今、TVやマスコミで手話が非常に取り上げられているように感じる。
その理由は判らないが、多分、健常者のボランテァ精神の目覚めと実際自分が難聴になったことを想像して居るのかな?と思う。
私自身、耳鼻系統の病に幼い時から悩まされてきた。
特に右耳は聞こえが悪く勤めていた時も話をする時は聞き手や上役などは必ず私の左側にそれとなく、位置するようにわが身を置くように気を付けていたものである。
会議では常に黒板を左にして座る癖がついていた。お陰で会社を辞めるまで私の難聴に気が付く者はいなかった。
リタイアしてメールの交換で、その話をすると異口同音に
「知らなかった」
「分からなかった」と驚いていた。
中には私の名前さえ正確に知らない者もいた。
そのように私の名前の文字も分からない文字でもあった。
普通に読める字ではないからだ。
ところで本論に戻るがNHKの手話ニュースであるが、あの手話を読みこなす方は天才ではないかと何時も感じる。
それほど手や顔の変化が早いのだ。
とても付いて行けない。
はっきり言って理解できないのだ。
「正三師匠の手話」は反対に稚拙で分かるが、時として私のように1~2年教室に通った者にとっては返って間誤付く。
最近は、この正三師匠の手話は見ていない。
やはり教室に通うのがいいと思っている。
私の通う教室は親切な方が多く、現在は最初の1時間は、みんなんで一緒にやり、その後、私のような初心者と中級車に分かれて勉強をしている。
私など、生じっか「補聴器」を付ければ耳元で怒鳴って貰えば何とか聞こえる者はどうも手話より実際の言葉に頼る。
これが私の手話の進捗を遅らせていると思う。
それに、私の知能の悪さだ。
憶えたツモリで家に帰りトイレに行くときに、そのノートを持って行き復習をする。
勿論、トイレの目前の扉には「手話の指文字」「手話の数字」の表が貼り付けられている。
ノートを忘れた場合はこれを数行何度も繰り返す。
もう2年目に入った所為か僅かながら、分かる。手話は自分の主張より、相手方の手話を読むのが難しい!瞬間、はてな?と思うと次の仕草が分からない。
NHKの手話ニュウースは欠かさず見ているが手話の担当者により、かなり異なる。分かり易い方と、全くと言ってよいほど仕草が早く分からない方も居られる。
何のための手話かとさえ思うことがある。
手話は相手に分からなくては意味がない。
せめてNHKの手話は何方も同じ表現を使って適当な速度にして貰えばいいなと思う。
早ければ熟練者だという認識を感じるのだ。かと言って遅すぎてもよくないが・・・。
要は丁寧にやって頂きたいのだ。

丁寧と遅いは異なることを認識して貰いたい。

そこらを、今もう一度よく調査されて一定の速度で正しい決まった表現をして貰えば、いいなと心から願う次第である。
中途難聴者は殆ど家から出かけない。

自分は話せるのだが、相手の言葉が分からず、これでは出かける気分にならない。
自然自分も言葉を発しない。

いま、横須賀市では、この「中途難聴者の会」の発足準備がされている。
非常に良いことと思う。私も参加している。
それこそ、手話の「イロハ・・・」から始めている。

此処では発言者の言葉を即 文字に現す方がお二人居られて手話の未熟な方もスクリーンを見れば分かるようなことが行われている。
我々の発言は二人の書記の方により即座に同時に文字にされてスクリーンに映しだされる。
この方々は同時に二行に渡り発言を分担して文字化される。

凄い瞬間的な判断だ。

この書記の方も横須賀市に数人しかいらっしゃらない。
この書記の方が少しでも多くいらっしゃれば市で開催される講演会にも出かけられるのではと思う。
特に選挙では効果があるのではと思う。

わが「田浦手話の会」の方も数人ボランテァで、この書記をされておられた。
最初に出席したところボランテァの書記の方が私の前に来られ挨拶されたときはビックリしたものだ。

「田浦手話の会」には看護婦さんも多い。

最近は患者さんに聾唖者も多くみられ、付き添いの手話の方がお医者様に患者さんの症状の訴えをお話されるそうですが、何しろ手話の通訳者は医学の用語は素人である。
そのような時は、それとなくお医者様により詳しくお伝えするようです。
勿論、付き添いの手話の方に迷惑にならないように気を付けて・・・・。
何かと手話は役ににたっているようだ。

私も、自分の主張ばかりでなく、もう少し相手の手話が読み取れるように訓練が必要だ。
手話のCDを見てしきりに真似をしながら、相手の手話を読む訓練に余念がない。それでも教室では間誤付く!
いま、いえることは中々相手の手話が読めないことだ。
されど自分の言いたいことで簡単なことは、わりとスムーズに言えると思っている。 (ホンとかな~ア?)
「ありがとう」
「すみません」
「私は耳が不自由です。貴方の言葉がわかりません」
「トイレに行きたいのですが?」
「頭が(お腹が)痛い」
「病院に行きたいのですが?」
「食事に行かない?」
「私の手話が分かりますか?」
「救急車を読んで下さい」
「私は心臓が悪いのです」
「◎◎病院に連れて行ってください」
「私の名前は◎◎です。家は▼▼です」
その、くらいはお陰さまで、すぐに言えるようになった心算である。
勿論、「身体障害者手帳」は常に持参している。
現在は中途難聴者が急激に増加している。

その方たちは、殆ど家にいて出かけることは少ないという発言があったが私にはよくわかる。
外出して、生じっか話は一方的ながらできるので、つい通りがかりの方に「道」や「お店の場所を尋ねることがあるが、相手の言葉が分からない。
しまったと思ってももう遅い。
こちらのトンチンカンな返事で相手によっては
「こいつ!バカか?」

相手の表情で分かる。これは耐え難い!

さり気なく指文字で「バカ」と言ってお辞儀をする。
やってはいけないと知りつつ・・・。

自然に肩に力が入り手話の動作も乱暴になる。

喋ることも忘れる。家でも余り喋らない。
カミさんに怒鳴るくらいである。

案外これがよいのかも?

カミさんも慣れたもので即座に何かと怒鳴り返される。
口の減らないカミさんである。

くそ爺の怒りも、これでいささか癒されるのかも・・・・。

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