忍山 諦の

写真で綴る趣味のブログ

おいぼれ烏有のぐち綴り(12)

2012年05月22日 | チャロとおいぼれ

おいぼれ烏有のぐち綴り(12)

こんにちは。
烏有です。
                     

                                (イラストはがくげい)

久しぶりに東京へ出る機会があり、
思い切って千葉まで足をのばしました。
千葉は外房の長生村、
そこに私の親友が住むのです。
うら若い青春時代に知り合いました。
その彼、今では奥さんと二人の静かな隠居暮しに納まっています
が、大多喜村の古いお寺の息子で、
お父さんは謹厳な住職さんでした。

ここだけの内緒の話ですが…、

彼はそのお父さんに似ずの変わり者で、
音楽大好きの風来坊だったのです。
大学の講義などそっちのけで、
あちらこちらと彷徨い歩き…
時々忽然と姿を消しては、
忘れた頃にふらりと戻ってきて、
「やーしばらくだねー、伊豆の温泉でギター流しをやってたよ」
なんて…、
 
そんな彼と
生まれながらの落ちこぼれのこの私とが、
どういう訳か気が合って、
もう半世紀もの付き合いが続いているのです。

彼の息子さんが九十九里浜を案内してくれました。
片貝海岸から南へ太東崎を目指し、南へ南へ

  
                        

私の住む大阪湾と太平洋を抱き込む九十九里浜、
磯辺に立てば、その違いが、問答無用の五感で分かります。
南へ北へ果てしなく延びる渚、空と溶け合う水平線、寄せる
波の力強さ、潮の香り、すべてが違います

   わが行くは海のなぎさの一すぢの
           白きみちなり限りを知らず
                                               (牧水)

一宮海岸の芥川荘も案内してくれました。
大正5年の夏、芥川龍之介が、友人の久米正雄と共にここに滞在
したそうです。

 

このあたり、かつては「東の大磯」と呼ばれ、
川上から海岸まで、渡しのポンポン船が行き来する一宮川を挟
み、その両岸に財界人や政治家、それに裕福な官僚、軍人など
の別荘が軒を連ねていたとか…

日西墨三国交通発祥の地の記念碑の建つ岩和田の岬

 

そして岩和田を越えてさらに南へ、
御宿海岸の砂浜には、童謡に出てくる王子様とお姫様のラク
ダに乗った像がありました。
  「月の沙漠」
加藤まさおの詩に佐々木すぐるが曲を付けた、
この誰でも知っている童謡を、私も歌いながら、
なぜ「砂漠」でなく「沙漠」なの?、
と思ったことがありました。
でも、ここへ来て見ると、やはり「砂漠」ではなく「沙漠」で良
いのです。この御宿で誕生した歌なのですから…

御宿を最後に旅を終え、彼のお家へ、
電車の時刻を気にかけながら、
奥さんの手料理を肴に久方ぶりに彼と酒を酌み交わしました。
「さあ飲め、飲め」
と威勢よく大声を上げ、その声で自分の杯に弾みをつける、
そんな彼の飲みっぷりは一向に衰えません。
私もしこたま酔いました。
なんぼ酔っても心配はないのです。
たとへ、私に「もしも」の事があったとしても、
衣と袈裟を身に纏えば彼は偉~い坊さんに戻るのですから…

                     


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