(2010.5.19)
22年度も審査会に参加することになった。メンバーは、行政の部長さんが2名異動になったが、副市長のKさんやⅠ部長さん、市民委員のTさんは、引き続きであった。
今年度の案件は7件。どこの自治体でもそうであるが、この制度は、やるにしたがって、年々、難しくなる。ただ、気心が知れているメンバーなので、フランクな議論ができた。実感したのは、市の幹部ともなると、実に鍛えられているということ。改めて、私は、定年までがんばっても、到底、副市長や中枢の部長にはなれなかっただろうということを確信した。
この市民活動支援制度の課題は、市民の提案を育てる仕組みをどうつくるのかである。いくら市民の主体的活動とはいっても、行政のリード、バックアップがあって、花開くことも多い。理念的には、行政が市民の自主活動にちょっかいを出すのは、いけないとされるが、その多くは、机上の議論である。行政の前向きな姿勢、行動によって、市民が安心して活動できる場合も多く、一部の自立した市民活動を除いて、多くの市民活動の活発化には必要なことである(むろん、かかわり方には、節度、適量が求められるのはいうまでもない)。
この制度も、出来上がってだいぶ経つので、一度、制度の組み立て直しをしたら良いだろう。
我が家で、私は、パンを買う係りなので、国分寺の駅ビルで、食パンを買った。
(2009.5.16)
小平市で市民活動公募事業の審査会が開かれ、そこに委員として参加した。もともとは、NOMAの研修で知り合ったKさんとのご縁である。
小平市の制度は、その名のとおり、市民活動を支援する補助金を交付する事業である。7件の申請があったが、地域に根ざした興味深いものもいくつかあった。私の関心のひとつが、都市ブランドであるから、都市格を上げる、地域独自に活動には、私は高い点がつくことになるようである。同時に、公募事業のなかには、協働型の事業のほうがふさわしいものもいくつあった。こちらのほうは、現在、制度を準備中ということなので、いずれは受け皿ができて、市民活動の支援がより充実したものになっていくであろう。
審査会の楽しみのひとつは、他の委員さんと知り合いになることである。今回も、面白うそうな人が満載であった。また、行く機会があるので、再開を楽しみとしたい。
市役所の最寄り駅は、青梅街道である。西武鉄道はほとんど乗ったことはなく、エキスパートを頼りに行ったが、よく見ると国分寺市の恋が淵の反対方向である。鎌倉街道に沿って、かつては農村風景が広がり、小さな集落が点在していたのだろう。高田馬場から行くときに、手形法のテキストで読んだ沼袋、長男が一時住んでいた上石神井、大学時代、友人が住んでいた武蔵境を通った。いまのゼミ生のひとりは田無からきている。点が、少しつながった気がした。
22年度も審査会に参加することになった。メンバーは、行政の部長さんが2名異動になったが、副市長のKさんやⅠ部長さん、市民委員のTさんは、引き続きであった。
今年度の案件は7件。どこの自治体でもそうであるが、この制度は、やるにしたがって、年々、難しくなる。ただ、気心が知れているメンバーなので、フランクな議論ができた。実感したのは、市の幹部ともなると、実に鍛えられているということ。改めて、私は、定年までがんばっても、到底、副市長や中枢の部長にはなれなかっただろうということを確信した。
この市民活動支援制度の課題は、市民の提案を育てる仕組みをどうつくるのかである。いくら市民の主体的活動とはいっても、行政のリード、バックアップがあって、花開くことも多い。理念的には、行政が市民の自主活動にちょっかいを出すのは、いけないとされるが、その多くは、机上の議論である。行政の前向きな姿勢、行動によって、市民が安心して活動できる場合も多く、一部の自立した市民活動を除いて、多くの市民活動の活発化には必要なことである(むろん、かかわり方には、節度、適量が求められるのはいうまでもない)。
この制度も、出来上がってだいぶ経つので、一度、制度の組み立て直しをしたら良いだろう。
我が家で、私は、パンを買う係りなので、国分寺の駅ビルで、食パンを買った。
(2009.5.16)
小平市で市民活動公募事業の審査会が開かれ、そこに委員として参加した。もともとは、NOMAの研修で知り合ったKさんとのご縁である。
小平市の制度は、その名のとおり、市民活動を支援する補助金を交付する事業である。7件の申請があったが、地域に根ざした興味深いものもいくつかあった。私の関心のひとつが、都市ブランドであるから、都市格を上げる、地域独自に活動には、私は高い点がつくことになるようである。同時に、公募事業のなかには、協働型の事業のほうがふさわしいものもいくつあった。こちらのほうは、現在、制度を準備中ということなので、いずれは受け皿ができて、市民活動の支援がより充実したものになっていくであろう。
審査会の楽しみのひとつは、他の委員さんと知り合いになることである。今回も、面白うそうな人が満載であった。また、行く機会があるので、再開を楽しみとしたい。
市役所の最寄り駅は、青梅街道である。西武鉄道はほとんど乗ったことはなく、エキスパートを頼りに行ったが、よく見ると国分寺市の恋が淵の反対方向である。鎌倉街道に沿って、かつては農村風景が広がり、小さな集落が点在していたのだろう。高田馬場から行くときに、手形法のテキストで読んだ沼袋、長男が一時住んでいた上石神井、大学時代、友人が住んでいた武蔵境を通った。いまのゼミ生のひとりは田無からきている。点が、少しつながった気がした。