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世界遺産 日光大紀行

織内将男のブログ; 世界遺産の日光寺社を中心に、大地域の日光を巡ります

115、日光の世界遺産;二社一寺 「陽明門・随身像の家紋の不思議」

2014-09-24 14:57:05 | 日光東照宮



  115、日光の世界遺産;二社一寺 「陽明門・随身像の家紋の不思議」  





http://cache5.amanaimages.com/cen3tzG4fTr7Gtw1PoeRer/26033001208.jpg




http://art7.photozou.jp/pub/794/213794/photo/15419634_624.v1411460793.jpg



http://art53.photozou.jp/pub/325/1289325/photo/98601751.v1315933153.jpg





東照宮の不思議、陽明門の随身像の家紋

陽明門の両側の柱内には本殿を守る随身像が安置されている。
随身像の袴の家紋が、織田信長の家紋「木瓜」や明智光秀の家紋「桔梗」に似ているので注目されている。

東照宮内に、徳川家の三つ葉葵紋以外に無数の桔梗紋が隠されているのはなぜなのか・・?、誰の家紋なのか・・?、家康を神とする東照宮のボディガードになぜ光秀が(謀反の象徴とさえ言われる人物なのに)・・?、しかも、家康の干支である虎の敷物に座って、偉そうに。

豊臣家滅亡に執念を燃やした南光坊天海となった明智光秀のものではないかという説がある一方で、徳川家康の江戸入府以前の初期江戸城を築城した太田道灌の桔梗紋ではないかという説もある。
日光東照宮は、江戸を風水で守るために築かれたと言い、江戸の創始者である太田道灌に江戸を守護させるというのは説得力があるようにも思えるが。

ここで、日光東照宮造営の立役者である南光坊天海のことを忘れてはならない。
実は天海の出自は光秀と同じ土岐氏であると言われていて、天海の父といわれる船木景光は清和源氏頼光流土岐氏の庶流であり、この点で光秀と全く同じであるとされる。
もし、これが真実であるならば、日光の桔梗紋には何の不思議もない。

この日光東照宮をプロデュースした、南光坊天海は家康の最高ブレーンであったらしく、さらに面白いのは、光秀こそが天海そのものだとする人もいる。


次回、東照宮の不思議、明智光秀は天海僧正・・?、









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114、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮と陰陽道の不思議」

2014-09-23 16:33:36 | 日光東照宮




114、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮と陰陽道の不思議」



http://3.bp.blogspot.com/-blgeX6z-fzQ/TqnoKqQs7kI/AAAAAAAAHC8/33jb5SYwr7w/s1600/Untitled.png
北斗七星に配列された(・・?)日光三山と関係寺社、、



http://junkunbb.img.jugem.cc/20060928_257783.jpg
陽明門の上空は北極星、


http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-c8-31/metoronjr7/folder/1603364/89/55082089/img_9?1408543029





東照宮の不思議、東照宮と陰陽道、

同様の意味合いが陽明門に彫り込まれている彫刻にも当てはまるという。
動植物から神獣、人物までが精密に彫り込まれており、その総数は508もあり、他の建造物に比較すると、龍の彫刻が圧倒的に多い。

龍は、インドから中国、そして日本に伝わったとされ、龍神など、神仏ににまつわる聖獣、霊獣として扱われている。 

更には、地上を流れる気脈の事を龍脈と呼び、龍は魔除けの願いがこめられていると言われている。
龍は神獣・霊獣であり、麒麟・鳳凰・霊亀とともに四霊の一つとして扱われ、中国では皇帝のシンボルとされている。


陽明門の神意は、彫刻の面でもが「気の流れ」が集中する場所であるとされている。
元より、日光東照宮の造営には、陰陽道、風水(風水は陰陽道中の地理の分野)の強い影響を受けているといわれる。


先にも記したが、陰陽道、風水の関係で家康が北極星に高い関心を寄せていた事は、よく知られている。
陽明門の真上に北極星が光る。 

つまり日光東照宮は江戸、江戸城のほぼ真北に位置いているのである。

徳川家康は、元より妙見信仰(星辰信仰)の信者であったとされている。 
妙見信仰(妙見菩薩)の根本は北極星であり、それは「天界の門」でもあり、宇宙とつながっている極星であり、この北極星が神格化されたものが妙見信仰なのである。



徳川家康は、究極の宇宙を意識しながら、「天地と我と同根。万物と我と一体なり」という思想を持っていたことも伺える。

家康が、日光を霊廟としたのは、天下人だった家康が宇宙の支配者北極星を背に、この地から、遠く徳川家が支配する江戸城を見つめるためともされている。
同時に、家康は徳川家が主宰する世が、永遠に続く事を願った結果、日光を選択したに違いないだろうと。


因みに、風水でいう方向、位置関係において、久能山と日光を直線で結ぶと、その直線上にあるものは富士山なのである。 これも、ものすごいパワーラインである。

日光東照宮は仏教、神道、道教、陰陽道、修験道などのあらゆる宗教を総動員して造られ、江戸を守護する結界が貼られているのですね。


次回、東照宮の不思議、陽明門の随身像の家紋











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113、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮石鳥居の下の天気予報ができる敷石」

2014-09-22 18:11:25 | 日光東照宮



  113、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮石鳥居の下の天気予報ができる敷石」  





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今回の日光東照宮の不思議は色の変化から天気予想ができるという敷石の話です。

