朝の「日の出」 散歩を始めようと4時前に起きたのですが空は雨模様で雲で一杯です。
路面も濡れていて、これでは日のでは拝めない と思い散歩はやめる。
これだから もの は続かないのですね。この歳になると。。。いや~本来の性(サガ)でしょうね。何かと理屈をつけてやらない。続けない。楽な方法を取ります。
以前 カミさんから「あんた~ 歩かないと寝たきりになるよ・・そうなっても私にはあんたの世話が出来るほど力(チカラ)はないからね」と念をおされている。
膝が痛くても なんとか?家の中では歩いているが・・・自分のことは自分でやっている。
今はそれでよいが このままでは どうなることやら・・・膝の筋肉を鍛えなくては・・・
それでも膝の痛みは最近は少しはなくなったと感じている。
家のことは まだ 炊事、洗濯、掃除などはカミさんがやってくれているので未だいいか?お互い倒れてはたいへんだ。
きょうは太極拳の練習日だ。もう少し経てば出かけるが帰ってから車のサイドミラーの修理に行かなければサイドミラーが開き放しだ。
車もアチコチが痛みだした。

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発信箱:「顔」を見に行く=滝野隆浩(社会部) (毎日新聞:発信箱)
毎日新聞 2012年05月09日 00時23分
http://mainichi.jp/opinion/news/20120509k0000m070153000c.html 以下全文
発信箱:「顔」を見に行く=滝野隆浩(社会部)
毎日新聞 2012年05月09日 00時23分
東京・両国の江戸東京博物館で「太陽の塔 黄金の顔」が特集展示されている(20日まで)。電車内であの土偶のような顔のポスターを見たとき、もう一度会いたくなった。70年、小学生の私がみた大阪万博のシンボル。高度成長期の盛りあがりに触れられるかもしれない。
入り口から入ってすぐ、復元された日本橋の下に「顔」はあった。直径10.6メートル。放射状の鉄製フレームに厚さ0.8ミリの鋼板169枚をつけ、金色のフィルムを貼り付けてある。分解保存してあったのを東京初公開のために再現、十数人の手作業で4日かかったという。「お祭り広場」を覆う地上30メートルの大屋根を突き破った65メートルの太陽の塔。小さく縮む日本的感覚とは対極にある躍動感の最頂部に顔はあったのだ。
制作した岡本太郎は毎日新聞に「祭りの魅力」という短文を寄稿(70年3月8日朝刊特集)している。その中の一文。<及第点をとろうとアクセクするなんて卑しい。失敗した方がいいんだ><用心しいしい、やっと八十点とったというようなものがズラッと並んでも、少しも楽しくはない。思いきって自分のやりたいことをやって、よかろうが悪かろうが、これだ、という平気なふくらみ。それが祭りの魅力になる>
.企画した学芸員の松井かおるさんと関連資料の展示を見て回る。「三種の神器」と呼ばれた家電に殺到する一方で、国民は大気や水質などの公害や交通事故・渋滞に苦しんでいる。70年とはそんな時代でもあった。大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」。芸術家はその言葉の底の浅さを見抜き、度肝を抜く塔の巨大さで、人間の生命そのものを表現しようとしたのか。松井さんはいう。「このままの『進歩』で本当にいいのか。岡本はそう問いかけていたのだと思います」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つぶやき
「三種の神器」・・・懐かしいですね。
私も電化の一歩は東芝製の「電気炊飯器」でしたね。この電気炊飯器が下町の町工場で造られて東芝のブランド名で販売を始めたことは知らない事実だった。
この初期の電気炊飯器は蓋がボコ・ボコになっても その機能の衰えはなかった。
10年以上は使ったのでは?その後 新式の炊飯器に買い換えたがなぜか?直ぐに壊れてカミさんがアレを捨てたのは失敗だったと後悔していたな・・・。
今でもあの電気炊飯器はよかったと言っている。
後にTVのドキュメンタリーで その小さな町工場の夫婦が資金難に喘ぎながらも研究に研究を重ねる姿が放映された。もの凄い感動をうけたものだ。
