会・宗門の首脳12人に送付されたのでありますが、時の貫主職に在った六十六世日達管長はこれに大いに驚き、早々と4月3日本山対面所に浅井甚兵衛講頭、浅井昭衛本部長の二人を呼びつけて、右手にその本をかざしなら照れくさそうに云く「浅井さん、良く書けていますねぇ、誰もこんなには上手く書けないでしょう。この本は、宗開両祖の仰せのまま、宗門七百年の伝統教義そのもので、一分の誤りもありません」等と褒めながら、懐柔を試みるのでありますが、見事失敗に終わるのであります。

この時、負け惜しみの強い日達管長は、浅井本部長が認められた諌暁書に、何とか難癖をつけようと考えたのか、第六〇世日開上人の説法本の中にある「御遺状の如く、事の広宣流布の時、勅宣・御教書を賜り、本門戒壇建立の勝地は当国富士山なる事疑いなし。又其の戒壇堂に安置し奉る大御本尊今眼前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇・真の霊山・寂光土にして、若し此の霊場に一度でも詣でん輩は・・・・・」の御文の一部を切り文にして悪用し、頓珍漢な妙なことを言い出すのであります。

云く「あれは、日応上人のものでしょう。あの本には最も大切な事が書いてあるのです。大切なものだから全部は見せるわけにはいかないが」等と勿体をつけて、前後の御文を両手で隠し『大御本尊今眼前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇・真の霊山・寂光土』「とあるでしょう。だから、戒壇の大御本尊まします所は御宝蔵であれ、奉安殿であれ、また、これから出来んとする正本堂であれ、事の戒壇といっていいのです」等と言って、日達管長が学会の池田大作の展開する邪義を庇うように卑劣な邪義がここから始まるのであります。姑息にも、日達管長はこの席で浅井本部長に対して、日開上人が御法蔵説法の時に仰せられた正論が浅井本部長の目に入らないように、両手で肝心な文書を隠して、邪義を押し通そうとしたのでありますが、逆に、浅井本部長から宗門七百年来の本門戒壇に関する正義を示されて、大恥を晒す羽目になるのであります。

日開上人がお示しになられた御法蔵説法本の意味は、広宣流布の暁に本門寺の戒壇=国立戒壇が建立されることを大前提に、国立戒壇に安置し奉る戒壇の大御本尊様は、いま眼前にまします故に、たとえ未だ本門事の戒壇は建てられていなくても、参詣する者の功徳は、まったく、広宣流布の暁の本門事の戒壇に詣でるのと同じ功徳を頂戴できることを「此の処即ち是れ本門事の戒壇・真の霊山・寂光土」と仰せられたのであります。要するに〝義において事の戒壇〟をお示しなのであります。

それを日達管長は「戒壇の大御本尊まします所は御宝蔵であれ、奉安殿であれ、また正本堂であれ、事の戒壇といっていいのです」等と邪義を構えたのです。そうしたところ、この邪義の展開を原因として、すべての僧俗信徒は一切の功徳を失う羽目となり、今日のぶざまの結果を迎える事態となっているのであります。

まさに曽谷抄の「何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足ひとつ入れたらんが如し」との仰せが現実のものとなったのであります。

その後、学会の振りまく邪義と妙信講の展開する正論の狭間に追い詰められた日達管長は、池田大作の意を汲んで、遂に、昭和49年8月12日、富士の源流のまま三大秘法の正論を展開する妙信講を破門処分に付したのであります。まさに、毒を喰らわば皿までもの諺を彷彿とさせるような異常な事態を迎えたのでした。

思いおこせば、再建された妙信講が講中解散処分を受けたことを契機として、完全に空中分解し、雲散霧消するものと宗門も学会も高を括って、高見の見物を決め込んでいたのであります。世間でもまた大方の見方は、妙信講はこれで、完全に死滅すると見ていたのであります。

ところが豈計らんや、妙信講は雲散霧消するどころか、愈々勢いを増し、内に在っては、七百年来清く正しく伝承されてきた富士の清流への回帰を求めて、宗門・学会が垂れ流す邪義を諫め、ニセ戒壇正本堂の誤りを糺す争子となって、三大秘法の正義を高らかと宣揚する等、外にあっては唯一人の諫臣となって国を諌め、在野の諌暁団体として月を経るごとに、存在感を増し勢力を伸ばして行くのであります。

