デミング博士のニューエコノミクスって

デミング博士の”ニューエコノミクス”に書かれた内容と,それに関連する内容を,「マターリ」と理解するページ

知識経済の公共政策【試訳】 その1

2005-12-25 16:30:28 | 経済
もう年末です.年末年始はこの論文をもっとじっくり読みたいので,試訳をさらします.

 ちなみに,この試訳は,世界銀行さん等に突っ込まれた場合,消すかもしれません.
 時間があれば,「杉田玄白プロジェクト」にでも応募するかな….

Original: http://www.worldbank.org/html/extdr/extme/knowledge-economy.pdf

【】内訳注です.

PUBLIC POLICY FOR A KNOWLEDGE ECONOMY 知識経済の公共政策



Joseph E. Stiglitz

ジョゼフ E. スティグリッツ

世界銀行副頭取 兼 チーフエコノミスト

産業と貿易部局

及び

経済政策研究センタ


London, U.K.

January 27, 1999


INTRODUCTION
イントロダクション

KNOWLEDGE AND DEVELOPMENT
知識と開発

開発・知識と世界銀行
知識文化
思考方法の変化
暗黙の知識と現地適合
行動学習と内発動機

BASIC ANALYTICS OF THE KNOWLEDGE ECONOMY
知識経済の基本的解析

希少性を問題としない【Scarcity-Defying】アイデアの特性
知的財産権
普通でない財産権
外部性
競争
知識と情報の組織面
企業での知識の取引
開放と知識移転
経験
アイデアの市場:分権化,競争,そして経験
プロジェクト選択における多元主義
ロバスト性に向けて:不完全情報のいくつかの含意
人の認知間違いの重要性と不完全情報
中央計画の失敗:一つの例
企業の分権化と分配
政治的な過程の開放性

PUBLIC POLICY FOR A KNOWLEDGE ECONOMY
知識経済の公共政策

最近のアメリカのいくつかの政策
能力の向上
産業政策及び調査のサポート
競争
金融市場
税制政策

CONCLUSION
結論

REFERENCE
参考

INTRODUCTION イントロダクション


 過ぎ去りし数世紀は,いくつもの根本的な経済変化の舞台になってきた.そして根本的な経済変化の各々は,社会の自然に影響を与えてきた.

 産業革命は農業から工業への経済の変化の変化の土台となってきた;生活の基盤が向上しただけではなく,生活の場所も,田舎のコミュニティーから首都圏大都市へと変化してきた.過去数世紀の科学革命は,変革自身のシステム化の中に結果を出し続けてきた:新しいイノベーションを作り出すプロセスは変わり続けた,トーマスエジソンのような隔絶した独立のイノベータから多くの開発研究所に.知識と情報は,現在では百年前の車や鉄鋼のように作り出されている.これらの,ビル・ゲイツのように,他の者より,よい知識と情報をいかにして作り出すか知っている者は,かけ離れた褒美を得る.百年前にいかにして車や鉄鋼を作り出せるか知っている者が,その時代の大事業家になったように.

 新しい経済は,古いものと,どの様な法則の違いが支配しているのであろうか.確かに,我々はいまだに希少性の経済と向かいあっている.しかし、経済が農業から工業への移ると同時に,生産における土地の重要性の劇的な変化がおきた.経済のファンダメンタルの見直しでは,知識経済の必要性に移ってきた.知識は他のものと異なる:公共財の中心的な属性の多くを持っている.確かにグローバルな公共財なのだ.*1 政府はすべての所有権の保護の重要な役割を演じるが,知的所有権における役割を演じる時には,はるかに複雑になるのだ:これらの権利に妥当な定義は,明らかではない.そして知識経済において独占の危険は,工業経済ではたぶん増大する.それらは,我々にとって,過ぎ去った数世紀でおなじみになった,工業経済の市場的とは異なる,知識経済における政府の役割の3つの例でしかない.

 私が行いたい,しかし,3つの方向での技術的な経済の課題:開発の中での知識の役割,知識経済の「文化」,そして民主化プロセスにおける新しい経済のいくつかの含意,の向こうにある幅広い議論がある.

