デミング博士のニューエコノミクスって

デミング博士の”ニューエコノミクス”に書かれた内容と,それに関連する内容を,「マターリ」と理解するページ

知識経済の公共政策【試訳】 その3

2005-12-25 16:34:33 | 経済
続きをさらします.

人の認知間違いの重要性と不完全情報


 エコノミストは,よくこれらの誤りをモデルの仮定上より排除している,物理学者が摩擦の影響を仮定上より排除するように.しかし,我々は現在,人間の誤りやすさのない経済学が,イアーゴ無しでオセロを演じているようであると理解している.シェークスピアのオセロの全てのキャラクタが,彼らが何を知っていて,その事について,正直に他者とコミュニケーションを取る事を知っているならば,現実の世界に対し,ほとんど洞察を与えていない,シンプルなストーリになっているであろう --いくつかの経済モデルのように.「あまりに人間的な」結果が,時々悲劇的でありえる間は,我々のゴールは悲観論でなくリアリズムである.現実的なモデルから引き出される経済政策アドバイスは,占い棒で発見されるようなアドバイス,エレガントであるが,完全な情報,限りない合理性と正直な行動の極端な楽天家モデルより,はるかに貴重であるであろう.

 実行される規則が,「完全な知識」に基づいて構成されるならば,実験または批判的思考法は,時間と資源の浪費とみなされるであろう.

 「1つの最高の方法【one best way】」は知っている;「継続的改善」の部屋は無い.しかし,現実の条件である,不完全な知識,限定合理性と誤りがちな判断の元では,規則は,許容できる結果を与えるという意味において,頑強さのために,現存しているか,潜在的に利用できる知識(機能するために,完全な情報を必要としない)で構成される必要がある.

中央計画の失敗:一つの例


 歴史の有名な例が,最近の中央計画経済の分散化した市場に向けた再構築である.信用,選好,テクノロジーと現地の状況についての知識は,経済エージェントの間に広められる.

 この情報の収集,加工,伝達,のための集権化メカニズムは悪化する,情報のメッセージがより複雑に(情報の断片を伝達する子供たちのゲームや,円のように広がる物語で例示されているような)なるように.この問題は,(機械をよりよく操作するノウハウのように)暗黙もしくは潜在的な行動のような知識を引き出し,伝達する難しさによって,輪をかける.

 最終的に,実験の「無駄な」重複を減らす集中化の試みは,革新を抑える.集中化した【組織】構造は,歴史の比較的短いスパンの時だけ働いた.e.g. 戦争の努力,または大きなテクノロジープロジェクト.集権化フレームワークの過酷な動機づけと,プリンシパル-エージェント問題面における,分権化した行動【behavior】を「命じる」試み,そして,信用できるコミットメントが不足している「分権化」の判断は,中央の権威によって,尊重され,支持されるであろう.

 彼らがもし,分権的及び,競争的な市場プロセスの中で,彼ら自身がエージェントならば,利用できるが,分散していて,ローカルで,暗黙である知識は,おそらくエージェントによって使われるであろう.その代わりに,中央の計画者より,もしくは【計画者】への非現実的な,空想的な情報移転と,同じように,理想的な中央情報処理のキャパシティを仮定すると,再構築の市場計画のタイプは,分権化されたエージェントによってローカルに役立つ利用可能な知識を示している.別々のエージェントはまた,新しい知識を発見するために,多くのローカルな実験(それは,お互いに「無駄に」重複するかもしれない)を行う.

 価格は,資源の相対的な不足を反映して,主観的な予想を事実の状況に合わせるために変化する.

 中心出力が鋼と似ている生産財のような静的環境では,集権化は少なくとも働く可能性がある.しかし,世紀が変わり,知識がますます重要になってくると,集権化の制約はますます明瞭になってきており,そして、エージェンシー問題はより厳しくなってきた.

企業の分権化と分配


 計画から市場への変革は,より複雑で不完全な知識と情報に対して適用させるための分散化の例に過ぎない.社内では,中央管理(テイラーイズム【科学的経営管理】)下による単純な反復作業の仕事から,より分権化し,そして業務の分配を受ける方向へ進むことが求められている,より複雑で知識ベースの仕事に移っている.中央指令【Centralcommnad】構造では、中央より与えられたルールに基づき,半自治チームによる水平のコーディネートを行う方法が与えられている.外部よりの測定による「1つの最高の方法」により組織された仕事は,継続的改善に導かれている,分配的な実験と置き換えられる.

 企業内で,局所化された暗黙の知識の移動は,水平の見習いのような関係,を通して主に起こる,マネージャーから労働者への垂直なトレーニングではなく.さらに,階層制を通して上向きに伝えられる情報は,明快な成文化された情報であるので,決定は,下層の成文化されていない暗黙の知識を除き,階層構造にてなされる.より良い決定は,より低い,知識源により近い階層でなされるかもしれない.分散された権限も,エージェント問題を軽くするために,部分的にプリンシパルとエージェントを統一する.これら局所的な決定が,多様な異なる仕事のカテゴリよりの入力情報を必要とするとき,決定者にとって,これら仕事のカテゴリの彼らの暗黙の構成要素を,ローテーションを通し取得するのがベストである.曖昧な仕事の境界と,ジョブ・ローテーションに対するこれらの議論は,専門化と労働の分割にに対する伝統的な議論を反対に切り離した.

