亡国の坂道

日蓮大聖人の云く、「仏法漸く転動しければ世間も又濁乱せり、仏法は体の如し、世間は影の如し、体曲がれば影斜めなり」と。

浅井会長による「三大秘法抄」の講義禄其の三

2017年02月23日 09時39分22秒 | 亡国の坂道 
本門の本尊を明かす

本文

『寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作の三身の教主釈尊是れなり。寿量品に云く「如来秘密神通之力」等云々。疏の九に云く「一身即三身なるを名づけて秘と為し、三身即一身なるを名づけて密となす、又昔より説かざるを名づけけて秘と為し、唯仏のみ自ら知るを名づけて密と為す、仏三世に於いて等しく三身あり、諸教の中に於いて之を秘して伝えず」等云々。』

まず本尊の体相を明かし給う。ここに「教主釈尊」とあるから、これは印度出現の法華本門の教主釈尊であるととれば、大謗法となる。文上本門の釈尊なら、すでに上の文に度々あらわれている。それを明かすのに「汝が志無二なれば」等の重誡は不要といわねばならない。

まさに、かかる重誡のうえに明かし給う本尊こそ諸教に秘して説かれなかった久遠元初の自受用身・本因妙の教主釈尊すなわち末法出現の日蓮大聖人の御事なのである。ゆえに日寛上人は「寿量品に建立乃至教主釈尊是れなり」の文意を端的に「我が内証の寿量品に建立する所の本尊はすなわちこれ久遠元初の自受用身・本因妙の教主釈尊これなり」と御指南された。「本因妙の教主釈尊」とは大聖人の御事であることは、血脈抄の「我が内証の寿量品とは脱益寿量文底本因妙の事なり、其の教主は某(それがし)なり」の金文に明らかである。

次に、本文を具に拝する。まず「五百塵点の当初」とは久遠元初のことである。すなわち五百塵点のゆえに久遠、当初のゆえに元初である。「此土」とは、総じていえば他土対してこの娑婆世界をいうが、別していえば印度に対してこの日本をいう。まさしくここには、三大秘法有縁の妙国・大日本を指して「此土」と仰せられるのである。この御聖意は日向記に明らかである。すなわち「本有の霊山とは此の娑婆世界なり、中にも日本国なり、法華経の本国土妙娑婆世界なり、本門寿量品の未曾有の大曼荼羅建立の在所なり」と。

さらに観心本尊抄には「一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し、月氏・震旦に未だ此の本尊有さず」と、「此の国」とは日本国である。

かくいえば疑問がおきよう。日本が久遠元初以来三大秘法有縁の本国土ならば、成住壊空の四劫はいったいどうなるのか、五百塵点の当初とは地球の成立すをさかのぼること久々遠々の昔のはずである、その頃より日本があるわけがないではないかと。答えるに、たしかに大宇宙は成住壊劫の四劫によって消滅をくりかえしている。ゆえに壊劫の時至れば地球も日本も滅失して無相となる。だがまた成劫の時至れば此の娑婆世界は生じ、日本国は涌出して本の相を現ずるのである。この趣を天台は文句に「問う、劫火洞然として天地郭清す、いかんぞ前仏・後仏此の山に同居し給うや。答う、後の劫立本の相還って現ず、神通を得たる人昔の名を知って以って今に名づけるのみ」と表現している。

この意を以って論ずれば、まさしく日本は久遠元初以来、三大秘法有縁の本有の国土であり、そのゆえに常に日本と名づけられる。これを自然感通という。ここにおいて、日向記の「霊山とは日本国なり」の御意が胸に収まろう。「此土」とはまさにこの本有の妙国日本を指し給うこと明らかである。「有縁深厚」とは、主・師・親の三徳の縁が深く厚い、ということ。三徳有縁は本尊として尊敬すべきである。

「本有無作三身」とは、印度出現の釈尊のごとく三十二相を以って身をかざらず、〝本のままの凡夫のお姿の仏様〟ということである。ゆえに御義口伝に「久遠の事」を釈して「此の品の所詮は久遠実成なり、久遠とははたらかず、つくろわず、もとの儘(まま)と云うなり、無作の三身なれば初めて成せず、是れ働かざるなり、三十二相八十種好を具足せざれば是繕(つくろ)わざるなり、是れを久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり、実成(まことにひらけたり)、無作と開けたるなり。」と遊ばす。この御指南によって明らかなように「本有無作三身」とはまさに〝凡夫のお姿の御本仏〟ということである。

さて、「久遠元初以来、日本国に三徳の縁深き、凡夫のお姿の御本仏」とは誰人にてましますか。日蓮大聖人を措(お)き奉って、他にあるべきはずもない。まさしくこの御文は、久遠元初の自受用身の再誕日蓮大聖人を以って末法の本尊とすべしという御意に他ならぬ。念のために、無作三身の教主釈尊とは三十二相の釈迦仏にあらずして、凡夫位の御本仏日蓮大聖人なることの文証を二・三挙げれば、諸法実相抄に云く「されば釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く『如来秘密神通之力』是なり、如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏なり」と。

「凡夫は体の三身」の「凡夫」とは別して日蓮大聖人の御事であり、「仏は用の三身」の「仏」とは本果の釈尊のことである。大聖人こそ体の三身・本仏であり、この本仏を妙法蓮華経と呼ぶこと文に在って文明である。船守抄に云く「過去久遠五百塵点のそのかみ、唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり」「我等衆生」とは総じての仰せであり、別していえば大聖人御一人であられる。すなわち五百塵点のそのかみの教主釈尊とは日蓮大聖人なりと、まことに明々白々である。

また御義口伝に云く「如来とは釈尊、.総じては十方三世の諸仏なり、別しては本地無の三身なり、今日蓮等の類いの意は、総じては如来とは一切衆生なり、別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり」と。

末法の法華経の行者とは日蓮大聖人の御事たるこというまでもない、なれば、日蓮大聖人こそ無作三身であり、そのお名前を南無妙法蓮華経と称し奉るのである。以上列挙の御文を拝すれば、無作三身とは日連大聖人なることは明らかである。されば日蓮大聖人の御当体こそ本門の本尊にてましますのである。ゆえに謹んで御本尊のお姿を拝すれば、中央に「南無妙法蓮華経日蓮在御判」と大書し給うのである。

次に「如来秘密神通之力」の結文と、天台文句の「一身即三身云々」が引かれているが、所印の所以は無作三身の衣文なるがゆえである。先に挙げた諸法実相抄の文と、御義口伝の次の御指南を拝すれば所印の御意を拝することができよう。「建立の御本尊の事、御義口伝に云く、此の本尊の衣文とは、如来秘密神通の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥(たしか)に霊山に於いて面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」と。

本門の題目を明かす

本文

『題目とは二の意あり、所詮正像と末法となり。正法には天親菩薩・竜樹菩薩題目を唱えさせ給いしかども自行ばかりにしてさてやみぬ。正像には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱え給いて自行の為にして広く他の為に説かず、是れ理行の題目なり。末法にい入って今日蓮が唱える所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり、名体宗用教の五重玄の五字なり。』

本門の題目とは、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える修行をいうが、ここは正像ニ千年に天親・竜樹・南岳・天台等が唱えた題目と対比して、大聖人の唱えた給う本門の題目を明かし給うている。正像二千年にも、天親・竜樹・南学・天台等は南無妙法蓮華経と唱えていたが、これらの題目と、末法に日蓮大聖人が唱え出された本門の題目とは全く異なったものである。異なる点は二つある。御文にあって明らかなように、一には、正像の題目は自行ばかりであり、末法の題目は自行化他にわたる。二には、正像の題目は理行であり、末法の題目は事行である。

