私は陶芸を通して、常に自分と正面から向き合わざるを得ない。
実際に作品を作るに際しては、お使いくださる方の事を考えて制作するのだけれど、
結果的に出て来るものは今の自分なのだから、
やはり作品越しに自分を見ているというべきだと思う。
何を感じ、何を考えているかが今の自分だが、今の自分は過去の時間の積み重ねだ。
嘘をつく事もごまかす事も出来ないのだから嫌になる。
”木は森を見せてはくれない”
ある国にこんなことわざが有る。
森は沢山の木々で出来ているが、その木には葉が生い茂っていて、
木を見ているだけでは、森全体を見る事は出来ないという事だ。
人も、人の人生も同じだな。
一心不乱に内面を掘り下げていく事も大切だけれど、
そればかりでは自分の全体像が見えなくなる。
私に関しては陶芸が人生ではない。人生の中に陶芸が有るだけだ。
十代の終わりに手痛い挫折を経験し、その時は人生はもうおしまいだと本気で思った。
しばらくは手の施し様がない程沈んでいたけれど、
ある日、こんな馬鹿な話が有るかと思って吹っ切る事にした。
何かひとつを失ったぐらいで終わるような人生を私は生きたくなかった。
それから私は時々遠くに離れて自分を確認する作業を意識して始めた。
その作業が『旅』。私にとって旅行という言葉は何かしっくり来ないから旅。
日本を離れる前の一年間も、私達は日本中を旅した。
何でそんな事をしたのか、はっきりした理由は今も判らないが、
日本各地の、自分が会ってみたいと思う様々な分野の職人さん達に、
片っ端から手紙を書いた。もちろん誰一人、知っている人等居なかった。
その頃の私は当然陶芸等とも無縁だった。
何も知らぬ素人の手紙など相手にされないだろうという予測に反して、
多くの方が返事を下さり、訪ねる事を快く歓迎して下さった。
中には、私達にお金が無い事を知って、旅費滞在費のすべてを負担し、
一門総出で歓迎して頂いた事も有った。何故なのか今も全く判らない。
確かな理由も目的も無い旅だったけれど、結果的にその一年間の旅が私達の今を決めた。
普通の方々と比べて、かなり多くの旅を続けている私達だけれど、
その場所を訪れたなら誰もが一度は訪ねるであろう名所旧跡の多くを知らない。
旅先には必ず人がいて文化が有って暮らしが有る。
それを見るだけで手一杯になってしまう。
旅先で出会うものは笑顔や楽しい思い出ばかりではない。むしろそういうものは少ない。
やるせない程の無力感や、選べない人生の不公平、怒りと紙一重のむなしさ。
そういうものを持ち帰って来ては、日々の暮らしの中で咀嚼し、自分の血や肉とする。
私達の旅はそれで良い。
”木は森を見せてはくれない”という言葉が私にはストンと腑に落ちる。
私は森を見る為に旅をしているんだ。
日本は梅雨の季節ですね。降り続く雨が好きな訳では有りませんが、
梅雨時でなければ見られない風景を懐かしく思う事があります。
どうぞ日本の美しい季節をご堪能下さいますよう。
しばらく留守にいたします。7月までしばしのお別れです。