忍山 諦の

写真で綴る趣味のブログ

南都法華寺

2016年11月30日 | 大和路散歩
奈良市法華寺町の一画に建つ法華寺。





南門脇の石柱に「総国分尼寺 法華滅罪之寺」とあるように、かつては大和国分尼寺であり、かつ諸国に建てられた国分尼寺の頂点に位する総国分尼寺としての重責を担う寺院であった。





聖武天皇が天平13年(741年)に出した「国分寺造立の詔」(天平13年(741年))により平城京(大和)には総国分寺金光明四天王護国之寺(現在の東大寺)が、そして総国分尼寺法華滅罪之寺としてこの法華寺が建立されたのである。





ここはかつて藤原不比等の邸宅のあった地であり、不比等の死後は三女の光明子がこれを相続し、光明子が聖武天皇の皇后として入内後は皇后宮がここに置かれた。
この皇后宮の地に総国分尼寺を建てることは光明皇后の強い願いからと言われている。





現在は本堂、護摩堂、鐘楼などわずかな伽藍のみのこじんまりとした寺院にすぎないが、往時は金堂、講堂、中門、東西両塔、南門などを有する南北三町、東西二町の寺域を有する大きな寺院であった。





平安遷都後は衰微していったが、光明皇后が開基とされている由来から長く門跡寺院とされ、現在も法華寺門跡と呼ばれる。





境内には光明皇后が1000人もの病者の背中を流したといわれる浴室(からぶろ)が保存されている。





また法華寺庭園(華楽園)は国指定の名勝とされている。

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