さらに浅井昭衛氏は平成2年4月には「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」と題した諌暁書を以って、ニセ戒壇正本堂の撤去を六十七世を継いだと称する阿部日顕管長に対して、正本堂の解体撤去を求め、引き続き、学会と宗門が二人三脚で進めていた、本門寺改称の陰謀を粉砕するため、横浜アリーナに於いて男子二万の結集大会を開き「顕正会が日蓮正宗の中にある限り、このような〝誑惑の完結〟は断じて許されない。いや、大聖人様がお許しあそばすわけがない。このような大それた悪事をなす者はまさに、『大謗法者』といわざるを得ない。これこそ大聖人様が顕正会をして戦わしむる御仏意である」として、宗門・学会が進めていた本門寺改称の陰謀を粉砕されるのであります。

つづけて「もし、ごまかしの本門寺改称が実現したらどうなるか。これ御本仏の御遺命の消滅、三大秘法の破壊ではないか。二祖日興上人以来歴代先七百年の御心労は水泡に帰するではないか。このような大謗法は断じて許されない。もしこの大謗法を見て平然としている僧侶が日蓮正宗にいたならば、それは大聖人様の弟子ではない。いわゆる禿人、職業坊主にすぎない。たとえ日蓮正宗の全僧侶が無道心で池田に協力したとしても、顕正会だけは断じてこの大謗法を許さない。座視しない。私は顕正会20万の命運を賭してこの陰謀を断固粉砕しようと決意している」と叫ばれたのであります。

これを機として、池田大作と阿部日顕の間に疑心暗鬼が生じ、不穏な空気の中でお互いの腹の探り合いが始り、本門寺改称の陰謀が頓挫するのであります。そのことが引き金となって、遂に、学会・宗門の間で修羅と悪流の合戦を思わせるような、食うか食われるかの醜い大喧嘩が始まるのであります。そうしたところ、平成3年11月には、かつて妙信講を解散処分にせしめた罪過が報いとなって顕われ、池田大作と創価学会は、還著於本人の仏罰を被るに至るのであります。

浅井会長が平成2年に叫んだ、正本堂を撤去するなどは、全くの奇想天外・荒唐無稽な話として誰もが考えていたのでありますが、むべなるかな、平成10年4月にはその荒唐無稽な話が現実のものとなり、戒壇の大御本尊様は清浄の御法蔵へ還御遊ばされたのであります。かくして、宗門・学会が鳴り物入りで建設したニセ戒壇正本堂は、建設からわずか26年にして、跡形も無く崩壊の道をたどるのであります。

かつての池田は「夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究竟の請願之に過ぐるはなく、将又仏教三千有余年、史上空前の偉業なり」と。また云く「正本堂は、久遠元初以来の壮挙である」叫び叫び、有頂天となって勝ち誇って自賛していたものが、間もなくして、この地上から跡形も無く消え去る運命にあったとは、誰人が想像し得たでしょうか。

まさしく顕正会は「諌臣国にあれば其の国正しく、争子家にあれば其の家直し」の大聖人様の金文を実践する者として、平成9年には一国諌暁の書として「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」を広く国民へ向けて配布。つづけて、平成16年には「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」を全国民へ向けて大量配布。その後、顕正会はさらに勢いを増し、日本国の諌臣として、縦横無尽な戦いを独走的に進めることになるのであります。

次いで浅井会長は、平成17年3月25日及び同年4月27日の二度に亘り、阿部日顕管長に対して、これまでの本門寺改称等の数々の大謗法を看過出来ぬとして、対決申し入れ書を送付。それに恐れを為した日顕管長は、口をして鼻の如く沈黙を決め込んで逃げ廻った末に、急遽若手坊主らを駆り集めて「邪義破折班」なるものを結成し、日顕管長の愛弟子を名乗る茶坊主らが、天道虫のようにしゃしゃり出て来ていうには「貴殿ごとき大謗法の痴れ者が、宗開両祖以来、唯授一人の血脈を承継遊ばされる御法主日顕上人猊下に対決を申し入れるなど言語道断である。身の程を知れ」などと居丈高に罵り「貴殿及び顕正会は、すでに除名・解散処分に付されたのであるから、謗法の徒・謗法の団体である。よって掛かる者の対決申し入れに応ずる道理はない」として、邪義班の坊主らも逃げてしまったのであります。

