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風琴抄

ふうきんしょう…オルガンや聖歌、庭、日々の出来事

不思議な馬小屋

2011-12-23 | 思い出+
この馬小屋、なぜかイエスさまと牛しかいない…
マリア様ヨセフ様はお出かけ?…だからろばもいないのかな?
長女が初聖体の記念に教会からいただいたもので、
記念のおメダイを奥に貼っています。
考えれば考えるほど不思議な、牛とお留守番してるイエス様です@v@

30年前

2011-02-25 | 思い出+
あの日、私と妹は学校を休んで、父と3人で広島に行きました。

パパ様(前教皇ヨハネ・パウロ2世)の平和アピールは、
たくさんの国のことばで語られましたが、最初と最後は日本語でした。
とても力強いお声でした。
その後、平和資料館のバルコニーに立たれたパパ様に
各国のことばで聖歌「あめのきさき」が献げられていました。
普遍教会を肌で感じた最初の体験だったと思います。

全てが終わった後、平和公園に残っている人はほとんどいませんでした。
「店とかどこも満員で入れなくなるかも」と言い張った母が
(今思えば単に節約の為と思われる…)用意してくれたお弁当は、
「(パパ様の来日は)おめでたいことだから」と「お赤飯」
粉雪まじりの寒風吹きすさぶ平和公園で、冷たいお赤飯を食べました。
ほんとに寒かった~(T▽T)

だけど、まだ帰るわけにはいきませんでした。
その夜、広島カテドラル(幟町カトリック教会・世界平和記念聖堂)で
ダニエル・コルゼンパのオルガンリサイタルがあったので。
(ちょうど日程が合ったので欲張ってしまいました…)
リサイタルのことは残念ながらよく覚えていませんヾ(^-^;)

あれからもう30年が経ちました。



最後に、わたしは自然と人間、真理と美の創り主である神に祈ります。
神よ、わたしの声を聞いてください。
それは、個人の間、または国家の間でなされた、
すべての戦争と暴力の犠牲者たちの声だからです。
神よ、わたしの声を聞いてください。
それは人々が武器と戦争に信頼をおくとき、
いの一番に犠牲者として苦しみ、また苦しむであろうすべての子供たちの声だからです。
神よ、わたしの声を聞いてください。
わたしは、主がすべての人間の心の中に、
平和の知恵と正義の力と兄弟愛の喜びを注いでくださるよう、祈ります。
神よ、わたしの声を聞いてください。
わたしはすべての国、またすべての時代において戦争を望まず、
常に喜んで平和の道を歩む無数の人々にかわって、話しているからです。
神よ、わたしの声を聞いてください。
わたしたちがいつも憎しみには愛、不正には正義への全き献身、貧困には自分を分かち合い、
戦争には平和をもってこたえることができるよう、英知と勇気をお与えください。
おお、神よ、わたしの声を聞いてください。
そして、この世にあなたの終わりなき平和をお与えください。

             (平和アピールより、最後の部分)
     

小さな人々の(マザーテレサの思い出)

2010-08-01 | 思い出+
今年はマザーテレサ生誕100年のメモリアルイヤーということで
カトリック系メディアは軒並みマザーテレサ特集を組んでいて、
新しい出版物も多く、一般書店でも特設コーナーが登場しています。
私は今年発売された「マザーテレサ日めくりカレンダー」がお気に入り。
プレゼント用にも何冊か買い求めました。

1度だけマザーテレサにお会いしたことがあります。
1984年11月にマザーが岡山を訪れて、共に祈る集いが開かれました。
通訳はノートルダム清心女子大学学長の渡邊和子シスター。
信者だけでなく聖堂から溢れるほどの人たちが集まっていました。
集まったたくさんの人たちが心を落ち着けてマザーを待てるように、
行事の開始前は聖歌やオルガン、聖書朗読などでつなぐようにと、当日になって言われて、
オルガン曲を弾く時間を分単位秒単位で指定され、
譜面台に置いた時計の秒針を見ながら弾いた覚えが。

マザーの小さな身体から発せられる力強いメッセージ、
パイプオルガンは聖堂後方の2階…私はマザーから一番遠い位置にいたけれど、

「小さな人々のひとりひとりを見守ろう。ひとりひとりの中にキリストはいる」

マザーと心を合わせて祈る典礼聖歌が聖堂いっぱいに響き、
祈りの歌声を支えて弾くことのできる喜びに胸が震えました。
忘れられない思い出です。

おまけ。
夫(当時は夫ではないけど)は、修道会の経営する男子学生寮に下宿していた関係で、
翌朝早くに岡山駅を発たれるマザーを、寮長のベルギー人神父様と共にお見送りし、
マザーに握手までしていただいたんです。(うらやましい…)
「マザーの手は温かだったよ」今でも自慢してるし(笑)
駅のすぐ近くに住んでいた私に「どうして教えてくれなかったの?ぶつぶつ…」
メモリアルイヤーのおかげで?恨み言も復活してしまった…(^^ゞ

