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知識経済の公共政策【試訳】 その2

2005-12-25 16:32:21 | 経済
続きをさらします.

BASIC ANALYTICS OF THE KNOWLEDGE ECONOMY 知識経済の基本的解析


 知識経済における成功が文化における変更を必要とすることは,今,明確になったであろう.しかし,私はこの幅広い見通しから立ち去り,そして,経済学者のより伝統的なツールキットのフレームワークの範囲で,知識経済を見てみたい.私は,知識が普通の日常品と若干異なる基本的な方法,知識経済を組織させる方法への基本的な含意の違いと,それに沿った,公共政策への基本的な含意があると主張したい.

希少性を問題としない【Scarcity-Defying】アイデアの特性


 最初に,そして,おそらく最も基本的に,簡潔に触れられる事実は --知識は公共財である.トーマス・ジェファーソンは,以下のようにして知識と情報の非競合性を解説した:「私から考えを受け取って,私のものを少なくすることなく指導を受け入れる者; 私の灯心で彼のを点灯する,私を暗くすることのない光を受けます.」*10
 知識によってドライブされる動的プロセスの特性は,最終的に知識の不足を問題としない膨張性,または非競合な面に由来するように見える.一旦知識が発見されて,
公表されるならば,単純には,多くのユーザに限界費用ゼロで付加される.

 知識の純粋な非競合性と,普及の低コストとが,異なる概念的なものであることは,役に立つ.最新のテクノロジーによる,情報革命の大きな進歩からの結果の一つには,
処理のコストを下げて,情報を普及させることである.しかし,情報のどんな材料の具体化または符号化は,まだ厳密に言って競合的である.図書館からの遅延通知が証明しているが,異なる場所の2人は同時に,同じ本を使うことができない.そして,インターネットからダウンロードする待ち時間が証明しているが,電話網の電子パケットはまだ競合的で,混雑効果を導いている.それは,無形の(「実体の無い」)知識,情報,アイディア,コンセプト,機能と,他の思考の抽象的なものは,非競合的である.人々(学習)と物事(アプリケーション),それらは時間とリソースのコストがかかっている,具体的な知識のプロセスである.

*10 See Jefferson (1984)

知的所有権


普通でない財産権


 純粋な公共財は,非競合で,そのうえ特定のユーザーから締め出されることができない利益である.それが純粋でない公共財と考えられるかもしれないように,知識の外部性には限度がある.しかし,効率的な使用には,料金が存在しないことが必要である;料金が不要でも,企業には知識を生産する誘因【インセンティブ】が無い.知識の民間による供給には,何らかの「保護」が必要になる --知識は,簡単には,公的に使用可能になるようには作り出せない.ある場合には,企業秘密でも行える.しかし,他の場合は,知的所有権のより幅広い保護が必要になる.

 あまりによく,しかし,知的所有権の違いと他の財産権では,もう一度注釈を付けられる.明らかに,私にはそのような資産を得る誘因【インセンティブ】があることになっているならば,明らかに,私の物理的なものに対する財産権を,窃盗から保護する政治制度が必要である,そして,政府が,できるだけ物理的なものに対する財産権に,最も効果的な保護を与えられるよう,努めなければならないという一般的な合意がある.類似による推理,いくつかは「強い知的所有権制度」に賛成し,顕著な違いに注意することができなかった.特に,全ての考えは他の取引を基にしている.そして,アイディアの一般的なプールに頼っている.確かに,基本的なアイディア,例えば数学の定理(たとえば、最新のコンピュータに基礎を提供している)は,一般的に特許を受けられない.

 知的所有権の強化の,よく意味することは,---知識--- 研究に重要な要素の価格を上げることをである,そして,このように,極端に「強い」知的所有権制度が,実は革新のペースを妨げるものかもしれない.特許の幅(範囲),新規性と,その有効期間の規定は,難題とトレード・オフを引き起こす:静的と動的の効率の間(文献中で大きな活字で強調される)でだけでなく革新の初期と継続の間でも.我々が知識経済へ移行するに当たり,これらの不可欠な問題への,より多くの思考が必要となる.