一について説明すれば、竜樹・天台等は自分だけは南無妙法蓮華経と唱えていたが、人に向かって時機相応の別な法を勧めていた。よって「自行ばかりにしてさて止みぬ」と仰せられるのである。しかし大聖人は、御自身も南無妙法蓮華経と唱え人にこれを唱えんことを勧め給うた。自行も南無妙法蓮華経であられた。よって「自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」と仰せ遊ばすのである。二について論ずれば、これは唱える題目の法体そのものが異なることを表す。天台等の唱えた題目の法体は、文上脱益の法華経迹本二門の妙法である。ゆえに「理行の題目」と云い、大聖人の唱え給う題目は、その法体寿量文底下種の妙法である。ゆえに事行の題目というのである。これを本文には理行の題目に対して「名体宗用教の五重玄の五字なり」と仰せられるのである。すなわち久遠元初の本因妙下種の題目である。

本門戒壇を明かす

本文

『戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ、事の戒法と申すは是なり、三国並びに一閻浮堤の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して蹹み給うべき戒壇なり。』

本門戒壇は大聖人究極の御願業である。これは、本門戒壇の妙用により、日本国を仏国土に、ひいては一閻浮堤(全世界)の仏国土化を事相の上に顕現するものである。大聖人の御在世においては、本門の題目と本門の本尊は顕われ給うとも、この本門の戒壇の一事においては未だ時至らず、よってその実現を未来に御遺命せられたのである。しかしながら、本門の戒壇に安置すべき御本尊だけは、弘安二年十月十二日、末法万年のことを慮(おもんぱか)られ堅牢なる楠木の厚き板に御自らお認(したた)め遊ばされ、未来の御用意と遊ばした。

この御本尊を「本門戒壇の大御本尊」と申し上げる。これぞ三大秘法の随一、大聖人出世の御本懐、日本を始め全世界の一切衆生に授与せられた一閻浮堤総与の大御本尊である。よって聖人御難事には「此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年なり、仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難は申す計りなし、先先に申すがごとし、余は二十七年なり、其の間の大難は各各かつしろしめせり」と。まさしく弘安二年の大御本尊建立を以って出世の本懐と仰せられる。よって日寛上人は「なかんずく弘安二年の本門戒壇御本尊は究竟中の究竟・本懐中の本懐なり、すでにこれ三大秘法随一なり、いわんや一閻浮堤総体の本尊なるゆえなり」と。

而して大聖人はこの御本尊を弘安五年に日興上人にご付属され、本門戒壇の建立を御遺命遊ばしたのである。その御付属状(一期弘法抄)に云く「日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之を付属す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せら留べきなり、時を待つべきのみ、事の戒法というは是れなり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり」と。「日蓮一期の弘法」とは大聖人出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊の御事、そして本門の戒壇の建立については「国主此の法を立てらるれば富士山」と仰せられ、委細をすべて日興上人に口伝遊ばされたのである。但し、門家には未だ本門戒壇の何たるかを知る者はいない。よって未来のため、その内容を明かし給うたのが本抄である。本抄が一期弘法抄の助証であるとの意はここにある。実に、御書四百余篇の中に、本門戒壇の異議・内容を明かされたのはこの三大秘法抄だけである。

さて、本門戒壇は、どのような時に、どのような手続きで、どこに立てられるべきか、以下本文にそれを拝する。

まず時については「王法仏法に冥事仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」とお定めである。これは広宣流布の暁の、国家と仏法の関係状態を明かされたものである。日本国家がこのような状態になった時が戒壇建立の時と定められたものである。以下一文づつ拝せば「王法」とは、国家統治の最高権力・統治主権・国家権力等の意である。またその活動に約して一国の政治、さらに人に約して国主・国主の威光勢力等をも意味する。要するに、国家統治に関わる種々の概念を包括した言葉である。

「王法仏法に冥事仏法王法に合して」とは、国家権力が三大秘法を根本の指導原理として尊崇擁護し、また三大秘法が国家の繁栄・国民の幸福のために生かされる状態をいう。これは大聖人の仏法が単に個人の信仰の次元に止まらず、国家次元において受持されるということを意味する。そもそも国家の繁栄は国民一人一人の幸・不幸をその中に包含している。ゆえに大聖人は「一切の大事の中に国の亡びるが第一の大事」と仰せられる。よって、個人が安穏であるためには国家が安泰でなければならない、国家が安泰であるためには王法が仏法に冥ぜざるべからずというのが立正安国論の御趣旨であり、また本抄の御指南である。

さて、王仏冥合の具体的姿はいかにといえば、それを次文に明かし給い、「王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」と仰せられる。「王」とは国主、「臣」とは国政にたずさわる者、「王臣」の二字の中に全国民が含まれていることは言うまでもない。すなわち、国主も、国政にたずさわる者も、全国民も、心から本門戒壇の大御本尊を信ずるのである。「有徳王・覚徳比丘」とは涅槃経に出てくる故事である。昔、歓喜増益如来の滅後・仏法まさに失せんとする時、覚徳比丘という聖僧あって身命も惜しまず正法を説いた。この時、多くの破戒の悪僧あって怨嫉しこれを殺害せんとした。その時、有徳王がかけつけ、身を以って覚徳比丘を守り、ついに命を失ったが、その功徳により阿閦仏(あしゅくぶつ)の国に生じたという。

この覚徳比丘の姿はまさしく御在世の大聖人のお姿であり、また事の広布の時の御法主上人のお姿である。但し、御在世には国家権力大聖人を守るどころか流罪死罪にし奉ったが、事の広布の時にには王臣一同に戒壇の大補本尊を守護し奉るのである。この時の王臣の三大秘法受持は、ただ護法の大道念より出る純粋なものである。覚徳比丘も法の為・国のため不惜身命の説法なら、護法の有徳王も純粋捨身である。いやしくも為政者が自己の政治野心のために宗教を利用したり、また宗門が権力にへつらって栄達を計ったりするような関係は、大聖人のもっともお嫌い遊ばすところである。王仏冥合の大精神はこの「有徳王・覚徳比丘」の仰せを規範として深く拝さなくてはならない。

末法濁悪の未来に、大聖人の御在世の信心に立ち還って立正安国論の大精神を以って一国を諫める宗門、そしてそれに呼応して本門戒壇の大御本尊を護持せんとする不惜身命の熱誠が一国上下に満ち満ちる時が必ず来る。これが大聖人の未来を鑑み給う御予言であり、御確信であられる。その時が戒壇建立の時なのである。

次に戒壇建立の手続きについては「勅宣並びに御教書を申し下して」の一文がそれに当る。「勅宣」とは天皇陛下の詔勅、「御教書」とは当時幕府の令書、いまでいえば国会の議決がそれに当る。日本一同に信ずる事の広布の時がくれば、国会の議決も問題なくなされよう。要するに、「勅宣並びに御教書」とは、国家意思の公式表明を意味するものである。〝本門戒壇の大御本尊を日本国の命運を賭しても護持し、本門戒壇を建立したします〟という国家意思の表明である。かかる手続きを経て建立される本門戒壇なるゆえ、これを宗門では国立戒壇と称してきたのである。

しかるにいま、世間にへつらって国立戒壇を否定するため、御本仏の聖意を曲げ「勅宣・御教書」を解釈して「建築許可書」などという無道心の麤語(そご)が宗門に横行しているが、これらはまさに魔説と断ずべきである。さらに、本抄に「勅宣」と仰せられた深意を拝するに、当時皇室は幕府に実権を奪われて有名無実・衰微の極にあったのである。しかるにこの仰せあるは、未来を鑑みての深き御聖慮と拝し奉るの他はない。大聖人は一往時の国家統治者を「国主」と呼ばれている。ゆえに北条時宗を指しても「国主」と仰せであるが、再往日本の真の国主は天皇であることの御意は諸御書に明らかである。末法万年に伝わる仏法を守護する王法が、一時の英雄や覇王ではふさわしくない、それらには永続がないのである。日本が三大秘法有縁の妙国ならば、永遠の仏法を守護するに本有の王法が存在しないはずはない。この使命を持っているのが日本の皇室である。この使命あればこそ、世界に類を見ぬ永続をみるのである。

