ここしばらく私は土で紙を作り続けている。
白は私が陶芸を始めて以来、避け続けて来た釉薬。
嫌いなのでは無い。
好き過ぎて、使えずに今まで来た。
白について長い長い年月考え続け、日常の中で見続けて来た。
白がすべてを輝かせることも、全てを台無しにすることも知っている。
その世界に入っていくのが怖かったんだと思う。
そんな私をとうとうその『白の世界』に誘い込んだのは、
ある出来事をきっかけに、私の中にわき上がったささやかな反発心だった。
紙の皿で食事をすることを『味気ない』と断言した人が居た。
私と同じ陶芸家だった。
その食事が味気ないかどうかは、器によって決まるのではない、
食事をする人の、心のありようが決めるのだと私は思う。
どんな理由があっても、人様の召し上がり物を味気ないなどと言ってはいけない。
紙の皿に盛られた何日ぶりかの暖かい食事をほおばる人の笑顔を見れば、
その食事がこの世のどんなご馳走よりも、今彼らの心を満たしていることが判るだろうに。。。
使い手の表情を見逃し、器という、使い手が居なければ何の意味もなさないものだけに目がいってしまう。
一生懸命になるということは、そういうことかもしれないが。。。。。
紙には紙の、プラスチックにはプラスチックの、そして勿論土には土の魅力がある。
価格、衛生面、便利性、軽さを含む安全性・・・
紙の器を使うことの良さを挙げたらきりがない。
自分が愛しているものを「これがベスト」と言い切ったっその瞬間に、
愛しているはずのものが、誰かから疎まれ、遠ざけられてしまうこともあるのではないか。
そんなことを考えていたら、私は紙の楽しさや美しさを土で表現してみたいと思い始めた。
紙に言わせれば余計なお世話だろうけれど、
はじめは誰にとも無いちっぽけな復讐心も有ったように思う。
でも作れば作る程、そんなことはどうでも良くなった。
楽しくて楽しくて仕方が無い私が居た。
作品には全て同じ釉薬を使用しているが、
素地である土を変えたり、表情を付けてやることで、全く違った白を見せてくれる。
同じ作品であってさえ、光りと影をその肌に映し、七変化する。
白は凄い。
作れば作る程、頭の中には無限の可能性が広がって、
私はいつスタジオから出たらいいのか判らなくなってしまう。
元々が反発心などという了見の狭い、嘆かわしいスタートだったし、
依頼を受けてデザインしたものではなかったので、
自分一人で楽しみ、自分のために作るつもりだったのだが、
作品を愛して下さる方々が出来、新作を楽しみにして下さるようになった。
後日、この作品を作り始めてしばらくした頃に、私は砂漠を見た。
見たことの無い強烈な白の世界だった。
白は冷たく、且つ熱いと知った。
今も日々心の趣くままに作り続けている。
私の作る紙には、砂漠のエネルギーが吹き込まれ始めている。
陶芸が有って良かった。
そうでなければ、私には何も伝えられなかった気がする。
スタジオにて