外部性


 もし知識が純粋な公共財でなくても,革新と関連する広範囲な外部性(流出【Spillovers】)がある.トランジスターまたはレーザーの最大限の恩恵は,それらの革新に貢献した人々に,明らかに起きなかった.

 経済諮問会議の前任者にしてスタンフォードの同僚,マイク・ボスキンは,彼が,経済がポテトチップまたはコンピュータチップどちらを生み出しても,気にしないとよく話していた.これは,産業政策への彼の強い反対を要約している,彼の皮肉である.しかし,彼は間違っていた.よりおいしいポテトチップを作る誰かと,よりよいコンピュータチップを作る誰かとの違いが,あるかもしれない:外部性の大きさ,流出は,前より後のケース方が1桁,大きいかもしれない.私は,産業政策と勝者の選択に関する議論の後の方で,このテーマに戻る.

競争


 白書は,正しく,知識経済の成功を得るための競争の重要性を,強調している.前日までの資本主義についての忘れられた議論の一部に,世界が新しい挑戦に直面している,私には,それが注目に値すると思われる.1930年代に,多くの心配が,独占資本主義についてであった; 懸念は,どの様な経済でも,関連しあう少数の企業の効率性のために,新しい産業テクノロジは,十分に大きなスケールの生産を必要としており,経済力(従って,政治力)の集中を導く.アダムスミスの有名な見えざる手定理は,競争の存在に基づいている.しかし,競争は新興産業経済と密接な関係であるのか?

 幸いにも、市場スケールは拡大し,技術は進歩したが,大部分の(しかし全てでは無い)産業は多数の企業があり,アダムスミスの定理の理想である完全競争には,多分満たっていないが,しかし,十分すばらしい事に,独占資本の恐れがあることは,明白でないように見える.

 しかし,知識は,ほとんど定義上,収益が競争を徐々にむしばむかもしれないところまで,スケールを増すことを形式化する.これらの懸念は,コンピュータ「言語」を使用するための提携のような,大きなネットワーク外部性によって補強される.これらネットワーク外部性は,更なる結果がある:これらは正のフィードバックを引き起こし,効果をロックし,そして,それらは平衡【均衡】とダイナミクスのために深い結果があらわれる;たとえば,複数の平衡の存在(一つのパレート低位とその他との均衡)と経済は外部履歴効果(歴史問題)をはらむかもしれない.*11

 しかし,私のこの点における懸念は,効果的競争に対する逆効果である:独占資本主義についての心配が,再度繰り返されている,今回は国際的スケールであり,注目の中心は,マイクロソフトの動向である.裁判中の案件の結果を予断しなくても,マイクロソフトのPCオペレーティングシステムのほとんど独占的な立場による,優位性をもたらすような履行に対する契約デザインを行い,そのポジションの向上を意図していることは明白に見える.私がホワイトハウスにいたとき,経済諮問会議と科学技術政策オフィスは,革新のペースのためにおきる潜在的な悪い結果について心配していた.もし,この契約の履行が法律に違反していないように見えるならば,問題に対しては,おそらく,法律を変えなければならない.

 いくつかの基本的な問題が提起される.最初に,この例は極端に強い知的所有権の危険性を示している.もう一つの例は,何が問題になっているかについて,さらに説明するかもしれない.高いレベルで成功したコンピュータープログラムが,プログラムを「終了する」ためにシンボルqを使うと考えてみよう.その「革新」は,知的所有権によって保護されていなければならないのか? そうすることは、より広く,共通言語の開発及び革新のペースを妨げることが出来る.

 歴史的に,特許は時々,競争(そして,競争的革新でさえ.)を抑えるのに用いられた.そして,一つの一番有名な例は,発展初期の自動車産業における,ジョージ・ボールドウィン・セルダンの馬なし特許,自動推進車両,を使用したカルテル創立の試みであった.時々引用されるもう一つの例は,1975年に連邦取引委員会のアンチトラスト調停で覆った,コピービジネスに対する他の新加入者の参入を防止するための,ゼロックスによる基本特許の使用である.*12

 第2に,知識経済においては,競争はアロー-ドブリューモデルの価格作用より,シュムペータリアン競争によってよりよく記述される.前者【アロー-ドブリューモデル】では,価格は限界費用まで移動する.知識経済では,企業は,大きく限界費用を上回る価格で,それらの利益に頼る.