逢いたい・オルガン

2010-04-20 | 思い出+
先日、とても嬉しいプレゼントをいただきました☆
いただいたのは上の写真…以前私が弾いていたオルガンです。
12才で初めてパイプオルガンという楽器に触れ、
ミサや結婚式、葬儀を数え切れないほど弾き、マザーテレサを迎え、
オルガニストの先生からレッスンを受けた、思い出深い楽器です。
現在は四国のとある教会に置かれています。

故郷の教会が聖堂を建て替え、もっと大きなオルガンを設置することになって
「このオルガンの第2の働き場所を探しているけれど、
 そちらの教会で引き受けてくれないか?」
と、父を通じて連絡を受けたのは、
私の所属する教会も数年内に聖堂の建て替えを控えていたときのこと。
送られてきたファックスには、
オルガンの仕様書と共に格安の値段が提示されていました。
故郷のオルガンは、ペダルに16フィート(低音)がないのは少々物足りないけれども、
うちは小さな教会なので、小さなオルガンでもいいかも…
何よりあの値段なら絶対にお買い得だと思いましたが、
その当時、私は出産・育児と介護のため身動きが取れなくて、
教会のオルガン奉仕から遠ざかっていたので発言する立場にありませんでした。

主任神父からは「新聖堂建設のときに考えますので」というお断りのお返事。
実は、こちらの教会の出身でオルガンビルダーさんがいらっしゃるので、
いずれはその方の手による新しいオルガンを置きたいのではと、
予想はしていたのですが。

正直、あのお値段なら一瞬我が家に置きたいとさえ思いました。
吹き抜けなので居間に置けるんじゃないかと…夫にはあきれられましたが。

それから月日は流れ、我が教会も新聖堂ができて12年になりますが、
以前のリードオルガンからパイプオルガン仕様の電子オルガンに替わったものの、
いまだにパイプオルガンは設置されていません。
費用のことメンテナンスのこと、弾きこなせる人がいないなどの理由で
とりあえず電子オルガンを置こうということになったようです。
(そのときもまだオルガンから離れていたので詳しい事情はわかりませんが)
パイプオルガンの話はいつのまにか消えてしまっていて、
せっかく縁深いビルダーさんもいらっしゃるのにと、少々残念な気持ちはあります…。

最近になって、懐かしいオルガンが四国にあることを偶然ネットで知り、
あるときその話を四国出身の教会ママ友にしたら「うちの教会だよ♪」と。
先日、ご実家にお里帰りしたときに写真を撮ってきてくださいました。
第2の場所で生き生きと清楚な音色を響かせているであろうあのオルガンに、
いつかきっと逢いにいきたいと思います。

オルガン見学会

2009-09-25 | 思い出+
オルガンを離れていた16年の間に、
2度ほど娘たちをオルガン見学会に連れて行ったことがありました。

少し離れた街にある大きな教会で(今、私が習いに行っているところです)
夏休みの小学生向けイベントとして、オルガン見学会が開かれていました。
今にして思えば、娘たちの自由研究に便乗して、
私自身もオルガンに触れていたかったような気が…。

見学会では、オルガンに関するクイズを始め、
オルガンの内部構造を見学したり、
実際に試弾させていただいたり、
もちろん模範演奏もありました。
なかでもオルガンのパイプを作る工作コーナーは印象的でした。

ドイツでマイスターに認定されたオルガンビルダーの方を講師に、
親子で厚紙を使ってのパイプ作り、、、
ちょっとした角度の違いで音が鳴る鳴らないが決まってしまい、
案の定、次女は悪戦苦闘していましたが、
どちらかと言えば私の方が気合いが入っていたような(^^ゞ

そうして出来たパイプが上の画像です。
仕上げに銀色のラッカースプレーで塗装したら、
本物のパイプみたいに見えませんか?

オルガン奏者④クリスマス

2009-09-19 | 思い出+
オルガン奏者の役割、ラストはクリスマスです☆彡

子どものころ通っていた教会はとても大きかったので、
クリスマスイブのミサは、信者だけでなく、
本物のクリスマスを体験したいという市民の皆さんが多数集まっていました。

ミサの前には、聖歌隊とオルガン奏者によるクリスマス音楽会が催されます。
この日は、オルガン奏者たちにとっても年に1度の「発表会」
私も、ダカンのノエル(クリスマス曲)やバッハのオルガン曲など、
毎年少しずつ難しい曲に挑戦したものです。
ある年は、声楽を勉強していた妹の伴奏をしたことも。

今オルガンを弾いているのは小さな教会で、
オルガンもクラシックオルガン(パイプオルガンを模した電子オルガン)です。
イブのごミサの前に音楽会はありませんが、
年に数回、ささやかなチャペルコンサートが開かれています。
クリスマス前のコンサートでは久々に伴奏のお手伝いをすることになったので、
12月に向けて、その様子もまた書けたらと思いますo(^-^)o

