本門の本尊を明かす
本文
『寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作の三身の教主釈尊是れなり。寿量品に云く「如来秘密神通之力」等云々。疏の九に云く「一身即三身なるを名づけて秘と為し、三身即一身なるを名づけて密となす、又昔より説かざるを名づけけて秘と為し、唯仏のみ自ら知るを名づけて密と為す、仏三世に於いて等しく三身あり、諸教の中に於いて之を秘して伝えず」等云々。』
まず本尊の体相を明かし給う。ここに「教主釈尊」とあるから、これは印度出現の法華本門の教主釈尊であるととれば、大謗法となる。文上本門の釈尊なら、すでに上の文に度々あらわれている。それを明かすのに「汝が志無二なれば」等の重誡は不要といわねばならない。
まさに、かかる重誡のうえに明かし給う本尊こそ諸教に秘して説かれなかった久遠元初の自受用身・本因妙の教主釈尊すなわち末法出現の日蓮大聖人の御事なのである。ゆえに日寛上人は「寿量品に建立乃至教主釈尊是れなり」の文意を端的に「我が内証の寿量品に建立する所の本尊はすなわちこれ久遠元初の自受用身・本因妙の教主釈尊これなり」と御指南された。「本因妙の教主釈尊」とは大聖人の御事であることは、血脈抄の「我が内証の寿量品とは脱益寿量文底本因妙の事なり、其の教主は某(それがし)なり」の金文に明らかである。
次に、本文を具に拝する。まず「五百塵点の当初」とは久遠元初のことである。すなわち五百塵点のゆえに久遠、当初のゆえに元初である。「此土」とは、総じていえば他土対してこの娑婆世界をいうが、別していえば印度に対してこの日本をいう。まさしくここには、三大秘法有縁の妙国・大日本を指して「此土」と仰せられるのである。この御聖意は日向記に明らかである。すなわち「本有の霊山とは此の娑婆世界なり、中にも日本国なり、法華経の本国土妙娑婆世界なり、本門寿量品の未曾有の大曼荼羅建立の在所なり」と。
さらに観心本尊抄には「一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し、月氏・震旦に未だ此の本尊有さず」と、「此の国」とは日本国である。
かくいえば疑問がおきよう。日本が久遠元初以来三大秘法有縁の本国土ならば、成住壊空の四劫はいったいどうなるのか、五百塵点の当初とは地球の成立すをさかのぼること久々遠々の昔のはずである、その頃より日本があるわけがないではないかと。答えるに、たしかに大宇宙は成住壊劫の四劫によって消滅をくりかえしている。ゆえに壊劫の時至れば地球も日本も滅失して無相となる。だがまた成劫の時至れば此の娑婆世界は生じ、日本国は涌出して本の相を現ずるのである。この趣を天台は文句に「問う、劫火洞然として天地郭清す、いかんぞ前仏・後仏此の山に同居し給うや。答う、後の劫立本の相還って現ず、神通を得たる人昔の名を知って以って今に名づけるのみ」と表現している。
この意を以って論ずれば、まさしく日本は久遠元初以来、三大秘法有縁の本有の国土であり、そのゆえに常に日本と名づけられる。これを自然感通という。ここにおいて、日向記の「霊山とは日本国なり」の御意が胸に収まろう。「此土」とはまさにこの本有の妙国日本を指し給うこと明らかである。「有縁深厚」とは、主・師・親の三徳の縁が深く厚い、ということ。三徳有縁は本尊として尊敬すべきである。
「本有無作三身」とは、印度出現の釈尊のごとく三十二相を以って身をかざらず、〝本のままの凡夫のお姿の仏様〟ということである。ゆえに御義口伝に「久遠の事」を釈して「此の品の所詮は久遠実成なり、久遠とははたらかず、つくろわず、もとの儘(まま)と云うなり、無作の三身なれば初めて成せず、是れ働かざるなり、三十二相八十種好を具足せざれば是繕(つくろ)わざるなり、是れを久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり、実成(まことにひらけたり)、無作と開けたるなり。」と遊ばす。この御指南によって明らかなように「本有無作三身」とはまさに〝凡夫のお姿の御本仏〟ということである。
さて、「久遠元初以来、日本国に三徳の縁深き、凡夫のお姿の御本仏」とは誰人にてましますか。日蓮大聖人を措(お)き奉って、他にあるべきはずもない。まさしくこの御文は、久遠元初の自受用身の再誕日蓮大聖人を以って末法の本尊とすべしという御意に他ならぬ。念のために、無作三身の教主釈尊とは三十二相の釈迦仏にあらずして、凡夫位の御本仏日蓮大聖人なることの文証を二・三挙げれば、諸法実相抄に云く「されば釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く『如来秘密神通之力』是なり、如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏なり」と。
「凡夫は体の三身」の「凡夫」とは別して日蓮大聖人の御事であり、「仏は用の三身」の「仏」とは本果の釈尊のことである。大聖人こそ体の三身・本仏であり、この本仏を妙法蓮華経と呼ぶこと文に在って文明である。船守抄に云く「過去久遠五百塵点のそのかみ、唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり」「我等衆生」とは総じての仰せであり、別していえば大聖人御一人であられる。すなわち五百塵点のそのかみの教主釈尊とは日蓮大聖人なりと、まことに明々白々である。
