松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆決まらないシステムとしての住民投票(三浦半島)

2016-10-06 | 1.研究活動

 趣味が共通のブログではあるが、地方自治の話題が参考になる。今回も共感でき、洞察を深めるヒントになる記事が出ていた。

 今回は、小牧市の住民投票を取り上げて、「決まらないシステムとしての住民投票」の課題を指摘している。 

   写真は、パンセ(みたいなものを目指して)から引用

 愛知県小牧市では、古くなった図書館を新たな場所に新築し、その際、ツタヤ図書館を採用しようとした。これに対して、住民投票が起こった。住民投票では、実際に投票に行った市民が全体の50.38%、その50%のうちわけは、反対は56%、反対は44%という投票結果となった。 

 投票の結果、現計画はノーということになったので、そこで、新規の計画をつくろうと、住民投票のリーダーも入れた審議会を作り、検討した結果、先の住民投票でノーと言われた場所で、新規に建築することになった。これを巡って、住民投票の「民意」が問われるようになった。

 これは、決められないシステムとしての住民投票制度の構造的な問題の表れである。

1.たしかに住民投票の総数から見ると、現計画にノーという声が多数を占めた。しかし、投票に行かずという人も50%近くいる。この人たちの真意を踏まえると、市民全体で、本当にこの計画がノーというのが多数なのか、よくわからない。一般には、投票に行かなかった人の多くは原案に賛成と考える人が多いと思われるので、それを含めると、本当の民意はどこにあるか、よくわからないのである。

2.次に、投票に行った人だけを対象に考えても、ノーと答えた人の真意はどこにあるのか、いくつもの民意が含まれている。

 ①そもそも図書館なんて、使わないし、いらないと考える人も結構いる。日々の生活に事欠いているので、図書館を作るくらいなら、その金を住民の生活向上に回してほしいという意見である。この立場では、「ノーの民意は、図書館建設凍結」である。

 ②図書館賛成派でも意見は分かれる。
 ア.きちんと直営でやるべきで、ツタヤに任せるのが妥当でないと考える人もいる。直営なら、この場所でも賛成である。「ノーの民意はツタヤ」である。

 イ.お金がかかりすぎるので反対だという人もいるだろう。ツタヤでも、新しい場所でもいい。ただ、もっと安くなれば、賛成である。「ノーの民意は、高すぎる」である。

 ウ.現計画の場所が気に食わないという人もいるだろう。「ノーの民意は、建設地」である。この立場では、住民投票で否定されたので、この場所での建設はとんでもないということになる。

 エ.決定プロセスが妥当でないから、反対という人もいるだろう。「ノーの民意は決定プロセス」である。今回のような市民参加で決めたら賛成という人もいるだろう。

 オ.究極的には、現市長のやることだから反対という人もきっといる。「ノーの民意は現政権反対」である。この人は、どんな計画でも反対となる。

 ちょっと考えても、これだけの民意があるが、住民投票では、これら多様な意見を一括して、現計画に反対という意見となった。住民投票は、結局、勝った負けたの争いになるので、ともかく反対なら×(あるいは〇)を入れてくださいという運動になりやすい。

 そこまでは良いかもしれないが、では、次に進もうという段階になると、この住民投票の弱さの部分が露呈するのである。反対の場合、その先の、ではどう進むかになると、「住民投票の民意とは何か」の部分のあいまいさが、如実に問われてしまうことになる。

 反対するなら、その先、どうするのか、まずは対案を出すべきだというのが、普通の考え方であるが、「それを言い出すと意見がバラバラになってまとまらない」と言われてしまう。また、対案らしきものも、単なる思い付き、作文であっては、結局、先に進んだ時に、その案では収まらないから、結局、別に決めるシステム(会議)が必要になる。

 では、どうするか。ひとつの案は、きちんと住民投票を総括するシステムの構築である。関係者が一堂に会して、投票をした市民の民意を探る会議の開催である。上記の例でいえば、①の分析、②のそれぞれの分析をして、市民の真意はどこにあるのかを探るのである。

 その結果、市民の真意は、どうだったのか明らかになる。

 小牧市の例でいえば、一番困っているのは、新しい審議会のメンバーになった住民投票のリーダーの方だろう。住民投票の結果をきちんと自分たちで総括していないから、会議の席で、「住民投票の民意は何ですか」と問われて答えようがないからである。「民意は、この場所で反対ですか」と聞かれても、答えようがない。意見を言っても、「それは住民投票全体の意見ですか、あなたの意見ですか」と問われて、住民投票全体の意見だとは言えないであろう。だから、「もっと意見を聞くべきだ」(新聞記事による)というコメントになっているのだと思う。このコメントは、住民投票では十分、民意を反映できなかったと、自ら言っているようなものである。

 住民投票が行われたら、必ず、総括すべきというのは正論であるが、これまでほとんど、行われていない。理由は、簡単で、それをやるとパンドラのふたを開けることになってしまうからである。多様な意見があるのに、それを「賛成」、「反対」の一括りでまとめてきた住民投票が、あらためて総括をすることで、実は意見は多種多様で、簡単に賛成、反対で分けられるものではないことが分かってしまうからである。

 そこで、結局、民意をあいまいなまま温存し、その民意を巡って、自分の都合のよい解釈で「民意」を主張することを続ける道が選ばれる。だから、いつまでも決着せず、地域において、対立と不信を再生産してしまうことになる。

 住民投票しても、結局、それだけでは民意が決まらず、再び民意を探る方策を講じなれればいけないのだったら、何も大金をかけて、〇か×かの投票などをせずに、工夫したアンケートや無作為抽出した住民会議で熟議をして、民意をもっと明確にし、民意に沿った案をつくったほうがいいというのが、ずっと私が言っている意見である。これは、このブログにもずいぶん書いた。

 さらには、本来の決定機関である議会の改革である。みんなで議論すると、大向こう狙いの、おかしな意見は共感を得られず、多数を獲得できない。その意味で、議会における決定は、そんなに民意と離れたものにならない。オープンの場で、ポジショントークにならず、実現可能性を示しながら、議論する機会づくりをさらに積み重ねていくことで、民意に寄り添う道を探っていくべきだと思う。市民側にも、議会・議員に対する決めつけや思い込みもあるので、市民のほうに飛び込んでいく議会・議員の勇気のようなものも問われている。

 これらの方法のほうが、地道であるが、結局は、近道だと思う。

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