忍山 諦の

写真で綴る趣味のブログ

琵琶湖疏水を歩く(7)~鴨川運河(その1)

2012年05月23日 | 琵琶湖疏水を歩く

                     

                         琵琶湖疏水を歩く(7)
                                鴨川運河(その1)

鴨東運河は鴨川出会でその旅を終え、
その水は鴨川左岸を流れ下る鴨川運河へと引き継がれる。

この鴨川運河は、鴨東運河の鴨川出会を起点に、そこから伏見
堀詰まで、完成時の諸元で総延長8945.45メートル(4920.
48間)、鴨川の東岸を即かず離れずしながら流れ下る運河である。
明治25年に着工し、同27年に完成した。

この運河、鴨川出会の南約20メートルの所でその姿を現わし、
そこから鴨川の左岸を南へ南へと流れる。
鴨東運河と較べると川幅も流れる水量もかなり少ない。

 

二条大橋の下を暗渠で抜け、二条大橋を過ぎると再び地上に姿を
現し、御池大橋へと向かう。
その途中流量調節のための水門が設けられている。

                   
 

やがて御池通の手前で運河はまた地下に姿を隠す。
川端通の延長と京阪電車の地下化工事で鴨川運河は、
この御池大橋から南、塩野小路までの区間が完全に暗渠化され
たため、その姿を見ることは出来ない。
この間、三条から四条の祇園白川の手前まで、
川端通の東端に疎水のを利用して「せせらぎ」を設け、
そこに遊歩道が造られている。
「せせらぎの道」と呼ばれている。

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                       せせらぎの道

京阪三条駅から少し南へ歩く。
そこに「せせらぎの道」の案内碑がある。
鴨川運河の暗渠化工事の一環として運河の水を利用して設けら
れた。

 

「せせらぎの道」の名は川端通開通一周年を記念して公募で決め
られたという。

 

「せせらぎ」は、流れを左右に鍵型にずらしたり、暗渠を設けたりと、
流れに変化をもたせ、歩く人を飽きさせない工夫がこらされている。

 
 

「せせらぎの道」は白川南道の手前でその姿を消す。

 

写真右は(6)で書いた鴨川へ流れ込む直前の祇園白川である。
「せせらぎの道」はこの祇園白川の手前で終わる。
のであるが…、
四條通を越え団栗通下るで、「せせらぎ」だけがまた姿を現す。

 

遊歩道は姿を消し、「せせらぎ」は生活道路の脇を流れる。
しかし、花が植えられていたり、お地蔵の祠があったり、
「疎水」と彫られた古い擬宝珠が置かれたりと、
かなり風情がある。

 

東は祇園甲部、祇園東、先斗町と並ぶ祇園四花街の一つ祇園宮
川町である。
写真は宮川町歌舞練場と宮川町花街

  
                       

「せせらぎ」は見え隠れしながら松原通まで続いている。

 

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                  鴨川運河つづく

丸太大橋の手前で地下に姿を隠した鴨川運河は、
塩小路橋の東詰の地下から地上へと再びその姿を現し、
東海道線、新幹線の鉄橋の下を流れ下る。

 
  

やがてJR奈良線の橋梁にさしかかる。
運河のすぐ西には鴨川が寄り添うように流れている。

 
                    

運河は師団街道を右に従え南下し、九条通にさしかかる。

 

九条通を過ぎて運河はさらに南下し、御所之橋、中央橋と、二つ
の橋の下をぬける。
運河の西岸には師団街道が併走し、東岸には遊歩道が整備され
ている。

 
  

やがて運河は三之橋川と立体交差し、正風橋、コンクリート橋、水
門を通過する。

 
 
 

 その下流でさらに上高松橋、高松橋の下を流れ下る。

 

やがて運河は京阪本線の橋梁の下をぬける。
そこはもう伏見区である。

  


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