また御義口伝に云く「如来とは釈尊、.総じては十方三世の諸仏なり、別しては本地無の三身なり、今日蓮等の類いの意は、総じては如来とは一切衆生なり、別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり」と。
末法の法華経の行者とは日蓮大聖人の御事たるこというまでもない、なれば、日蓮大聖人こそ無作三身であり、そのお名前を南無妙法蓮華経と称し奉るのである。以上列挙の御文を拝すれば、無作三身とは日連大聖人なることは明らかである。されば日蓮大聖人の御当体こそ本門の本尊にてましますのである。ゆえに謹んで御本尊のお姿を拝すれば、中央に「南無妙法蓮華経日蓮在御判」と大書し給うのである。
次に「如来秘密神通之力」の結文と、天台文句の「一身即三身云々」が引かれているが、所印の所以は無作三身の衣文なるがゆえである。先に挙げた諸法実相抄の文と、御義口伝の次の御指南を拝すれば所印の御意を拝することができよう。「建立の御本尊の事、御義口伝に云く、此の本尊の衣文とは、如来秘密神通の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥(たしか)に霊山に於いて面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」と。
本門の題目を明かす
本文
『題目とは二の意あり、所詮正像と末法となり。正法には天親菩薩・竜樹菩薩題目を唱えさせ給いしかども自行ばかりにしてさてやみぬ。正像には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱え給いて自行の為にして広く他の為に説かず、是れ理行の題目なり。末法にい入って今日蓮が唱える所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり、名体宗用教の五重玄の五字なり。』
本門の題目とは、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える修行をいうが、ここは正像ニ千年に天親・竜樹・南岳・天台等が唱えた題目と対比して、大聖人の唱えた給う本門の題目を明かし給うている。正像二千年にも、天親・竜樹・南学・天台等は南無妙法蓮華経と唱えていたが、これらの題目と、末法に日蓮大聖人が唱え出された本門の題目とは全く異なったものである。異なる点は二つある。御文にあって明らかなように、一には、正像の題目は自行ばかりであり、末法の題目は自行化他にわたる。二には、正像の題目は理行であり、末法の題目は事行である。
一について説明すれば、竜樹・天台等は自分だけは南無妙法蓮華経と唱えていたが、人に向かって時機相応の別な法を勧めていた。よって「自行ばかりにしてさて止みぬ」と仰せられるのである。しかし大聖人は、御自身も南無妙法蓮華経と唱え人にこれを唱えんことを勧め給うた。自行も南無妙法蓮華経であられた。よって「自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」と仰せ遊ばすのである。二について論ずれば、これは唱える題目の法体そのものが異なることを表す。天台等の唱えた題目の法体は、文上脱益の法華経迹本二門の妙法である。ゆえに「理行の題目」と云い、大聖人の唱え給う題目は、その法体寿量文底下種の妙法である。ゆえに事行の題目というのである。これを本文には理行の題目に対して「名体宗用教の五重玄の五字なり」と仰せられるのである。すなわち久遠元初の本因妙下種の題目である。
本門戒壇を明かす
本文
『戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ、事の戒法と申すは是なり、三国並びに一閻浮堤の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して蹹み給うべき戒壇なり。』
本門戒壇は大聖人究極の御願業である。これは、本門戒壇の妙用により、日本国を仏国土に、ひいては一閻浮堤(全世界)の仏国土化を事相の上に顕現するものである。大聖人の御在世においては、本門の題目と本門の本尊は顕われ給うとも、この本門の戒壇の一事においては未だ時至らず、よってその実現を未来に御遺命せられたのである。しかしながら、本門の戒壇に安置すべき御本尊だけは、弘安二年十月十二日、末法万年のことを慮(おもんぱか)られ堅牢なる楠木の厚き板に御自らお認(したた)め遊ばされ、未来の御用意と遊ばした。
この御本尊を「本門戒壇の大御本尊」と申し上げる。これぞ三大秘法の随一、大聖人出世の御本懐、日本を始め全世界の一切衆生に授与せられた一閻浮堤総与の大御本尊である。よって聖人御難事には「此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年なり、仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難は申す計りなし、先先に申すがごとし、余は二十七年なり、其の間の大難は各各かつしろしめせり」と。まさしく弘安二年の大御本尊建立を以って出世の本懐と仰せられる。よって日寛上人は「なかんずく弘安二年の本門戒壇御本尊は究竟中の究竟・本懐中の本懐なり、すでにこれ三大秘法随一なり、いわんや一閻浮堤総体の本尊なるゆえなり」と。