 この私がアプローチしたい3つの見通しに対する知識経済の問題;情報と知識の経済に30年間を捧げた論理屋;経済諮問委員会の委員長,そこでは今の白書*2 に関係する多くの同じ疑問の焦点に対し我々がもがいていた,そして,直近の世界銀行のチーフ・エコノミスト.私が今朝、展望を紡ぎだした3つの見通し,私の現在の視点であるこれらの問題より見ていきたい.

*1 See Stiglitz (1995,1998)

*2 Department For Trade and Industry (1998a)

KNOWLEDGE AND DEVELOPMENT 知識と開発


開発・知識と世界銀行


 世界銀行は,発展途上世界の成長を促進し,不足を減らすことに関係している.我々のごく最近のWorld Development Report(1998/99)は,テーマである開発のための知識に捧げられ --そして,私はもちろんそれがU.K.白書で引用されているのを感謝している.長年,経済発展のために受け入れられた英知は,インフラストラクチャと工場の建設に集中していた.

 官僚は,これらの建造物を,発展の具体的な証拠として訪れた経済学者に,誇りをもって示すことができた.焦点は,「重たい経済」にある ---我々が知識を基礎とするものを比喩として「重さのない経済」と使用するならば.我々は,今ではこの戦略を本当に未完成なものと見ている--- 実際には,発展の「簡単な部分」を焦点にしているだけである.

 今日,世界銀行は,我々の仕事における包括的な新しい開発フレームワーク*3 に,目に見えない知識,制度,そして文化をより強調したものを取り込もうと試みている.そして,例として,知識銀行*4,インフラストラクチャへの投資のためだけの銀行ではなく,になることである.我々は,経済発展を,知識,制度と文化とをカバーする幅広く包括的な感覚において,建設事業のようではなく,より教育のようであるように,見ている.

 焦点の変化は,最も成功した一部の国々の経験 --と世界中での我々の努力に対する多くの失敗によって動機づけられた.多数の評価では,資本の蓄積は,東アジアの国々での一人当たりの収入の増大の一部分だけしか説明出来ない.
彼らの奇跡的な成長は,主に知識のギャップを埋めたためであると考えられる,この先進及び発展途上国間のギャップは,どのように入力を出力に変えるかについての知識である.たしかに,知識のギャップを埋めたものの一部は「購入された」,先進技術を含んだ資本投資の結果,それ自体である.

*3 See Stiglitz (1998b)

*4 この知識銀行のコンセプトは,アニュアルミーティング上で,Wolfensohnにより紹介された.See Wolfensohn (1996)

知識文化


思考方法の変化


 しかし十二分な知識が得られた:思考方法の変化があった.この変化の定義は困難である:変化,貧困の中にぬかるみ続けていることは国々にとり必然でも必要でもないとの認識,を認めること,そして,多分一番重要なのは,一般の知識と教育及び,固有の科学技術への集中化への評価である.

 確かに,一番進んだ社会,科学的アプローチ,それに適した利益を私たち全員に与えるものと同じように多くものにおいてさえ,小さな円の中に集中して留まっている.--学問から政府へと移っていった者全員に事実のすべてが明確に見えた.開発プロセスは,基本的な思考方法の範囲の広げるように見える,人生の曲がり角すべてでそれらをより一層充満させていく.
 私は,より多くの発展プロセスのハイライト面の研究で,工業国の社会と経済を成長させた様相がしばしば解った.なぜならば,それは,家庭に力強い文化の変更をもたらせば,新しい知識経済における成功を伴う.

 私が,プリンストン,ニューヨークの郊外,ウォール街の文化がその長い影を投げかけている,に,スタンフォードに,教育者として,それから,ワシントンに移り住んだときに,これらが生き生きと見られた.スタンフォードでは,本当に起業家精神を感じた.廊下やレストランでの,新しい企業についてのいつもの話,新しい製品や新しいビジネスのアイディアの中の優位性の移り変わり.ベンチャーキャピタルは新しい機会を探し出して,資本だけではなく,管理のノウハウも提供している.ウォールストリートの大きな注目の中心になる,乗っ取りや併合,企業のリストラのような,すでにある資産や会社の利用の再編成にではなく,創造性や富の創出に焦点を当てる.ここには,どうしたら国がこのような文化を創造できるかの法則がない,どうしたら企業がそのような文化を創造するかの法則がないように.

