還り見れば酔生夢死か?

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余禄 神奈川県湘南地域は海水浴発祥の地だ…

2016-08-12 12:45:10 | ネタ

  神奈川県湘南地域は海水浴発祥の地だ。藤沢市鵠沼(くげぬま)には1886年、大磯に次いで海水浴場が開かれ、明治・大正期から旅館や別荘が建ち並ぶリゾート地として発展した。芥川龍之介ら多くの小説家が滞在して作品を執筆したことでも知られる

▲約1キロの砂浜が続く片瀬西浜・鵠沼海水浴場には昨夏、全国最多の160万人が訪れた。今年も数多くの人でにぎわっているが、浜の西端にあるのが「聶耳(じょうじ)(ニエアル)記念広場」だ

▲聶耳は中国国歌「義勇軍行進曲」の作曲者だ。日本亡命中の1935年7月、23歳の若さで海水浴中に水死した。当時の中国国民党政権が左翼文化人への弾圧を強めたため、日本を経て欧州に向かう考えだったという

▲リオ五輪でスポーツ大国・中国の国歌を耳にする機会も増えるだろうが、もともとは抗日映画の主題歌だった。聶耳は曲を日本で完成させ、中国に送っている。中国の若者らの愛唱歌となり、戦後、国歌に選ばれた

▲聶耳は約3カ月の滞在で日本人とも交流を深め、藤沢の日本人宅を訪れた際に事故にあった。日本への思いは複雑だっただろうが、日記には「日本人とこんなふうに親しくひとつ家に泊まり、食事をともにすることになるなんて、思ってもみなかった」と書いている(岡崎雄児著「歌で革命に挑んだ男」新評論)

▲戦後、地元の有志が記念碑を建て、藤沢市が広場を整備した。毎年命日には中国国歌を演奏している。今年は同市が聶耳の生まれ故郷、雲南省昆明市と友好関係を結んで35年で、記念行事も計画されている。日中関係が難しい時だからこそ、地方や民間の交流を大事にしたい。

ソース : http://mainichi.jp/articles/20160807/ddm/001/070/166000c 

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 つぶやき 

 中国国歌の内容は凄まじい内容であるが、これが日本に亡命していた中国の方が作曲された歌詞であるのは なんとも言われない気持ちである。「余禄」にも書いてあるが この歌詞は「反日」の歌詞である。おそらく作曲者自身の気持ちも複雑だったのでは?と思うのは私の一人よがり かも?

中国国歌 : 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%8B%87%E8%BB%8D%E9%80%B2%E8%A1%8C%E6%9B%B2

歌詞  

歌詞直訳[編集]

起て!奴隷となることを望まぬ人びとよ!
我らが血肉で築こう新たな長城を!
中華民族に最大の危機せまる、
一人ひとりが最後の雄叫びをあげる時だ。
起て!起て!起て!
我々すべてが心を一つにして、
の砲火をついて進め!
敵の砲火をついて進め!
進め!進め!進め!


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