テッキリ電気炊飯器は東芝で開発されたものとばっかり思っていたからだ。
白黒テレビは大学時代の友人 在京の大蔵さんに保証人になってもらいゲップで購入した。
ある日の朝 宇宙放送?(衛生放送)でケネディ大統領の暗殺事件が放映されたのにはビックリしたな~。白黒TVと衛星放送の組み合わせで忘れられない思い出である。
次が自家用車であった。トヨタの「パブリカ」を求めた。
未だ4.5畳 一間の間借り生活だった。無鉄砲なことをしたものだ。
この車は1000kM (1500Km?)走るごとに足周りのグリースアップの必要があった。年中グリースアップしていた感じだったな~ その都度 費用は掛かったが・・。
その数年後のことだった。 グリース・アップの必要のないベアリングが開発されたニュースをみたのは・・・。
勿論 車庫なんて洒落たものは無くアパートの裏道に置いていた。
冷蔵庫と洗濯機は東京の目黒の貸間から町田のアパートの一室に移った時に初めてそれらを求めた。
車はそこのアパートの空き地に置かせて貰ったが駐車料なんて請求は全くされなかった。
オモチャのような自動車でも自家用車と言うものは未だ少なかった時代だからかも?
昭和40年ころか?「3C」時代の訪れである。カー(車)ムールクーラー、カラーTVである。
先ず手にしたのがカラーTV である。
車はオモチャのような車だったが既に手に入れていた。既に2台目の三菱のなんとかクーペにしていたかも?記憶は定かでない。これは もう少しあとかも?
町田から横浜の上大岡の社宅(2LDK)に移った(昭和38年頃?)が夏といえども上大岡の小高い場所にあった社宅は涼しくクーラーの必要は全く無かった。
この社宅では瞬間湯沸しが無くその不便を出入りの業者に言うと早速 取り付けてくれた。
これッて 若しかして たかり??? 立派な たかり でしたね~
「代金は払います」と言ったが業者は受け取らなかった。
ベランダもコンクリートのモルタル仕上げだったので、これも現場の常夫(ジョウフ:現場の雑事一切をこなす雇用員)に言うと器用に作ってくれた。
4枚の簀子(スノコ)である。
おかげで子供がベランダに出るにもスリッパの必要はなくなり冬でも冷たくはなかった。
この「簀の子」あとで気がついたが材料は檜で釘は真鍮釘の丸頭のものが使われていた。釘が錆びなくまた釘の頭で怪我をしないように配慮をしてくれたらしい?
貼った板も乾燥による反りも考えてあった。小口の木目を見て感心したものだ。勿論 板の角の糸面は取ってあった。「簀子」一枚といえども難しい。
約10年間 そこに(社宅)お世話になったが退室する時も簀子はいたんでいなく後の方に「廃棄処分をするが?」と聞くと 「簀子はそのままにして置いてくれないか?」と言うことでそのままにした。
私が現場所長になった時も配属の現場職員も現場員も熟練した人が配属されていて未熟な私は随分と助けられたものだ。
あらッ また話がそれた。つぶやきはこれで・・・。

路面も濡れていて、これでは日のでは拝めない と思い散歩はやめる。
これだから もの は続かないのですね。この歳になると。。。いや~本来の性(サガ)でしょうね。何かと理屈をつけてやらない。続けない。楽な方法を取ります。
以前 カミさんから「あんた~ 歩かないと寝たきりになるよ・・そうなっても私にはあんたの世話が出来るほど力(チカラ)はないからね」と念をおされている。
膝が痛くても なんとか?家の中では歩いているが・・・自分のことは自分でやっている。
今はそれでよいが このままでは どうなることやら・・・膝の筋肉を鍛えなくては・・・
それでも膝の痛みは最近は少しはなくなったと感じている。
家のことは まだ 炊事、洗濯、掃除などはカミさんがやってくれているので未だいいか?お互い倒れてはたいへんだ。
きょうは太極拳の練習日だ。もう少し経てば出かけるが帰ってから車のサイドミラーの修理に行かなければサイドミラーが開き放しだ。
車もアチコチが痛みだした。

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発信箱:「顔」を見に行く=滝野隆浩(社会部) (毎日新聞:発信箱)