而して大聖人はこの御本尊を弘安五年に日興上人にご付属され、本門戒壇の建立を御遺命遊ばしたのである。その御付属状(一期弘法抄)に云く「日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之を付属す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せら留べきなり、時を待つべきのみ、事の戒法というは是れなり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり」と。「日蓮一期の弘法」とは大聖人出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊の御事、そして本門の戒壇の建立については「国主此の法を立てらるれば富士山」と仰せられ、委細をすべて日興上人に口伝遊ばされたのである。但し、門家には未だ本門戒壇の何たるかを知る者はいない。よって未来のため、その内容を明かし給うたのが本抄である。本抄が一期弘法抄の助証であるとの意はここにある。実に、御書四百余篇の中に、本門戒壇の異議・内容を明かされたのはこの三大秘法抄だけである。
さて、本門戒壇は、どのような時に、どのような手続きで、どこに立てられるべきか、以下本文にそれを拝する。
まず時については「王法仏法に冥事仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」とお定めである。これは広宣流布の暁の、国家と仏法の関係状態を明かされたものである。日本国家がこのような状態になった時が戒壇建立の時と定められたものである。以下一文づつ拝せば「王法」とは、国家統治の最高権力・統治主権・国家権力等の意である。またその活動に約して一国の政治、さらに人に約して国主・国主の威光勢力等をも意味する。要するに、国家統治に関わる種々の概念を包括した言葉である。
「王法仏法に冥事仏法王法に合して」とは、国家権力が三大秘法を根本の指導原理として尊崇擁護し、また三大秘法が国家の繁栄・国民の幸福のために生かされる状態をいう。これは大聖人の仏法が単に個人の信仰の次元に止まらず、国家次元において受持されるということを意味する。そもそも国家の繁栄は国民一人一人の幸・不幸をその中に包含している。ゆえに大聖人は「一切の大事の中に国の亡びるが第一の大事」と仰せられる。よって、個人が安穏であるためには国家が安泰でなければならない、国家が安泰であるためには王法が仏法に冥ぜざるべからずというのが立正安国論の御趣旨であり、また本抄の御指南である。
さて、王仏冥合の具体的姿はいかにといえば、それを次文に明かし給い、「王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」と仰せられる。「王」とは国主、「臣」とは国政にたずさわる者、「王臣」の二字の中に全国民が含まれていることは言うまでもない。すなわち、国主も、国政にたずさわる者も、全国民も、心から本門戒壇の大御本尊を信ずるのである。「有徳王・覚徳比丘」とは涅槃経に出てくる故事である。昔、歓喜増益如来の滅後・仏法まさに失せんとする時、覚徳比丘という聖僧あって身命も惜しまず正法を説いた。この時、多くの破戒の悪僧あって怨嫉しこれを殺害せんとした。その時、有徳王がかけつけ、身を以って覚徳比丘を守り、ついに命を失ったが、その功徳により阿閦仏(あしゅくぶつ)の国に生じたという。
この覚徳比丘の姿はまさしく御在世の大聖人のお姿であり、また事の広布の時の御法主上人のお姿である。但し、御在世には国家権力大聖人を守るどころか流罪死罪にし奉ったが、事の広布の時にには王臣一同に戒壇の大補本尊を守護し奉るのである。この時の王臣の三大秘法受持は、ただ護法の大道念より出る純粋なものである。覚徳比丘も法の為・国のため不惜身命の説法なら、護法の有徳王も純粋捨身である。いやしくも為政者が自己の政治野心のために宗教を利用したり、また宗門が権力にへつらって栄達を計ったりするような関係は、大聖人のもっともお嫌い遊ばすところである。王仏冥合の大精神はこの「有徳王・覚徳比丘」の仰せを規範として深く拝さなくてはならない。
末法濁悪の未来に、大聖人の御在世の信心に立ち還って立正安国論の大精神を以って一国を諫める宗門、そしてそれに呼応して本門戒壇の大御本尊を護持せんとする不惜身命の熱誠が一国上下に満ち満ちる時が必ず来る。これが大聖人の未来を鑑み給う御予言であり、御確信であられる。その時が戒壇建立の時なのである。
次に戒壇建立の手続きについては「勅宣並びに御教書を申し下して」の一文がそれに当る。「勅宣」とは天皇陛下の詔勅、「御教書」とは当時幕府の令書、いまでいえば国会の議決がそれに当る。日本一同に信ずる事の広布の時がくれば、国会の議決も問題なくなされよう。要するに、「勅宣並びに御教書」とは、国家意思の公式表明を意味するものである。〝本門戒壇の大御本尊を日本国の命運を賭しても護持し、本門戒壇を建立したします〟という国家意思の表明である。かかる手続きを経て建立される本門戒壇なるゆえ、これを宗門では国立戒壇と称してきたのである。
