独り言ブログ

ただの独り言。自由気ままに書きたいこと書きます。できるだけ毎日を目標に。

見た目は子供、頭脳は大人?

2017年09月24日 05時35分13秒 | 日記
今日は一緒に遊んだ俺も含めた3人のおじさんの話。

友達が卒業した学校のテニスサークルへ行ってテニスをしてきました。
私は当然、部外者なので、かなり形見が狭いです。
周りとどのように接していいのかわからずに、声をかけられないでいました。
そうしたら、そのサークルの1年生と一緒に打つことになって、それをきっかけに接し方もなんとなくつかめてきたような気がします。
その時思ったのが、自分から話しかける言葉が見つからない…ということです。
相手は次につなげるための会話を続けて出してきてくれるのに、自分は最初に発言できない。
自分から発言していって、相手との距離を埋めていく。
これを主体的にやることが、今の私の目標のようです。

しかし、主体的に発言していくとしても、相手を傷つけたり場の雰囲気を悪くするようなことは言ってはいけません。
それには、どんな発言がどういう意味を持つのか、事前に考えていないといけません。
また、経験によってその知識を蓄えていかなければいけないでしょう。
2つ目に、空気を読んで言葉を選ばないといけません。
突拍子のない発言は相手を不快にさせるでしょう。
空気を読んだ結果、発言してはいけない場面というのも当然あるでしょう。

主体的に行動していくということは、やはり、自分にとって難易度が高いものです。
こういう点では、人間関係の経験だけは豊富なウェーイ系に軍配があがりそうです。

自分に必要なのは人間関係を持って、いろいろな経験を積むこと。
そのために、人と関わることを怖がらずに、むしろ積極的に声をかけていって、挑戦を繰り返すことが大事なのかもしれません。
この年になって、未だに、面倒だから人と会いたくない・外に出たくない精神を持っていることが問題です。
私の見た目の幼さはそこからも来るのでしょうか?

今日、三人のおじさんで焼肉屋に行ったとき、「中学生ですか?」と店員さんに質問されました。
23にもなって中学生(14程度)と見間違われるのは、さすがに悲しいと感じざるを得ません。
某探偵漫画的な表現で言うところの、見た目は中学生・中身は大学生、みたいな感じでしょうか。
中身が大学生並以上のものを持っていればいいですが…。
まぁ、見た目は大人・中身は子供、みたいな人も少なくない世の中でしょうし、特に気にすることでもないかもしれません(笑)。
身体の発育のことは様々な要因が重なって起ることでしょうから、精神だけの問題ってこともないでしょう。
社会に出ていく上で、人と関わることを避けることはできない。
そう考えればこんな精神とは早々にお別れしたほうが良いのは明白ですね。
まぁ、人間関係は急ぐことがいいこととは限らない時が多いでしょうから、焦らずゆっくり機会を伺って着実にスキルを身に着けていきたいです。

祭りのあとの静けさに耐えられそうで耐えられない、そんな今日この頃。

醜いぼっちの愚痴

2017年09月23日 02時17分00秒 | 日記
最近、流行語などのインパクトの強い言葉が飛び交うようになりました。
私はそれを聞いていて、なんだか気分が悪くなります。
初めて聞いた単語に新鮮さを感じて興奮する小学生に相似しているからなのかなと思います。
そうではないにしても、なんでフレーズだけの言葉が飛び交うのが気持ち悪いかというと、会話になっていないからです。
会話は何のためにするかというと、相手を理解したり、自分を理解してもらうためにするものなのだと考えます。
一方、フレーズの投げかけは、言葉に意味はありませんから、事前にその意味を知っていなければ成り立ちません。
つまりそれは、お互いがお互いをしっている状況でしか起こりえないのです。

だから、人が知り合う時、決まった質問に決まった回答をする、いわば暗号のような決まり文句が必要になる。
違ったことを言えば、「あの人は何か違う」といった目線にさらされることになる。
知り合ってからも特に考えを深めようとすることもなく、集団でなれ合うだけ。