たとえ時により衰微があとうとも、時来たれば必ず仏法有縁の「本化国主」が皇室に出現し、以後万年にわたり、三大秘法守護を以って皇室の唯一の使命とすることになるのであろう。とまれ、本門戒壇の大御本尊御建立の五ヶ月のちに、紫宸殿の御本尊を顕わし給うた御事績と、本抄の「勅宣」の仰せとを思い合わせるに、ただ凡慮の及ばざる甚深の御聖慮を感ぜずにはいられない。

次に「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて」とは場所についての定めである。ここには形容詞だけで地名の特定はないが、一期弘法抄の御文よりして、日本第一の名山富士山を指し給うものであることは明らかである。さらに富士山の広博たる裾野の中には、南麓の最勝の地「天生原」がその地域と定められ、歴代御法主により伝承されている。すなわち日興上人は「国主此の法を立てらるる時は、当国天母原に於いて三堂並びに六万坊を造営せらるべきものなり」(大坊棟札本尊裏書)と。また日寛上人は「事の戒壇とは即ち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり」(報恩抄文段)と。

次に「時を待つ可きのみ」とは、門下への勧誡である。勘とは、事の広布は必ず来るによって身命を惜しまず不断に弘通せよとの御激励。誡とは、未だ時の至らざるうちに戒壇を建立することは断じて不可なりとのお誡めである。いま正本堂を見るに、まさしくこの御聖意に背くものである。もし一国の謗法と邪正を決断せぬうちに戒壇を立てれば、一国において邪正肩を並べ、謗法与同の義を生ずるから不可なのである。世間にへつらい謗法呵責の道念を失えばこそ、時至らざるに濫りに立てるなどの違法がなされるのである。論より証拠。正本堂にキリスト教神父を招いた事実こそ、何より謗法与同の実態を雄弁に物語っているではないか。大聖人の御心を冒涜することこれより甚だしきはない。

次に「事の戒法と申すは是なり」とは、迹門の理戒に対して、如上の国立戒壇を「事の戒法」と仰せられるのである。すなわち一国総意の国立戒壇建立により、始めて本門戒壇の大御本尊は公開され、そこにおいて戒義が執行されるゆえである。それまではあくまで内拝であるから義の戒法と申し上げる。「三国並びに一閻浮堤の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給う戒壇なり」とは、本門戒壇の利益広大を仰せ給うのである。この戒壇は日本のためだけではない、中国・印度さらに全世界の人々がここに参詣し、懺悔滅罪・即身成仏を祈る処である。いや大梵天王・帝釈等も来下参詣する戒壇である。まさにその利益の広大なること、人界ばかりでなく天界まで及ぶことを仰せである。

いま、国立戒壇を否定する理由の一つとして、大聖人の仏法は全世界の仏法であるから国立戒壇は不可、などという者があるが、これまた全く為にする己義である。本門の戒壇が日本の国立であるという意は、大聖人の御法を日本だけのもの、日本だけに閉鎖する意味ではない。実に全人類のための大仏法を日本が守護するという意味である。これは、日本が大聖人御出現の本国であり、三大秘法広宣流布の根本の妙国であるから、この義務と大任を世界に対して負うのである。

ゆえに本抄には、日本の広宣流布・王仏冥合を以って国立戒壇を立よとし、それが三国並びに一閻浮提の人々のためであると御意せられるのである。全世界に広宣流布した暁を待って立てよとは全く仰せられていない。本抄に仰せの「王法」とはまさに日本の「王法」、「王臣一同」とは日本のそれ、「勅宣・御教書」とは日本の「勅宣・御教書」なのである。かくのごとき国立戒壇が全世界に開かれるのでる。考えてもみよ。全人類の即身成仏の大法を、全人類のために、国家の命運を賭しても守護する日本は、全世界から感謝されて然るべきではないか。

もし、かかる仏国日本を怨嫉憎悪する他の国家・国民があれば、罪はその方にある。ゆえに本尊抄には「賢王と成って愚王を誡責し」と仰せ給うのである。いずれにしても、御本仏の御遺命のまま、全世界のために国立戒壇を立てるのに、何の遠慮・気がねがいろう。実は国内の選挙のために国立戒壇を曲げたにもかかわらず、その理由を〝世界宗教のゆえ〟などというはまことに見えすいた誑言というべきである。実に国立戒壇こそが、一閻浮提に広宣流布する重大な鍵なのである。

つづく






浅井会長による「三大秘法抄」の講義録其の二

2017年02月17日 04時05分01秒 | 亡国の坂道 
本化・迹化・他方の菩薩について

ここで三種の菩薩の名のいわれについて説明する。これには二つの義があり、一には菩薩の所住の処に約す。すなわち、本化の菩薩は下方空中に住する。ゆえに下方という。他方の菩薩はこの娑婆世界の外の国土に住する。ゆえに他方という。迹化の菩薩を旧住の菩薩と名づける。

二には仏の本迹の教化に約す。すなわち、下方の菩薩は仏本地教化の菩薩である。ゆえに本化となづける。文殊等の菩薩は仏迹中教化の菩薩である。ゆえに迹化という。他方の菩薩は本地の教化ではなく、迹中の教化でもなく、ただ他方の仏の弟子である。ゆえに他方という。

以上この立名のいわれを知れば、三種の菩薩の親疎を知り、本文の「況や其の以下をや」の御意をほぼしることが出来よう。さらに日寛上人は、迹化・他方を制止してただ本化に付属せられた理由について、十二の釈を挙げ説明しておられる。

まず他方を制止した理由に三つ、本化に付属した理由を三つ、これを他方・本化の前三後三という。

1.他方は釈尊の直弟にあらざるゆえに。義疏第十に云く「他方は釈迦の所化にあらず」等云々。

2.他方は各々任国あるゆえに。天台云く「他方各々自ら任国あり」等云々。

3.他方は結縁の事浅き故に。天台云く「他方は此土に結縁の事浅し」等云々。

1.本化は釈尊の直弟のゆえに。天台云く「これ我が弟子応に我が法を弘むべし」等云々。

2.本化は常に此土に住するゆえに。太田抄に云く「地涌千界は娑婆世界に住すること多塵劫なり」云々。

3.本化は結縁の事深きゆえに。天台云く「縁深厚を以ってよく遍く此土を益す」等云々。

次に迹化本化の前三後三。

1.迹化は釈尊名字即の弟子にあらざるゆえに。本尊抄に云く「迹化の大衆は釈尊初発心の弟子に非ず」云々。「初発心」とは名字即なり。

2.迹化は本法所持の人にあらざるゆえに。本尊抄に云く「文殊観音等は又爾前迹門の菩薩なり、本法所持の人に非ず」等云々。

3.迹化は功を積むこと浅きゆえに。新家抄に云く「観音薬王等は智慧美しく覚えある人々といえども法華経を学す日浅く末代の大難忍び難かるべし」等云々。

1.本化は釈尊名字即の弟子なるがゆえに。本尊抄に云く「我が弟子之を惟え、地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり」等云々。

2.本化は本法所持の人のゆえに。輔記に云く「法これ久成の法なるゆえに久成の人に付す」云々。御義口伝に云く「此の四菩薩は本法所持の人なり、本法とは南無妙法蓮華経なり」云々。

3.本化は功を積むこと深きゆえに。下山抄に云く「五百塵点劫已来一向に本門寿量の肝心を修行し習い給う上行菩薩」等云々。

以上を以って「普賢文殊等にも譲り給わず、況や其の以下おや」の御意はあきらかである。

ここで附言せねばならぬことは、「本化は釈尊名字即の弟子」等のことである。上行菩薩は釈尊の弟子であるのに、その再誕たる大聖人が何ゆえに本仏かという疑問が当然おきよう。上行菩薩が釈尊の弟子の立場を取るのはこれ教相の所談である。釈尊一仏を中心とした熟脱の化導の中において、二仏が並出すればその化を破る、よって上行は一往弟子の立場を取り釈尊の久成を明かしてその化を助け、また末法のためには、「子父の法を弘む、世界の益あり」の世界悉檀の上から父子・師弟の姿をとるのである。