しかるにいま、世間にへつらって国立戒壇を否定するため、御本仏の聖意を曲げ「勅宣・御教書」を解釈して「建築許可書」などという無道心の麤語(そご)が宗門に横行しているが、これらはまさに魔説と断ずべきである。さらに、本抄に「勅宣」と仰せられた深意を拝するに、当時皇室は幕府に実権を奪われて有名無実・衰微の極にあったのである。しかるにこの仰せあるは、未来を鑑みての深き御聖慮と拝し奉るの他はない。大聖人は一往時の国家統治者を「国主」と呼ばれている。ゆえに北条時宗を指しても「国主」と仰せであるが、再往日本の真の国主は天皇であることの御意は諸御書に明らかである。末法万年に伝わる仏法を守護する王法が、一時の英雄や覇王ではふさわしくない、それらには永続がないのである。日本が三大秘法有縁の妙国ならば、永遠の仏法を守護するに本有の王法が存在しないはずはない。この使命を持っているのが日本の皇室である。この使命あればこそ、世界に類を見ぬ永続をみるのである。
たとえ時により衰微があとうとも、時来たれば必ず仏法有縁の「本化国主」が皇室に出現し、以後万年にわたり、三大秘法守護を以って皇室の唯一の使命とすることになるのであろう。とまれ、本門戒壇の大御本尊御建立の五ヶ月のちに、紫宸殿の御本尊を顕わし給うた御事績と、本抄の「勅宣」の仰せとを思い合わせるに、ただ凡慮の及ばざる甚深の御聖慮を感ぜずにはいられない。
次に「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて」とは場所についての定めである。ここには形容詞だけで地名の特定はないが、一期弘法抄の御文よりして、日本第一の名山富士山を指し給うものであることは明らかである。さらに富士山の広博たる裾野の中には、南麓の最勝の地「天生原」がその地域と定められ、歴代御法主により伝承されている。すなわち日興上人は「国主此の法を立てらるる時は、当国天母原に於いて三堂並びに六万坊を造営せらるべきものなり」(大坊棟札本尊裏書)と。また日寛上人は「事の戒壇とは即ち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり」(報恩抄文段)と。
次に「時を待つ可きのみ」とは、門下への勧誡である。勘とは、事の広布は必ず来るによって身命を惜しまず不断に弘通せよとの御激励。誡とは、未だ時の至らざるうちに戒壇を建立することは断じて不可なりとのお誡めである。いま正本堂を見るに、まさしくこの御聖意に背くものである。もし一国の謗法と邪正を決断せぬうちに戒壇を立てれば、一国において邪正肩を並べ、謗法与同の義を生ずるから不可なのである。世間にへつらい謗法呵責の道念を失えばこそ、時至らざるに濫りに立てるなどの違法がなされるのである。論より証拠。正本堂にキリスト教神父を招いた事実こそ、何より謗法与同の実態を雄弁に物語っているではないか。大聖人の御心を冒涜することこれより甚だしきはない。
次に「事の戒法と申すは是なり」とは、迹門の理戒に対して、如上の国立戒壇を「事の戒法」と仰せられるのである。すなわち一国総意の国立戒壇建立により、始めて本門戒壇の大御本尊は公開され、そこにおいて戒義が執行されるゆえである。それまではあくまで内拝であるから義の戒法と申し上げる。「三国並びに一閻浮堤の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給う戒壇なり」とは、本門戒壇の利益広大を仰せ給うのである。この戒壇は日本のためだけではない、中国・印度さらに全世界の人々がここに参詣し、懺悔滅罪・即身成仏を祈る処である。いや大梵天王・帝釈等も来下参詣する戒壇である。まさにその利益の広大なること、人界ばかりでなく天界まで及ぶことを仰せである。
いま、国立戒壇を否定する理由の一つとして、大聖人の仏法は全世界の仏法であるから国立戒壇は不可、などという者があるが、これまた全く為にする己義である。本門の戒壇が日本の国立であるという意は、大聖人の御法を日本だけのもの、日本だけに閉鎖する意味ではない。実に全人類のための大仏法を日本が守護するという意味である。これは、日本が大聖人御出現の本国であり、三大秘法広宣流布の根本の妙国であるから、この義務と大任を世界に対して負うのである。
ゆえに本抄には、日本の広宣流布・王仏冥合を以って国立戒壇を立よとし、それが三国並びに一閻浮提の人々のためであると御意せられるのである。全世界に広宣流布した暁を待って立てよとは全く仰せられていない。本抄に仰せの「王法」とはまさに日本の「王法」、「王臣一同」とは日本のそれ、「勅宣・御教書」とは日本の「勅宣・御教書」なのである。かくのごとき国立戒壇が全世界に開かれるのでる。考えてもみよ。全人類の即身成仏の大法を、全人類のために、国家の命運を賭しても守護する日本は、全世界から感謝されて然るべきではないか。
もし、かかる仏国日本を怨嫉憎悪する他の国家・国民があれば、罪はその方にある。ゆえに本尊抄には「賢王と成って愚王を誡責し」と仰せ給うのである。いずれにしても、御本仏の御遺命のまま、全世界のために国立戒壇を立てるのに、何の遠慮・気がねがいろう。実は国内の選挙のために国立戒壇を曲げたにもかかわらず、その理由を〝世界宗教のゆえ〟などというはまことに見えすいた誑言というべきである。実に国立戒壇こそが、一閻浮提に広宣流布する重大な鍵なのである。