 私は,ほぼ20年前より,競争の2つの形の大きな違いに関心を持つようになった.経済革新の研究プログラムに対する動機を与えた.*13 鍵となる洞察のうちの1つは,標準の厚生定理(市場経済の効率上の)が適用されなかった,*14 しかし,シュムペーターの推測,新加入者による更新が競争規律を提供する,は一般的には真実ではなかった.たとえ参入コストが低くても,大きな独占に導くのであれば,高価格を保つだけでなく,革新のペースも競争下よりかなり遅くなる.*15 我々が「知識経済」への移行をすると,丁度,新技術が競争の抑制のために,より大きな範囲の供給をし,その結果は,ますます逆になるかもしれない.

 私は,知識経済にとって不可欠である創造力が,心の契約を必要とすると以前に主張した.組織的に小規模の新しい企業は,大きな確立した官僚機構よりも,より肥沃な土地をこの種の創造的な契約に,しばしば供給してきた.最も重要な革新の多くは,これらの小規模の企業から始まった.これらの会社は,一般的にいくつかの不利,安価な資本へのアクセスの不足のような,を抱えた状態より始める.もし,それに加えて,市場(競争抑止的な)バリアが人工的に作られるならば,革新のペースは遅くなるであろう.

*11 See Shapio and Varian (1999)

*12 See Kearns and Nadler (1992)

*13 See 例として,Dasgupta and Siglitz (1980a,1980b)

*14 確かに,市場経済の効率の仮定の基礎をなした厚生経済学の標準の定理では,情報と知識は,経済のどんな参加者によってされる,どんな行動にも影響を受けないと仮定している.このように,標準の経済的理論は,知識ベースの経済の効率について,ほとんど何も言えない.より一般的には,グリーンウォルドとスティグリッツ(1986)で示したように,情報が不完全な(そして,参加者の行動が影響を与える事が出来る)経済のときはいつでも,一般に,制約的なパレート効率でさえない.(i.e.情報の不完全性及び,更なる情報を得るためのコストによる限界の強制を考慮しても。)

*15 See Stiglitz (1988) and Dasgupta and Stiglitz (1980b,1988) See also Gilbert and Newbery (1982)

知識と情報の組織面


 知識と情報は,他の日常品といくつかの面において異なる,そして,情報と知識の市場における結論は,著しく他の日常品の市場と異なっている.たとえば,定義上,
情報の各々の部分は,情報のその他の部分と異なる:本質的に,情報は,競争的市場の特性である,均一性という重要な属性を満たすことができない.特許によって保護されていない知識(情報)の特性のために,本当の問題が,市場の取引にある:どうやって,私は知識を売ることができるか? 私は、あなたに私が明らかにするもの(あなたが【教えられる】以前にはおそらく知らなかった何か)についての少なくとも何かを,話さなければならない;このように,市場取引で契約締結プロセスでは,私は私の資産の一部を失う.実際には,知識と情報の市場は,評判,継続関係,そして,信用に,極度に依存する.

企業での知識の取引


 これは,会社内で起こる無数の知識取引で最も著しく見られる.組織内での知識共有の「支払い」は,大体が承認と名声または将来の相互利益の可能性である.しかし,マネージャまたはチームリーダがチームメンバのアイディアを彼ら自身のものとして,あるいは,特定のチームメンバの間での共有を一方的に与えるならば,知識の「供給」が減る.

 労働者は彼らの業務の暗黙の知識を成文化することに協力しないであろう,彼らが,その事が彼らの雇用を危うくすると感じるならば.知識市場は,相互利益,若干の代償,が取引上の信用の上に築き上げられなければならない.

 「知識は,力である」いくつかのケースでは,組織で入手自由でなければならない知識が人工の不足または独占を生じさせるために秘蔵されるかもしれない.知識共有が最も重要かもしれない困難な場合,ダウンサイジングの脅威は,人々に対する彼らの重要性を増やすために,彼らの知識を秘蔵させるかもしれない.もし知識の秘蔵が報いられるならば,知識制約の悪循環が知識共有の良循環に取って代わる.