もし文底の意を以ってこれを見るならば、上行菩薩の本地は久遠元初の自受用身である。よって、上行の他に名字即本因妙の釈尊はなく、名字本因の釈尊の他に上行はない。実に本課妙の釈尊に対して、本因名字の釈尊を本化上行の名を以って呼ぶのである。すなわち、久遠元初の自受用身、末法に出現して三大秘法を一切衆生に授与せられんに、その手継証明のため、垂迹の身を上行として仮に付属を受けられるのである。されば久遠元初の自受用身は本地、上行菩薩はその垂迹、再誕は日蓮大聖人であらせられる。ゆえに血脈抄には「本地自受用身の垂迹、上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮」と仰せられる。まさしく、大聖人は外用教相に準ずれば自受用身の垂迹上行の再誕である。よって大聖人を即久遠元初の自受用身、末法下種の御本仏と仰ぎまいらせるのである。

「されば此の秘宝を説かせ給いし儀式は・・・・・」以下は、釈尊が内証の寿量品において本門の本尊を説き、その付属の儀式を明かすところである。この儀式は爾前経や法華経を説いた時とは全く異なる。すなわち、説法の場所は寂光本有の国土であり、そこにいらっしゃる教主は本有無作の三身であり、所化もまた同じであると。

「能居の教主は本有無作の三身なり」

この「本有無作の三身」とは、内証の寿量品の意を以って、その教主を論じ給うゆえにかく仰せられたものと拝する。このことは日寛上人の次の御指南に明らかである。すなわち法華取要抄文段に云く「もし文上の寿量品の意に拠(よ)れば、能化の教主已(すで)に四十二品の無明を断じて妙覚究竟の位に入る、能化既に爾り、所化亦爾り。もし本化付属の内証の寿量品の意に拠れば、能化の教主五百塵点の当初凡夫の御時、本地難思の妙法を即座に開悟し、名字妙覚の成道を唱うるなり、これを本地自行の成道と名くるなり、能化すでに爾り、所化亦然り」と。

寿量品に説き顕された御本尊について

御本尊が寿量品に説き顕されたということについて少しく説明すれば、正しく御本尊は寿量品の儀式によって顕われるのである。すなわち、宝搭品の時に釈迦・多宝の二仏座を並べ、分身来集し、涌出品の時本化涌出し、寿量品に至って十界久遠の上に国土世間すでに顕われ、一念三千の本尊の儀式すでにここに顕われている。しからば、御本尊は在世今日の寿量品の儀式を移したものと云えば大間違いの謗法となる。今日寿量品の儀式は在世脱益文上寿量品の本尊であり、これ舎利弗・目連等のためである。ここに内証の寿量品に説き顕わす御本尊という意味を深く拝さねばならぬ。実に内証の寿量品に説き顕わす御本尊は、今日寿量品の儀式を以って久遠元初の自受用身一身の相貌を顕わすもので、これ正しく末法下種の御本尊である。

「問う、此の御本尊の為体(ていたらく)は今日寿量品の儀式を移すとせんや、久遠元初の本仏の相貌(そうみょう)を顕わすとせんや。もし今日寿量品の儀式といわば、すなわちこれ在世脱益の本尊にして末法下種の本尊に非ず。もし久遠元初の本仏の相貌といわば、二仏並座・本化迹化・身子目連等あに今日寿量品の儀式にあらずや。答う、此の御本尊は正にこれ文底下種の本仏・本地難思境智冥合・久遠元初の自受用身の一身の相貌なり」と。

さらに云く「問う、正しく本尊の為体二仏並座・本化迹化・身子目連等あに今日寿量品の儀式にあらずや。答う、今日寿量品の儀式は文上脱益・迹門理の一念三千教相の本尊なり。もし遺付の本尊は文底下種の本門・事の一念三千の観心の本尊なり、然るに本事已往のもし迹を借らずんば何ぞ能く本を識らん、ゆえに今日寿量品の儀式を以て久遠元初の自受用身の相貌を顕わすなり、妙楽のいわゆる『雖脱現在具騰本種』之を思い合わすべし」と。以上の御指南を以って、内証の寿量品に説き顕わす御本尊の深意を心解すべきである。此の文底下種の御本尊を神力品において本化上行菩薩に付属せられたのである。また「上行等の四菩薩を寂光の大地の底よりはるばると召し出し」の「寂光」とは仏の住所である。その寂光より出現した上行は、菩薩とは名乗るも実に御本仏たるの意、この辺にも顕われている。

三大秘法の弘通の時を明す

本文

『問う、其の所属の法門仏の滅後に於いては何れの時に弘通し給う可きか。答う、教の第七薬王品に云く「後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云々、謹んで経文を拝見し奉るに、仏の滅後正像二千年過ぎて第五の五百歳・闘諍賢固白法隠没の時云々』 

この御文は、三大秘法弘通の時を明かす段である。神力品で付属された三大秘法は釈尊の滅後には、いかなる時に弘通されるのか、との問いを挙げ給い、法華経の薬王品の「後五百歳中広宣流布」の経証を以って、正像二千年を過ぎて、末法の始めの五百年であると断定遊ばしている。

広宣流布の二義について

末法始めの五百年を三大秘法広宣流布の時と仰せられるのは、法体の公布、すなわち日蓮大聖人が御出現せられ、三大秘法を初めて建立遊ばすことを仰せられる。これ流行の始まりである。また逆縁に約すれば広宣流布である。広宣流布には二義がある。一には順縁広布、化儀の広布ともいう。日本国一同に日蓮大聖人を信じ南無妙法蓮華経と唱える時をいう。諸法実相抄の「剰え広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」との仰せがこれである。二には逆縁広布、また化儀の広布に対して法体の公布ともいう。これ日蓮大聖人の御化導に対し一国瞋恚(しんに)をおこし怨嫉誹謗の逆縁で満ちることを指す。

顕仏未来記に云く「諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華の行者を守護せん、此の人は守護の力を得て、本門の本尊妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか、例せば威音王仏の像法の時、不軽菩薩・我深敬等の二十四文字を以て彼の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしが如し」と。この順・逆二縁の広宣流布の意を以って「後五百歳中広宣流布」を日寛上人判じて云く「もし逆縁に約すれば広宣流布なり。もし順縁に約すれば未だ広布せずといえども、後五百歳の中より漸々流布疑いなきものなり。もし此の一事虚しくなるならば、世尊は大妄語、法華経も虚説となるべし、いかでか其の義これあるべき、その義なくば日本国一同に流布すべきなり」と。

本文

『問う、夫れ諸仏の慈悲は天月の如し、機縁の水澄めば利生の影を普く万機の水に移し給うべき処に、正像末の三時の中に末法に限ると説き給うは教主釈尊の慈悲に於いて偏頗あるに似たり如何。答う、諸仏の和光利物の月影は九法界の闇を照らすと雖も謗法一闡提の濁水には影を移さず、正法一千年の機の前には唯小乗・権大乗相叶えり、像法一千年には法華経の迹門機感相応せり、末法に入って始めの五百年には法華経の本門前後十三品を置きて只寿量品の一品を弘通すべき時なり、機法相応せり。今此の本門寿量品の一品は像法の後の五百歳機尚耐えず、況や始めの五百年をや、何に況や正法の機は迹門すら尚日浅し、増して本門をや、末法に入ては爾前迹門は全く出離生死の法にあらず。但専ら本門寿量品の一品に限りて出離生死の要法なり、是れを以て思うに、諸仏の化導に於いて全く偏頗無し等云々。』