つづく
本文
『寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作の三身の教主釈尊是れなり。寿量品に云く「如来秘密神通之力」等云々。疏の九に云く「一身即三身なるを名づけて秘と為し、三身即一身なるを名づけて密となす、又昔より説かざるを名づけけて秘と為し、唯仏のみ自ら知るを名づけて密と為す、仏三世に於いて等しく三身あり、諸教の中に於いて之を秘して伝えず」等云々。』
まず本尊の体相を明かし給う。ここに「教主釈尊」とあるから、これは印度出現の法華本門の教主釈尊であるととれば、大謗法となる。文上本門の釈尊なら、すでに上の文に度々あらわれている。それを明かすのに「汝が志無二なれば」等の重誡は不要といわねばならない。
まさに、かかる重誡のうえに明かし給う本尊こそ諸教に秘して説かれなかった久遠元初の自受用身・本因妙の教主釈尊すなわち末法出現の日蓮大聖人の御事なのである。ゆえに日寛上人は「寿量品に建立乃至教主釈尊是れなり」の文意を端的に「我が内証の寿量品に建立する所の本尊はすなわちこれ久遠元初の自受用身・本因妙の教主釈尊これなり」と御指南された。「本因妙の教主釈尊」とは大聖人の御事であることは、血脈抄の「我が内証の寿量品とは脱益寿量文底本因妙の事なり、其の教主は某(それがし)なり」の金文に明らかである。
次に、本文を具に拝する。まず「五百塵点の当初」とは久遠元初のことである。すなわち五百塵点のゆえに久遠、当初のゆえに元初である。「此土」とは、総じていえば他土対してこの娑婆世界をいうが、別していえば印度に対してこの日本をいう。まさしくここには、三大秘法有縁の妙国・大日本を指して「此土」と仰せられるのである。この御聖意は日向記に明らかである。すなわち「本有の霊山とは此の娑婆世界なり、中にも日本国なり、法華経の本国土妙娑婆世界なり、本門寿量品の未曾有の大曼荼羅建立の在所なり」と。
さらに観心本尊抄には「一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し、月氏・震旦に未だ此の本尊有さず」と、「此の国」とは日本国である。
かくいえば疑問がおきよう。日本が久遠元初以来三大秘法有縁の本国土ならば、成住壊空の四劫はいったいどうなるのか、五百塵点の当初とは地球の成立すをさかのぼること久々遠々の昔のはずである、その頃より日本があるわけがないではないかと。答えるに、たしかに大宇宙は成住壊劫の四劫によって消滅をくりかえしている。ゆえに壊劫の時至れば地球も日本も滅失して無相となる。だがまた成劫の時至れば此の娑婆世界は生じ、日本国は涌出して本の相を現ずるのである。この趣を天台は文句に「問う、劫火洞然として天地郭清す、いかんぞ前仏・後仏此の山に同居し給うや。答う、後の劫立本の相還って現ず、神通を得たる人昔の名を知って以って今に名づけるのみ」と表現している。
この意を以って論ずれば、まさしく日本は久遠元初以来、三大秘法有縁の本有の国土であり、そのゆえに常に日本と名づけられる。これを自然感通という。ここにおいて、日向記の「霊山とは日本国なり」の御意が胸に収まろう。「此土」とはまさにこの本有の妙国日本を指し給うこと明らかである。「有縁深厚」とは、主・師・親の三徳の縁が深く厚い、ということ。三徳有縁は本尊として尊敬すべきである。
「本有無作三身」とは、印度出現の釈尊のごとく三十二相を以って身をかざらず、〝本のままの凡夫のお姿の仏様〟ということである。ゆえに御義口伝に「久遠の事」を釈して「此の品の所詮は久遠実成なり、久遠とははたらかず、つくろわず、もとの儘(まま)と云うなり、無作の三身なれば初めて成せず、是れ働かざるなり、三十二相八十種好を具足せざれば是繕(つくろ)わざるなり、是れを久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり、実成(まことにひらけたり)、無作と開けたるなり。」と遊ばす。この御指南によって明らかなように「本有無作三身」とはまさに〝凡夫のお姿の御本仏〟ということである。
さて、「久遠元初以来、日本国に三徳の縁深き、凡夫のお姿の御本仏」とは誰人にてましますか。日蓮大聖人を措(お)き奉って、他にあるべきはずもない。まさしくこの御文は、久遠元初の自受用身の再誕日蓮大聖人を以って末法の本尊とすべしという御意に他ならぬ。念のために、無作三身の教主釈尊とは三十二相の釈迦仏にあらずして、凡夫位の御本仏日蓮大聖人なることの文証を二・三挙げれば、諸法実相抄に云く「されば釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く『如来秘密神通之力』是なり、如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏なり」と。
「凡夫は体の三身」の「凡夫」とは別して日蓮大聖人の御事であり、「仏は用の三身」の「仏」とは本果の釈尊のことである。大聖人こそ体の三身・本仏であり、この本仏を妙法蓮華経と呼ぶこと文に在って文明である。船守抄に云く「過去久遠五百塵点のそのかみ、唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり」「我等衆生」とは総じての仰せであり、別していえば大聖人御一人であられる。すなわち五百塵点のそのかみの教主釈尊とは日蓮大聖人なりと、まことに明々白々である。