政治的な過程の開放性


 経済制度のこれらの変化は,政治的な領域のカウンターパートである.

 ここでは再び,基本的なテーマとして,力が「完全な知識」と「完全な価値」と結合している,仮定的「理想世界」と対照的な,不完全な世界に対処するための,制度の再編成をあげる.実際の世界では,制度としては,開放と競争の構造が,知識と情報が完全【な世界】よりも足りないという仮定下では,ロバストであり,ベストである.社会的・政治的制度に適用されるそのロバスト戦略は,開かれた社会,例えば出版の自由,透明な政府,多元主義,チェック・アンド・バランス,寛容,思想の自由,と開放的な公的な議論,の制度につながる.再構築は,「知識は真実」というような閉じた社会より,「知識は真実を知らない」というような開いた社会に向かって動く.この政治的な開放性は,知識経済の方への移転の成功にとって必要条件である.経済の連続した変化を通して,勝者と同様に敗者が常にいた.敗者,痛烈に彼らの損失を知っている,は,しばしば,彼らに悪影響を与える変化を妨害するために,政治的なプロセスを使用しようとしていた.

 特別な利益受容グループの誘因【インセンティブ】だけでなく,プロセス中の社会全体の損失という悪意の事実の中で,彼らはどうやって作業をしたのか,なぜ彼らはしばしば成功するのか,の取り扱いを,今,我々は知っている.

 開放と競争は,異なる政治的存在であり,一番重要なチェックの一つを供給する.*21 しかし,変化の一部分が向上するであろうこと,我々が学んだ知識経済でのより効果的な生産方法,それらの特別な受容者による危険なポーズもすべて大きくなるであろう.

*21 このトピックに関しては,多量の文献がある.See, e.g. Olson (1982) and Dixit (1996) 開放性の役割.See Stiglitz (1998,1999)

PUBLIC POLICY FOR A KNOWLEDGE ECONOMY 知識経済の公共政策


最近のアメリカのいくつかの政策


 白書については,知識経済のために公共政策の多くの側面の扱いについて賞賛されなければならない.私は,そこで明らかにされているメッセージを,ここで繰り返したくはない;しかし,我々がクリントン政権の初期にそれらの見通しを得た時,これらの問題に集中する,より多くの注目点があったので,私は,これらの公共政策問題についての見方の一部を共有したいと思う.そして,私は,これらの展望を過去2つのセクションの分析的フレームワークと関連づけたい.

能力の向上


 知識経済における成功の鍵は,訓練された労働力である.多くの国が彼らの教育的なシステムを改善することに集中したことは,驚く事ではない.これらの全ては,推奨できる.3つの観察をしてみよう:

 最初に,長い目で見れば,知識経済における成功は,創造力,基本的技術に加え,より高いオーダーの経験に基づく技術,を必要とする.この種の創造力を育てる方法を見つけるこれらの国には,長い目で見れば,知識経済の競争におけるより多くの成功がある.

 第2に,知識経済における成功への鍵は,科学と技術の訓練である.政府助成金の正当な根拠が,科学教育にある: なぜなら,それらの研究業務において,彼らの仕事の利益はめったに捕らえる事が出来ない,我々が前に,本当の外部性に注意したように,【外部性が】そこにある.これらの外部性は,卒業教育の対象に最も選ばれるかもしれない.

 第3に,我々が望んでいるほど強くないかもしれない,最も競争が制限されているセクタの一つである教育セクタが,一つの理由である.それでも,市場メカニズムが動かず,完全に国家目的にかなうことができない正当な理由がある.私はスクール・バウチャと学校の分散についての議論をここではしないが,私は,我々が最も効果的に競争を増やすことができて,より幅広い公共の目的を追求することができる方法を,探し続ける必要があると考える.

産業政策及び調査のサポート


 この話の初めに,私は,白書の産業政策へのその思慮深いアプローチについて賞賛し,そして,私はポテトチップスとコンピュータチップに関しての私の前任者の意見に対し,批判的に言及した.産業政策は,「勝者を指名する」として,しばしば批判された;政府は,特にその仕事にふさわしくないと主張される.

 実際,そのセクターで生産性の巨大な増加に至った農業研究(19世紀の中心的な産業)のサポート,最初の電信線(ボルチモアとワシントン間,1842年)からインターネットの発展への,政府は成功した注目に値する歴史を経ている.

 しかし,議論は間違った方向の枠にはめられた.政府の目的は,勝者の指名ではなく,外部性が発生する革新を確定する事である.

 産業政策の批判者が基礎研究に対する政府支持の必要性を認めるまで,彼らは基礎と応用研究の間に明確な線がない点に,注意することができない;多くの実用研究プロジェクトは,大きな外部性を生み出す.政策の目的は,大きな外部性にて成功したプロジェクトを確定することである.このことについては,彼らは顕著な大当りの歴史を経ている.