前段を受け、疑難を遮して正像未弘・末法流布の意を重ねてお説き遊ばす段である。仏の慈悲というものは平等であるべきに、それほど勝れた三大秘法を、正像二千年の衆生には与えず、末法の衆生にだけと限るのは、偏頗(へんぱ)えこひいきがあるようではないかと。この疑難に対し、「機法相応」を以って〝仏の慈悲に偏頗なし〟とご会通遊ばすのである。すなわち正法千年の衆生の機根に対しては、小乗・権大乗が相応し、像法千年には法華経迹門の教えが衆生の機根と合っている。そして末法に入って始めの五百年-末法万年の弘通であるがその始めに約して五百年というーは法華経本門の前後十三品措(お)いて、ただ寿量品の一品、これ内証の寿量品即三大秘法、を弘通すべきである。末法の衆生の機根とこの法が相応してうのである。

いま、この三大秘法は像法の後の五百年の衆生ですら耐えられない。機根と法がなじまない、病は軽く薬が強いのである。いわんやその前の五百年、いかにいわんや正法千年の衆生は法華経迹門ですら習熟の日が浅い、まして本門はなおさらである。だが、末法に入れば本未有善の荒凡夫にとって塾脱の爾前迹門は全く力がない。ただ下種の三大秘法だけが生死を出離することができる大法であると仰せられるのである。およそ仏の化導は病と薬とのごとくである。病浅ければ薬も小薬、重病には高貴薬があたえられるのである。軽病に強い薬は益がないばかりか、時として害がある。正像二千年の衆生はすでに過去に下種を受けている。よってこの下種を小乗・権大乗あるいは法華経迹門を縁として覚知し、成仏を遂げる機であるから、下種の三大秘法はは最高の大法たりといえども不要なのである。かえって誹謗でもすれば過去の下種善根を破ることになる。ゆえに本尊抄には「謗多くて塾益を破るべき故に之を説かず」と遊ばされている。しかし末法は過去の下種なき荒凡夫、久遠元初と全く同じ機である。よって久遠元初の本法たる三大秘法を以って仏は衆生をお救いになるのである。このように、機法相応を考えれば、仏の慈悲はいつの時代に対しても平等であり一分の偏頗もないのである。

本文

『問う、仏の滅後正像末の三時に於て、本化・迹化の各各の付属分明なり、但寿量品の一品に限って末法濁悪の衆生の為なりといへる経文未だ分明ならず、慥に経の現文を聞かんと欲す如何。答う、汝強ちに之を問う、聞て後に堅く信を取る可きなり。所謂寿量品に云く「是の好き良薬を今留めて此に在く、汝取て服す可し、差じと憂うること勿れ」等云々。』

釈尊滅後、正法・像法・末法の三時に、本化・迹化がそれぞれ付属を受けて弘通することはよくわかった。すなわち本化が神力品の別付属を受けて末法に、また迹化は属累品の総付属を受け、観音・薬王等の菩薩が南岳・天台等と出現したこともよくわかった。但し、本化上行菩薩への別付属の法体が寿量品の一品(内証の寿量品)であり、この内証の寿量品に限って末法の衆生の為であるということは未だはっきりしていない。よって経文の証拠を聞きたい。これ「寿量品一品に限る」という以上、寿量品にその確かな証拠があるはずであるということからの問いである。ここは、いよいよ次文において、内証の寿量品に説かれた三大秘法の体を明かす御用意の段であるから、強き決定信を促され「聞て後に堅く信を取る可きなり」と誡め給い「是好良薬云々」の経文をここにお示し遊ばされるのである。

是好良薬について

この「是好良薬」について、天台・妙楽の解釈では、釈尊一代の経教を指したり、あるいは法華経を指したりしているが、これは像法時代の付属に約しているゆえである。今末法本化付属の立場より「是好良薬」を判ずれば、まさしくこれ本門の本尊となる。ゆえに大聖人は観心本尊抄に「是好量薬とは、寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是れなり。此の良薬をば仏猶迹化に授与し給わず、何に況や他方をや。」と御断定遊ばすのである。これぞ神力付属の正体である。寛尊はこの文意を訳して「今の是好良薬は脱益の寿量品の文底、名体宗用教の南無妙法蓮華経これなり」と。さらに是好良薬を以って「名体宗用」等と判じ給うにについては是好良薬とは色香美味皆悉具足であるとして、色は般若即妙宗、香は解脱即妙用、味は法身即妙体、秘密蔵は妙名、依教修行は妙教のゆえに是好良薬は即五重玄であると訳しておられる。

そして寛尊はさらに、この五重玄の深意について「秘事なり」と断られた上で「これすなわち寿量の肝要文底の三身なり、ゆえに知りぬ、久遠元初の受用身・報中論三の無作三身なり、この無作三身の宝号を南無妙法蓮華経とうなり、乃至この無作三身はすなわちこれ末法の法華経の行者なり、もし爾ならば是好良薬の文あに人法体一の本尊にあらずや」と。まさしく名・体・宗・用・教の深意、人法体一の深旨、炳呼として明らかである。ここに至って上文の神力品「如来の一切の所有の法」等の文と、次下の「寿量品に建立する所の本尊は乃至無作三身の教主釈尊」との脈絡、まさに掌中の菓のごとく了了分明である。さて、「是好良薬」が本門の本尊と決定されれば、「今留在此」は御本尊所住の処であるから本門の戒壇、「汝可取服」は取は信心・服は唱題であるから本門の題目であること自ずと明らかである。

三大秘法の正体を明かす

本文

『問う、寿量品専ら末法悪世に限る経文顕然なる上は私に難勢を加う可からず、然りと雖も三大秘法の正体如何。答う、予が己心の大事之に如かず、汝が志無二なれば少しく之を云わん。』

寿量品ーいうまでもなく内証の寿量品のことである。この寿量品が末法濁悪のためであるとの経文がいまはっきりと示された以上、自分勝手な批判は一切慎むべきである。しかしながら、その三大秘法の正体とは、いったいどのようなものか。いよいよ三大秘法の具体的な相(すがた)を明かし給う段である。この三大秘法は大聖人の出世の御本懐、心中深秘の大法なるゆえ、これを明かし給うに当り、「予が己心の大事之に如かず、汝が志無二なれば少しく之を云わん」と重誡遊ばすのである。

本門の本尊を明かす

本文

『寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作の三身の教主釈尊是れなり。寿量品に云く「如来秘密神通之力」等云々。疏の九に云く「一身即三身なるを名づけて秘と為し、三身即一身なるを名づけて密となす、又昔より説かざるを名づけけて秘と為し、唯仏のみ自ら知るを名づけて密と為す、仏三世に於いて等しく三身あり、諸教の中に於いて之を秘して伝えず」等云々。』

まず本尊の体相を明かし給う。ここに「教主釈尊」とあるから、これは印度出現の法華本門の教主釈尊であるととれば、大謗法となる。文上本門の釈尊なら、すでに上の文に度々あらわれている。それを明かすのに「汝が志無二なれば」等の重誡は不要といわねばならない。

まさに、かかる重誡のうえに明かし給う本尊こそ諸教に秘して説かれなかった久遠元初の自受用身・本因妙の教主釈尊すなわち末法出現の日蓮大聖人の御事なのである。ゆえに日寛上人は「寿量品に建立乃至教主釈尊是れなり」の文意を端的に「我が内証の寿量品に建立する所の本尊はすなわちこれ久遠元初の自受用身・本因妙の教主釈尊これなり」と御指南された。「本因妙の教主釈尊」とは大聖人の御事であることは、血脈抄の「我が内証の寿量品とは脱益寿量文底本因妙の事なり、其の教主は某(それがし)なり」の金文に明らかである。

次に、本文を具に拝する。まず「五百塵点の当初」とは久遠元初のことである。すなわち五百塵点のゆえに久遠、当初のゆえに元初である。「此土」とは、総じていえば他土対してこの娑婆世界をいうが、別していえば印度に対してこの日本をいう。まさしくここには、三大秘法有縁の妙国・大日本を指して「此土」と仰せられるのである。この御聖意は日向記に明らかである。すなわち「本有の霊山とは此の娑婆世界なり、中にも日本国なり、法華経の本国土妙娑婆世界なり、本門寿量品の未曾有の大曼荼羅建立の在所なり」と。

さらに観心本尊抄には「一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し、月氏・震旦に未だ此の本尊有さず」と、「此の国」とは日本国である。