また御義口伝に云く「如来とは釈尊、.総じては十方三世の諸仏なり、別しては本地無の三身なり、今日蓮等の類いの意は、総じては如来とは一切衆生なり、別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり」と。
末法の法華経の行者とは日蓮大聖人の御事たるこというまでもない、なれば、日蓮大聖人こそ無作三身であり、そのお名前を南無妙法蓮華経と称し奉るのである。以上列挙の御文を拝すれば、無作三身とは日連大聖人なることは明らかである。されば日蓮大聖人の御当体こそ本門の本尊にてましますのである。ゆえに謹んで御本尊のお姿を拝すれば、中央に「南無妙法蓮華経日蓮在御判」と大書し給うのである。
次に「如来秘密神通之力」の結文と、天台文句の「一身即三身云々」が引かれているが、所印の所以は無作三身の衣文なるがゆえである。先に挙げた諸法実相抄の文と、御義口伝の次の御指南を拝すれば所印の御意を拝することができよう。「建立の御本尊の事、御義口伝に云く、此の本尊の衣文とは、如来秘密神通の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥(たしか)に霊山に於いて面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」と。
本門の題目を明かす
本文
『題目とは二の意あり、所詮正像と末法となり。正法には天親菩薩・竜樹菩薩題目を唱えさせ給いしかども自行ばかりにしてさてやみぬ。正像には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱え給いて自行の為にして広く他の為に説かず、是れ理行の題目なり。末法にい入って今日蓮が唱える所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり、名体宗用教の五重玄の五字なり。』
本門の題目とは、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える修行をいうが、ここは正像ニ千年に天親・竜樹・南岳・天台等が唱えた題目と対比して、大聖人の唱えた給う本門の題目を明かし給うている。正像二千年にも、天親・竜樹・南学・天台等は南無妙法蓮華経と唱えていたが、これらの題目と、末法に日蓮大聖人が唱え出された本門の題目とは全く異なったものである。異なる点は二つある。御文にあって明らかなように、一には、正像の題目は自行ばかりであり、末法の題目は自行化他にわたる。二には、正像の題目は理行であり、末法の題目は事行である。
一について説明すれば、竜樹・天台等は自分だけは南無妙法蓮華経と唱えていたが、人に向かって時機相応の別な法を勧めていた。よって「自行ばかりにしてさて止みぬ」と仰せられるのである。しかし大聖人は、御自身も南無妙法蓮華経と唱え人にこれを唱えんことを勧め給うた。自行も南無妙法蓮華経であられた。よって「自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」と仰せ遊ばすのである。二について論ずれば、これは唱える題目の法体そのものが異なることを表す。天台等の唱えた題目の法体は、文上脱益の法華経迹本二門の妙法である。ゆえに「理行の題目」と云い、大聖人の唱え給う題目は、その法体寿量文底下種の妙法である。ゆえに事行の題目というのである。これを本文には理行の題目に対して「名体宗用教の五重玄の五字なり」と仰せられるのである。すなわち久遠元初の本因妙下種の題目である。
本門戒壇を明かす
本文
『戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ、事の戒法と申すは是なり、三国並びに一閻浮堤の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して蹹み給うべき戒壇なり。』
本門戒壇は大聖人究極の御願業である。これは、本門戒壇の妙用により、日本国を仏国土に、ひいては一閻浮堤(全世界)の仏国土化を事相の上に顕現するものである。大聖人の御在世においては、本門の題目と本門の本尊は顕われ給うとも、この本門の戒壇の一事においては未だ時至らず、よってその実現を未来に御遺命せられたのである。しかしながら、本門の戒壇に安置すべき御本尊だけは、弘安二年十月十二日、末法万年のことを慮(おもんぱか)られ堅牢なる楠木の厚き板に御自らお認(したた)め遊ばされ、未来の御用意と遊ばした。
この御本尊を「本門戒壇の大御本尊」と申し上げる。これぞ三大秘法の随一、大聖人出世の御本懐、日本を始め全世界の一切衆生に授与せられた一閻浮堤総与の大御本尊である。よって聖人御難事には「此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年なり、仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難は申す計りなし、先先に申すがごとし、余は二十七年なり、其の間の大難は各各かつしろしめせり」と。まさしく弘安二年の大御本尊建立を以って出世の本懐と仰せられる。よって日寛上人は「なかんずく弘安二年の本門戒壇御本尊は究竟中の究竟・本懐中の本懐なり、すでにこれ三大秘法随一なり、いわんや一閻浮堤総体の本尊なるゆえなり」と。