 他に,私は,部外者に対する彼らの力を増やし,乗っ取りのチャンスを減らし,レントを増やすために,マネージャがどのように,非対称情報をおそらく故意につくることついて述べた.*16 このような問題は多分何処の企業でも起こりうる,特に知識ベースの企業においては,特に鋭いかもしれない.

 需要側では,組織的文化は知識の需要を人工的に制限する,知識の必要性を,それが無知の告白のように(e.g. 方向を求めている男のドライバーのように)侮辱するならば.しかし,知識を求める要求に対するより大きな制限は,「ここで発明されなかった【Not Invented Here】」(NIH)シンドロームである.各々の個人またはグループは,彼らが他所から得る可能性がある知識の重要性を減らし,彼らがすでに持つ知識の力を大きく装飾する傾向がある.これは裏庭で「あらゆる雄鶏は,彼自身の堆肥のトップで鳴くのを好む」と言っている事で捕捉できる.

 知識が組織によって「商標を付けられる」とき,この問題も起こる.組織の名声,及びイメージはそのブランド化された知識に結びつけられる.組織が利益を得ることが出来るかもしれない,優れた知識が他所にあるかもしれないというどんな告白も,組織を「非難し」,そのブランドの評判を「傷つけ」,ライバルを助けることによって,少なくともそのフランチャイズ価値を「減らす」とみなされる.それが社風であるならば,組織的学習はほとんど続かない.ケン・オルセン,ディジタル・イクイップメント・コーポレーション【DEC】の創設者,が会社内で,ミニコンピュータと「同一視された」,「パソコン」のどんな議論でももしくは言及さえ禁じたとき,彼は会社がパソコン市場によって乗っ取られる,その最終的な運命を宣告した.*17

*16 See Edlin and Stiglitz (1995)

*17 See Davenport and Prusak 1998, p.44

開放と知識移転


 これらの知識原則は,国全体まで持っていける(必要な変化を導き出せる).基本的知的所有権が通常侵害されるならば,知識の供給は減る.信用関係が甚だしく侵害された(e.g.旧ソビエト連邦にて財政的および知識資本両方をもたらしている会社に,いくつかのケースで発生した)所では,学習機会は消える.背任は,すぐには回復されない.

 外国貿易での国の開放性は,その経済の成功が比較優位のスタンダードな取引モデルで予測されるより,はるかに大きな影響を及ぼすようである.説明の1つは,知識である: 取引と海外よりの直接投資は,重要なチャンネルを知識の伝達に提供する.

 知識はまた,開放された国境を横切ることにより得る事が出来る.*18 スロベニアとアルバニアには,西ヨーロッパに対して国境がある.しかし,国境は等しく開いていない.スロベニアは社会主義国で最も開いた国境を持っており,また,現在一人当たりのタームが最も豊かである;アルバニアは最も閉じていて,現在最も貧困なポスト社会主義者国である.(確かに,一人当たりのGDPにおける相違をもたらした他の違いがあった.しかし,アルバニアの【ヨーロッパに対する】絶縁は,確実に貢献している.)東アジアでは,日本の経済発展の鍵となるイベントである,明治期の近代化促進の決定により始まる,19世紀後半の海外の知識への劇的な開放ある.

 知識移行も,海外よりの直接投資のコースをたどる.例えば,リーン生産方法についての学習と,アメリカの文化へのそれらの適合に対する主要なソースは,合衆国に対する日本の生産施設の直接投資であった.(太平洋をわたる知識の流れは両方向であった.)