かくいえば疑問がおきよう。日本が久遠元初以来三大秘法有縁の本国土ならば、成住壊空の四劫はいったいどうなるのか、五百塵点の当初とは地球の成立すをさかのぼること久々遠々の昔のはずである、その頃より日本があるわけがないではないかと。答えるに、たしかに大宇宙は成住壊劫の四劫によって消滅をくりかえしている。ゆえに壊劫の時至れば地球も日本も滅失して無相となる。だがまた成劫の時至れば此の娑婆世界は生じ、日本国は涌出して本の相を現ずるのである。この趣を天台は文句に「問う、劫火洞然として天地郭清す、いかんぞ前仏・後仏此の山に同居し給うや。答う、後の劫立本の相還って現ず、神通を得たる人昔の名を知って以って今に名づけるのみ」と表現している。

この意を以って論ずれば、まさしく日本は久遠元初以来、三大秘法有縁の本有の国土であり、そのゆえに常に日本と名づけられる。これを自然感通という。ここにおいて、日向記の「霊山とは日本国なり」の御意が胸に収まろう。「此土」とはまさにこの本有の妙国日本を指し給うこと明らかである。「有縁深厚」とは、主・師・親の三徳の縁が深く厚い、ということ。三徳有縁は本尊として尊敬すべきである。

「本有無作三身」とは、印度出現の釈尊のごとく三十二相を以って身をかざらず、〝本のままの凡夫のお姿の仏様〟ということである。ゆえに御義口伝に「久遠の事」を釈して「此の品の所詮は久遠実成なり、久遠とははたらかず、つくろわず、もとの儘(まま)と云うなり、無作の三身なれば初めて成せず、是れ働かざるなり、三十二相八十種好を具足せざれば是繕(つくろ)わざるなり、是れを久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり、実成(まことにひらけたり)、無作と開けたるなり。」と遊ばす。この御指南によって明らかなように「本有無作三身」とはまさに〝凡夫のお姿の御本仏〟ということである。

さて、「久遠元初以来、日本国に三徳の縁深き、凡夫のお姿の御本仏」とは誰人にてましますか。日蓮大聖人を措(お)き奉って、他にあるべきはずもない。まさしくこの御文は、久遠元初の自受用身の再誕日蓮大聖人を以って末法の本尊とすべしという御意に他ならぬ。念のために、無作三身の教主釈尊とは三十二相の釈迦仏にあらずして、凡夫位の御本仏日蓮大聖人なることの文証を二・三挙げれば、諸法実相抄に云く「されば釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く『如来秘密神通之力』是なり、如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏なり」と。

「凡夫は体の三身」の「凡夫」とは別して日蓮大聖人の御事であり、「仏は用の三身」の「仏」とは本果の釈尊のことである。大聖人こそ体の三身・本仏であり、この本仏を妙法蓮華経と呼ぶこと文に在って文明である。船守抄に云く「過去久遠五百塵点のそのかみ、唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり」「我等衆生」とは総じての仰せであり、別していえば大聖人御一人であられる。すなわち五百塵点のそのかみの教主釈尊とは日蓮大聖人なりと、まことに明々白々である。

また御義口伝に云く「如来とは釈尊、.総じては十方三世の諸仏なり、別しては本地無の三身なり、今日蓮等の類いの意は、総じては如来とは一切衆生なり、別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり」と。

末法の法華経の行者とは日蓮大聖人の御事たるこというまでもない、なれば、日蓮大聖人こそ無作三身であり、そのお名前を南無妙法蓮華経と称し奉るのである。以上列挙の御文を拝すれば、無作三身とは日連大聖人なることは明らかである。されば日蓮大聖人の御当体こそ本門の本尊にてましますのである。ゆえに謹んで御本尊のお姿を拝すれば、中央に「南無妙法蓮華経日蓮在御判」と大書し給うのである。

次に「如来秘密神通之力」の結文と、天台文句の「一身即三身云々」が引かれているが、所印の所以は無作三身の衣文なるがゆえである。先に挙げた諸法実相抄の文と、御義口伝の次の御指南を拝すれば所印の御意を拝することができよう。「建立の御本尊の事、御義口伝に云く、此の本尊の衣文とは、如来秘密神通の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥(たしか)に霊山に於いて面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」と。

つづく


 




浅井会長による「三大秘法抄」の講義録其の一

2017年02月14日 09時45分31秒 | 亡国の坂道 
浅井会長が妙信講を名乗っていた昭和51年12月、「三大秘法抄を拝し奉る」と題して御遺命守護完結に向けて闘う中に、妙信講員のために寸暇を惜しんで一年間掛けて講義下された「三大秘法抄」の講義録が拙者の手元にあります。今となってはこうした正しい講義禄は人目に触れることは、ほとんど無くなってしまいました。今、富士門流の中で国立戒壇に関する邪義が横行するなかでは、こうした正しい優れた講義禄は大変貴重な存在となってしまいました。時に当たってこの機会に、浅井会長が妙信講員のために心血注いで講ぜられた、三大秘法抄の講義録の全文を謹んで掲載させて頂くことにしました。

これこそが大聖人様以来七百年、富士門流大石寺に正しく伝承されてきた、三大秘法の秘奥をきわめ尽くした解説文であり、御本仏日蓮大聖人様の終窮究竟の御本願たる、国立戒壇論に関する正論だと確信しています。


三 大 秘 法 抄 を 拝 し 奉 る

                  浅 井 昭 衛

本抄の重要性

 三大秘法抄は御一代を通じ、最も重要なる御書である。そのわけは、大聖人御弘通の所詮たる三大秘法を整足して、その姿を余すところなく明かし給う御書なるがゆえである。大聖人の四百余篇の御書は、その元意ことごとく三大秘法を明かすにあるが、諸抄は御化導の展開の過程上から、また対告衆の機根の上から、あるいは本門の題目の一分を明かし、あるいは本門の本尊のみを明かし、あるいは三大秘法の名目だけを明かし給い、未だ本抄のごとく三秘整足してその実体を明確に明かされた御書は他に類を見ないのである。

まさに本抄は、御入滅の弘安五年に至り、御自ら一代御化導を総括遊ばされ、己心中の大事たる三大秘法が後世に正しく理解されるようにとの御聖慮から、未来のために書き遺し給う重書と拝すべきである。いまその大意を拝するに、釈尊の神力品結要付属の文に約し、末法に三大秘法が出現する縁由と三秘の体を説き給うている。そしてこの三大秘法は、三世諸仏の能生の根源であり、釈尊久遠名字即の御時修行の秘法、久遠元初の自受用身・五百塵点の当初以来この秘法を心中に秘め、いま大悲願力を以って末法に出現し、この秘法を一切衆生に授与し給うのである。

よって本抄にこの大事を明かすに当っては「聞いて後に堅く信を取る可きなり」また「予が己心の大事之に如かず、汝が志無二なれば少しく之を云わん」と重誡をされ、さらに説きおわって後には「一見の後は秘して他見有る可からず、口外も栓なし」とまで厳重の誡めを加え給うておられる。これらの仰せは、本尊抄の「設い他見に及ぶとも三人四人座を並べて之を読むな勿れ」とのお誡めと比べても、なお格段の厳しさである。以って本抄が、いかに大聖人の己心中の大事を明かし給う重書なるかが窺がわれよう。

ことに本門の戒壇については、その意義内容全く他抄にあかされていない。ただ日興上人への御付属状に、それが重大なる御遺命たることを窺がうのみである。ここに大聖人究極の大理想たる本門戒壇は、御付属状の助証たる本抄によってのみ、その全貌を余すところなく拝し得るのである。そして始めて本抄に本門戒壇の相貌を明かし給う御聖意のほどは、本文の「予年来己心に秘すと雖も、此の法門を書き付けて留め置かずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し、其の後は何と悔ゆるとも叶うまじきと存ずる間貴辺に対し書き遺し候」の仰せに明らかである。将来、本門戒壇に異議を生じた時のために、子を思う大悲やみ給わず、ここに正義を留め置かれたのである。この意味で本抄はまさに御本仏の御遺誡である。