 合衆国では,選択プロセスを,政府と民間部門間の協力関係の必要性によって,改善する努力があった.i.e. 自身の資産,そして,競争選択プロセスに係わることによる一部の危険を冒すことを,民間部門に要求した.これらの改革が成功しすぎていたという懸念がある; 彼らが政府が後援した研究プログラムと関連するレントを消し去り,彼らはまた、政治的なサポートのソースの一部を減らした.

 この話題より去る前に,3つの他の重要な観察がある.

 最初に,知識経済の革新の多くは,基本的知識,世界的な公共物,の上に立っている.基礎研究の重要性を認識せず,他者によって提供される基礎研究の上で労せずして得ようとする傾向が,あるかもしれない.結果は破滅的でありえる;少なくとも進歩のペースのペースダウンがある.

 少なくとも半世紀の間,合衆国では,基礎研究に対するサポートの多くは,防御予算を通して提供された.冷戦の終わりで,このサポートは減少した.基礎研究の残りが長い間応用テクノロジの進歩を供給し続けても,結局,井戸はかれ始める.今,プールを補充するためのより積極的な処置を始める時である.

 第2に,政府は宇宙ステーションのような空想的なプロジェクト【を行う】傾向を持っている.それらは,一般の想像力を引きつけるが,必ずしも不十分な研究資金を使うことの,最高の方法であるというわけではない.

 第3に,一つは新技術をサポートしている他のプログラムの難しい観察をしなければならない.これらの付加される影響を評価するために.例として,多分大きなな効果が無い向上研究と同じ意図の合衆国の小企業に対する研究サポートプログラムを証拠としてあげる.*22

*22 See Wallsten (1998)

競争


 白書は,正しく競争の重要性を強調している.前に,私は,知識経済における効果的競争に対する本当の脅威を強調した.我々は,妥当な競争法と知的所有権制度を再検討する必要がある.また,2,3の観察を取り上げてみよう.

 最初に,我々がグローバル経済へ移行すると共に,競争の問題はグローバル・レベルとなってきた.競争当局の間における大きな協力が望ましいであろう,特に,競争規制の施行及び,これらの規制のレベルアップに導くのであれば --最小公分母より,むしろ最大のほうである.世界はより競争的な市場から利益を得,そして,世界の国はそのゴールを達成するために協力して働く必要がある.

 第2に,関税をもっと減少させることを進めている間にも,ダンピング課税と相殺関税(CVD's)を含む非関税障壁は,重要性を増している.両方とも,競争だけでなく,新しい知識経済をサポートする産業政策も,徐々にむしばむであろう.遺伝子工学による植物に対する取引制限,他のラッダイト処置は,科学的な進歩を同じように妨げるであろう.

 第3に,白書は,協働を助長しようとするが,共謀にすべり落ちているか,基礎を暗黙の調整におく,アンチ-または,少なくとも非競争的政策の提供について,私が行っているほどの,強い警告を発していない.

金融市場


 私は,知識経済の中心での合衆国の成功の重要な理由のうちの1つが,その力強い資本市場と,特にベンチャーキャピタル資金であると考えている.アメリカの資本市場は,多くの他の国より,長く,激しく競争してきた.独占禁止当局は,多くの他の国で見られる,銀行業務のある種の集中化を不信の目で見ていた.この種の革新的な貸出を助長するために,他に何をすることができるか明瞭でない間は,明らかに,税制はその役割を果たすことができるかもしれない.

税制政策


 合衆国では,革新,一部を落胆させたが,を助長した税法の特徴がある.研究・実験付加税控除は,長く公式の恩恵を受けたが,年基礎の上で更新されるだけであった.おそらく,その有効性を疑いうるなにか証拠があるであろう.最近制定された条項が,小規模の新しい企業(キャピタルゲインを免除することによって)を助成する,しかし,あまりにも早く,新しい知識ベースの企業の企業の助成範囲を含み,その効果について語られている.

 損失控除の制限は,しかし,リスクテイキングの主な妨げと同じ救いである.*23 研究とは,自然に,リスクの引き受けになる.それは,石油を求めて穴を掘ることに似ている.

 成功は,10に1つの成功した穴にぶつかるかどうかどうかで測定される.法人税は,政府を沈黙のパートナとして導くと,しばしば言われる;しかし,危険を共有するパートナがリスクテイキングを奨励することができるまで,パートナ,成功は共有するが,失敗はそうしない,は,リスクテイキングを妨害しているようにみえる.

 合衆国では,それがリスクテイキングと企業家精神,知識経済に関連する種類の,を援助するという理由で,キャピタルゲインの優遇処置が擁護された.しかし,大部分の税特恵は,この種の企業家精神にでなく,たとえば,投機的な不動産貸出に向かう.私は,前に文化の変化の重要性に言及した.税制,本当の革新に報いると同じく,それが不動産投機の収益に報いる,は,革新の文化をサポートしない.

*23 See Stiglitz and Auerbach (1983)


その4へ


最新の画像もっと見る