goo blog サービス終了のお知らせ 

日々の立ち話!

日々の出会の感動を・・・

晩秋の稲沢公園!

2012-11-19 12:14:37 | 日常

公園の入り口には「荻須美術館」が有ります。

稲沢市井堀町出身の洋画家「荻須高徳画伯」常設

公園内は高くそびえる「ラクウショウ」の樹が茂っています。

落羽松(らくうしょう)沼杉とも言われる。

針葉樹の高木。アメリカ原産。
・沼地や湿地の近くで 育つことが多い。
・葉っぱは線形。秋に落葉。 葉は互生

稲沢公園では沢山のラクウショウがあります。

紅葉と香り、雨あらリの日差しを浴びて紅葉がとても綺麗!

落羽松の杉の香りがぷんぷんする~~森林浴!

 

なぜか?今年はカラ池になっています。

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デジブック 『飯田街道!』と川原神社

2012-11-13 15:02:12 | 歴史

すこし歩くと飯田街道沿いに川原神社がある。

閑静な神社は飯田街道沿いにあった。付近は街道の面影を残す古い街並み、

弁天池は、川名の弁天様と言われている、亀さんが沢山住みついているとか、

[日の神、埴山姫神(土の神)、罔象女神(水の神)を祀っている。防火鎮火の神としても祀られている。 いつ建てられたかは定かではないが、延喜式に初めてその名が出てきていることから1000年は経っているであろうと考えられている。社殿は戦争で焼失し、再建されたが1992年、不慮の火災でまた焼失したため、1998年に新たに建て直したものである。]HPより参照

 

デジブック 『飯田街道!』

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めて見た![フラミンコの踊りにアート書道]

2012-11-11 09:41:38 | 観賞

 CBCの[花咲タイムズ]で放映された

左手で書くアート書道は描くと画になる。

イメージを描きながら~~さてこれは・・・・?ちょと考えなくては、墨汁と筆は空想の世界に、

テレビでこの情報知った!

認知症の予防になるかな?

稲沢市民会館・小ホールで開催された。

一宮市にフラメンコスタジオ・アンダルシアにて舞踊を学びつつイベントなどで踊っているメンバー、

小ホールで目の前でいろいろな衣装でカンテとギターにあわせて激しい全身の踊りにホールは興奮気味、素晴らしいエネルギーを頂いた。

3名・オペラ歌手男性2名と女性のピアノニストはオペラ・声楽、合唱を中心に伴奏をつろめる

1時間30分のワンコインコンサートは貴重な時間でした。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桑山美術館

2012-11-08 19:05:27 | 観賞

  名古屋昭和区山中町の桑山美術館に行って見た、

映画の鑑賞会を変更して秋空に見せられ地下鉄伏見駅で乗り換え鶴舞線で川名駅に・・・・

初代館長の桑山清一が収集した絵画や美術品を展示している。日本画や茶道具を中心に、日本洋画・現代陶芸など幅広く所蔵。名古屋市の私立美術館

絵画は春に展示される。

桑山美術館 所蔵茶道具展 

掛物・花入・香合・水指・茶碗・茶入・茶器・茶杓

二階展示室では  ―四季を彩る茶碗ー

ゆっくとじっくりと観賞できた 。

モダンな建物

日本庭園の散策

燈篭が14箇所にそれぞれ名前、説明書がある。

屋上の展望

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六角堂の長光寺を訪れて、

2012-11-05 23:26:12 | 歴史

「種痘所建設を」医師が代官所に書状 稲沢で写し初公開(中日新聞2006-10-30)

飛耳長目~歴史にまつわる出来事を記録・収集していますの記事を覘いてみた!

興味津々・・・・

歴史って~~本当にロマンがある

今まで漠然と数回訪れていた長光寺(重要文化財)、入口の立て札を見て

えっ~~今NHKの大河ドラマの[平清盛]に登場する清盛の異母兄弟の弟の頼盛が創建した、では何故~~尾張のこの地に、(頼盛について知りたい)思い!

 

美濃路も荘厳な長光寺でも人に出会うことがなかった、昔の賑やかな街道をゆっくり歩くには丁度良い。クルマは新しいコンクリートの道をスイスイと競って行く。

静寂な秋の長光寺。。。。

織田信長が名古屋城・岐阜城まで運んだといわれる井戸水。

臥松水という信長ゆかりの井戸の跡がある。

 いなざわの雅人系譜には。

尾張の書家二大源流と称される山崎の橋本修竹井之口の丹羽盤桓子(ばんかんし

井之口の丹羽盤桓子が六角堂の長光寺に墓があると系図に記されていた。、

午後~~自転車でのんびりと行って見た、。

くまなく探したがなかなか見つからない、墓地が梵鐘の後ろに丹羽家代々の墓とされたところを見つけた。カマキリがじっと見守っていました。

枯れた花、枯れ草が・・・整備されていない墓地の一角にはいくつかの代々の墓石が立っていた。

歴史とともに薄れていくのを実感した。

一つの記事でたどり着いたことには大きな新たな収穫には喜び[いなざわの雅人系譜]の著者のかたには感謝です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カレンダー