ようやく飛行機を降りた私を待っていたもの。。。。。
それはヘリコプター。 うぇ~ん。
大学時代アパートの隣同士に住みながら、卒業以来音信不通になったまま、
てっきりお互いそれぞれの国に帰っているとばかり思っていた二人の男。
facebook が時を超えて再び二人を巡り会わせてくれました。
昔からの趣味が仕事に結びつき、今では会社経営者となった今回のホストは、
卒業後は母国シンガポールには帰らず、一時期ヘリコプターのパイロットをしていたそうな。
今回の旧友との再会に際して、何としてでも自ら操縦するヘリコプターで、
街を案内したいと、全ての段取りをして待っていてくれやがりました。
久しぶりに積もる話も有ろうかと別行動を申し出ましたが、即座に却下。
私は勿論初対面。
長い長い歳月を経た、悪友の再会シーンを密かに楽しみにしておりました。
ホテルにチェックインするや否やロビーに迎えの車がやって来ました。
ドキドキワクワク
が、私の期待は見事に裏切られ、
短いハグの後は、まるで昨日も会ったかのような馴染み様です。
清々しくあっけない。
これが男の友情か~。いと、うらやまし。
妙に嬉しそうなパイロットを後部座席から眺めつつ、
しばし友情について思いを巡らせてみました。
私は学生時代に英作文の授業で、男と女の友情の違いに付いて作文を書かされました。
その時の教授と私は、授業後に激しく言い争いになりまして、
結局私はその作文を書かず白紙の用紙を叩き付けたという、楽しい思い出が有ります。
なぜ私が大人気なくそれほどムキになったのか?
教授という人を導く立場に有りながら、女性最高!女性は男性より優れている!
という非常に偏った思想を隠そうともしない彼女が、
男の友情等というものは、女性のそれと比べて全く深みの無いものである!
と、社会学ならまだしも英作文の授業中に演説をぶったからです。
のたまわく・・・・・
女性同士が友人関係をスタートするに当っては、
お互いの家族構成から、仕事、趣味、あらゆるものについての好き嫌い、
現在に至るまでの自分史等々、必要な情報は直ちに交換し合い、
今後は全てを分かち合う決意の元に、濃厚な友情を育むのに対して、
男は何年も顔を合わせていながら、
場合によっては互いの住所も、結婚しているのかどうかさえも知らない上に、
プライバシーをシェアしようともしない、実に浅い関係に満足する傾向にある。
だってサ。
これは私を憤慨させるには充分過ぎました。実に浅はかな分析ですな。
友情の価値などというものは、他人が決めてはならないのですよ。
そもそも私には、彼女の言う男の友情の形が何故悪いのか解らない。
細かい事は申しませんが私が好むのは、どちらかと申しますと彼女が言うところの、
『ザ・男の友情』の方だと言う個人的な嗜好も、私のチャレンジの後押しをしました。
この一件で私が得たものは、Fという落第点と、
必要ならば英語で堂々と議論する気力と実践的且つ攻撃的な語学力でした。
あはは・・・・は。
馬鹿な思い出にふけっている間にも、ヘリコプターは霧雨の街を旋回します。
港町というのは、世界中どこにも共通した雰囲気が感じられる気がいたします。
貨物船に積み込まれて入港して来るのは物資だけでなく、
そこに関わる人々の活力とか、文化とか、
もしかすると旅人の孤独だったりするのかもしれません。
どんなに賑やかな毎日をおくっていても、人生は一人旅なのですよ。
一人で生まれて来て、やるべき事を終えた後にまた一人で旅立って行くのです。
でもそれを寂しいと思うのはどんなもんでしょうか?
旅の途中で出会い、深く関わりを持つようになる人もあれば、
たった一瞬の時を、すれ違うように共有する人もいる。
そして出会った人々の記憶を、残しておこうと思えば永遠に心に残しておく能力を、
私達は与えられていて、それを「思い出」と呼ぶのです。
その関わりが記憶にも残らない浅いものなのか、
それとも生涯心に抱きながら一人旅を続けて行く為の糧となるのか。
それを決めるのはその時々、自身の心のありようなのだと私は思います。
価値なんぞというものは自分にしか判らぬもの。
それもずっと後になってみなければ判らない真価というのも有るものです。
ここね、世界に名だたる大富豪のお屋敷なんだそうですよ。
写真の中央の水辺、グレーの屋根と赤茶色の壁の建物です。
私にとっては、ヘリコプター初体験でした。
普通に飛行していれば何の問題も無いものを、
冒険好きなパイロットが何度もターンを切るので、
ちょっと何だかね・・・・気持ち悪かったYO 。
では