「異国のノエル」ダカン作曲(You-tubeからお借りしました)
オルガンを習い始めて最初のクリスマス音楽会で弾いた曲です♪


オルガン奏者③レクイエム

2009-09-17 | 思い出+
哀しみの日にも、オルガンは寄り添います。
当時は、歌のお上手なベルギー人神父様がいらっしゃったので、
葬儀ミサでは1000年来のカトリック教会の伝統である
グレゴリオ聖歌の「レクイエム」がラテン語で歌われていました。
現在の長調・短調が生まれる前の教会旋法で作られたグレゴリオ聖歌は、
元々は単旋律・無伴奏の美しいメロディですが、
それにシンプルで美しい和音のオルガン伴奏がついて演奏されます。
この経験は、音楽を学ぶ上でも非常に有意義でした。

哀しみの中にもどこか希望が見えるのがキリスト教の葬儀の特徴ではありますが、
やはりお葬式のオルガンは胸が痛みます。
幼いお子さんを遺して逝った若いお母さん、
隣の修道院のシスターや教会の主任神父様のお葬式など、、、
楽譜も鍵盤も見えないくらいに泣きました。

Réquiem ætérnam 永遠の安息を

グレゴリオ聖歌「レクイエム(死者のためのミサ)」より
「アニュス・デイ(平和の賛歌)」(You-tubeからお借りしました)


オルガン奏者②結婚行進曲

2009-09-12 | 思い出+
教会では結婚式がしょっちゅう行われていて、
大安の日曜日や祝日には2回3回と行われることも。
大部分は教会で挙式を希望する一般市民の方々でしたが、
たまに新郎若しくは新婦のどちらかが信者という場合もありました。
挙式は普通30分ほどで、
オルガンは入場、結婚誓約書への署名、退場のとき3曲ほど演奏します。
めったにないけれど、信者同士の結婚式の場合はミサ形式で行われるので、
その時は演奏する曲が多くなりました。

これまでに百回以上の結婚式でオルガンを弾かせて頂いたでしょうか、、、
そんな風に、中学生のころからたくさんの結婚式に立ち会って、
ウエディングドレスや会場の飾り付け、
ゲストへのちょっとした記念品やカード等、、、
自分なりに結婚式への夢がふくらんだものです。

自分の結婚式ではさすがに弾くことはできませんでしたが(笑)
家族だけで行った婚約式のときは、祭壇横の小さなオルガンで何曲か聖歌を弾きました。
そして、自分や夫のきょうだいの結婚式でオルガンを弾けたことは、何より嬉しい思い出です。

退場の「結婚行進曲」ではストップ(音色を変える音栓)をフルに出して弾きます。
そうすると鍵盤が重くなって弾くのも力が要るのですが、
お祝いの気持ちを込めて、がんばって弾いたものでした。
「結婚行進曲・メンデルスゾーン作曲」(You-tubeからお借りしました)

オルガン奏者①ミサ

2009-09-10 | 思い出+
12才のときから13年間オルガンを弾いていた教会には、
当時、オルガン奏者が私を含めて7.8人いたと思いますが、
いわゆるプロのオルガニストはいませんでした。
(途中、2人目のオルガンの先生が加わりましたが)

オルガン奏者の業務は大きく分けて下記の4つがありました。
①ミサ
②結婚式
③葬儀
④クリスマス

①主日(日曜日)のミサ当番(月に1~2度)
ミサで歌われる聖歌の伴奏と聖体拝領や退堂時のオルガン曲の演奏の他に、
聖歌隊との練習もありました。
オルガンは2階のバルコニーに設置されていて、しかも正面祭壇に背を向けて弾いてます。
階下の歌声をリードしつつ適切なテンポで弾くのは、いつも難しかったです。
  
音楽好きの神父様、歌が苦手な神父様、、、それぞれのくせを知って、
合図の音を出すか否か、どこまでサポートするか、、、
バックミラーで神父様や先唱者の動きを確認しながら
オルガンを弾き始めるタイミングも臨機応変に。
当番の日はミサに与るというよりもひたすらスタッフに徹してました。
                                 
                                 (②に続く)

オルガンとの出会い

2009-08-26 | 思い出+
オルガンと呼ばれる楽器との出会いは4才のとき。
近所のプロテスタント教会で、牧師先生の奥様に習ったのが始まりでした。
そこにはリードオルガン(足踏みオルガン)があって、姉と一緒に赤バイエルから習いました。
我が家にあったのはコンセントに差し込めば音が出るYAMAHA電気オルガンで、
足ペダルでふいごを動かさなくていいから楽チンだなあと思っていました。
先生がガリ切りで印刷した練習の頑張り表を作ってくださったことや、
クリスマスに「聖書カルタ」をいただいたことはよく覚えています。
間もなくピアノに転向したので、オルガンとの縁はいったん切れてしまいました。

小学6年生の時、通っていたカトリック教会の神父様から
ミサでオルガン伴奏をしてみないかとお誘いを受けました。
パイプ数約500本、2段鍵盤と足鍵盤を持つ、小型ながら本格的なパイプオルガンです。
そこからオルガンと私との濃密な時間が始まりました。