毎日新聞 2012年05月09日 00時23分
http://mainichi.jp/opinion/news/20120509k0000m070153000c.html 以下全文
発信箱:「顔」を見に行く=滝野隆浩(社会部)
毎日新聞 2012年05月09日 00時23分
東京・両国の江戸東京博物館で「太陽の塔 黄金の顔」が特集展示されている(20日まで)。電車内であの土偶のような顔のポスターを見たとき、もう一度会いたくなった。70年、小学生の私がみた大阪万博のシンボル。高度成長期の盛りあがりに触れられるかもしれない。
入り口から入ってすぐ、復元された日本橋の下に「顔」はあった。直径10.6メートル。放射状の鉄製フレームに厚さ0.8ミリの鋼板169枚をつけ、金色のフィルムを貼り付けてある。分解保存してあったのを東京初公開のために再現、十数人の手作業で4日かかったという。「お祭り広場」を覆う地上30メートルの大屋根を突き破った65メートルの太陽の塔。小さく縮む日本的感覚とは対極にある躍動感の最頂部に顔はあったのだ。
制作した岡本太郎は毎日新聞に「祭りの魅力」という短文を寄稿(70年3月8日朝刊特集)している。その中の一文。<及第点をとろうとアクセクするなんて卑しい。失敗した方がいいんだ><用心しいしい、やっと八十点とったというようなものがズラッと並んでも、少しも楽しくはない。思いきって自分のやりたいことをやって、よかろうが悪かろうが、これだ、という平気なふくらみ。それが祭りの魅力になる>
.企画した学芸員の松井かおるさんと関連資料の展示を見て回る。「三種の神器」と呼ばれた家電に殺到する一方で、国民は大気や水質などの公害や交通事故・渋滞に苦しんでいる。70年とはそんな時代でもあった。大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」。芸術家はその言葉の底の浅さを見抜き、度肝を抜く塔の巨大さで、人間の生命そのものを表現しようとしたのか。松井さんはいう。「このままの『進歩』で本当にいいのか。岡本はそう問いかけていたのだと思います」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つぶやき
「三種の神器」・・・懐かしいですね。
私も電化の一歩は東芝製の「電気炊飯器」でしたね。この電気炊飯器が下町の町工場で造られて東芝のブランド名で販売を始めたことは知らない事実だった。
この初期の電気炊飯器は蓋がボコ・ボコになっても その機能の衰えはなかった。
10年以上は使ったのでは?その後 新式の炊飯器に買い換えたがなぜか?直ぐに壊れてカミさんがアレを捨てたのは失敗だったと後悔していたな・・・。
今でもあの電気炊飯器はよかったと言っている。

後にTVのドキュメンタリーで その小さな町工場の夫婦が資金難に喘ぎながらも研究に研究を重ねる姿が放映された。もの凄い感動をうけたものだ。
テッキリ電気炊飯器は東芝で開発されたものとばっかり思っていたからだ。
白黒テレビは大学時代の友人 在京の大蔵さんに保証人になってもらいゲップで購入した。
ある日の朝 宇宙放送?(衛生放送)でケネディ大統領の暗殺事件が放映されたのにはビックリしたな~。白黒TVと衛星放送の組み合わせで忘れられない思い出である。
次が自家用車であった。トヨタの「パブリカ」を求めた。
未だ4.5畳 一間の間借り生活だった。無鉄砲なことをしたものだ。
この車は1000kM (1500Km?)走るごとに足周りのグリースアップの必要があった。年中グリースアップしていた感じだったな~ その都度 費用は掛かったが・・。
その数年後のことだった。 グリース・アップの必要のないベアリングが開発されたニュースをみたのは・・・。
勿論 車庫なんて洒落たものは無くアパートの裏道に置いていた。
冷蔵庫と洗濯機は東京の目黒の貸間から町田のアパートの一室に移った時に初めてそれらを求めた。
車はそこのアパートの空き地に置かせて貰ったが駐車料なんて請求は全くされなかった。
オモチャのような自動車でも自家用車と言うものは未だ少なかった時代だからかも?
