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忍山 諦の

写真で綴る趣味のブログ

琵琶湖の旅-貫川内湖

2013年04月06日 | 琵琶湖の旅

         貫 川 内 湖


「ソトウミ」と呼ばれる琵琶湖に対し、内湖は「ウチウミ」と呼ばれ、
母なる琵琶湖の内陸側に池、沼、沢、クリークなど様々な形態で
存在する。
明治の頃にはこうした内湖が琵琶全域で40カ所ほどあったといわ
れるが、その多くが干拓などで消失し、既存内湖は現在23カ所を
残すのみ。
貫川内湖はその一つである。


   


貫川内湖はかつては川上村沼と呼ばれ、琵琶湖に繋がる広大な
沼地を形成していた。


  


その植物や魚類が食料に、藻や泥が肥料に、水が灌漑水にと、
かつては地域の人々に様々な生きるための資源を供給し、貴重
な生活の場ともなってきたが、


  
 

時代と共にその役割を変えていき、昭和19年に始まり昭和26年
に完成した干拓によって16?の農地が誕生し、琵琶湖からも切り
離された。
現在の貫川内湖は中を貫く境川によって南北に二つに分かれ、釣
りを楽しむ人の憩いの場を提供している。


   


芽生えをまつこの季節、貫川内湖は静かに時を眠る。


   


鳰の海(6)

2013年03月22日 | 琵琶湖の旅

     堅 田-浮 御 堂

中世の時代、湖族の郷と呼ばれた堅田三郷、その中心ともいう
べき本堅田の湖岸に建つ海門山満月寺。
臨済宗大徳寺派に属する禅寺である。

   

平安中期、叡山横川の僧、恵心僧都源信が湖上に阿弥陀堂を
建て、自ら刻んだ千体阿弥陀仏をここに祀り、衆生済度を祈願
したのがその起こりだと伝えられる。
浮御堂の名のとおり湖上に浮かぶ阿弥陀堂である。
今も堂内には千体阿弥陀仏が祀れる。

  

境内の阿弥陀堂には聖観音座像(国重文)が安置されている。

  

浮御堂の回廊に立って振り向くと境内全体が湖の中である。

   

季節ともなれば魚影を求める雁の群れが御堂の甍をかすめる、
広重の東海道五十三次「堅田の落雁」さながらの景色を目に
することができる。

      

    鎖(じょう) あ け て  
              月 さ し い れ よ
                              浮 御 堂

                                       ( 芭 蕉 )


琵琶湖の旅-湖北旅情

2013年03月17日 | 琵琶湖の旅

        湖 北 旅 情

竹生島通いの船が停泊する今津港。
凪いでいるかに見える湖面も沖に出ればかなり揺れる。

    

若狭、敦賀への往還路であった湖岸道路に面して建ちならぶ
古民家群、すぐ裏には琵琶湖が広がる。

     
   
琵琶湖に注ぐ石田川。
琵琶湖は120もの一級河川が水を注ぐ近畿の大水瓶である。

   

水上の山々の向こうはもう若狭である。

  

    沖には竹生島が浮かぶ。

  


琵琶湖の旅-近江舞子

2013年03月14日 | 琵琶湖の旅

             近 江 舞 子


  わが船は 比良の湊に
        漕ぎ泊てむ
           沖へな離り さ夜更けにけり

                      (万葉集 巻3)

 


武奈ヶ岳を主峰とし、蓬莱山、比良岳、堂満岳、釈迦岳と千メートル
を超える峰を連ねる比良山系の峰々を背に、


  


内湖と琵琶湖北湖が広がる近江舞子の浜辺は、
  

  
 
 
夏には遊泳場として、


  
  

また景勝の地として四季を通じ、賑いを見せるが、


  

普段は穏やかなその湖面も、
  
  


春先に吹き下ろす比良の突風は、瞬時にして湖を荒ぶる神の怒る
がままに水を逆巻かせ、漂う船を一呑みにする。
その比良おろしの突風は、昔から比良八荒として地の人に恐れら
れている。


  


昭和16年の春、全国学生漕艇に優勝し、合宿訓練中の旧制4高
の漕艇斑の学生8名が京大の学生3名と共に琵琶湖を艇で横断
中、湖上で比良八荒の突風にまかれ、11名全員が千尋の湖底に
沈み、若き命を浪と散らせた。

     

      比良の白雪 溶けるとも
          風まだ寒き 志賀の浦
      オールそろえて さらばぞと
          しぶきに消えし 若人よ

                        (琵琶湖哀歌)

      


琵琶湖の旅-雄松が里

2013年03月13日 | 琵琶湖の旅

       琵琶湖の旅-雄松が里

   松は緑に 砂白く
     雄松が里の 乙女子は
    赤い椿の 森蔭に
    はかない 恋に泣くとかや

                 (琵琶湖周航の歌)


   

北小松から南小松にかけて南北に弧を描くように広がる白砂青松
の浜は、古くから須磨、明石とならぶ水浴場として親しまれ、夏季
には多くの若者らがキャンプをはり、ボートを楽しむ。

   

琵琶湖の北湖はこのあたりが東西に一番広く、遠くに沖の島が
霞む。

松原の西には、寛文2年(1662年)に湖西地方を襲った大地震
によって出来た内湖が広がり、その先には比良の山並みが迫る。

  

  楽浪(さざなみ)の
     比良山風の 海吹けば 
               釣りする海女の 袖かへる見ゆ

                                  槐本(万葉集 巻九)


琵琶湖の旅-長浜

2013年01月15日 | 琵琶湖の旅

           琵琶湖の旅-長浜

   浪のまにまに 漂へば
      赤い泊火 なつかしみ
   行方定めぬ 波枕
      今日は今津か 長浜か

                 (琵琶湖周航の歌)

    

冬の湖岸は鳰、鴨、雁など、さまざまな水鳥が群れ集い、
鳥たちの楽園となる。

    

      水鳥を水の上とや
             よそに見ん
         われもうきたる
               世をすごしつつ

                               紫式部
                      (千載和歌集)


琵琶湖の旅-琵琶湖周航の歌

2013年01月11日 | 琵琶湖の旅

                       琵琶湖周航の歌

   われは湖の子 さすらいの
               旅にしあれば しみじみと
   のぼる狭霧や さざなみの
             志賀の都よ いざさらば

                    (琵琶湖周航の歌)

    

琵琶湖は、古くは、鳰(にほ)の海、淡海の海などと
よばれて歌枕となった。
後に、その形が琵琶に似ていることから琵琶湖の名が多く
用いられれるようになったが、近世になってからである。
琵琶の名は竹生島に祀られる弁財天がもつ楽器である
ことにもちなむ。

季節により、時により、そして見る場所によって、
その表情を刻々と変える。

   

    ただ立つや
         ただ灰色の冬の海
         
                               (星野立子)