しかるにいま悲しいかな、正系門家の中において本門戒壇について異議を生じ、その正義はまさに失せんとしている。しかれば大聖人の御聖慮は、まさに今日のためにあられたと拝すべきである。されば一万七千の全妙信講員は、いまこそ本抄を心肝に染め、身を挺して御遺命を守護し、以って御本仏大聖人に応え奉らなければならない。而して、本抄の甚意は、凡智のとうてい窺うべきところではない。よってただ日寛上人の諸抄における御指南に基づき、御聖意の万一をも拝し奉らんとするのみである。

本抄の大段

本抄を標・釈・結に分ければ、冒頭の神力品結要付属の文は標であり、「間う、所説の要言」以下は釈であり、「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含みたる経にて渡らせ給えばなり、秘すべし秘すべし」は結である。

神力結要付属の文を以って標す

本文

『夫れ法華経の第七神力品に云く『要を以って之を云わば、如来の一切の所有の法・如来に一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す』等云々。』

この神力結要付属の文は、釈尊が上行菩薩に、三大秘法の随一たる本門の本尊を付属せられた重大な経文である。日寛上人はこの経文の意を釈して次のごとく御指南である。『如来の一切の名用体宗を、皆この本門の本尊妙法蓮華経の五字において宣示顕説するとなり。今此の本尊を地涌の菩薩に付属するゆえに結要付属というなり』(観心本尊抄文段)と。

まさしく、釈尊の脱益の法華経を四句の要法に結んで付属したのではなく、釈尊が五百塵点の当初(そのかみ)修行したところの久遠元初の本法・三大秘法の本門の本尊を上行菩薩に付属せられたのである。よってこの文を『本尊付属』というのである。

さて、「如来の一切の名・用・体・宗」とは、この場合印度出現の釈尊を指すのであはない。「如来とは上の寿量品の如来」(御義口伝)である。しからば、「寿量品の如来」とは「如来とは釈尊・総じては十方三世の諸仏なり、別しては本地無作の三身なり。今日蓮等の類の意は、総じては如来とは一切衆生なり、別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作三身の宝号を南無妙法蓮華経というなり」(御義口伝)と。

この御指南に明らかなごとく「如来」とは本地無作の三身・久遠元初の自受用身を指し給う、すなわち末法出現の日蓮大聖人の御事である。次に「名・用・体・宗」とは、「如来の一切の所有の法」が名玄義、「如来の一切の自在に神力」が用玄義、「如来の一切の秘要の蔵」が体玄義、「如来の一切の甚深の事」が宗玄義を表す。ゆえに四句の要法は名・用・体・宗にあたり、またこの四重玄義を判ずるのが教玄義であるから、四重玄は即五重玄である。いま当体義抄の御指南により拝し奉れば、「至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付る時、因果俱時不思議の一法之有り、之を名けて妙法蓮華と為す、此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減(けつげん)無し、之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因妙果俱時に感得し給うが故に妙覚果満の如来と成り給いしなり」と。

久遠元初の自受用身、我が生命を深く観ぜられるに、我が一念の心法は因果俱時不思議の一法である。而して因果俱時のゆえにこれを蓮華と名づけ、不思議の一法なるゆえに妙法と名づく、すなわち、我が一念の心法をその理に基づき「妙法蓮華」と名づけられ給うたのである。これすなわち名玄義である。この妙法蓮華一念の心法に、十界三千の諸法を具足して少しも欠けるところがない、これ一念三千である。よってこれを体玄義とする。

「之を修行する者は仏因仏果同時に之を得る」とは、仏自行の因果であり、これ宗玄義である。「聖人此の法を師と為し」以下は俱時感得を以て妙用を顕すゆえに用玄義である。この当体義抄の御趣意により、久遠元初自受用身の名・用・体・宗はことごとく本門の本尊・妙法蓮華教の五字に宣示顕説され、いま釈尊より上行菩薩に付属されたのである。而して、上行菩薩は末法に出現して日蓮大聖人とお名乗りになり、釈尊の付属にまかせ、久遠元初自受用身の御身の御内証を「本門戒壇の大御本尊」と顕われ給い、末代幼稚に授与せられ給うのである。末法の一切衆生はこの大御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱うれば、必ず即身成仏し、当体蓮華を顕すこと断じて疑いかきことを、釈迦・多宝・十方の諸仏並座して証明した文がこの神力品の経文である。

釈尊の本意は末法の三大秘法広宣流布の証明にあること

釈尊は熟脱の教主として、印度に出現し、舎利弗・目連等を脱せしむるてめに法華経を説くとおもえども、在世の衆生を脱せしむるのは一往の傍意であり、再往その意を尋ぬれば、実に末法の一切衆生が下種の本仏日蓮大聖人の三大秘法を信受することをひたすら願われたのである。この趣旨を日寛上人は「問う、釈尊出世の本懐はただ法華経を説いて在世の衆生を脱せしめんためなり。答う、一往然りといえども、実に本意を尋ぬれば、ただこれ末法今時我等衆生に本門の本尊を受持せしめんがためなり、ゆえに経に云く『是好良薬今留在此』又云く『悪世末法時』『後五百歳中広宣流布』等云々、宗祖これらの経意に准じ判じて云く『法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含みたる経にて渡らせ給えばなり』等云々」この意味から神力品付属は、正しく末法に日蓮大聖人が三大秘法を広宣流布し、一切衆生をお救いなることを釈尊が証明した、手継ぎの証文なのである。ゆえに釈尊は神力品の時、十神力を以って出広長舌相、毛孔放光、地六種動等の大瑞をまず以って示したものである。

ゆえに下山抄には「釈迦・多宝・十方の諸仏は寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字」とは、寿量品文底秘沈の三大秘法の随一たる本門の本尊の御事である。かかる三仏(釈迦・多宝・十方分身の諸仏)の証明に応じ、久遠元初の自受用身末法に出現して三大秘法を弘める時、また在世にも過ぎたる大瑞相があらわれぬはずはない。されば呵責謗法滅罪抄に「去る正嘉元年八月二十三日戌亥(いぬい)の刻の大地震と、文永元年七月四日の大彗星、此等は仏滅後二千二百余年の間未だ出現せざる大瑞なり、此の大菩薩の此の大法を持ちて出現し給うべき先瑞なるか、尺の池には丈の浪たたず、驢吟ずるに風鳴らず、日本国の政事乱れ万民嘆くに依っては此の大瑞現じがたし、誰か知らん、法華経の滅不滅の大瑞なり」と。

神力品の先瑞と、大聖人出現の時の大瑞とを思い合わせるに、神力品の付属の意義が躍如として胸にせまるではないか。

本文

『釈に云く「経中の要説・要は四事に在り等云々」』

天台の法華文句の一節をお引きになっておられる。この天台の釈は神力品の四句の要法を細釈したものである。すなわち神力品結要付属の後文に「経巻所住の処皆応に塔を起つべし」の文があり、その塔を起てるべき所以(ゆえん)を「是の処は即ち是道場なり、諸仏此に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於いて法輪を転じ、諸仏此於いて般涅槃したもう」としている。この経文について天台が「要は四事にあり」と釈したのである。

「四事」とは経にいう「道場・得菩提・転法輪・入涅槃」を指す。この四事は四句の要法に対応するもので、「道場」は上の「甚深の事」を「得菩提」は「所有の法」を「入涅槃」は「自在の神力」を、それぞれ釈したものであり、これは即、名・体・宗・用の四これ一切の肝要であることを重ねて説かれたものである。而して、この四は本門の本尊に宣示顕説され、上行菩薩に付属された以上、末法においては、本門の本尊の御当体にておわす日蓮大聖人の御一身に四事は具わるのである。ゆえに南条抄に云く「教主釈尊の一大事の秘法霊鷲山にして相伝し日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし、かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき、法妙はるが故に人尊し、人尊きが故に所尊しと申すは是なり」と。「教主釈尊の一大事の秘法」とは本門の本尊のことである。以って、「要は四事にあり」の御引証の聖意を拝すべきである。

