
門司港:バナナの叩き売り発祥の地
(写真は「バナナの叩き売り発祥の地碑」 場所:北九州市門司区 門司港桟橋通り)
門司港の桟橋からJR門司港駅前を通って門司港栄町商店街方向へまっすぐに伸びる道を桟橋通りと呼んでいる。その途中、JR門司港線の引き込み線・踏み切りのすぐそばの旅館の壁に、門司港の「バナナの叩き売り発祥の地」を示す石碑と説明板がつくられており、往時の名残をとどめている。
「♪キールン港を船出して、金波(きんぱ)、銀波(ぎんぱ)の波こえて、ついたところが門司港よ」とも唄われた名調子。大正初期から昭和13、14年ごろまで続いた門司港名物のバナナの叩き売りは、毎日、不夜城のごとくこの地で見られ、その売り声から自然にいつしか名セリフ、名調子が生まれ、日本国中からの旅行者の目を楽しませたといわれている。
明治41(1908年)年以降日本にバナナが大量輸入されるようになり門司港が地理的条件からバナナの荷場の一大拠点となり、バナナは門司を代表する果物となる。
バナナは通常青い状態で輸入され、問屋が室で熟成させて出荷するそうだが、輸送途中で蒸れたものや傷んだものは市場に出さず露天商等の手により売りさばかれていた。この時、名調子の口上で客を集めてバナナを安売りしたのがバナナの叩き売り。最盛期には50人近い売り手が軒を連ね、バナナを戸板の上に並べて売っていたそうだ。
当時、門司港はアジア大陸やヨーロッパ、台湾などの国際航路をはじめ、国内への海上輸送航路の重要な港であった。また九州鉄道の始発点でもあるので、物流の基地として大いに発展した。
★超お薦めの鮨屋→「新浜司」
平成17年2月20日




(写真は「バナナの叩き売り発祥の地碑」 場所:北九州市門司区 門司港桟橋通り)
門司港の桟橋からJR門司港駅前を通って門司港栄町商店街方向へまっすぐに伸びる道を桟橋通りと呼んでいる。その途中、JR門司港線の引き込み線・踏み切りのすぐそばの旅館の壁に、門司港の「バナナの叩き売り発祥の地」を示す石碑と説明板がつくられており、往時の名残をとどめている。
「♪キールン港を船出して、金波(きんぱ)、銀波(ぎんぱ)の波こえて、ついたところが門司港よ」とも唄われた名調子。大正初期から昭和13、14年ごろまで続いた門司港名物のバナナの叩き売りは、毎日、不夜城のごとくこの地で見られ、その売り声から自然にいつしか名セリフ、名調子が生まれ、日本国中からの旅行者の目を楽しませたといわれている。
明治41(1908年)年以降日本にバナナが大量輸入されるようになり門司港が地理的条件からバナナの荷場の一大拠点となり、バナナは門司を代表する果物となる。
バナナは通常青い状態で輸入され、問屋が室で熟成させて出荷するそうだが、輸送途中で蒸れたものや傷んだものは市場に出さず露天商等の手により売りさばかれていた。この時、名調子の口上で客を集めてバナナを安売りしたのがバナナの叩き売り。最盛期には50人近い売り手が軒を連ね、バナナを戸板の上に並べて売っていたそうだ。
当時、門司港はアジア大陸やヨーロッパ、台湾などの国際航路をはじめ、国内への海上輸送航路の重要な港であった。また九州鉄道の始発点でもあるので、物流の基地として大いに発展した。
★超お薦めの鮨屋→「新浜司」
平成17年2月20日