 しかし政府はこのような役割を持っている.--教育や,ある種の創造性の促進,科学的な企業家が必要なリスク・テイキング,成果をもたらすアイディアの促進のための制度,規制,ある種の活動に対する報酬をもたらす税制の中の役割がある.後ほどの議論の中で,もっと詳細で技術的な,政府の政策の経済的側面に焦点を当てる,しかし,私は私の信念を十分に強調できない.もしこれらの文化のもっと根本的な変化であれば,これら変革のすべての利益は感じるだけになるであろうとの.

 技術的な話題に移る前に,暫く知識経済の創造での制度及び,文化の中心的な役割を,発展途上国への知識の移転についての我々の経験を中心に,現状を少し語ってみよう.

暗黙の知識と現地適合


 Analytical Background Report*5 は,無成文化もしくは暗黙の知識の重要性とそれを移行することの困難を認めている.事実,企業の競争優位の基礎である,スタッフに埋めこまれている企業の暗黙の知識ベースを移すことは,確かに困難である.しかし,他の面から見れば,これは暗黙の知識を移すことが,知識を,ベーコンが,お金を --できるだけ広く撒かれる「肥料」のようなものと見た,のと同様の見方をしている,経済発展ビジネスにおける我々に対する相当な障害であること,を意味している.

 技術移転を例としよう.技術マニュアル,青焼き【訳注:昔,コピー機が無い時代には,図面の原紙の下に感光紙を敷き,光を当てて,それを現像しコピーを作っていました.この感光紙は光が当たったところが青くなるので,「青焼き」もしくは「青写真」と呼ばれていました.】,取扱説明書は,成文化された,技術的な知識の氷山の一角である.成文化された技術情報は,発展途上国で非常に不完全になるかもしれない,文脈上の知識と実践の,全ての背景を呈する.むしろ異なる環境で新技術を実装することは,それ自身が創造的な行為である,コピーされた行動【behavior】ではなく.複雑な技術的システムを得るには,その規準の近くで機能させ,そして修正する,それが両方とも動作不良を起こす時,発展途上国に,簡単に移行することができないか,「ダウンロード」することができない,暗黙の知識のゆっくりとした蓄積に頼る.

 このことが切干された【cut-and-dry】技術的な知識に関することにとって真実ならば,私有財産市場経済の経済制度を発展途上国へ「移す」際の問題を想像出来る.
"移す" この言葉は,この投資が不確実な性質を意味するがために,rised-eyebrow 引用符で囲れてなければならない.それでも,我々は適度な制度的フレームワークが発展への鍵であると信じて来た.

 制度のどの部分が,特有の,いわば,アングロ-アメリカンな環境で,どの部分が一般的であろうか? アメリカのミッドウェストで,野球,フットボール【訳注:多分アメリカン・フットボールです】とバスケットボールと共に育っている少年にとって,大部分の他国がこれらのボール遊びをしない,そして,大部分の国が,ボールが手で触れられないゲームをしている,とわかることは,大変なショックである! アメリカは,明らかに,世界では,「フットボール」【訳注:サッカーですね】をプレイする事が一般的であることを,教えることに成功していない.

 しかし,経済学者として,我々は現地経済の実践における「騒ぎと,叫びの混乱」の中に一般原則を発見しようとし,そして,我々は経済制度を改革するために,これらの原則を適用しようとする.これが,ドンキホーテのような冒険,「世界に,フットボールをプレイする,より良い方法を教える」,以上であることであるならば,我々は制度の知識移行の微妙なところを考慮しなければならない.経済動因は,経済,政治,文化的な要因の,全部のマトリクス上で作用する.そして,それらの多くは,「訪問経済学者」にとって明らかでない暗黙の要因である.「教科書モデル」の速い移植は,現地の土地では,たぶん根づかない.

 その代わり,移植または,接木の長いプロセスが必要である.そのプロセスは,ワシントンでは設計が出来ない.地元の経済エージェントと機関 ---現地での暗黙の知識を持つ--- は,現地の経済,政治,文化的な要因のマトリクスの範囲内で,より一般的な制度のスキーマを再現するプロセスを担当しなければならない.それは,世界銀行の知識ベースの開発のビジョン,国際と地元の機関の複雑な相互作用,このビジョンはワシントンで開発された「フットボールをプレイする方法」のような一般的なレシピのアイディアより,前に進まなければならない.