昭和40年ころか?「3C」時代の訪れである。カー(車)ムールクーラー、カラーTVである。
先ず手にしたのがカラーTV である。
車はオモチャのような車だったが既に手に入れていた。既に2台目の三菱のなんとかクーペにしていたかも?記憶は定かでない。これは もう少しあとかも?
町田から横浜の上大岡の社宅(2LDK)に移った(昭和38年頃?)が夏といえども上大岡の小高い場所にあった社宅は涼しくクーラーの必要は全く無かった。
この社宅では瞬間湯沸しが無くその不便を出入りの業者に言うと早速 取り付けてくれた。
これッて 若しかして たかり??? 立派な たかり でしたね~

「代金は払います」と言ったが業者は受け取らなかった。
ベランダもコンクリートのモルタル仕上げだったので、これも現場の常夫(ジョウフ:現場の雑事一切をこなす雇用員)に言うと器用に作ってくれた。
4枚の簀子(スノコ)である。
おかげで子供がベランダに出るにもスリッパの必要はなくなり冬でも冷たくはなかった。
この「簀の子」あとで気がついたが材料は檜で釘は真鍮釘の丸頭のものが使われていた。釘が錆びなくまた釘の頭で怪我をしないように配慮をしてくれたらしい?
貼った板も乾燥による反りも考えてあった。小口の木目を見て感心したものだ。勿論 板の角の糸面は取ってあった。「簀子」一枚といえども難しい。
約10年間 そこに(社宅)お世話になったが退室する時も簀子はいたんでいなく後の方に「廃棄処分をするが?」と聞くと 「簀子はそのままにして置いてくれないか?」と言うことでそのままにした。
私が現場所長になった時も配属の現場職員も現場員も熟練した人が配属されていて未熟な私は随分と助けられたものだ。
あらッ また話がそれた。つぶやきはこれで・・・。


今週も其方の予報は荒れ模様ですね。
此方、大野も今朝は黄砂のせいか視界が悪く山が霞んで見えます。
*こんな日は外でなくジムで汗を流すのが良いですね!
こちらでは大変内容に興味津々で
愉しく学習させて頂いております♪
私のブログに暖かいコメントを頂き
嬉しくなって、我が意を得たり!で
鯉釣り趣味の息子の話を沢山コメント欄に
書かせて頂いたところです 宜しければ
またお出でくださいね^^。
東芝製の「電気炊飯器」は現在使用しておりますよ^^
40時間は炊きたての味をキープするとの
キャッチフレーズで、2年ほど前から重宝しております
昔はガス炊飯器を長く使用しておりましたが、オール電化時代の到来で
ガスを使わなくなってしまいました、勧められたこともありますが
原発事故以来、これはハヤマッタのかなと反省もしつつです。
朝の散歩は足によいようですが 昨年の寒い日から辞めていていましたが もう暖かくなりましたので始めたいです。これから ジムに行きます。
息子さんの鯉釣りは年季が入っているのですね~
50cm~60cm クライの鯉はよく池で見かけますが自然の中でここまで大きくなるのは至難の業?
俳句も楽しみに読ませていただいています。
ご訪問戴き有難うごzさいました。