所属の法体を釈す

本文

『問う、所説の要言の法とは何物ぞや。答う、夫れ釈尊初道場の初めより四味三教乃至法華経の広開三顕一の席を立ちて略開近顕遠を説かせ給いし涌出品まで秘せさせ給いし、実相証得の当初修行し給いし処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり。』

この文は神力品で付属された法体とは何かを釈す段である。「要言の法」とは、神力品の「要を以て之を云わば」とあるを指す。すなわち四句に結ばれて神力品で付属された法体とは何かとの問いを挙げ、答えて云く、それは、釈尊が三十で成道して以来、四味三教すなわち爾前経には説かず、法華経においても迹門には説かず、本門に至っても略開近顕遠を説いた湧出品まで秘し隠していた大法であり、この大法こそ釈尊が久遠五百塵点の当初(そのかみ)自ら修行し給うたところの、内証の寿量品に始めて解き明かされた本尊と戒壇と題目の五字であると。

「略開近顕遠を説かせ給いし涌出品」

この略開近顕遠とは文上の寿量品を指す。文上の寿量品は釈尊の五百塵点の成道を示すものであるが、いま久遠元初の遠本を解き明かす広開近顕遠の寿量品、すなわち内証の寿量品に対望するゆえに、文上の寿量品をなお涌出品の略開近顕遠に属せしめ、内証の寿量品を以って本抄にはただ「寿量品」と仰せられるのである。ゆえに次下の「寿量品の本尊と戒壇と題目の五字」の「寿量品」とは、内証の寿量品たることはいうまでもない。この筋目こそ本抄拝読の鍵である。

さて、文上の寿量品を内証寿量品に望んで涌出品の略開近顕遠に退属せしむる大聖人独顕の法相は、法華取要抄・本尊抄等に分明である。ここには取要抄を拝する。

「本門に於いて二の心有り、一には涌出品の略開近顕遠は前四味並びに迹門の諸衆を脱せしめんが為なり。二には湧出品の動執生疑より一半並びに寿量品・分別功徳品の半品已上一品二半を広開近顕遠と名く、一向に滅後の為なり」と。

この文章を日寛上人は「まさに知るべし、寿量品において義・両辺あり。いわゆる一には文上の寿量品、これすなわち本果久成の遠本を説き顕す、この顕本の説を聞いて在世一段の衆生皆真実の断惑を究(きわ)むるなり、これを天台広開近顕遠断惑生信と名くるなり。二には内正の寿量品、これすなわち久遠元初の名字の遠本を説き顕す、蓮祖はこれを広開近顕遠と名くるなり、これはこれ天台未弘の法門なり、このゆえに今文の意・文上の寿量品天台の広開近顕遠断惑生信を以て、通じて断惑生信となす、ゆえに『涌出品の略開近顕遠は前四味並びに迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり』という。次に内証の寿量品を以て広開近顕遠と名く、此を以て正しく『一行滅後の為』とするなり」と。されば三大秘法は文上の寿量品にも説かれず、ただ内証の寿量品をにおいて始めて解き明かされたのである。

「実相証得の当初修行し給いし処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり」

実相証得の当初(そのかみ)とは諸抄の五百塵点の当初と同じである。すなわち久遠元初の本因妙を指す。この時の釈尊とは、色相荘厳の本果妙の釈尊ではなく、名字凡身の本因妙の釈尊である。

この本因妙の釈尊とは末法出現の日蓮大聖人の御事である。久遠元初は即末法の始め「久末一同」の釈をよくよく思い合わすべきである。

本因妙の釈尊は久遠元初において三大秘法を修行せられ、日蓮大聖人は末法に三大秘法を修行し給うのである。時は変われども、その御修行と位は全同である。このことを本因妙抄に云く「釈尊久遠名字の位の御身の修行を末法今時日蓮が名字即の身に移せり」と。また百六ヶ抄に云く「今日蓮が修行は久遠名字の振舞い芥爾(けに)計りも違わざるなり」と。この行位全同を以って、日蓮大聖人を本因妙の教主釈尊と呼び奉り、久遠元初の自受用身と称し奉るのである。

さて、釈尊五百塵点の当初、修行の相を、さらに具に日寛上人の当体義抄文段より拝すれば「問う、釈尊五百塵点の当初、いかなる法を修行して妙法蓮華を証得し給うや。答う、これ種が家の本因妙の修行による。前文に云く『聖人此の法を師と為し修行覚道し給へば妙因妙果俱時に感得し給う』等云々、聖人とはすなわちこれ名字即の釈尊なり、ゆえに位妙に当るなり、後を以て之を呼ぶゆえに聖人というなり、この名字凡夫の釈尊一念三千の妙法蓮華を以て本尊となす、ゆえに此の法を師と為すという、すなわちこれ境妙なり、修行等とは修行に始終あり、始めはこれ信心、終はこれ唱題、信心はこれ智妙、唱題はこれ行妙、ゆえに修行の両字は智行の二妙に当るなり、この境智行位を合して本因妙となす、この本因妙の修行に依り即座に本果に至る、ゆえに妙因妙果俱時感得というなり、すなわち今文(当体義抄)に『証得妙法当体蓮華』というはこれなり、今、本因本果とはすなわちこれ種が家の本因本果なるのみ。釈尊すでに爾り」と。

以って釈尊実相証得の当初の三大秘法の修行を排推すべきである。末法日蓮大聖人の御修行また然り。義浄房御書に云く「寿量品の自我偈に云く『一心欲見仏不自釈身命』云々、日蓮が己心の仏界を此の文に依って顕すなり、其の故は寿量品の事の一念三千三大秘法を成就せる事此の経文なり、秘す可し秘す可し。乃至一心に仏を見る・心を一にして仏を見る・一心を見れば仏なり、無作三身の仏果を成就せん事は恐らくは天台・伝教にも越え竜樹・迦葉にも勝れたり」と。

立宗以来、南無妙法蓮華経と我と唱え人にも勧め給い、不惜身命の御修行により、ついに龍の口御頸の座にのぞみ、父母所生の肉身即久遠元初の自受用身と成道を遂げられ、末法下種の本尊と顕われ給うたのである。「寿量品の事の一念三千の仏果」等の御金言をよくよく拝すべきである。われら末法の衆生は、大聖人の顕わし給うた此の本尊を堅く信じまいらせ、信心怠りなく南無妙法蓮華経と唱えれば、御本尊の仏力法力により、必ずまた無作三身の仏果を得るのである。

所属の人を明かす

本文

『教主釈尊此の秘法をば三世に隠れ無き普賢文殊等にも譲り給わず、況や其の以下をや、されば此の秘法を説かせ給いし儀式は四味三教並に法華経の迹門十四品に異なりき、所居の土は寂光本有の国土なり、能居の教主は本有無作の三身なり、所化以て同体なり。かかる砌なれば、久遠称揚の本眷属上行等の四菩薩を寂光の大地の底よりはるばると召し出して付属し給う、道暹律師云く「法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云々。』

この段は三大秘法が誰人に付属されたかを明かすところである。釈尊はこの久遠元初の大法を、普賢・文殊にも譲らなかった。普賢・文殊は迹化の菩薩である。いわんやそれ以下の迹化・他方の菩薩方に譲られるわけががない。ただ本化の上行菩薩に付属等を涌出品に召し出し付属されたのである。この趣をさらに観心本尊抄の御指南を拝すれば「所詮、迹化・他方の大菩薩等に、我が内証の寿量品を以て授与すべからず、末法の初めは謗法の国にして悪機なる故に之を止めて、地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」と。

本化上行菩薩に付属せられた法体は「我が内証の寿量品」「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字」であることをよくよく心腑に染めて拝すべきである。これ久遠元初の大法たる三大秘法のことたるこというまでもない。

つづく