*5 Department for Trade and Industry (1998b)

行動学習と内発動機


 発展とは,人々を,彼らの考え方を変えることに,いつでも巻き込む,社会の変化である.外部の機関は,人々に,彼らの考えを変える,または,何を信じるかを強制することが出来ない.*6 人々に,特定の行動【behavior】を受け入れさせ,特定の語を述べることを強いることは,出来るであろう.しかし,彼らの心または気持ちを変えることを,強制することが出来ない.彼ら自身が,自らに行えるだけである.

 産業では,知識ベース経済への移行は,トップダウンの階層構造から,半自治チームのネットワークのような,平坦な構造に,組織の変更を必要としている.テイラー的な垂直構造は,知識ベース業務組織が,心の自治と自主性の重要な認知が必要とされるまで,特定の身体的な行動を強制し,調整するように設計されていた.

 知識は,受動的なまる暗記によってでなく,学習者の活発な参加によって最も得られる.学習は,実行によって行われる【Learning is by doing】,見たり,記憶したりすることによってでない.これらの活動家の原則はまとめられている,例として,ジョーン・デューイの実際的な教育の原理を挙げよう.*7 行動の学習者育成のためには,行動の動機は内発がベストである,飴と鞭を付け加える事ではなく.外部誘因【インセンティブ】は,短期間しか行動を変化させない.彼らは通常,内発動機のシステムを変えるよりはむしろ,一時的にだけ無効化を決意する.外部誘因【インセンティブ】が取り除かれた時,行動は前の動機に戻る.経営の文献では,内発動機の重要性はW.エドワーズ・デミングにより強調されている.*8 効果的な品質システムは,品質ボーナスによる外部のモニタリングの維持をベースとするものではなく,仕事へのプライドと自尊心に基づく動機による,品質向上の内部精神によるものである.

 これらの原則の全ては,発展途上国の知識ベースの変化において,等しく基本的である.それらの,知識ベースの企業での働きと同様に.
 融資条件(「アメとムチ」)によって国に課される「ベスト・プラティクス」は,長続きする変化をもたらさない.それは、彼ら自身の能力を高めるという人々の誘因
【インセンティブ】を徐々にむしばみ,彼ら自身の知性を使うことに対する,彼らの信頼を弱める.外部の開発機関は,実行できるようになるよう変化を与える,触媒または助産婦の働きをする代わりに,人々の学習活動を短絡させて,彼らの無力を補強するだけである.外部の誘因【インセンティブ】は,一時的に,国の制度のマトリックスを発生させる,行動のバネのオーバーパワー【訳注:呼び水,もしくはスプリングボードと呼び変えてもいいでしょう】になるかもしれないが,しかし,多分いかなる長続きする組織の改革も引き起こさないであろう.

 発展途上の社会の不可欠な活動,企業のショップフロアへの参加のような,への参加は,長続きする変化を促進するのに必要である.活発な巻き込みは,結果の学習と所有に対する学習へのコミットメントをもたらす.参加,そして,巻き込みは,官僚またはマネージャの問題だけではない; 社会的及び組織的資本に対し,誰がよく排除され,誰が強化の鍵になっているかを含め,その事に深く手を伸ばす必要がある.*9 外部の専門家は説得を通して「ベスト・プラティクス」の「所有」を助けることができる,しかし,所有の程度はもっと大きくなるであろう,もし誰かが,形作ることと適応することのプロセスでの活発な巻き込み政策を実行すれば,もし,再投資されなければ,国(もしくは会社)の中にそれらの方針がある.

*6 私にとって,他者が天国へ行くか地獄へ行くかは小さな事だ.私にとって,彼を信じるか信じないかも小さい,そして,私にとって,彼が天国または地獄を開くか閉じるかも小さい,彼が,私を信仰へ導くか,不信心に導くかも小さい.See Luther 1942 (1523) この洞察は,ヨーロッパにおける宗教の道徳と態度,寛容,促進が基礎となっている.

*7 多分,ダーウィン原理に基づく最も重要な学校システムの例は,私のホームタウン,インディアナのGaryの学校システムで,20世紀初期に打ち立てたものであろう.
See Bourne(1970) これらの改革の効果は,私が昨年ポール・サミュエルソンのシステムを経て,フォローした時にも証明されている. 【ここの訳は難しいです】

*8 See Deming (1982,1994)

*9 See Wolfensohn (1997) プロセスにおける包括の重要性の議論.

その2へ


最新の画像もっと見る