*18 「値を高く見積もるのは困難である,現在の人的改善の低位において,彼ら自身と異なった人とコンタクトをとる際には,人間性の順位を占める,そして,思考と行動のモードと,ありふれたそれらとではリンクしない...その様なコミュニケーションは常にあり,特に現代では,進歩の初期のソースの一つである.」(J.S.Mill,注釈はHarschman 1981, p.17) 【この訳であっているかどうか不安です】

経験


 知識ベース変化にとって重要な開放性のほかの実験タイプは,実験意欲である.実験しない社会は,中世のヨーロッパのような閉じた静的な封建的制度のような,歴史の終末を迎えるかもしれない.現代のヨーロッパは,それ以外は閉ざされた中世の社会の「隙間」で成長し,そして,経済及び社会的組織の新しい形態がテスト出来た「特別地区」として機能した町から発展してきた.実験は,新しい知識と変化の開放性を必要とし,そして,変化は力自身を常に歓迎しないであろう.*19

*19 「そして,成功する変化は,実験するかなりの自由を必要とする.その様な自由のコストは,社会の統治者の支配感覚を犠牲にする.まるで彼らが他者に社会の将来を決定する力を認めているように.大多数の社会,過去と現在,は,それを許さなかった.また,彼らは欠乏から逃れた.」See Rosenberg and Birdzell(1986)

アイデアの市場:分権化,競争,そして経験


プロジェクト選択における多元主義


 多元主義と競争,しばしば開放性と関係している,は,革新と知識の成長に不可欠である.経済と政治的な規則の構造は,アイディア,革新または,プロジェクトの融資及びインプリメントの選択に力強く影響を及ぼす.分権化はより大きな実験と学習の目的を提供し,そして,分権化しているユニット間の競争に,必須の拍車を提供するかもしれない.

 数年前,2つの対立する両極端なプロジェクト選択をコンサルティングする際に,私はこれの1つの面を調査した:階層的なシステム,ここでは提案が受け入れられるためには,連続するハードルを通過しなければならない,あるいは,デジション・センタの代わりがある分権システム,ここでは,提案は彼らの誰か一人によって,受け入れることができる(そして,拒否された時は,第2のチャンスを得ることができる).階層的なシステムは,【合格ラインの】端にある多くの良いプロジェクトを拒絶するというエラーの傾向があり,分権システムは,【合格ラインの】端にある多くの悪いプロジェクトを受け入れる傾向がある.2つの(そして,いろいろ交じり合っている)システムの適否は,悪くなるプロジェクトを受け入れる場合の相対費用対,良くなるプロジェクトを拒否する場合の機会費用に依存する.*20

 階層的システムは,悪いプロジェクトが致命的になる --戦争開始を判断する,ような受け入れを判断するのには,ベストであろう.

 しかし,悪いプロジェクトが致命的にならず,リソースの浪費だけで済むならば,歴史の判定は,政治的または,経済的単位のより分権化したシステムに支持を与えている.

 分権化システムでは,意思決定者は,良いプロジェクトを見つけるために他の者と競争する.集中化した,もしくは独占のプロジェクト選択では,拒否された革新が競争者によって採用されるという恐れがなく,そして,受け入れた革新は独占に不確かな影響を及ぼすかもしれない.このように,階層的な集中化は,古代エジプトからソビエト連邦までの,均一でかつ基本的な静的社会のレシピであった.

 対照的に,コロンブスは,彼の提案をフェルディナンドとイザベラに提出する前に,ポルトガルの国王と2人のスペインの公爵によって【その提案を】拒否された.4年待った後,彼は再び拒否されたが,決定は2年後の1492年に翻された.このように,選択の多元的で競争しているチャネルは,革新を促進する.

*20 See Sah and stiglitz (1986)

ロバスト性に向けて:不完全情報のいくつかの含意


 ロバストの方へ:我々は不完全な世界に住んでいる --そして,その不完全さは我々自身の誤りやすさを映しだしている.我々は,我々が知りえることを,全て知ることができるというわけではなく,そして,我々は関連した知識を,我々を常に圧迫している"knoise"(「知識」のようなふりをしている雑音)からふるい分けるのに苦慮している.我々は,我々が知っている事に基づいて,劣った決定をしているかもしれなく,我々はしばしば他者に我々の知識を伝えることに失敗し,そして,他者と取引している時,我々は,我々の知識またはそれの欠如をゆがめて伝えるかもしれない.これらの全ては,企業と他組織の仕事と同様に,経済取引と他の社会的相互作用に影響を及ぼす.

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