つづく4月27日の対決申し入れ書に対しては「『驕慢の凡夫』『謗法の一在家』と罵り『謗法の一在家団体に過ぎぬ顕正会』『日蓮正宗の仏法の猿マネしている集団』等と罵った上で『かかる貴殿の非道極まる〝申し入れ〟などに対し、責任あるお立場の御法主上人がお受け遊ばされることなど、絶対に有り得る筈の無い道理であり、また本宗僧俗もそのような馬鹿げた申し出をお受けすることには絶対反対申し上げる。さらに本宗僧俗の誰人にせよ、そのような非道な〝申し入れ〟を、御法主上人に代わって責任をもって受けることなど出来よう筈もない』として、阿部日顕管長は本より、邪義班の坊主らも前回同様、一斉に逃げてしまったのであります。

そこで長年にわたり繰り返して来た宗門への諌暁は、一応是れを以て終わりにするとして「最後に申すべき事」と題して、阿部管長の犯した三大謗法を挙げて最後の締め括りとしたのであります。その三大謗法とは、①国立戒壇の御遺命の破壊。②戒壇の大御本尊様に対する偽物発言。③身延山久遠寺の志摩坊住職等の布教師会一行を数回にわたり本山に招き入れて歓待し.、創価学会に対する攻撃を依頼。こうした阿部日顕管長の犯した許せざる大謗法を取り上げて、日顕管長の非を徹底して追求したのであります。

以上のような経緯を辿り、今日の冨士大石寺顕正会と日蓮正宗富士大石寺の関係は、昭和49年8月12日付で講中解散処分を受けて以来というものは、双方とも相容れない猿蟹合戦を超えた犬猿の仲となり、顕正会は宗門に対して、諌暁らしい諌暁は止めてしまったようであります。

その後、平成23年3月11日に発生した東日本大震災を機に、浅井会長は、平成24年8月13日になって、六十八代早瀬日如管長に対し「建白書」を送付されました。 建白書の趣旨は、総本山に激甚の被害をもたらす可能性ある「富士川河口断層帯巨大地震」が切迫していることから、「急ぎ完璧なる免震構造の新御宝蔵を建設し、本門戒壇の大御本尊の御安泰を図り奉れ」と強く要請したもので、併せて、宗門の御遺命違背と不敬冒涜の御開扉を責め、最後に重ねて「されば万事を差し置き、急ぎ堅固なる新御宝蔵を築き、以て近き広宣流布・国立戒壇建立のその日まで、本門戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉られんこと、血を吐く思いで要請する」等と記されてた建白書を最後に、宗門に対する一切の諌暁から手を引いてしまったようであります。

日如管長たるや、こうした浅井会長の憂宗憂国の血を吐くような思いの諌暁に対して、横着にも、まるで他人事のように無視を決め込んだまま、睥睨した態度を取りつづけているのであります。浅井会長はそれをそのまま放置して後が続かない。是れが大きな間違いなのであります。無視を決め込んだ日如に対しては、諫暁を続けるべきなのであります。

内経には「法を壊る者を見て責めざる者は仏法の中の怨なり」の御教示を、浅井会長はどのようにお考えなのでしょうか。

考えて見るに、顕正会は公称170万を擁する国内有数の宗教団体であります。その時々に浅井会長は「大聖人様の御遺命を擲った宗門・学会には広宣流布を叫ぶ資格はない。御遺命を命懸けて護り抜いた顕正会だけが広宣流布を叫ぶ資格を有する」等と声高に叫んでおられますが、残念な事に、宗門僧侶の中に顕正会の路線に同調する僧侶は未だに一人もなく、一人として折伏できない中で、どうして広宣流布が出来るというのでしょうか! まして、阿部管長の時代に、相承の授受に異議を唱え、本山から追い出された正信会所属の僧侶は、全国で200人を優に超え、寺院も約30ヵ寺も有しているのであります。その内の一人の僧侶も折伏できないで今日を迎えていることは残念の一語につきるのであります。

仮に顕正会が本気で広宣流布を考えているのなら、妙信講の名誉ある名を捨てるべきではなかったのであります。妙信講は、大聖人様究竟の御本願たる国立戒壇に同調する僧侶の受け入れ態勢を万全に整え、妙信講に同調する僧侶には寺院を建てて供養し、その寺院の信徒になりたい講員には、寺院所属の信徒として活動することを認め、寺院の経営に参加する等、これらの僧侶と共に広宣流布を闘う体制を急いで築くべきだったのであります。

