忍山 諦の

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石清水(いわしみず)八幡宮

2016年11月20日 | 旅ぶらり
淀川をはさんで天保山と南北に対峙する京都府八幡市の男山の山上に鎮座するのが石清水八幡宮である。
八幡宮の総本社宇佐神宮から勧請された神社である。





貞観元年(859年)南都大安寺の僧行教が豊前国(大分県)の宇佐神宮に参詣し「吾れ都近き男山の峰に移座し国家を鎮護せん」との宣託を受け翌貞観2年(860年)に清和天皇の勅を受けて創建された。
僧侶が創建にかかわるという珍しい由緒をもった神社で、江戸時代までは神仏習合の宮寺として石清水八幡宮護国寺と称してきたが、明治維新によって神仏が分離され石清水八幡宮として官幣大社に列した。





祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)、比咩大神(ひめおおかみ)と息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)の三柱である。





誉田別命(第15代応神天皇)が祭神とされていることから朝廷から太祖を祀る神社として厚い尊宗を受け、平安期の創建ながら松尾、春日などの古社と同等の扱いを受け、宇佐神宮の遷宮のようにみなされ、伊勢、賀茂、松尾大社と並ぶ扱いを受けてきた。
とりわけ、白河天皇の尊崇が厚く、伊勢神宮と並ぶ二所の宗廟とも称された。
国家の重大事にあたり朝廷から格別の扱いを受ける二十二社の一つである。





平安京の裏鬼門を守る国家鎮護の神とされ、清和源氏はこの神社を氏神とすることでも知られ、源頼朝が建てた鶴岡八幡宮はこの石清水八幡宮を鎌倉に勧請したものである。
また伊勢平氏からも篤い尊崇を受けた。

山上に鎮座する社殿は典型的な八幡造りで、楼門から奥へ舞殿、幣殿、本殿が続き、建物はいずれも国宝指定を受けている。





山麓の京阪八幡駅近くに頓宮があり、ここで一の鳥居をくぐり参拝をすますと続いて二の鳥居がある。
その先は表参道、裏参道の二手に分かれ山上に向かって長い九十九折りの石段が続く。





その途中に「石清水」の由来となった石清水井を祀る石清水社がある。
かつては夏にも涸れない石清水がこの井にこんこんと湧き出でていたといわれる。


三の鳥居を抜けると楼門に向かって長い参道が延びる。





現在は山麓から山上へとケーブルが通じており階段に頼らずに参拝できるようになっている。

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