境内入り口の石鳥居(一ノ鳥居)の手前の緩やかな傾斜の石段を登りつめた10段目、石鳥居の「東照大権現」の額の下あたりに「照り降りの石」という敷石があります。

あまり大きな石ではないので気がつかないで通り過ぎてしまう人が多いようです。横長の長方形で右斜め半分の色がやや濃い敷石が1つだけあります。

 
湿度が高くなってくるとこの右斜め半分の色が段々濃くなって境目がはっきりくっきりとしてくるので雨が近いということが予測できるそうです。

この日は快晴で雨の気配は全然ない日でしたが、境目は識別できました。
雨が近づくとこの色差がもっと大きくなるんでしょう。

乾いた砂が水に濡れて色が濃くなる現象と似ていますね。
この敷石の材質はよく分かりませんが、この石を切り出したところが断層になっていて性質の異なる地層が石化したのではないかと推測できます。




次回、東照宮の不思議、東照宮と陰陽道、








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112、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮入口の遠近法の不思議」

2014-09-21 16:20:50 | 日光東照宮




112、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮入口の遠近法の不思議」






http://ts1.mm.bing.net/th?id=HN.608012419862564778&pid=1.7



http://nikkotoshogu.com/html/tosyogu/file/torii2.gif






東照宮の不思議、入口部の遠近法

東照宮へ至る表参道は、石鳥居までの真っ直ぐな道なのだが、これにはちょっと仕掛があった。 手前(南側)と奥(石鳥居側)とで、道幅が8mも違っているのである・・?。  
つまり、奥に行くほど広がっていて、細長~い台形になっているのである。

このことは、参道下から見た石鳥居は近くに感じるのだが、着いてみてふと振り返ると歩いてきた参道がやけに長く見えるのである。

これは遠近法と言われる手法の一つで、人の目や感覚を上手に利用したもので、視覚表現の分野で広く使用されているものでもある。



現地に到着して振り返ると、「あぁ、思ったよりも遠くへ来たもんだ」と感じて、大いに有難味が増すというもんである。 

見事な演出で、実は鎌倉八幡宮の参道で段葛といわれる大路がある。 この参道は、遠近法によって、道は宮に近づくほどせまくなっている。 
つまり、東照宮とは逆の方式になっているが、このことは、鶴岡八幡宮に向かって、近つくほどに狭くなるように見える視覚遠近法を利用したもので、軍事上において、長い道と錯覚させる為とも云われる。


次に、大鳥居前の石段から、奥へと登るにつれて先細りとなる。
こちらは、大鳥居までが実際よりも遠くに見える「遠近法」というのが用いられているといい、表参道の様子とは逆の形になっている。

この遠く感じさせることは、お宮本殿に近づくに従って、心を整理し、心を清めておきなさい、という暗示でもあるのだろう。

この遠近法は、他の場所でも確認する事が出来て、東照宮本殿の奥に進むに従い、柱の間隔は規則的に短くなり奥行きが感じれれるようになっているという。




次回、 「東照宮石鳥居の下の天気予報ができる敷石」







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111、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮の絵柄、色彩の不思議」

2014-09-19 17:33:50 | 日光東照宮




  111、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮の絵柄、色彩の不思議」  





http://uda1.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_da0/uda1/m_IMG_4913.jpg?c=a1



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http://jp-isan.com/another-area/nikkotoshogu/nemurineco.jpg





東照宮の不思議、絵柄・色彩

江戸時代初期の建築・美術・工芸の粋を集めた建造物と称される「日光東照宮」。
その豪壮華麗な姿を維持するため、およそ50年に1度の割合で大規模な修復作業が行われており、2007年からは「平成の大修理」と称される修復作業を財団法人・日光社寺文化財保存会が一手に行っている。

修復作業は「漆塗」と「彩色」の二つの部門に分かれ、それぞれを専門の職人が請け負う。
日光東照宮らしい煌びやかな彩色は、天然の“岩絵の具”と“金”で描かれている。

“岩絵の具”は大変貴重なうえ、風雨に弱いため、本来は屋外の装飾には適していない。しかし、400年前と同じ手法を継承するために、あえて現在でも“岩絵の具”を用い、当時と変わらない独特の極彩色を忠実に再現している。この難しい彩色を施して剥落した色を修復し、絵を再現するのが「彩色職人」の仕事である。

「彩色」の工程は、彩色作業の設計図である“見取り図”の作成から始まる。彩色職人は修復作業に入る前に必ず、修復する彫刻の姿とそれに施された彩色を細部に至るまで紙に描き起こし、これを元に作業を行っていく。
“見取り図”の作成は、写真では残すことができない繊細な彩色の細部を後世に伝える役割も果たすため、彩色職人にとっての大切な仕事の証でもある。

ところで、東照宮内部の建造物は、基本的に五色の色彩が配されているという。
具体的には、白・赤・黒・黄色(金)・青で、日光東照宮のシンボルともいえる陽明門に到るまで、訪れた人は五重塔、神厩、水盤舎、鐘楼等を通るが、次第に色彩が華やかになってきて、陽明門に至ると五色の色が全てが使用され、より華やかな色彩に包まれる。 
後に通る唐門、本殿、坂下門にも同様に確認出来る。

東照宮の色彩は、陰陽道における陰陽五行説によるとされ、魔除けの願いがこめられていると言われている。
陰陽五行では地球上のすべては五つの元素で成り立っているとされ、五元素を示す色が即ち、白・赤・黒・黄色(金)・青といい、東照宮もそれに習ったとされている。




次回、 「東照宮入口の遠近法の不思議」







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