私は作品と言う言葉が余り好きでない。

ところが「本」や「彫刻」などは何故か○○氏の「作品」です。・・・と言う言葉にはさして抵抗がない。まァ 一人善がりの考えかも?
これが日常 使う茶碗や花瓶や陶器については何故か?抵抗を感じる。
たとえ著名な陶芸家の作品?でも?だ。
お茶を飲む茶碗に数十万 数百万の値段が付くこと事態にも抵抗感がある。
床の間に飾る茶碗など私は不用である。要はお茶が飲めればいいのだ。
お茶を飲むために作るのでなく飾るために作る茶碗ならば、そのようなものは私には「猫に小判」である。

茶道で使用する茶碗などは別であるが・・・・。

まァ 床の間に飾ってある置物 等には「○○氏の作品です」と言われてもさして抵抗はない。
それでは今 我が家で使っているお茶碗を床に置けば「作品」になるのか?と聞かれればちょい困るな~。気持ちの問題かな?
最近は何方も気軽に「これは私の作品です」と言われる。若しもそれが私なら多分
「これは私が作ったものですが・・・」と言うくらいだと思う。
もっとも私が物を作ることなどありえないのだが・・・。
作品など言う言葉は、おこがましくて言えないのだ。
かなり昔に読んだ、ある本の中に陶器の収集を趣味にしている方がある無名の陶芸家をなんとなく支援するが如くその陶芸家の焼いた陶器を買い求めていた。
以下 その本の文章の一部を思いだして想定して荒筋の一部分を書いてみた。 ↓
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ある時に会社の出張でその陶芸家の近くに行ったので思い立って訪れた。
陶芸家が「丁度 焼きあがった物がありますよ」
「お望みの物があれば差し上げます」と言う話になり、その収集家は、窯(カマ)から出されて並べられているうちから一点を取り上げた。
それを見て陶芸家は「流石にお目が高いですね~」と感心する場面が描かれていた。
文章はさらに続き
収集家は心の中で「私は何時もこの中で一番できの悪いと思うものを取り上げていて別に目が高いわけでないのだが・・・」と呟いた。
何故 出来の悪いものを選んでいたかと言うと、それも理由は単純で売れそうにないな?と感じた物を選んでいたのだ」
*原文のままではないのですが、こんな感じだと思いだして書いたまでです。 ↑
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私はこれを読んだ、その時にその収集家の優しい思いやりだと思った。
「作品」と言う言葉に、目くじらを立てることも ないが、ただ少しの抵抗感がある。
そう言えば我が家に「作品」なる言葉に当てはまるものは一点もないな。

ことによると「作品」なる物をお持ちの方にやきもちを焼いているのかも?

偶々(タマタマ)TVで作品と言う言葉に接して感じた言葉に対する私のおこがましい限りの低レベルの感想である。
どうも また文章が飛んだり跳ねたりしてきたようだ。
ここらで駄文はやめとこ・・・。

きょうは雨降りで少し肌寒い日だ。寒暖計は18度である。
真冬は10度あっても暖かいと感じるが今はやや寒いのは着衣の所為か?
先ほど半袖シャツに着替えた。ワイシャツを着るので長袖は暑く感じる。
室内の暖房も先ほど切った。
外はまるで梅雨に入ったような小ぬか雨が降っている。


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余録:「節電の夏」の再発見 (毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/
<風板引け鉢植の花散る程に>。正岡子規の句だが、はて「風板」とは何だろう。脊椎(せきつい)カリエスの苦痛と闘い、死の2日前まで書かれた随筆「病牀(びょうしょう)六尺」の明治35(1902)年7月19日のことだ▲「この頃の暑さにも堪へ兼て風を起す機械を欲しと言へば、碧梧桐(へきごとう)の自ら作りて我が寐床(ねどこ)の上に吊(つ)りくれたる、仮にこれを名づけて風板といふ。夏の季にもやなるべき」。弟子が作ってくれた手動の送風板なのだ。酷暑の中の病苦をわずかなりとも慰めたようである▲「風板」は季語になりそこねたが、後に「風を起こす機械」として「扇風機」は季語になった。ただここ数十年はさらなる新季語「冷房」に押され、影が薄くなった扇風機だ。それが今にわかに注目を浴び出したのは、いうまでもなく今夏の節電対策のおかげである▲福島第1原発事故のあおりで浜岡原発の運転停止が決まり、加えて各地で停止中の原発の運転再開延期が続いている。新たに定期検査に入る原発も多く、夏の電力不足は関東や東北のみならず全国各地で深刻化する恐れがでてきた。当然、節電の必要な地域も広がる▲すでに関東地方の家電量販店ではシーズンを前に扇風機が昨年の数倍の売れ行きを見せているそうだ。何しろエアコンの何十分の1かの消費電力で体感温度を2~3度は下げる扇風機だ。エアコンの設定温度をその分上げて併用すれば、無理のない節電になるという▲どうせならば扇風機にとどめることはない。団扇(うちわ)や風鈴、打ち水や縁涼みなど、古くからの季語もよみがえらせて夏の楽しみを再発見すればいい。<駄菓子屋の奥見えてゐる扇風機 斎藤夏風>
毎日新聞 2011年5月12日 0時02分
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風板?なんと読むのだろう?

メル友の庭の花を見学にお越し頂き、有り難う御座いました。
考えて見れば我が家にも作品と呼ばれる物は有りませんな~!?
島田伸介の、なんでも鑑定団を見て楽しんでいる昨今で~す!
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我が家には何もありません。若しも「なんでも鑑定団」に出すものを・・」と聞かれましたら
「七重八重 ・・・」です。