忍山 諦の

写真で綴る趣味のブログ

わすれられた港町-海津港

2014年07月15日 | 琵琶湖の旅

海津港の歴史は古く、平安時代の末期にはすでに港として使われていたといわれている。



物の輸送を人の背や船に頼っていた時代、若狭や北陸から京都へ上る物資の中継点として、ここ海津港はなくてはならない存在であった。



西近江路で若狭や北陸を往還する旅人の宿場町としても海津は繁盛した歴史をもつ。



海津の浜の高い石積みは、元禄年間に、甲府藩高島郡の代官として赴任した西与一左右衛門が、この地域の民家がたびたび風浪の被害に見舞われるのを見て、東浜の代官金丸又右衛門と協力して幕府の許可を取ってこれを築いた。



鉄道の発達により、人や物資の大量輸送が可能になると、琵琶湖経由の丸子船による輸送はその需要が減っていき、それに伴い海津港はかつて輸送の担い手であった丸子船と共に時代の表舞台から退いていった。


現在の海津は、桜の季節に海津大崎の桜を見るためにやってくる観光客によって一時的な賑わいを見せるほかは、町はいつもひっそりと静まりかえり、



かつての賑わいは、今も残る海津浜の石積みによって、



これを偲ぶ外はない。


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