こう思うようになったのは、大学の授業の合間に耳に入ってくる会話がきっかけでした。
大きな声で何を話しているかと思えば、セックスの話、彼氏がクソだとかいう話、遊ぶ予定についてなどなど。
大学生らしいまともな話を聞く事はめったにありません。
私がコミュ障じゃなければもうちょっと積極体に話しかけてみたりするのですが、それでも学校でセックスがどうとか大声で話しているやつらの集団に入っていく勇気はありません。

私は普通の会話がしたい。
私が話しかけられない理由は、天然でコミュ障ゆえ相手の意図を理解できないことにあります。
しかし、だからといって会話を避けることはできないわけで、社会に出る前に訓練として大学で経験を積もうと考えるのは間違っていないはずです。
先生と会話をしようとしても、それは会話になるでしょうか。
先生の一方的な攻撃にあって負けるだけのような気がします。
まぁ、負けることに意味があるならそれも試してみる価値があるかもしれません。

真剣な議論をしたいなら、先生に吹っ掛けるのも悪くないとは思います。
でも、ただ雑談をしたいときにはどうしたらいいのでしょうか。

今日、「さみしさの力」を読み終わったのですが、人間の力の根源はさみしさにあるのではないかという内容の本です。
同じ年の友達にこれについて話しても「ふーん。」程度で終わってしまうでしょう。
いくつか世代が上の人に聞いても「考えたことがなかった。」で終わり。
年配の方と会話する機会はありません。
機会があったとしても、まずはありふれた世間話からでしょう。
結論だけ急ぎすぎてもよろしくないってことですかね。

実は勉強した気になって、ちっとも考えられていないアホは私なのでしょうか。
自分以外の人と議論をしないと、自分が正しいのか間違っているのかさえわからないので、非常に不安になります。
勉強をする意味も次第に見いだせなくなるので、本を読むモチベまでなくなっていきます。
やはり人生に必要なのは他人。
自分一人では生きていけないことを痛感します。
それだけに孤独が痛い。

ゆっくり時間をかけて知識・経験あるおっちゃんと会話ができるようになりたい今日この頃(若い綺麗なお姉さんなら尚可)。


やはり俺も日本人

2017年09月15日 22時28分26秒 | 日記
初めての長距離自動車旅行を楽しみにしていた私ですが、台風の危険がどうしてもある、という理由でやむなく旅行を中止しました。
結局、その目的地はすぐ隣の県に決定。
ホテルにキャンセルの電話をしたとき、電話に出た方の対応がとても丁寧で、言いたいことはあるだろうけど何も言わずにキャンセル料を無料にしていただきました。
その時思ったのが、「誰が悪いわけではないけども申し訳ないと思い、機会があればこのホテルに行こう」、ということです。

こういう発想って日本人独特なんじゃないかなと思うんです。
おそらく海外なら、もっと合理的にやってしまうとか、自分によくしてくれたら単純にうれしい等と思うのではないでしょうか。
ここらへんは経験が浅いのであくまで推測ですが。

この日本人独特の義理人情ってやっぱり一長一短で、相手のことを思いやれることができる反面、その憶測に振り回されてしまう点がある。
うまく機能すればどこの国にも負けない力を発揮することができるけども、下手に機能すると斜め下の方向に猪突猛進することになってしまう。

ここらへんが日本人が一方では天才であって、一方では馬鹿であることの理由なんじゃないかなぁなんて思いました。

2017年現在本当の日本人と呼べる人間がどれほどいるのか。ものすごく少数派なような気がして私はさみしいです。

日本人として生まれ育った以上、日本と共に生きて日本で死にたいと思うわけです。
そのためには日本をどうにかして北朝鮮や中国の脅威から守らなければならない。
また、アメリカの保護領のままでいるわけにはいかない。

いずれ日本は亡国になるから勉強しないでセックスばっかりやってればいいという考え方は、やはり暴論であると言わざるを得ない。
それでは国家が成立しない。
なら、可能な範囲で勉強をして、それとバランスを取るために多少は遊ぶことが大事なんだろうなと思う。


今回はとりとめのない文になってしまいました。
ま、久しぶりにまともな人に出会えたことの記録として。
先人の知恵を学ぶことの大切さを改めて感じる今日この頃。