大阪芸大ジャーナリズム研究会

ツイッター @oua_journal
メール oua.journal@gmail.com

浮ヶ澤古墳の埴輪を展示 6月25日(日)まで狭山池博物館で 【動画ニュース】

2023-06-20 19:24:08 | ニュース

 

 富田林市の石川河畔近くの喜志南遺跡で見つかった5世紀末の古墳「浮ヶ澤(うきがさわ)古墳」。その発掘現場から出土した多様な埴輪の一部が、大阪狭山市にある府立狭山池博物館で展示されています。期間は5月17日(水)から6月25日(日)までです。<小畠綾花、宮原裕、善家碧唯>


(写真:狭山池博物館の展示コーナー) 

 埴輪が発掘されたのは、石川の西岸にあたる富田林市喜志町1丁目の喜志南遺跡。
 古墳に名前をつける際は、見つかった土地の名前がつけられることが多いため、この一帯に残る「浮ヶ澤(うきがさわ)」という名前から「浮ヶ澤古墳」と名付けられました。
 今回、狭山池博物館の1階第5ゾーンで開催されているミニ展示「歴史発見2023」の中で、近年南河内各地で発見された出土品とともに展示されています。 

▽宅地造成の事前調査で埴輪が

 現場付近で宅地造成が行われることになり、2021年度に富田林市が調査を行いました。最初の試掘調査の段階ではあまり埴輪は発見されなかったものの、本格的な調査が始まって、埴輪がたくさん発見されました。
 埴輪が出るということは、古墳がそこにあったか、埴輪の製作場所があったかの2つが考えられます。富田林市教育委員会文化財課の角南辰馬さんによると、「今回は古墳の周りに掘られた溝の跡がわずかに残されていました。そこから埴輪が出てきたため、過去に古墳があったということがわかった」といいます。
 残念ながら古墳は中世頃に削られてしまってほとんど形が残っていませんでしたが、古墳の周りに掘られた溝の跡がわずかに残っていたため、5世紀末の推定墳長約20メートルの前方後円墳とみられています。
 角南さんは、「富田林で、これだけたくさん、かつ立派な埴輪を持つ古墳があることは今まで全く想像していなかったので、出てきたときは驚いた」と話しています。 

▽埴輪が見つかったときの状態は? 

 埴輪の破片が沢山出土し、コンテナ40箱ほどになりました。ほとんどが小さな破片で全体の形が分からない状態であったため、調査が終えてから、少しずつ組み立てる作業を行って、形になったものを今回は展示しています。 
 古墳を掘って多く出てくるのは、「円筒埴輪」と呼ばれる土管状の埴輪です。浮ヶ澤古墳からも多く出土しました。 
 ほかにも、人物や動物をかたどった埴輪や、盾や、位の高い人に差しかける蓋(きぬがさ)など、道具をかたどった「形象埴輪」も発見されました。 


(写真:人物埴輪 武人と思われる埴輪)
「人物埴輪」と思われる埴輪です。矢や、矢筒単体としてはサイズが小さいことから、武人の埴輪が身に付けていたものと推測されています。
掘り出した後、水洗いする際に、溶けて模様が消えてしまう可能性もあったため、慎重に作業を行ったといいます。


(写真:人物埴輪 弓を持っていたと思われる武人の埴輪)
 弓を持っていたと思われる武人の埴輪の部分です。手の部分に剥がれた痕があり、弓の幅と一致することから、弓とくっついていたことが窺えます。さらに、弓には弦を表現した紐も貼り付けられています。


(写真:人物埴輪 巫女と思われる埴輪)
 巫女と思われる人物埴輪です。坏の下部分を見ると、指まで細かく作られていることがわかります。


(写真下:靫(ゆぎ)形埴輪)
 矢を入れ背負う武具の「靫(ゆぎ)」の埴輪です。一部見つかっていない部分は、修復の際に継ぎ足しています。


(写真:鶏形埴輪)
 鶏の形をした埴輪です。右上の鶏冠(とさか)の位置から考えて、修復してある目の左側にくちばしがあったと考えられます。今回展示はしていませんが、他にも、足、羽などが出土しています。しかし、上手くくっつかないため、1羽ではなく2羽あったようです。

▽石棺の一部や鉄製品も出土
 今回の発掘調査では、埋葬者を納めていた「石棺」の一部(石材)や、副葬品の一部(鉄製品)とみられるものも見つかりました。中世頃に古墳が壊されたときに散乱したと思われます。
 高橋克壽・花園大学文学部教授は、記者発表にあたって 「今回出士した形象埴輪は、当時の王陵の埴輪祭祀を映したものと考えられる。浮ヶ澤古墳の被葬者は、古市の大王勢力を南河内で支えた人物であろう」とコメントしています。

▽「修復作業進めば、今後も展示していきたい」 

 発掘を担当した富田林市教委の角南さんは、「5世紀で『形象埴輪』を沢山使う古墳は少なく、当時の大王の墓に並べられた埴輪群を簡略化しつつ再現していると思われます。大王の墓は天皇陵に指定されているものがほとんどで、なかなか発掘する機会がないので、当時の大王墓の埴輪がどういうものであったか、その手がかりが得られたところが成果です」と話しています。

 今回展示されている埴輪は、喜志南遺跡の浮ヶ澤古墳から出土した破片の1割以下だといいます。他の出土品は破片が細かすぎて、修復にはさらに時間がかかるとみられます。
 角南さんは、修復が進み次第、機会があれば展示をしていきたいと話していました。

《令和5年度ミニ展示「歴史発見2023」内》
●日時=2023年5月17日(水)〜6月25日(日)
●場所=大阪府立 狭山池博物館1階 第5ゾーン(大阪狭山市池尻中2丁目)
●サイト=https://sayamaikehaku.osakasayama.osaka.jp/
●アクセス=南海電鉄高野線「大阪狭山市駅」下車、西へ約700m
地図