而して大聖人はこの御本尊を弘安五年に日興上人にご付属され、本門戒壇の建立を御遺命遊ばしたのである。その御付属状(一期弘法抄)に云く「日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之を付属す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せら留べきなり、時を待つべきのみ、事の戒法というは是れなり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり」と。「日蓮一期の弘法」とは大聖人出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊の御事、そして本門の戒壇の建立については「国主此の法を立てらるれば富士山」と仰せられ、委細をすべて日興上人に口伝遊ばされたのである。但し、門家には未だ本門戒壇の何たるかを知る者はいない。よって未来のため、その内容を明かし給うたのが本抄である。本抄が一期弘法抄の助証であるとの意はここにある。実に、御書四百余篇の中に、本門戒壇の異議・内容を明かされたのはこの三大秘法抄だけである。
さて、本門戒壇は、どのような時に、どのような手続きで、どこに立てられるべきか、以下本文にそれを拝する。
まず時については「王法仏法に冥事仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」とお定めである。これは広宣流布の暁の、国家と仏法の関係状態を明かされたものである。日本国家がこのような状態になった時が戒壇建立の時と定められたものである。以下一文づつ拝せば「王法」とは、国家統治の最高権力・統治主権・国家権力等の意である。またその活動に約して一国の政治、さらに人に約して国主・国主の威光勢力等をも意味する。要するに、国家統治に関わる種々の概念を包括した言葉である。
「王法仏法に冥事仏法王法に合して」とは、国家権力が三大秘法を根本の指導原理として尊崇擁護し、また三大秘法が国家の繁栄・国民の幸福のために生かされる状態をいう。これは大聖人の仏法が単に個人の信仰の次元に止まらず、国家次元において受持されるということを意味する。そもそも国家の繁栄は国民一人一人の幸・不幸をその中に包含している。ゆえに大聖人は「一切の大事の中に国の亡びるが第一の大事」と仰せられる。よって、個人が安穏であるためには国家が安泰でなければならない、国家が安泰であるためには王法が仏法に冥ぜざるべからずというのが立正安国論の御趣旨であり、また本抄の御指南である。
さて、王仏冥合の具体的姿はいかにといえば、それを次文に明かし給い、「王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」と仰せられる。「王」とは国主、「臣」とは国政にたずさわる者、「王臣」の二字の中に全国民が含まれていることは言うまでもない。すなわち、国主も、国政にたずさわる者も、全国民も、心から本門戒壇の大御本尊を信ずるのである。「有徳王・覚徳比丘」とは涅槃経に出てくる故事である。昔、歓喜増益如来の滅後・仏法まさに失せんとする時、覚徳比丘という聖僧あって身命も惜しまず正法を説いた。この時、多くの破戒の悪僧あって怨嫉しこれを殺害せんとした。その時、有徳王がかけつけ、身を以って覚徳比丘を守り、ついに命を失ったが、その功徳により阿閦仏(あしゅくぶつ)の国に生じたという。
この覚徳比丘の姿はまさしく御在世の大聖人のお姿であり、また事の広布の時の御法主上人のお姿である。但し、御在世には国家権力大聖人を守るどころか流罪死罪にし奉ったが、事の広布の時にには王臣一同に戒壇の大補本尊を守護し奉るのである。この時の王臣の三大秘法受持は、ただ護法の大道念より出る純粋なものである。覚徳比丘も法の為・国のため不惜身命の説法なら、護法の有徳王も純粋捨身である。いやしくも為政者が自己の政治野心のために宗教を利用したり、また宗門が権力にへつらって栄達を計ったりするような関係は、大聖人のもっともお嫌い遊ばすところである。王仏冥合の大精神はこの「有徳王・覚徳比丘」の仰せを規範として深く拝さなくてはならない。
末法濁悪の未来に、大聖人の御在世の信心に立ち還って立正安国論の大精神を以って一国を諫める宗門、そしてそれに呼応して本門戒壇の大御本尊を護持せんとする不惜身命の熱誠が一国上下に満ち満ちる時が必ず来る。これが大聖人の未来を鑑み給う御予言であり、御確信であられる。その時が戒壇建立の時なのである。
次に戒壇建立の手続きについては「勅宣並びに御教書を申し下して」の一文がそれに当る。「勅宣」とは天皇陛下の詔勅、「御教書」とは当時幕府の令書、いまでいえば国会の議決がそれに当る。日本一同に信ずる事の広布の時がくれば、国会の議決も問題なくなされよう。要するに、「勅宣並びに御教書」とは、国家意思の公式表明を意味するものである。〝本門戒壇の大御本尊を日本国の命運を賭しても護持し、本門戒壇を建立したします〟という国家意思の表明である。かかる手続きを経て建立される本門戒壇なるゆえ、これを宗門では国立戒壇と称してきたのである。