このような体制が現実となれば、日蓮正宗の多くの僧侶が影響を受けない筈はなく、妙信講の路線に同調する僧侶が続出してくることは疑い無いと思うのであります。さらに妙信講が被った除名・講中解散処分等の撤回に関する名誉回復は宗門の公論となった筈であります。外に飛び出した顕正会は何処まも外の教団で終わり、天生ヶ原までの4キロの道のりは虚しくなり、はかない夢で終わってしまうのではないかと思うのであります。

真の広宣流布の時には、日本国の皇室の中に、二祖日興上人の前身であらせられる無辺行菩薩の垂迹が、本化聖天子となって日本国の国主として御出現になられ、それに併せて宗門には浄行菩薩の再誕として、第三阻日目上人がお出ましになられると云われているのであります。

故に、富士一跡門徒存知の事に云く「是れ偏に広宣流布の時・本化国主御尋有らん期まで深く敬重し奉るべし」と。つづけて、日興跡条条事に云く「本門寺建立の時は、新田卿阿闍梨日目を座主となす」と。

斯様な時代の到来を思えば一刻も早く内の妙信講の名を取り戻すべきであります。やがて本山に御開山日興上人の後身として出現される、本化聖天子様がお喜びになられるように、また、第三祖日目上人の再誕をお迎えするにも妙信講の名誉ある名を取り戻すべきであります。

また日寛上人は依義判文抄に事の戒壇建立に当たり「戒壇の方面は地形に随うべし、国主信伏造立の時至らば智臣大徳宜しく群議を成すべし、兼日の治定は後難を招くに在り、寸尺高下注記すること能わず」と御教示であります。

広宣流布の暁に建立される国立戒壇堂の建立に関して、日寛上人が仰せられた御文を通釈すれば次の如くであります。

本門戒壇堂の建立の地は、富士山の南麓の場所と地形に随って建立すべきである。日興上人の再誕たる本化国主が富士大石寺に、三大秘法を国家の柱とすべしとして、勅宣を発せられる時が到来したならば、建築技術の優れた専門家と、大徳の高僧たちが国立戒壇建立に関して様々な協議を重ねて進めるべきである。広宣流布も達成してもいない時に、本門戒壇についてあれこれ決めてしまうことは、後になって非難を招くことにもなる。まして、本門寺の戒壇堂の広さや建物の形状や高下をいま記しおくことはまかりならぬ」と。

顕正会が改革を怠って、このまま本山と反目ばかりを繰り返す路線に固執し続けるならば広宣流布はおくれることとなり「智臣大徳宜しく群議を成すべし」の名誉ある席が用意されるどころか、末席に連なる機会さえ遠ざかるものと思われるのであります。

いずれに致しましても、宗門への諌暁は何が有っても止めてはならないのであります。顕正会は何故に宗門諌暁を止めてしまったのでしょうか。反目と諌暁はおのずから違いがあるのであって、決して同一ではないのであります。宗門への諌暁は、如何に坊主らの反対が激しかろうとも、誤りは誤りとして何処までも厳しく追求し、大聖人様の正義を示して行くべきであります。

その一方、顕正会が宗門との間の距離を縮める努力をすることも、当然にして必要不可欠な務めでもあります。その事は、決して媚を売ることでもなければ、諂いでもなく、擦り寄りでも迎合でもありません。広宣流布を着実に一歩前進させるには、忍辱の鎧を着ることも時の応じて必要なのであります。

今になって宗門の坊主らは、口を開けば顕正会に対して「日蓮正宗の仏法の猿マネしている集団」あるいは「富士大石寺を詐称する似ても似つかぬ在家集団」などと、口をきわめて顕正会を誹謗中傷していますが、これは偲びがたい悪口中傷でありますが、此の一事を以てしても顕正会を名乗るべきではなかったのであります。

妙信講は名称を改め、決して外の「顕正会」を名乗るべきではなかったのであります。日淳上人からお認め頂いた名誉ある闘う内の「妙信講」のままで良かったのであります。富士の清流を護り抜いた妙信講でありつづけていたならば、曲げた坊主が浴びせるような「日蓮正宗の仏法の猿マネ集団」あるいは「富士大石寺を詐称する在家集団」等の非難もなかったのであります。妙信講が昭和45年3月25日に、第一回目の本格的な宗門諌暁の書として「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」と題した諫暁書を仮に顕正会の名前で提出したとしましょう、その時、あの日達を名乗る悪僧も、浅井親子を本山に呼びつけて「浅井さん、良く書けていますね~、この本は宗開両祖の仰せのまま、一分の誤りもありません」とは言わなかったと思われるのであります。