忍山 諦の

写真で綴る趣味のブログ

私にとっての余呉湖

2014年05月26日 | 余呉湖を歩く

     私 に と っ て の 余 呉 湖  

琵琶湖の北に余呉湖という小さな湖があるのを知ったのは、40年も前のことである。
私の最初の任地である大津地方裁判所に赴任して10ヶ月余が過ぎたころである。
所属していた刑事部合議係に、会社勤めをしていたある男が妻に去られ、嬰児を育てながらの生活に疲れはて、自殺しようと嬰児を抱て真冬の余呉湖に身を投じたが、わが身だけ救い揚げられて助けられた事件が、嬰児に対する殺人罪に問われたのである。そして、それを新任の私が主任として担当することになったのである。その事件に接するまで私は琵琶湖のさらに北に湖があることを全く知らなかった。

 

湖北の山間にひっそりと湖水を湛える余呉湖の静かな佇まいを知れば、妻に逃げられた被告人が、嬰児を育てながら働く生活に疲れ果て、我が子と共に余呉湖に身を投げて死のうとした、その心情はなんだか理解できるような気がし、一度ゆっくりと歩いてみたいと思うようになった。

 

その思いを果たすこともないまま3年後、私は次の任地へと転勤した。

その思いを果たしたのは、妻が逝った翌年の夏であった。
5年前の事である。

 

あの事件以来、私は余呉湖に淋しい暗いイメージを持ち続けていた。
しかし、目の前の余呉湖は夏の太陽を湖面に受け、静に穏やかに湖水を湛えるごく普通の湖であった。
それでも惹かれるところがあって、それから季節季節に余呉湖を歩くようになった。
そして段々と分かってきたのは、いつ行っても、それが平日であれ、土日祝日であれ、湖辺に人影はなく、まるで貸し切りのように静かに訪れる人を迎えてくれることである。
人と群れることを嫌い、常に自分一人の道を歩こうとする私にとって、それが何よりの魅力だった。
美しい湖は他に沢山見てきたが、私にとって余呉湖が一番心のやすまる湖なのである。

 

余呉湖のこの静けさこそ大古の地核変動によってこの山奥の地にその姿を現わすことになった余呉湖の、いわば湖としてもつ宿世のようなものなのではないか。だとすると、人の群れを嫌う宿世を産まれ持った私が余呉湖に心の安らぎを覚えるのは、どこか響き合うものがあるからだ。そう思えてくるのである。
だから、これからも、自分の足が動くかぎりは、季節季節の折り目に余呉湖へ足を運ぶことになるだろう。
余呉湖はいわば私の癒やしの場なのである。 

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