しかるにいま、世間にへつらって国立戒壇を否定するため、御本仏の聖意を曲げ「勅宣・御教書」を解釈して「建築許可書」などという無道心の麤語(そご)が宗門に横行しているが、これらはまさに魔説と断ずべきである。さらに、本抄に「勅宣」と仰せられた深意を拝するに、当時皇室は幕府に実権を奪われて有名無実・衰微の極にあったのである。しかるにこの仰せあるは、未来を鑑みての深き御聖慮と拝し奉るの他はない。大聖人は一往時の国家統治者を「国主」と呼ばれている。ゆえに北条時宗を指しても「国主」と仰せであるが、再往日本の真の国主は天皇であることの御意は諸御書に明らかである。末法万年に伝わる仏法を守護する王法が、一時の英雄や覇王ではふさわしくない、それらには永続がないのである。日本が三大秘法有縁の妙国ならば、永遠の仏法を守護するに本有の王法が存在しないはずはない。この使命を持っているのが日本の皇室である。この使命あればこそ、世界に類を見ぬ永続をみるのである。
たとえ時により衰微があとうとも、時来たれば必ず仏法有縁の「本化国主」が皇室に出現し、以後万年にわたり、三大秘法守護を以って皇室の唯一の使命とすることになるのであろう。とまれ、本門戒壇の大御本尊御建立の五ヶ月のちに、紫宸殿の御本尊を顕わし給うた御事績と、本抄の「勅宣」の仰せとを思い合わせるに、ただ凡慮の及ばざる甚深の御聖慮を感ぜずにはいられない。
次に「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて」とは場所についての定めである。ここには形容詞だけで地名の特定はないが、一期弘法抄の御文よりして、日本第一の名山富士山を指し給うものであることは明らかである。さらに富士山の広博たる裾野の中には、南麓の最勝の地「天生原」がその地域と定められ、歴代御法主により伝承されている。すなわち日興上人は「国主此の法を立てらるる時は、当国天母原に於いて三堂並びに六万坊を造営せらるべきものなり」(大坊棟札本尊裏書)と。また日寛上人は「事の戒壇とは即ち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり」(報恩抄文段)と。
次に「時を待つ可きのみ」とは、門下への勧誡である。勘とは、事の広布は必ず来るによって身命を惜しまず不断に弘通せよとの御激励。誡とは、未だ時の至らざるうちに戒壇を建立することは断じて不可なりとのお誡めである。いま正本堂を見るに、まさしくこの御聖意に背くものである。もし一国の謗法と邪正を決断せぬうちに戒壇を立てれば、一国において邪正肩を並べ、謗法与同の義を生ずるから不可なのである。世間にへつらい謗法呵責の道念を失えばこそ、時至らざるに濫りに立てるなどの違法がなされるのである。論より証拠。正本堂にキリスト教神父を招いた事実こそ、何より謗法与同の実態を雄弁に物語っているではないか。大聖人の御心を冒涜することこれより甚だしきはない。
次に「事の戒法と申すは是なり」とは、迹門の理戒に対して、如上の国立戒壇を「事の戒法」と仰せられるのである。すなわち一国総意の国立戒壇建立により、始めて本門戒壇の大御本尊は公開され、そこにおいて戒義が執行されるゆえである。それまではあくまで内拝であるから義の戒法と申し上げる。「三国並びに一閻浮堤の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給う戒壇なり」とは、本門戒壇の利益広大を仰せ給うのである。この戒壇は日本のためだけではない、中国・印度さらに全世界の人々がここに参詣し、懺悔滅罪・即身成仏を祈る処である。いや大梵天王・帝釈等も来下参詣する戒壇である。まさにその利益の広大なること、人界ばかりでなく天界まで及ぶことを仰せである。
いま、国立戒壇を否定する理由の一つとして、大聖人の仏法は全世界の仏法であるから国立戒壇は不可、などという者があるが、これまた全く為にする己義である。本門の戒壇が日本の国立であるという意は、大聖人の御法を日本だけのもの、日本だけに閉鎖する意味ではない。実に全人類のための大仏法を日本が守護するという意味である。これは、日本が大聖人御出現の本国であり、三大秘法広宣流布の根本の妙国であるから、この義務と大任を世界に対して負うのである。
ゆえに本抄には、日本の広宣流布・王仏冥合を以って国立戒壇を立よとし、それが三国並びに一閻浮提の人々のためであると御意せられるのである。全世界に広宣流布した暁を待って立てよとは全く仰せられていない。本抄に仰せの「王法」とはまさに日本の「王法」、「王臣一同」とは日本のそれ、「勅宣・御教書」とは日本の「勅宣・御教書」なのである。かくのごとき国立戒壇が全世界に開かれるのでる。考えてもみよ。全人類の即身成仏の大法を、全人類のために、国家の命運を賭しても守護する日本は、全世界から感謝されて然るべきではないか。
もし、かかる仏国日本を怨嫉憎悪する他の国家・国民があれば、罪はその方にある。ゆえに本尊抄には「賢王と成って愚王を誡責し」と仰せ給うのである。いずれにしても、御本仏の御遺命のまま、全世界のために国立戒壇を立てるのに、何の遠慮・気がねがいろう。実は国内の選挙のために国立戒壇を曲げたにもかかわらず、その理由を〝世界宗教のゆえ〟などというはまことに見えすいた誑言というべきである。実に国立戒壇こそが、一閻浮提に広宣流布する重大な鍵なのである。
つづく